Ⅱ―明日を賭けて―(後編)

 天児はもう帰路についていた。白川教子が戻ってきて『帰ってよし』の一言で、もう帰っていいことになったのか、授業中の教室へ行ってカバンをとって出て行ったのだ。見知らぬ女子生徒と二人きりになった直後の授業の早退であったので、何やら噂をたてられるのは確実だろう。それも、今その問題の女子生徒である美守と一緒にいる。


「なんでついてくるんだ?」


 と天児が訊くと「今日はあなたと一緒にいるつもりよ…」とこたえただけで、どうもそれ以上訊きにくくなった。


(まいったな…)


 昨日会ったばかりの女の子と話すようなことなんてわからない。ミッドナイトスペースのことも、どうにも重苦しくて話にくいので、無言のまま自転車を引いている。アパートにつくまで、そんな時間が続いた。


「……入るか?」


「ええ…」


 美守は即答した。その思い切りの良さのおかげで戸惑いもなく彼女を部屋に入れることができた。


「おかえりッ!」


 留守番を頼んでおいたソラが元気よく出迎えてくれた。


「ただいま」


 出迎えてくれたソラに天児はそう返した。


「お客さん?」


 ソラは天児の背後にいた美守を覗く。


「ええ、お客様よ…」


 そんなソラに美守はそう答えてあげた。


(『様』をつけるんだ…)


 天児はその姿勢に少々意外さを感じた。


「じゃあ、お茶を入れないとね、お兄ちゃん」


「あ、ああ、そうだな」


 天児とソラがそんなやり取りしている間に、美守はあがりこんだ。


「汚いところで悪いな」


「そんなことない……立派な住まいよ…」


 美守は座布団に座り込んで、部屋を眺めてそう言ってくれた。冗談やお世辞といった無理しているところが一切感じられないところから、本心からの言葉だと思わせた。


「ありがとう」


 天児はお茶を出して、礼を言った。


「どうぞ、召し上がれ」


 ソラは、そのお茶をさして陽気に言った。


「ありがとう、いただくわ…」


 美守はお茶を飲んだ。


「おいしい?」


「うん、おいしい…」


 美守がソラにそうこたえてくれたおかげで、和やかな雰囲気になった。


「私、天月美守。あなたは?」


「私、ソラ!」


 ソラは元気よく名乗った。


「ソラ、日下ソラね…」


「いや違うよ」


 天児は『日下ソラ』と呼ばれたことにすぐさま反応した。


「ソラは記憶喪失で『ソラ』って名前以外、何も思い出せないんだ」


「記憶喪失…?」


 美守はソラに興味を示した。それははたからみてもはっきりとわかるほどに。


「それは大変ね…」


「うん、大変だよ」


 何が大変なのか理解してないほどソラは陽気だった。


「…ねえ、美守お姉ちゃん?」


「お姉ちゃん…?」


 そう呼ばれて美守は戸惑いを隠せなかった。


「なんで私がお姉ちゃんなの…?」


「え、だってそう呼んでって」


「言ってないけど、そんなこと…」


 美守は不思議そうに言った。『お姉ちゃん』と呼ばれたことに戸惑いを隠せないようだった。


「え~?」


 ソラは残念そうな声を上げた。


「……え~っと言われても……わかったわ、お姉ちゃんでいいわ…」


「やった~!」


 何故だかわからないが、ソラは大喜びする。天児はそのやりとりを見て、安心させてくれた。


――私がお姉ちゃんになるから…


 そのとき、脳裏から美守の声が響いた。


「美守、何か言ったか?」


 思わず美守に訊いてしまった。


「いいえ、あなたには何も…」


 案の定の返答内容だった。


「それもそうか…」


 やはり気のせいだったのかと、天児は思った。


「どうかしたの…?」


「いや、なんでもない。それよりも、昼ごはんにしないか?」


「ええ…」


 まだ昼前だったことを思い出し、天児は冷蔵庫を開けて材料を確かめた。


「量は少ないけどな…」


 いちおう、前置きはしておき美守のためにうどんを作ることにした。


 しばらくして茹で上げたうどんを茶碗にもって、テーブルにおいた。


「ちょっと多いんじゃないの…?」


 美守は呆れたように言った。天児は驚いた。茶碗一つ程度の食事はお世辞にも多いとは思えないためだ。


(……それとも、それが女の子の感覚なのかな…?)


 そう思いながら、学校に持っていった弁当を取り出す。


「いただきます」


 三人で合掌して昼食を食べた。




**********




 昼食を食べ終えた直後に、ソラは眠ってしまった。


「やっぱり昨日遅かったからか…」


 ソラの寝顔を見て言った。ソラが寝たのは自分とほぼ同じで十二時過ぎ頃。それで早起きしたせいか、寝不足だったはずだ。それでも起きて出迎えてくれたのは、ずっと起きて待っていてくれたからだろうと天児は解釈した。


 それにしても夕べのことは思い出しても奇妙なことだった。十一時になって急にソラは目を覚まして、何故かおびえだして外に飛び出していってしまったのは。ソラがどうしてそんな行動をとってしまったのか、ソラに訊いてもわからないと言っていたから、記憶喪失と何か関係があるのは間違いない。それ以外の理由なんてないだろうと天児は考えている。


「遅く…?昨日って何かあったの…?」


「なんでもないよ…」


 美守の質問に天児は素っ気無い言葉で言い返した。昨日のソラの行動を言ったところで美守にはかかわりの無いことだからだ。


「……おかしなものね…」


 美守が不意に口走った。


「この子、なんだか今日初めて会った気がしないのよ…」


「もしかして、お前ら知り合いだったり、とかしないのか?」


 天児の問いに、美守は少し考える。そして口を開く。


「……そうかもしれない……わからないけど…」


「はっきりしないな…」


 天児は美守の返答に少々あきれた。


「で、これからどうするんだ?」


「あなた次第ね…」


「それはまいったな、やることはないからな」


 と言いつつ、やることを考える。そこで数学のレポートを提出しなければならないことを思い出した。


「レポートをやらないといけないんだ」


 美守にそう言っておいて、天児は数学のノートを探した。


「……ん?」


 それはすぐに見つかった。それを開くと、提出すべき分は全て書かれてあってすぐにでも提出できるようになっていた。


「なんだよ……やってあるじゃねえか、どういうことだ?」


 もちろん書いた憶えは全くない。だが現にこうやってちゃんとやってあり、それは忘れようのないほどの量だった。


「どうしたの…?」


 美守は訊いてきた。


「いや、なんでもない…」


 一体どうして思い出せないのか、わからない。単に憶えてないと言えばそれですみそうなことなだけに、美守に話すのは気が引けた。


(落ち着け……とりあえず、数学のレポートは出せるんだ。何も問題は無いじゃないか…)


 そう天児は自分に言い聞かせて心を落ち着けた。


「……何か忘れ物…?」


 美守が訊いてきた。


「忘れ物はないよ」


 天児はそれだけ答えた。


「そう…」


 なんでそんなことをわざわざ訊くんだろうと思った。美守はそう返されて、天児から顔を背けた


「ところで、他に家族はいないのかしら…?見当たらないけど」


「妹と弟は幼稚園と学校だ。そういう時間だろ、今は」


「そうね…」


 不自然なはぐらかし方に天児は疑念が募った。


「美守は、学校はどこなんだ?」


 少しでも美守のことを知っておきたいと思っての質問だった。


「私、学校には通ってないわ…」


 その返答は意外なものだった。


「通ってない…?じゃあ、その制服は?」


「これは趣味よ…」


「趣味ッ!?」


 天児は思わず驚きの声を上げてしまった。


「冗談よ、でもこの格好の方が都合がいいでしょ…?」


「そうなのかな?」


 天児は首をかしげた。


「それであなたは…?」


「俺?」


「あなたが私を知りたいように、私もあなたが知りたいのよ…」


 美守は天児の瞳を見て、言ってきた。


「ああ、そうか…じゃあ、俺の何を訊きたいんだ?」


「じゃあ…あなたの好きなものって何…?」


「俺の好きなものか……とりあえず、お金かな」


 天児は冗談を言ってみた。


「そうね……お金は大事だものね…」


 美守は真顔で返した。


「いや、冗談です!」


「冗談だったの……本気に聞こえたけど…」


「冗談です、というかそれって好きなものじゃなくて欲しいものだったんだけど」


「正直なのね…」


 美守は笑いかけた。その笑みを見ると天児は自分があさましく思えた。


「嘘をつかないのが俺の数少ない取り柄なんだ」


「……そういうの、大事よ…」


 美守の含みのこもった言葉が天児の心に何かを訴えかけているようだった。


「大事、か…」


 天児はその言葉をかみ締めるように言った。


「ムニャム~!」


 そこへいきなりソラが起き出して奇声を発した。


「おはよう、美守お姉ちゃん」


「おはよう、ソラ…」


「いや、今はお昼だぞ」


 挨拶を交わす二人にすかさず天児は突っ込みを入れた。


「あそぼーよ」


「遊ぶか、どうせ暇だからいいか」


 天児は適当に答えた。今は美守と話しておきたかったが、遊びの誘いを断るとソラが騒ぐ予感がしてならなかった。


「じゃあさ、すごろくやろう」


「すごろく? そんなものあったか?」


「ほら!」


 そういうと、ソラはすごろくを取り出した。


「なんでお前、そんなものがあるって知ってるんだ?」


「だってあるじゃない」


「いやだから、なんで知ってるんだ?」


「う~ん」


 ソラは首をかしげた。こういうときの返答は予想がつく。


「わからない」


 まだ知り合って二日だというのに、ソラのことを知り尽くした気にでも天児はなってきた。


「美守お姉ちゃんも一緒に!」


「え、ええ…」


 こうして三人によるすごろくが始まった。




**********




「うぅ、また『振り出しに戻る』だ…」


 呻き声のようなモノが天児の口から漏れた。


「ついてないわね…」


「じゃあ次は私だね、えいッ!」


 ソラはサイコロを勢い良く振った。転がったサイコロは出した数字は『6』だった。


「1、2、3、4、5、6ッ! やった、ゴールだ!」


 ソラは大喜びする。


「俺、一体いつになったらゴールできるんだ…?」


 十回以上にも及んだすごろくの結果は、ソラと美守が交互に一位と二位を取り合う結果になり、天児は最下位という絶対的な地位を確立してしまったのだ。


「お兄ちゃん、弱いね」


「まいったな、こりゃ……これだけ勝てないと、神様のイタズラにさえ思えてくるぞ…」


「そうね、とても偶然とは思えないわね……その負け運…」


 悪気は無いとはいえ、心に突き刺さるような美守の発言だった。


「うぅ……あ! もう、こんな時間だ!」


 天児はわざとらしく、時計を指差した。


「そろそろ将の学校が終わる時間だし、空も迎えに行かなくちゃいけない時間だし、バイトの時間だ!」


 これ以上負けたくないがための言い訳だが、嘘は言ってなかった。


 そのとき、携帯電話が鳴り出した。


「鳴ってるよぉ」


「わかってる」


 携帯を手に取り、電話に出る。


「やあ、元気かい? 倒れたってきいたけど」


 その声の主はバイトの先輩である桑木猛だった。


「誰から聞いたんですか?とにかく元気ですよ」


「俺の情報網を甘く見るなよ、ちなみに俺は白衣の女性は大好物だぜ」


「どこから聞いたから、想像がついた」


 天児は呆れた。


「まあまあ、つれない顔をするなよ日下君。ところで新しいバイト先、考えてくれたか?」


「それなら昨日言ったでしょ。これ以上バイトを増やすつもりはありません」


「ほんとにつれないな……ま、いいか。あ、あと今日のバイトは休みになったぜ」


「休み?そりゃまたなんで?」


「急な変更があってな。というわけで今日はゆっくり休めよ」


「は、はい…」


 天児がそう答えると、電話がきれた。


「また急だな、休みができて嬉しいんだが」


「今の電話、誰から…?」


「バイト先の先輩……マイペースなんだよ、あの人は…」


 天児はため息混じりに答えた。




**********




 バイトが無くなったおかげで、将の小学校に、空の幼稚園に出迎えに行くことになった。


「おにいちゃん!」


 今は将の後の空の出迎えにやってきているところだ。


「このおねえちゃん、だれ?」


 一緒についてきた美守をさしてそう訊いてきた。


「……またお姉ちゃん…」


 美守はその言葉をつぶやく。その様子を見ると、ソラにもいわれてそう言われるのが気に入られたのかと思った。


「空、おかえり」


「ソラもきてくれたんだ、ありがとう」


 ソラも空を出迎えて、二人とも笑顔になった。


「まるで姉妹みたいね…」


 そんな二人の様子を表して美守はそう言った。


「ああ、昨日の今日会ったばかりなのにな」


「彼女、本当に赤の他人なのかしら…?」


 美守が意味深な口調で呟いた。


 そのとき、天児の視界が真っ黒になり、一瞬ミッドナイトスペースに引きずり込まれたのかと思った。だが、まだ十一時五十九分ではなかったので、幻覚だと判断できた。


(また、コレか…なんなんだ、こりゃ…?)


 そう考えた瞬間に、目の前に誰かいることに気づいた。それは昨日の幻覚の中で見た少女のシルエットだった。


(あの子は!)


 すぐさま天児は近づいた。


 しかし、その少女との間に『何か』が割って入ってきた。その『何か』とは黒一色に染まった影で、その姿は前に見たファクターにも似ていた。


――おにいちゃん!おにいちゃん!


 誰かの声が響いた。


 そこで、黒い背景も影も消えて黒以外の色彩が彩る見慣れた光景になった。


「どうかしたの…?」


 美守が天児の顔をのぞいて訊いてきた。


「い、いや……なんでもないよ…」


「なあ、兄ちゃん!早く行こうぜ!」


 何故だかわからないが、将が急かした。


「行くってどこに?」


「忘れたのかよ?米買うって約束だったろ!」


「あ、ああ……そうだっけ…」


 そんな約束は憶えがなかったが、とりあえずそう答えた。


「いく! いく!」


 空がよくわかってないのに、飛び跳ねている。ソラもそれにつられて同じようにはしゃいでいる。


「楽しそう…」


 美守はその光景をみて微笑んでいた。




**********




 それからスーパーに行って、米を買った。それとともに今晩のメニューも決めた。


 美守も今日は十一時五十九分まで一緒にいると言ってきかないため、夕食も一緒に食べることになった。


「…いつもあなたが作ってるの…?」


 台所で野菜を切る天児の傍らで美守が訊いてきた。


「ああ、父さんと母さんが死んでからずっとな…」


「……両親が亡くなられているの…」


「ああ、交通事故でな。半年前に二人とも…」


「……お気の毒に…」


「よく言われたよ……それで引き取り手の無い俺達はこうやって3人きりでくらしているんだ…」


「そう、強いのね…」


「それは初めて言われたよ。でも、俺は強いはずが無い、『今日』の分、生活していくだけで精一杯で、『明日』のことまで頭が回らないんだ…」


「そう…」


 美守はそれだけ答えた。




**********




 夕食のカレーライスは、量こそ少なかったものの、好評だった。美守もその味と量に満足してくれた。昼食のときといい、彼女は少食だということに確信がもてた。


「おねえちゃん、とまっていくの?」


 天児と将が布団をしいている間に、空が美守に訊いた。


「いいえ、もう少ししたら帰るわ…」


「とまってよ」


 空が美守にしがみつく。


「空、わがままは駄目だ」


 天児は引き離した。


 それからしばらくたって、将も空もソラも寝てしまった。


「寝つきはいいのね…」


 三人の寝顔を眺めながら、美守はつぶやいた。


「それより、時間までこのまま待つのか?」


「ええ…」


 美守がそう答えた後、重苦しい沈黙と三人のさわやかな寝息だけが流れる時間が続いた。


「…あ、あのさ…」


 天児はその空気に耐えられず、話を切り出した。


「いつもどんな感じで十一時五十九分まで待ってるんだ…?」


「別に…そんなたいそうなことはしていないわ…」


 美守の態度も素っ気無い。


「でも、この待っている時間は嫌いよ…」


「そうか…俺も好きにはなれないな…」


 天児も同感だった。アナログ時計の秒針が動くたびに、緊張が身体を駆け巡るようなこの感覚は気がめいりそうだった。


 そんな時計だけを見つめる時間が進んでいった


「十一時五十八分…あと一分ね…」


 美守がそう言うと、秒読みの段階に入った。


「10、9、8、7、6…」


 自然とカウントダウンが口から出た。口を開く度に、心臓の鼓動を感じる。口を開かなければ窒息してしまいそうな呼吸が荒くなってしまっている。


「5、4、3…」


 たった数秒の間に、様々なモノが脳裏に駆け巡った。アクタとして戦った昨日、戦ったファクターに、そして今日美守とすごした一日。


「2、1、0…」


 そして、その時間がやってきた。


 それはビデオの一時停止のようだった。元々物静かだった部屋が無音になった。窓を揺らす風、蛇口から垂れる水、点灯を繰り返して音を立てる電灯、そして時計の針が今を刻む音さえも消えた。同じ部屋の光景だというのに、別世界のように感じてしまう。


(こんなの生きてる気がしないな、いやだな…)


 天児がそう思った次の瞬間、その光景すら消えて、何もかもが黒に染まった空間に切り替わった。


「ミッドナイトスペースにきたわね…」


 美守がそういうと、いやでも実感させられた。ミッドナイトスペースにやってきたことを。


「それで、これからどうすればいいんだ?」


「どこかにファクターが出現しているはずだから、それを探すべきね……運がよければ他のアクタが倒してくれるかもしれないけど、期待はできないわね…」


「なんでだ?他のアクタが倒してくれれば楽だろ」


「人をあてにしていたら、勝てないわよ…」


「ああ、そういうことか」


 天児は美守の一言で納得させられた。


「人をあてにしても生活できないからな、俺は」


「そう受け止めてくれると話が早いわ…」


「それで結局探すのか、何か手っ取り早い方法はないのか?」


「感知できるアクタがいるわ、その人と連絡をとれればいいんだけど…」


 美守は、辺りを見回した。


『私を探しているの?』


 どこからともなく、女性の声が呼びかけてきた。


「見つけるのが早いわね…」


 美守は声のした方向を見た。


『そりゃ私の情報網は千里を走るというからね』


「情報網ね、言いえて妙なものね」


『それであなたが知りたいのはファクターの位置でしょ。すぐに教えてあげるわ』


 声が語尾まで言い終えると何かが響いた。


 金属の金切り音のような甲高い音が世界中に響き渡ったかと錯覚してしまいそうな大音量で思わず耳をふさいだ。


「ッ! なんだ、今の音は…?」


「ファクターね、この分だとかなり近いわね…」


『あなたからみて三時の方向に200m先よ』


「そう、だったらすぐね…」


『どういたしまして』


 どこからともなく聞こえる声とその声のしている方向に向かって話しかけている美守の会話は独特な雰囲気をかもし出していて、天児を困惑させた。


(どうにもやりづらいな、俺はどうすればいいんだ…?)


 そう考えていると、美守がこちらを向いてきた。


「ファクターは近いわ、気を引き締めていきましょ…」


「あ、ああ…」


 そう天児が答えたとき、再びかなきり音が鳴り響いた。


『こちらにもとどいてるわ、すごい叫びね…それじゃあ、よろしくね。幸運を祈ってるわよ』


 声はどこか気の抜けた口調でそう言ってそれ以降は声はしなくなった。


「行くわよ、覚悟はいい?」


 再度美守が訊いてきた。おそらく今の叫び声で戦意がそがれていないか確認のためだろう。


「ああ、いいぜ」


 天児にはそうこたえるしかなかった。ここまできて戦わないという選択肢は良心が許してくれそうにないから。


 美守は扉を開けて外に出た。天児もそれに続く。周囲の状況は見慣れた町と同じだが、黒以外の色は無いせいで、方向感覚が狂いそうだった。


 それでも美守は声の言った『三時』の方向へ向かって走った。


「あれね…」


 美守が指差したほうにファクターはいた。


 黒く染まったミッドナイトスペースの町よりもさらに濃い、吸い寄せられるような黒で八本の足を持ち、その上にひどくとがった頭のようなシルエットをして、一戸建ての家ほどの大きさのある怪物だった。何故それが頭だと判断したのかというと、そこに目が二つあったからだ。濃い黒の中で一際際立つ白い眼球と針のようにまっすぐで細長い瞳と天児と美守は目が合った。


「気づかれたわ、むしろ、好都合ね…」


 動じた様子が見られないのは戦い慣れているせいだろう。美守の背中から光を放ちそれとともに髪と同じ銀色の翼が生える。


「メモリオン、か」


 天児はそうつぶやき、思い描く。昨日の剣を手にした自分を。すると、昨日と同じように手の上に昨日と同じ剣が光とともに現れ、それを手にした。それはあまりにも自然に、習慣のように容易にできて天児は一瞬驚いたが、すぐに落ち着いた。


「私がヤツをひきつけるから、その間に足を斬りおとす、いける?」


「ああ、って、あいつの足、八本もあるぞ!全部やるのか!?」


 天児が言うと同時に、美守は翼を羽ばたかせて飛び立つ。


「先走りやがって! 無茶なことも何もかもやりなれてないんだぞ!」


 文句を言いながら天児は走ってファクターに接近する。昨日も感じたが剣を手にしたときは、身体がやたら軽い。今なら100mの世界記録でも出せそうな勢いだ。それは錯覚ではなく、目測で100m以上の距離も離れたファクターに一瞬で目前にまで迫れた。そこまで接近すると、頭上にいる美守も戦闘態勢に入るのが確認できた。


「フェザーサンショット!」


 美守は羽を飛ばし、その羽はファクターの目に向かうが、八本の足が目を覆い、羽をはじいた。


「やっぱり足か、やっかいだな、ありゃ」


「天児君!」


 美守が呼びかけてきた。


「お、おう!」


 天児は剣を構える。


(落ち着け!昨日と同じにやればいいんだ!できるんだ、俺は!)


 自分に言い聞かせて、剣を下がりかかったファクターの足に向かって振りぬく。


フィィィィィィィン!!


 一本、足を斬りおとすことができたがその直後、ファクターは金切り音の叫び声を上げた。それは鼓膜がやぶれんばかりの音量で、耳をふさぐヒマすらなかったため、直にうけてしまい、三半規管をやられてしまった。


「く…」


 そのせいで、意識が朦朧として立っているのがやっとの状態だった。それを好機と見たのか、ファクターは足を振りぬいてきた。


 それは人間のキックの比ではないほどの衝撃が天児を襲い、身体を吹き飛ばした。身体はバットで打たれたボールのように勢いよく建物の壁に叩きつけられた。


「う、ぐぅ…」


 叩きつけられた痛みで血を吐き出す。腕やアバラ骨が何本か折れたような激痛だ。


「大丈夫? 立てる?」


 美守が地上に降りてきて安否を確認する。


「た、立つだけなら、なんとか…」


「それができればいいわ、身体がバラバラにならなければメモリオンで回復できるから」


「回復…?」


 天児はなんとか立ち上がり、訊いた。すると、美守の身体から光を発せられてその光が天児の身体に吸い寄せられた。


「痛みが……消えた…?」


「剣を出したのと同じ要領よ、もっと上手くやれば痛みも無くなるけど」


「いや、十分だ。ありがとう…」


 天児は礼だけ言って、痛みのあまり手離した剣を手にしようとするが、手が震え剣がまともにもてない。


「震えてるわ」


「わかってるって、それぐらい…! くそッ!」


 天児は剣を投げ捨てた。


「無理だ、俺には…」


「そんなことない、あなたならできる…」


「怖いんだよ!」


 天児は美守から顔を背ける。


「無理なんだ、こんなに怖がってて戦えるかよ…!」


「戦える、あなたは強いから」


「なんでそんなこといえるんだ!?」


 天児は激昂した。恐怖におし潰されないために。美守は落ち着いた声で話し始める。


「…だって、あなたはちゃんと『今日』を生きている……」


「ちゃんと、なんて…」


「私も両親がいないの…」


「ッ!」


「でも、あなたのようには振舞えなかった……しばらく私は何をやっていたか憶えていない。多分それが私の弱さ……今もそれは変わってない…」


「……わからないな、俺だって死んだときはどうすればいいか、わからなかった……ただ、このままじゃまずいってことだけは考えた…」


「それが私とあなたの違いよ。あなたは強いからその考えに至れた」


「それが強さだってのか? でも、戦いじゃそんなの意味無いぜ」


「いいえ、アクタの戦いは心の強さで決まるわ。心さえ折れなければメモリオンを引き出せる」


 美守の言葉には説得力を感じた。美守の言う『心の強さ』を体現しようとしてそれが声となって出ているものかもしれない。それは天児を奮い立たせるには十分なものだった。


「できれば、戦いたい……戦わなくちゃ『明日』はやってこないなんていわれちゃあな……だけど手が、この手が…」


 天児は震えて思うように動いてくれない手を指し、悔しげに言った。


 美守はそれをみて、彼の手を暖かく握った。


「ッ!」


「……大丈夫、こうすれば止まるよ…」


 そう言った美守の手もわずかに震えていることに気づいた。


「みか、み…」


「私も怖いから…二人で止めればいいよ…」


 美守が微笑んだ。その顔は今日見たどの微笑みよりも温もりに満ちていた。天児はその微笑みに懐かしさを感じつつも、落ち着かせてもらった。


「ありがとう、もう大丈夫だ」


 天児は力強く言い、手を離して剣を手にした。その様子を見て翼を生やした。


「もう一度、同じ方法でいける?」


「やってみるよ」


 天児はそう答えた。できる保証はないし、また失敗する可能性のほうが高い。それでもやるしかない、と心に決めれた。


「美守、一つ頼みがあるんだ…」


「何?」


「……戦いが終わったら、もう一度俺の手を握ってほしい……駄目か?」


 天児は不安げに訊いた。


「いいわ」


 美守は何のはずかしげもなく答えてくれた。それが天児を勇気づけた。


 そして、答えるやいなや美守は飛び立ち、ファクターに向かう。天児も走ってファクターに向かう


(あの声を出される前に倒さないと!)


 ファクターのあの鼓膜を突き破らんばかりの絶叫をなんとかしなければ、と天児は思いをめぐらせた。ただ焦りは無かった。剣を手にして震えも止まり、心の中は士気で満ちているせいもあるが、それだけではない『何か』が身体を突き動かした。


「フェザー・サンショット!」


 そうこうしているうちに、美守がファクターめがけて羽をとばした。ファクターは油断していたのか、羽の攻撃を直接うけて、羽が七本の足のそこかしこに突き刺さった。


「今だッ!」


 ファクターが痛みを叫び声へと変える一瞬のタイムラグだった。天児が先に叫びを上げて剣を構え、突進する。


 それは一瞬でできる範疇を超えていた。剣を再三振りぬき、七本の足を全て斬り落とし、無防備となった目に剣を突き刺す。


「まだ一つあったか!」


 どうやらこのファクターは二つある目を二つとも潰さなければならないらしい。ファクターが叫びを上げる寸前にそれに気づいた。だが、今から突き刺した剣を引き抜いて、もう一つの目に刺すまでの時間が足りない。そんなことをすれば、叫び声を上げられる。


 その時だった、天児の脳裏から昼間垣間見たファクターと戦う自分の姿がよぎった。


(あのとき、俺はまだ剣を使っていた!)


 天児はそれを思い出すと、空いた右手をファクターのもう一つの目に突き出した。やがて右手には短い剣が現れて、ファクターの目を突き刺した。


「デュアルセイバー!!」


 天児は叫び、力の限り短剣をファクターの目に突き刺した。ファクターは断末魔をあげることなく、身体が液体のように崩れ落ちた。


「勝った…」


 天児は勝利が確信できた。それを実感する前に、手にした剣を落とす。手が震え、持つどころではなかったからだ。


「ありがとう」


 そんな天児の手を美守は優しく握ってくれた。それはあまりにも心地よく、勝利した喜びよりも大きな安らぎを得たかのようだった。


「約束したから……あなたが倒してくれたおかげで『今日』は『明日』になる…」


「じゃあ、せめて『今日』の間はこのままでいてくれないか?」


「いいわ……こんな手が必要なら、ね」


 美守の言う『こんな手』が今何よりも『必要』だということを天児は感じさせられた。

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