Ⅰ―真夜中の邂逅―(後編)

 黒い建物の屋上まで飛び上がり、二人はその上に立った。立った瞬間に彼女の翼は光り輝き、消えた。それは彼女の着ているブラウスとミニスカートの黒色に溶け込んでいったような奇妙な印象を受けた。


「大丈夫?」


 彼女は無表情だったが、やや心配しているような素振りをしているように天児は見えた。


「大丈夫…」


 まだ落ち着いていないため、大丈夫な精神状態ではなかったが、特にこれといった怪我はないため、そう答えた。


「そう、よかった…」


 彼女は一息ついた。それが一安心のポーズなのかもしれない。


「それでさ…」


「何?」


「君は何者なんだ? 天使なのかい?」


「はあ?」


 彼女は目をパチパチさせて不思議そうな目をする。


「私が、天使…?」


「だってそうだろ。さっきの翼…どうみても天使で…」


「天使なんかじゃない。私はただの人間よ」


「じゃあ、さっきのは?」


「あなた、ミッドナイトスペースに来るのは初めて?」


「ミッドナイトスペース…?」


 初めて耳にする単語に天児は首を傾ける。


「…まだ、『声』を聞いてないというわけね…」


「『声』…? なんだよ、一人で納得しないでくれ」


「あら、そうだったわね。どこから説明したらいい?」


「そうだな…まず君の名前を教えてほしいんだけど…」


 天児にそう言われると彼女は少し返答するためなのか時間をかけた。


「私は天月あまつき美守みかみ…」


「天月さん…」


「美守でいいわ。そっちの方は呼ばれたこと無いから…」


「あ、ああ……じゃあ、美守でいいんだな」


「ええ…」


 美守は小さく頷いた。


「それであなたは?」


「俺は日下天児…」


「くさ、か…?」


 天児の名前を聞くと美守は不思議そうな顔をしてその名を口にした。


「俺の名前」


「え、いえ……珍しい名前だと思って…」


「時々言われるよ…」


 初めてみる美守の戸惑ったような表情を落ち着かせようと天児は平然と答えた。


「それでさ、ミッドナイトスペースって何なんだよ?」


「ここよ」


 美守は即答で断言する。天児はそれに少々返事に困った。


「いや、ここってさ……一体どうなってるんだ? まるで時間が止まってるみたいだけど」


「止まっているのよ、時間がね」


「時間…?」


 美守はある方向へ向かって指を指した。その方向を見ると、公園とはまた別の時計台があった。


「今は午後十一時五十九分よ…」


 美守はそう言ったときには天児はすでに時計台の針を見ていた。確かに美守の言ったとおり、時計の針は『十一時五十九分』を指したままだった。


「そんなバカな……壊れたんじゃないのか…?」


 確かにそう考えるのが自然なことだ。さっきの地震は地面が割れるほど強かったのだから、時計台の一つや二つが壊れても全く不思議ではなかった。事実、その時計台の周囲も地面が割れて、平地とは思えないほど盛り上がっていた。


 美守はそれを察してか、錆び掛けた銀色の懐中時計を取り出して見せる。


「十一時五十九分…」


 その時計もその時間を指し示していた。


「この時計は壊れていない…本当に時間が止まっているのよ…」


「そんなことって…時間が止まるって…」


 天児はまだ半信半疑だった。


「なんなら、この先にある時計全部見てみる?」


 美守は懐中時計を胸元にしまい、時計があるであろう方向に目を向ける。


「い、いや、それはいいよ。わかった、信じるよ」


 天児はあわてて止めた。本当に全部の時計をみせようかという勢いだったからだ。それを聞いて美守は話を続けた。


「…今は十一時五十九分で止まっているのよ。このままだと、十二時つまり『明日』にはならない。ずっと『今日』のままなのよ…」


「『今日』のまま…?」


 美守の意味深な言葉に天児もその言葉を口にした。


「時間が止まって、閉鎖された空間がここミッドナイトスペースよ」


「閉鎖ってどういうことだ?」


「時間が再び動き出すまで、私達はずっとこの空間に閉じ込められたままなのよ…」


「それじゃあ、いつになったら時間がまた動くんだよ?」


「それは、」


 美守の言葉が途中で途切れた。それはまた大地が大きく揺れ始めたからだ。


「また地震かッ!?」


「これは…」


 建物が大きく揺れているにも関わらず、美守は落ち着いていた。


「今日はここか、意外に近いわね…」


 美守は一人で納得したようなことを言い、時計台の先を見る。


「あれって何だよ…?」


 その先にいた『モノ』は、天児を畏怖させた。そのモノは何もかもが黒く染まったこの街―ミッドナイトスペースの中でさえ、一際際立つ黒く輝き、それは二つの太い足と腕をそれぞれ持ち、生物であるかのように主張しているようだった。それが足を踏み出すごとに、地面が軋み、地震を起こしているように見えた。


「あれはファクターよ…」


 落ち着いた口調で美守はそれをさして言った。


「ファクターって何だよ、それ?」


「私達が倒すべき敵よ…」


 美守がそう告げると、背中が光りだして、その光は翼へと変化した。


「そ、それは!?」


「これはメモリオン……私達がファクタを倒すための力よ…」


 翼を羽ばたかせ、美守は飛び立った。


「ちょっと、待てくれ!」


 天児は止めようとしたが、すでに遅く、美守はすでに建物から飛び去り、ファクターと呼んだ怪物に向かっていった。


 ファクターはそれに気づいたのか、激しく地ならしをしはじめた。そのため、地面が激しく揺れ、天児を転倒させた。


 そんなことおかまいなしに、美守は翼を羽ばたかせ、その際に現れた羽をファクターにぶつけた。


グォォォォォォン!!


 ファクターは思わず耳をふさぐほど絶叫した。


 そこから、ファクターは美守を目標に見定めて腕を伸ばした。意外と長いその腕は空中にいる美守に届きそうなほど伸びたが、美守も止まっているわけが無い。上へ飛び、回避した。


「これは、たまらん!」


 ファクターが動く度に、地震が起き、天児はつかまるものも無く、避難もままならない状態だ。


「あ…!」


 不意に訪れた脅威の揺れに、天児の身体が大きく浮いた。ついでに建物も傾いた。そしてそのことから、天児の浮いた身体は空中に舞った。


 本日二度目の落下。どうしようもなかった。人間なんて立つべき足場が無ければあとは落ちるだけである。当然、建物は見上げてみるビルの高さと同等でもちろん地面に衝突すれば死ぬ。


(落ちる…?落ちる?落ちる!落ちるのかッ!?)


 落下する天児は激しく動揺した。もうすでに手遅れなんだが、そうせずにはいられないのが人間の性だ。


「しにたくない」


 その言葉を口にしたとき、空と将のいる光景が脳裏をかすめた。


 気づくと、天児の落下は止まっていた。さらに額から美守と同じ白い光を放ち、それが身体全体を覆っていた。


――アクタ、それが君の生きる道さ


 男性とも女性ともとれる声が囁いた。声の主は誰なのかわからないが、美守が言っていたことを思い出した。


「…まだ、『声』を聞いてないというわけね…」


 根拠は無いが、それがその『声』だと確信できた。


(アクタって何だよ…?)


 心の中で訊き返した。


――アクタは現在きょう未来あすへと繋ぐ役目を担うモノ


 『声』が答えると、天児の身体を覆う光が集まりだして、剣が形成される。


――それが君が手にしたメモリオンだ


 天児がそれを訊き返そうとした時、その声の存在を感じ取れなくなった。


「なんだよ、どうなってるんだ?」


 身を覆う光が消えたとき、天児は正気に戻った。


「やはり、あなたもアクタだったのね」


 気づくと、隣に美守が降り立っていた。


「アクタ?」


「説明はあとよ、今は奴を倒すのよ」


「え、倒すって?」


 美守が答える前にファクターの腕が襲い掛かってきた。


「おわっと!」


 かわすために後ろに飛ぶが、そのさいのジャンプは自分が認識していたはずのジャンプよりも高く飛べた。


 着地とともにバランスを崩し、地面を転がってしまった。


「く…! どうなってんだよ…?」


 その転がった痛みはほとんどなくすぐ起き上がれた。


「それがメモリオンよ。その力のおかげでアクタはファクターと戦えるのよ」


「だから、メモリオンって何なんだよ!?」


 美守に絶叫して投げかけるが、答えられない。彼に言葉をかけるほど、余裕はない。それはもちろん、天児も同じことだ。


(まるで、トランポリンみたいに身体が軽いな……これがメモリオンなのか…?)


 四つんばいになってやってくるファクターの腕をかわしながら、天児は考えた。手にした剣も身体の一部のように手放せずにそのまま持ったままだった。


「!」


 今度はファクターの足踏みによる地鳴りで体勢を崩してしまった。その好機とみたファクターの腕が天児へとのびた。


「おおおッ!」


 思わず剣を振るい、伸ばしたファクターの腕を斬り落とした。その腕が天児の足元へ転がった。


「斬れた…!」


 数秒後にそれが実感できた。剣を振って腕を斬った感触が後からやってきたのだ。


「ほうけてないで!」


 美守の一言で我に返った天児は、その場から後ろ走りで退いた。


「俺どうすればいいんだ?」


 天児は美守に指示を乞う。


「とにかくひきつけて。私が目を潰すから!」


「目ってあるのかよ、あいつに?」


「よくみて、ファクターのお腹を…」


 言われたとおり、ファクターの腹を見る。四つんばいなファクターの腹は一瞬しか見えず、その一瞬では何も見えなかった。


「みえないんだが…」


「だから、私がやるのよ」


 シンプルな理由に天児は反論する気が起きなかった。


「ああ、わかった。で、俺はどうしたらいい?」


「もう一つの腕か足を斬って!」


「ラジャー!」


 天児が威勢良く答える。


「フェザー・サンショット!」


 美守は翼から羽ばたかせ、羽を飛ばす。羽はファクターの身体の随所に突き刺さった。


グォォォォォォン!!


 ファクターは絶叫し、強風を呼び込んだ。


「こりゃ、たまらんぜ!」


 なんとか踏ん張って吹っ飛ばされるのを防いだ。だが、そのせいで二人の動きが止まった。


 その隙に、ファクターは空中で静止している美守へと腕を伸ばす。


「――ッ!?」


 かわせないと思ったのか、美守は翼を前面に出して身体を覆った。


 だが、ファクターの腕が美守に届くことは無かった。腕の左右から現れた銀色に輝く鎖がファクターの腕を縛り付けたのだ。


――今だ、美守


 どこからともなく聞こえた声に美守は呼応する。


「スラッシュ!」


 美守は身体を回転させて、その回転の勢いで翼は刃と化し、ファクターの腕を斬り落とした。


――ッ!


 その時だった。その時、腕を斬り落とした瞬間だけになった。怪物は叫ぶこともなく、美守もそれ以上動くことも無い。時が止まっている。天児はそう感じた。


 それとともに、ファクターの腹にある目が見えた。真っ黒な身体にだけある真っ白な眼球はやけに目立った。その目は、時計のように円であって、その円の中央を中心に時計の長針のように上へ長く細く伸び、短針のように下に短く太く伸びていた。


――目に君のメモリオンを叩き込め


 また剣を手にしたときになり響いた声がした。


(またか、何なんだこの声は。変なこと言ってきて…)


 命令のこもった口調に嫌気が差したが、一つだけ肯定することがあった。


「だけど、あれを潰さなきゃならないんだよな!」


 美守が「潰す」と言った目だ。潰すことに何か特別な意味があるように思えた。だから天児は直感をファクターの目に向かって剣の刃を向けた。


「おおおおおおおおおおッ!!」


 叫んだ。走った。時が止まったかのようなこの瞬間。ファクターめがけて走り抜けた。


 時計の長針と短針のような瞳が、剣とちょうど収める鞘のように突き刺さった。


 その時、時が動き出したかのように、ファクターの身体が動き出した。


「お、おおッ!?」


 暴れうごめくファクターに天児は戸惑った。天児の腕は硬直しているように動かない。


「叫びなさい!」


 後方から聞こえた美守の叫びが天児の戸惑いを消した。どうしてかわからない、ずっと前からこうすることが、身体が覚えたかのように自然に身体が動いた。


「ソードライナァァァー!」


 天児の叫びがファクターの目を貫いた。


パーシャン


 水溜りを踏んだような音を立てて、ファクターは、崩れ落ちた。天児は剣をファクターの目から引き抜いて、後ろに退いた。


「………………」


 天児は放心状態で崩れ落ちたファクターを見下ろした。


 やがて地面に倒れこんだファクターは泥のように身体がくずれて、地面の下へと溶け込んでいった。それはあっという間に、消えて、後には不思議と何も残らなかった。さっきまで自分を殺そうと暴れたファクターの身体が地面の黒に溶け込んでいった。


「ファクターって何だよ?アクタってどういうことだよ?」


 その様子を見て、疑問をもはやファクターの跡形も無くなった地面にぶつけた。だが当然それは返ってくることは無かった。


「よくやってくれたわ、天児君」


 後ろから翼の無くなった美守がやってきた。その隣には初めてみる長身の青年もいた。


「すごかったわ、初めての戦いだったのに」


「あ、ああ…」


 褒め言葉を複雑な心境で受け止めた。自分にとっては無我夢中でやったことで、それが褒めてもらえるようなことだったのか、よくわからないため、そういう態度になってしまった。


「君は初めてなんだ…」


 長身の男は天児に関心を寄せた。


――今だ、美守


 男の声は、先ほど美守に呼びかけたときの声と同じように聞こえたため、彼がその声の主だと認識できた。


「彼は、御影京矢みかげきょうや君」


 美守が紹介してくれた。


「よろしく」


 京矢は天児に手を差し出した。


「日下天児、よろしく」


 天児も自分の名前を名乗り、差し出された手を握り、握手をかわした。


 その直後だった。歪んだのだ。空、建物、地面といった風景がその形を保てなくなり、混ざり始めたのだ。それは絵の具と絵の具を混ぜ合わせたときにできるようなものが壮大に世界全体におきているようなものだった。


「ど、どうなってるんだ?」


 この不可思議な現象に天児は明らかな動揺を見せた。


「ゆっくり話したいけど、時間がないみたいだ」


 京矢は至って冷静だ。隣にいる美守も同様だ。


「時間が無いって、なんで?」


「ファクターを倒したことで、ミッドナイトスペースが閉じて、『明日』になるのよ…」


 美守が説明してくれたが、天児はよくわからなかった。ただ『明日』になるという言葉だけが頭に引っかかった。


 やがて、その絵の具の混ざり合いに美守と京矢も巻き込まれていき、その姿はみえなくなった。


(これって夢なのか…? 全部…?)


 天児は歪んだ腕に、異様に伸びた足といった自分の身体を見て、自分もそれに巻き込まれていることに気づいたとき、そう思った。


 ふと目に入った時計はそれだけが形を保っていて、目立っていた。


 その時計の長針と短針は揃って頂点を指し、新しい日の訪れを示しているようだった。

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