第49話 それぞれの苦悩


 

 

「……どうぞ気楽に考えていただければ」

 

 オーグさんは普段通りの苦笑を浮かべた。

 協会の厩舎前、クーは帰りも走るつもりらしく、当然のように準備体操を続けていた。俺とオーグさんはうずくまってしまったレフィの背中を眺め、そして顔を見合わせ、笑うのを堪えてからもう一度目を落とす。

 

「レフィ、とりあえず帰ろう」と俺は声を掛ける。「帰ってから考えればいい」

「な、なんでそんなに普通にしてられるんですか!?」

「レフィが気にしすぎだ。フリでいいんだよ、フリで」

「だ、だからって、なんでわたしが……っ!」

「じゃあクーに任せるか? 出来ると思うか?」

「うう……」

 

 レフィは恨みがましくこちらを横目に見上げる。

 この程度のことで赤面するあたり、本当にこういった話題に免疫がないらしい。

 別に大したことじゃない。恋人のフリくらい。

 

 オーグさんからの提案だった。というより助言というべきか。

 このドリテルの街では女性からの誘いを受けたら、男性は断ることが難しいという。街の統治や運営に携わっているのも必然的に女性が中心になっているからだそうだ。つい先日も、獣性ベストの高い女性がとある男性を陵辱したなどという事件があったそうだが、種の保存の観点から罪には問われなかったらしい。お互いの意思ではなく種の保存というあたりが割ととんでもない話だと思うけれど、オーグさんは当然のような顔をしていたからここでは普通のことなのだろう。

 つまるところ、規則や条例が女性向きということらしい。

 

 クーの里では男性の立場が強いと言っていたし、同じように男が少ない状況でも場所によってこうも違うとは少し驚きだ。むしろ栄えている場所ではこれが普通なのだというから、クーの里の方が特殊なのかもしれない。

 

「レフィ、この街にいる間だけだから」

「ニトさんは、ニトさんはなんとも思わないんですか!?」

「いや、別に……」

 

 むしろ恋人ごっこにかこつけて、その極上の頭を堪能できないかと考えているくらいだ。見知らぬ女性に声を掛けられるたびに、「いえ、もう相手がいますから」なんてシレっとした顔で手を伸ばして、ふわふわモフモフのソコを存分に味わうことが出来ればいいなと思う。できろ。

 話し合いの方はお任せします。

 そう言って、オーグさん達は先に厩舎の柵の中へと入っていった。

 うう、と唸りながら、残されたレフィがこちらを盗み見る。

 

「……こ、こ、恋人ですよ? お付き合いということですよ!?」

「そうだ。愛してるぞレフィ」

「なあっ!?」

「技と同じだ。練習は大事だ。フリだけでいいから、俺の身を案じてくれ。ほらレフィも」

「や、ヤですうっ! 引き受けるなんて言ってません!!」

「レフィ、ああ、大好きだ。何もかもが愛おしい。この世の全てを敵に回しても君だけが僕には必要かと聞かれたら多分そうでもない」

「そうでもないなら言わないでください!!」

「でも、普段からの頑張りは本当にすごいと思ってる。感服する。あのレベル2のエリアが終わってクタクタだった日も眠る前に少しでも練習しようとしていた姿を俺は見てるし、朝の音指ノートの練習もどんどん精度が上がってきてる。少なくとも、数字はまだ慣れが必要にしても色はパッと出るようになってきた。これはレフィが真面目に取り組んでいるからこそだと思う。実際、あのレベル2のエリアは俺とクーだけじゃ到底無理だった。足止め、牽制、クーへの音指、それを一人でやってのけたワケだ。戦士ボルダーとしてだけじゃない。レフィが普段から自分を律した生活をしているからこそ、こっちもしっかりしないとなって思える。見た目にしたって、クーと違っていつも身奇麗にしようとしているし、レフィは気付いていないかもしれないけれど、レフィと一緒に歩いているとすれ違いざまに振り返る男が何人かいた。前の司令に言われたらしいことを俺はからかったけど、でも実際、レフィは可愛いと思う。レフィは可愛い。可愛いぞ。これから歳を重ねるほど、その可愛さはどんどん綺麗さに変わっていくと思う。レフィは綺麗。綺麗だ。それでいて凛とした芯の強さを持っている。まるで道端に咲いた一輪の」

「ううあああああああああうううううっ!!」

 

 レフィがおぞましいモノを見るような目つきで、俺から距離を取った。

 自らを抱き、体を縮める姿に、俺は満足する。

 協会に新技として申請しようか。鳥肌の術。

 

「もっ、もう、も、もっ!」

 

 レフィがぎゅうと目を閉じて、こちらを指差した腕をぶんぶんと振った。

 俺は容赦という言葉をその辺の地面に放る。

 

「レフィが恋人役を引き受けないならまだ続けるぞ。まずレフィと結婚できた男は間違いなく幸せになれるだろう。なぜなら料理が抜群に美味い。丸焼きなんて簡単だとレフィは言うかもしれないけれど、その下ごしらえの手際からして」

「あーーーーーーあーあーーーーあーーー、きこえませええええええん」

 

 小さな手が両耳をもふりと押さえる。

 俺が言葉を止めると、レフィも口を噤んだ。

 

「……」

「……」

「……、……レフィは」

「ああああああああっ!」

「…………こんなことで恥かしがるところもまた」

「ああああああああああああああっ!」

「肥えた畑に生えたイモのようで」

「ああああああああああああああっ!」

「……あああ」

「あああ!」

 

 ああ。

 はあ。

 

 俺はレフィが目と耳を塞いでいるのを確認して、また適当な音を口から放つ。騒音モンスターが合唱を始めたのを見計らって、レフィの前に忍び寄り、両手を広げた。

 うずくまるレフィの、さらに下からえぐりこむようにして、俺はタックルを仕掛ける。

 

「うおおおおおおおおおおおお」

「ぎゃああああああああああああっ!?」

 

 蛮族もびっくりの雄たけびを上げながら、俺はレフィを担いで厩舎へ向かう。

 協会に用事があるのだろう周囲の視線を一斉に浴びながら、俺はずかずかと足を進める。少女を誘拐するのは初めてではない。もう手馴れたものだ。舐めないで欲しい。

 

「いやあああああ、ですうううううっ!! おろっ、おっ、下ろしてくださっ、やあっ!?」

「背中を殴るな。……いや? でも本気では殴らない、そんな優しいところもやっぱり」

「あがあああああっ!!」

「それでいい」

 

 背中への攻撃が止んだ。恐らくはまた耳を塞いだのだろう。

 オーグさんを待たせていることも少しは考えてほしい。

 

「ニト! クーも! クーもなのだ!」

「よしこい」

 

 移動式兵器の出来損ないをクーは目ざとく見つけて走り寄ってくる。俺はレフィを抱えたまま膝を曲げ、飛び乗ってくるもう一門を左肩に構えた。

 今回はどちらも後ろ向きだ。推進力の代わりになるかもしれない。

 何が。

 

 

 

 だいぶお尻が慣れてきたように思う。

 黄土色のカワの鞍は良くなめされていて座り心地が良い。おばさんの街やボスメーロ、あるいはゲンドーゼンで見かけたことのあるオビッケンには、これほどツヤのあるものが着けられていた記憶がない。作り手の腕か、あるいは材料の問題か。俺には想像もできない職人たちの知識と技術が詰まっているのだろう。

 ぢゃっぢゃっぢゃ。

 オビッケンの爪が地面に音を立て、オーグさん達の後を追う。

 涼しげな風に夕暮れが近づいていることを肌で感じる。広大な大通りを行き交う物流業者たちの群れも、その大部分の流れは心なしかドリテルの外側ではなく、内側へと向かっているように思える。

 

「……」

 

 右隣を何食わぬ顔で並走している馬鹿に目を向ける。なぜかクーもこちらを見上げていたらしく、はたと目が合った。前見て走れ、と言いたくなるけれど、これだけ道が広ければ関係なさそうだ。

 

「ニト」

「うん?」

 

 大した声の揺れも無い。

 速やかに流れていく景色と、お尻の揺れと、そしてまるで隣に座ってお話をしているかのように聴こえるクーの鮮明な声がなんだか頭の中で合致しなくて、俺はいわれのない気持ち悪さに襲われる。

 

「ちょっと、お話がしたいのだ」

「おはなし?」

「のだ」

 

 ……違うか。

 

「ゴノーディスの基地に戻ってからでいいか?」

「それでいいのだ」

「わかった」

 

 足音に負けないように俺は声を張り上げる。あまり表情が読めないが、クーはそれでもいくらか納得した様子でまた正面を向いて走り続ける。

 この気持ち悪さは違う。

 クーのバケモノじみた体力とは関係ない。

 

 お話がしたいのだ。ってなんだ。

 

 お腹が空いたら、うだーと口を開けて「何か食べたいのだ」と言うのがクーだ。走りたかったら、嬉々とした表情で「走ってくるのだ」というのがクーだ。それが、お話がしたいのだ、って。

 なんだ、それは。

 

「ニトさん」

 

 今度は左から。

 

「なんだいマイフィアンセ」

「やっぱりなんでもないです」

「俺が悪かった。どうした」

「え、えっと、……は、……んです、よね?」

「声を張れ」

「こっ、恋人の件は! 仕方ない! んですよね!?」

 

 顔を赤くする少女に、俺は斜め上の空へ思考を飛ばす。

 ううむ。

 

「……いや、絶対ってワケじゃないと思う。買い出しなんかをレフィ達に頼んで、俺が外に出なければそれで済む話でもあるし」

「それもそれで不便なんですが」

「まあそうだな。俺じゃないとわからない品もあるだろうし。これだけ大きな街だったら魔法工具店は絶対に行きたいし、レフィも戦士用の店を回りたいだろう?」

「それは! もちろんです!」

「だったら場当たりで構わないんじゃないか。もし声が掛けられるようなことがあったら、レフィなりクーなりに適当に話を振るから、合わせてくれればいいっていうだけの話だ」

「さっき練習がどうとか言ってたじゃないですか……」

「そりゃあ、辻褄は合わせておいたほうが何かと楽だからな。どこで出会ったとか、付き合ってどれくらいだとか、矛盾があったらまずいだろう? そこまで掘り下げてくるようなヒトはいないかもしれないけど」

「むー……」

 

 レフィは未だ釈然としない様子で口を尖らせる。

 オーグさんの忠告であれば、おそらくかなり大事なことのようにも思える。できれば備えておきたい。けれど無理強いをするつもりもない。

 もし俺との恋人のフリが屈辱に感じるのであればなおさら。

 

「……話を合わせるって、ニトさん何も教えてくれないじゃないですか」

「うん?」

「いろんなこと、とか」

 

 言いづらそうな口ぶりに、ああ、と俺は思い当たる。

 

「でっち上げでいいだろう。同じ孤児院で育った子と奇跡的な再会を果たして同じ時間を過ごしていくうちにお互いの気持ちの変化に気付いて、それが恋心だとわかったときに、俺が想いを打ち明けて、レフィがそれを受け止めた、だとか」

「そ、そんな恥かしい話をよく思いつきますね……。でもニトさんは孤児院で育ったわけじゃないじゃないですか」

「それはそうだが」

「フセージツです」

「レフィは作り話に厳しいな」

「とっさに思い出せないじゃないですか、そんなの。少しは本当のことを混ぜてもらえないと、わたしだって急に対応できません」

「ああ、対応してくれる気はあるのか」

「もし対応するならっ! です! もっと本当のことに近いお話にしてください」

「うーむ」

 

 意外とこだわりが強い。

 レフィの方が隠し事は得意なように思えるけれど。

 事実に即した話といっても、俺がいま話せる情報は限られている。最悪の場合レフィまで巻き込むことになるかもしれない。

 

「……どーしても」と急にレフィが拗ねたような声を出した。

「うん?」

「どーしても、自分のことは話したくないんですねっ!」

「待ってくれるんじゃなかったか?」

「待ちますけど、怒らないとは言ってませんもん」

「それは確かに」

「そんなに言えない話なんです?」

「そんなに言えない話なんです。まだ。いまはまだ、ちょっとな」

「まあ、別にいいですケド」

 

 ツンとそっぽを向く彼女に、俺はまた謝罪の念を向ける。

 悪いが、これだけは、何にも代えられない。

 言いたくもないし、言うべきでもない。

 

「悪い。ただの撫でるのが好きな変態だとでも思っていてくれ」

「……あっ! そーです!」

「うん?」

 

 なぜか意地悪な表情をしたレフィが、目を細めた。

 その片手を自らの耳に添えて、可愛らしく首をこてんと倒した。

 

「ニトさんは撫でるのが好きなんですよね?」

「そうだが」

「ニトさんのこと、全部教えてくれたら、好きなだけ撫でていーですよって言ったら、どうするんです?」

「――――言ったな?」

「え?」

 

 レフィの薄ら笑いが固まった。

 俺に迷いはない。

 

「時間は朝、昼、晩の三回と各々の中間に一回ずつの計5回、それに合わせてどうしても“催してしまった”場合の臨時的な填補も当然必要になるが、構わないな?」

「え、え?」

「即決だ。わかった。全て話そう。俺のことを」

「え、あ、あえ? あの?」

「その代わりその頭はいただく。約束だ。約束だぞ。絶対の約束だ。血の契約だ。よしわかった話そうじゃないか。俺は実は」

「わっ!? わっ!! わあああああああああああああああっ!」

「聞けレフィ。俺はな――――」

「わああああああああああああああああああっ!!」

「なぜ邪魔をする!?」

「なぜそんな顔をするんです!?」

「俺が話すと言っているんだぞ!? なぜだ!? さっきの言葉は嘘だったのか!?」

「だ、だ、だって、なんか、なんかっ、なんかヤですもん!!」

「ふざけるな!!」

「ふざけてないですよっ!!」

「畜生かおのれは? そんな言葉で俺を誘って、期待させて。なんだ。なんだこの仕打ちは。俺はこの気持ちの昂ぶりをどこへ向けたらいい?」

「しっ、知らないですよ!」

「……、……いいか?」

 

 俺は一言一句、諭すように、噛み砕いていく。

 

「レフィが、俺に、撫でさせる。俺が、レフィに、全てを話す。それで全て解決だ。知りたかったんだろう? 知りたいんじゃないのか?」

「なっ、なんかよくなりましたっ! 別によくなりましたっ!」

「よくなってたまるかっ!! 疑問を持て!!」

「よくなったんですもん! いいじゃないですかもう!!」

「もっと、俺について、悩んでくれたって、いいじゃないか」

「あの、ほんとに、何を真剣な顔で言っているんです?」

「悩んで、くれたって」

「あの」

「いいじゃないか」

「もしかして泣いてます?」

「ほんとに、いいんだな? 言わなくて……」

「い、言わなくていいですけど、その、泣くほどのことじゃ……」

「……泣いていない。泣かないよ。俺は強いからな。でも忘れないでくれ。レフィ。決して忘れないでくれ。心の隅に留めておいてくれ。いつでも俺はその契約を受けるから。いつでもだ。俺が死ぬその時までずっと有効だ。期限はない。レフィが別に撫でられても構わないと思ったのなら、いつでも、いつでも。いつまでも……」

「と、とんでもない変態です……」

 

 眼前にチラつかされた人生の終着点は、幻と消えた。

 傾きかけた夕日に影は伸び、やけに冷たく感じる風に、鼻の奥が痛んだ。

 

 すん。

 

 

 

     *   *   *

 

 

 

 登っている間も、クーは一度も口を開かなかった。

 基地の西側にある一角。オーグさんのエンブレムで開けてもらった扉の先には真上に向かって長い梯子が伸びていた。行き着いた場所の薄い金属板をどけると、その先には紺色の夜空が広がっている。どうやら建物の屋上のような場所らしい。

 平たい足場はお世辞にも手入れがされているとは言えず、四方の縁はわずかに足元が段差になっているだけで、柵もない。粗雑な造りになっているのは、空から見たときにここが入り口のひとつであることがバレないようにだろうか。

 入り口というよりは、非常出口、というほうが正しいのかもしれないが。

 

「…………」

 

 黙りこんだままのクーに、俺は地平線のように平らな屋根の並びを眺める。

 屋根の上と下でまるで世界が分かれているかのように明るさが違う。なまじ建物の高さが揃えられているだけに、余計にそう感じる。通りをぽうぽうと照らす灯りは所々で色を変え、北へ西へと伸びていく。恐らくは色の統一よりも、出来るだけ安く長持ちする照明石を選んでいるのだろうと思う。


 綺麗だ。


 気配を感じて隣に目をやると、クーが無言で俺と同じ方向を眺めていた。視線に気付いたのか、その両目がこちらを見上げる。真紅の瞳に通りの灯りが僅かに反射する。


「ん」

 

 クーが両手をこちらへ広げた。

 有無を言わせない視線と落ち着きのない口元に、俺はまるで吸い込まれるように彼女を抱き上げた。俺の首に抱きついたクーが、顔を埋めて。

 決壊。間一髪といったところか。

 屋根伝いに我侭な大声が響いていく。ノドも鼻も目も、全てを使って、彼女が彼女自身を表現しようとしているかのようだった。枯らしそうなほどの大声は、けれど酷く湿っていて、俺までもその激情に引きずられてしまいそうだった。

 注意を払って、そっとその場に座る。

 嗚咽する彼女の後頭部に手を弾ませながら、俺は理由も無く通りの灯りを眺める。

 

「そうか、悔しかったな」

 

 俺の言葉に、クーが呼応するように情けない声を上げ、小さく咳き込んだ。

 その悔しさは、俺には正直わからない。俺にはそこまで一生懸命になれるものがない。

 腕の中の小さな女の子に抱く感情は、哀れみでも共感でもなく、感心と尊敬だった。正直を言えば、クーが“泣き場所を選べる”ほどオトナだとは思っていなかった。もちろんあの場でもわんわん泣いていたし、その後も情けない顔はしていたけれど、協会では平気そうな様子で普段通りの会話も交わしていた。

 まだ吐き出しきれていなかった感情の残灯を、ここのここまで隠して我慢していた。その見た目にそぐわないほどの胆力が普段のクーとあまりにも一致しなくて、いま腕の中で大声で泣いている彼女が何者だったか忘れそうになる。


 否。

 やっぱりクーだなと、そうも思う。


 うああ、ああああ。

 

 芯を揺さぶる様な泣き声はまだ収まらない。

 収まらなくていいとすら思う。

 これほどに一つのことにこだわり、一生懸命になれる子が自分の戦士であることへの喜びと、小さな劣等感と、大きな憧れと。

 なによりも羨望を込め、ただ俺に出来ることを、俺は続ける。

 

 

 

 んずず。

 

 夜風にクーが鼻をすする。

 ひとしきり感情を吐き出したクーは口を尖らせながらも、俺と一緒に通りを眺めている。その泣きはらした不細工な横顔が、やっぱり俺には格好良く見えた。

 

「全然ダメだった、のだ」

「うん」

 

 ずここ。

 まだ鼻声な自分に苛立つかのように、クーが顔をしかめる。

 

「なんか、ヘンなコトしてたのだ」

「変なこと?」

「たぶん魔法だったのだ。あしがはやくなってた」

「ああ……。それで負けたのか」

「ううん。そのまえから、ぜんぜん、勝てなかったのだ。クーがしつこくしたからな。そしたら魔法使ったのだ。背中も見えなくなったのだ」

「そうか」

「クーにも、あれ、できるのだ?」

「……覚えたいか?」

 

 クーは何かを言いたそうにこちらをチラっと見て、遠慮がちに口を開いた。

 

「ニトは、クーがケガしないように、すれーじんぐを覚えさせたのだ?」

 

 その口ぶりに、隠そうとしたわずかな批難の色が見えて、俺はなるほどと納得した。

 話がしたいとは、それのことか。

 

「いつか強い武器になる、って言ってたのだ」

「言ったな」

「走ってるときに止まれるのは、何の武器になるのだ?」

「…………」

「クーがクリスタルをいっぱい手に入れたら、ほんとにアイツに勝てるのだ?」

 

 静かな口調は、それでも真に迫るモノを感じた。

 とてもじゃないが、茶化す気にはならない。

 

「もちろん、勝てる」

「……嘘じゃないのだ?」

「嘘じゃない。だけど今のクーには無理だ。クリスタルの数だとか、エリアの問題もあるけれど、それ以上にスレイジングの練度が足りてない。もっと使いこなせるようにならなければ無理だ」

「……? すれーじんぐを練習したら、なんでアイツに勝てるようになるのだ?」

「知りたいか?」

「当たり前なのだっ!! どうすればいいのだ!?」

 

 クーが俺の胸元をぎゅうと掴む。

 真っ直ぐ過ぎるその視線に、俺は目を逸らさないようにだけ気をつける。

 

「まずはスレイジングで、止まったときの気持悪さがほとんど無くなるまで練習することだ。それが出来たら教える。基礎が出来なきゃ応用はできない。本当はクーが自然と上達していった後に教えるつもりだったコトだ。きっと練習がたくさん必要になるから、一気に詰め込もうとしても嫌になるだろうと思った。だから言わなかった」

「アイツに勝てるならなんでもいいのだ! すれーじんぐがちゃんと出来るようになればいいのだ!?」

「そうだ、でも……」

「信じていいのだな!? クーはホンキを出すのだ!!」

「……嫌な練習を続けるのは辛いぞ?」

 

 クーは俺の膝を降り、立ち上がると、腕を組んでフンとアゴを突き出した。

 

「アイツに負けたままの方がずっとヤなのだ!! 練習のほうがずっとずっと楽なのだ!」

「そうか」

「のだ! それなら、さっそく……」

「待て待て待て」

 

 俺は、今にも屋根から飛び降りようとするクーを引き止める。

 

「なっ、なぜ止めるのだ!?」

「なんて顔してんだ。ここから外に出たら脱走みたいになるだろう。下でオーグさんが待っててくれているから、早く戻ろう」

「そうか、それならそう言えばいいのだ」

 

 クーは普段通りのはきはきとした返事をして、すぐに梯子へと向かった。

 この様子では、おそらく夜であるにも関わらず、外に出る、練習する、などと言い出すに違いない。便宜上の見張りとはいえ、オーグさんに迷惑が掛からなければいいが。

 

「はあ……」

 

 朝からあれだけ様々なコトがあって、その上でまだ練習をしたいなどという、そのバイタリティは恐ろしいものがある。できればクーの外出許可だけをもらって、俺はレフィの待つ宿泊棟で体を横にしたいところだ。

 

 

 

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