第48話 レメント

 

 

 

「ルグ様とはどういった歴史の話をされるのですか? アライクンさんの話なんかもされるのでしょうか。ここに来る前にマスターとはいろいろとお話をしたんですが、いまいち二人の関係性が見えてこないんですよね」

 

 俺の質問に、ジストリさんは苦そうな笑みを浮かべた。


「ああ……、あの子も健気だからの。痛々しいほどに健気なのは昔からか。その様子だと、ラヴァンが起こした出来事くらいは聞いたのかね?」

「そうですね、西の首都の話は」

「うむ、もともと西の協会本部はいろいろと曰くが付きまとっておった。シドゥーラというギルドがあってな、今はもう無いが、当時はエリアを独占するために手段を選ばないような卑劣なギルドとして恐れられておった。そこに泣かされた者も多かった。しかしなぜか本部がそれを取り締まらなかった。厳重注意のみに済まして、制裁などはなにもなかった」

「それは、怪しいですね」

「そう。そのうちに、シドゥーラがボルクレツオと繋がっているという噂が流れた。その頃からこの国はボルクレツオ一強と呼ばれる時代での、ボルクレツオは表向きにはクリーンなギルドを装いつつ、その影の実行部隊がシドゥーラなのではないかという見方が強くなった。理由はいろいろあるが、やはりその二つのギルドの縄張りが重なっているにも関わらず、大した衝突が見られなかったというのが一番大きかったのだな。抗争があったという話は飛び交えど、お互いに犠牲者がまったくいなかった」

「なるほど」

「ボルクレツオと協会本部までもが繋がっている。そんな噂が立つまでにそう時間はかからなかった。しかし証拠もなかったでな。猛威を振るうシドゥーラの影に他の戦士達は怯えるしかなかった。そうして鬱憤が溜まっていた頃だったか、とある者が協会本部で捕まり、罰を与えられることとなった。極刑だった。罪の内容はその者が立ち入り禁止の区域に忍び込み、水の魔法の情報を私利私欲のために盗もうとしたというものだった。水の魔法が協会で管理されておることは知っておるかの?」

「ええ」

「しかし民衆はそれを強く批難した。その忍び込んだ者ではなく、協会を批難した。水の魔法なぞ物好きでなければ知りたいとも思わんだろうに、その者は何か別の、見てはいけないものを見てしまったのではないかと皆が疑った。けれど刑の日はすぐに訪れた。そしてラヴァンがあの出来事を引き起こした」

 

 まるでそれを見ていたかのように、老人が宙を眺めた。

 おそらく、この先はマスターが語ったことと同じだろう。

 

「本部の一部の者が金銭を得て、代わりに街のために無個性化されたマナを使い込んで、装置を動かしておったのだ。その忍び込んだ者というのは、やはり水の魔法なぞ探してはおらなんだ。立ち入り禁止区域に間違って迷い込んでしまい、そこでシドゥーラの者と職員が取引しているところに運悪く出くわしてしまった。その一部始終の情報が、ラヴァンの手によって一気に街にバラまかれた。そりゃあもう、とてつもない騒ぎだったと聞いておる」

「それは、そうでしょうね」

「捕らえられた者はすぐに解放された。もともと裏で取引をしていたのは一部の者だったという話であるし、そこで極刑など強行すればそれこそ王族が介入してくることになるやもしれん。本部は自らの汚れを自ら濯ぎ落すしかなかった。本部とシドゥーラ、どちらの頭も責任を取ることになったそうだ。ボルクレツオだけは最後まで逃げおおせたがの。そして、権力の象徴とも言える本部の、極刑という罪から逃れたその者は、鬱屈した感情を溜め込んでいた者たちにとっては英雄のように扱われた。権力に打ち勝つ象徴のように一部の者たちから崇められた。もともとその者が水の魔法を盗むために忍び込むなど、どう考えてもありえないことだった、なぜなら――――」

「なぜならその者が、幼い少女だったから?」

「ほっほ。まさにその通り。そう。そうしてゴノーディスが出来上がった」

 

 そうか。

 幼い頃のマスターは協会で迷い、知ってはいけない裏取引の現場に遭遇してしまった。

 極刑が執行される直前、アライクンさんによってその全貌が暴かれ、街に情報をバラまいた。恐らくおじさんのことだから、内部から何かしらの証拠も掴んでいたのだろう。

 そして当時のマスターの元に集まった者たちがゴノーディスを結成し、アライクンさんは人知れず東へと逃げ延びた。

 

「あの子も何とかしてラヴァンに感謝を伝えたらしいが、本人は『自分がやりたいからやったこと』の一点張りだったそうでの。そんな格好つけた男の啖呵を純粋に受け入れて、でも心のどこかでは自分を助けてくれたのだろうと、今も信じておるのだろうのう」

「健気ですね」

「のう? 本当に、片意地なぞ張ってないで会ってやればいいと思うが、まあワシはお節介だからの。多くは語らないのがよいのだろ」

 

 老人は少し寂しそうに目を伏せた。

 

 

 

    *   *   *




「クー? どこかで走ってくるか?」

「うん? クーも一緒にいるのだ」

「そうか」

 

 さきほどから大人しくしている黒髪少女は、多少はまともになった声色で答えた。

 

「そっちのお嬢さんも、先程から何か言いたそうにしておるが?」

 

 ジストリさんの言葉に俺はレフィに目を向ける。

 そこには幾度となく見てきたあの顔があった。

 

「……レフィ、何が聞きたい?」

「あ、あの、その裏取引? が、どんな悪いことなのかよくわからないです」

「えーっと」と俺は頭で整理する。

「例えばレフィが技を協会で覚えようとするとしたら、いつも通りクリスタルを集めることになるよな? それと引き換えに技や魔法を覚えられるから」

「はい、そうです」

「でも、もし、その技がお金で買えたらどうなると思う?」

「お、お金でですか? ううん……?」

「お金で買えるということは、クリスタルを協会に渡さなくて良くなるということだ。つまり、クリスタルを全部自分に取り込めることになる」

「ああっ!! そんなのズルいですっ!!」

「だろう?」

「はっは、面白い子だの」とジストリさんが笑う。

「え、だって、そんなの卑怯じゃないですか! シドゥーラは最低です!」

「当時からボルクレツオにもシドゥーラにも、不可解な強さを持った者がいると言われておったからの。それは、クリスタルを余さず使える者であれば当然だろうのう」

「シドゥーラはそのあとどうなったんです?」

 

 レフィの問いかけに、ジストリさんはまた何かを思い出すように宙を眺める。

 

「協会本部の事件よりもそれなりに時間が経った頃だったかの。ゴノーディスもメキメキと力を付けて、シドゥーラも少し大人しくなり、ゴノーディスとボルクレツオの二強と呼ばれる時代が訪れた。これは今も同じだが、ほんの一時期、その二強に割ってはいるほどのギルドが現れた」

「そうなんです?」

「うむ。アンノウンというギルドだった」

 

 心臓の拍がひとつズレた。

 俺はふいに忘れた息の仕方をテーブルの端っこに探した。

 

「アンノウン? です?」

「そう。あれほど得体の知れないギルドは後にも先にもないのう。だが実力は本物だった。当時のゴノーディスはならず者が多かったが、その分、良い嗅覚を持っておったのだろう、そのギルドが相当にイカれていることをすぐに嗅ぎ分けて、エリアでは決して争わないようにしていた。もともと東でも過激派というわけでもなかったからの? アンノウンもこちらから手を出さない限りはまったくの無害だったと聞いたことがある。しかし西は勝手が違った。シドゥーラとは正面からぶつかることになり、劣勢に追い込まれたシドゥーラが決死の抵抗でアンノウンの一員を人質に取ったという噂が流れた」

「うわあ、やっぱり卑怯じゃないですか」

「それはそうなんだがの? ワシも詳しくは知らないが、なんでもアンノウンは、次の日には人質と共に待ち構えるシドゥーラの主力たちを、人質もろとも魔法で壊滅させたという話だ」

「ええ……」

「それでシドゥーラは雲散霧消。今はもう跡形も無い。あらゆるギルドの脅威になるかと思われたアンノウンもいつの間にか消え失せていた。シドゥーラからすれば理由もわからない事故にあったようなものだろうのう」

「すごい結末ですね……」

 

 怯えた表情をするレフィに、老人は満足そうに笑った。

 

「ワシはの、まだアンノウンはどこかにいると思っておる。あれほど不気味な連中がそう簡単にくたばるとも思えん。国境を越えて更なるエリアを求めているか、名前を変えて潜んでおるのか。黒髪の女はまだ生きておるのか」

「黒髪のおんな?」

「アンノウンの話にはの、必ずといっていいほど長い黒髪の女性が出てくる」

 

 レフィがハッとしたようにクーに目を向けた。

 クーは心底心外なそうな表情を見せる。

 

「クーは知らないのだ!!」

「で、ですよね……」

「はっはっは。……いやしかし、とてもヒトの感情に則ったギルドとは思えなんだなあ。方法さえあれば倫理などおかまいなしといったところかの。手段も選ばずに適性やエリア数だけを求めるとすれば、究極を言えば、あれが正解なのかのう……」

「適性……」

 

 レフィがその言葉に考え込み、そして何かを言いたげに顔を上げた。

 

「あの、すいません。さっき、その紙を少しだけ見てしまったんですが……」

「うむ? これのことか」

 

 老人が自分の隣に置いた数枚の紙を持ち上げてみせる。

 おそらく載っているのは個人情報だ。

 

「はい。その中で、なんだか、見たこともない数値? みたいなものがあったので、あれは一体なんだったのかなと」

「見たこともない数値? ふむ……」

 

 老人は持ち上げた資料を上から下へと目を向け、確認していく。

 そして最後まで見終えて、首をかしげた。

 

「うむう? お嬢さんは自分のレメントやベストを知っているのかの?」

「はい、それは大丈夫です」

「エリア数は?」

「それも大丈夫です」

「ふむ。そうしたら、もうそれ以上の情報はここにはないはずだがの……」

「えっ? そんなはずは。たぶん、獣性の上にあったと思ったんですケド……」

「レフィ、個人情報だから」と俺が口を出しておく。

「構わん構わん。ワシの管理の問題だからの。……ええっと、獣性、獣性。その上というと……、ああ。そうか。お嬢さん達は東の出身かの?」

「そうです」

「なるほど、なるほど。これはの、レメントだな」

「えっ? で、でもつづりが……」

「この資料は本部から送られてきたものでな、向こうは西の国の文化が強い。字は違うが読み方も意味も一緒だから気にせんでよい」

「ああ、そうなんですね」

「西の国と東の国はそれぞれ崇めている神が違ってな、そのせいで大きな戦争が起きたこともある。とにかく西と東は仲が悪い」

「…………神様が違うから戦争、ですか」

 

 レフィが今までにないほど怪訝な表情を見せる。

 神様なんてどうでもいいじゃないですか、なんて言葉がこっちまで聴こえてきそうだ。

 

「東の国に、少しだけ飛び出た地形があるというのは知っているかの?」

「それは、はい」と、レフィが俺をチラりと見てから頷いた。

「あの黒い霧へと続く細い地形を、東の国では“ノーブルのみち”と呼んでおる。神へと続く道とされ、この世界を創ったタユという神がその先に居るという。まあ、おとぎ話だがの。お嬢さんは“島”という概念を聞いたことがあるかね?」

「しま、ですか? な、なんでしょうか?」

「ニトくんはわかるかね?」とジストリさんがこちらに目を向ける。

 

 しま? しま。

 一体なんだろう。

 

「いえ、すいません」

「東の国の考えでは、昔々、それはもう想像もつかないほどの昔、この世界大陸はいくつかの“島”に分かれていたのだという。小さな大陸が海で隔てられて、いくつかに分かれているのを想像できるかの?」

「……それが、しま、ですか?」

「そう、小さな大陸たち。島。それが全て合わさって、いまの丸い大陸になったのだと東の国では考えられている。……例えばこう、砂があるとして」

 

 ジストリさんはテーブルの上に、手のひらでこんもりと盛られた砂を表す。それをいくつかの場所で同じように繰り返す。

 

「それを外側から内側へぎゅうと集めると、真ん中が次第に盛り上がってくる」

「……あ、もしかしてトモロスですか?」と俺は合点する。

「お、察しがよいの。その通り」

「なんです? なんですか?」

「レフィ、つまりいろんな島が合体して、真ん中に集まった結果、デカい山が出来上がってしまったんじゃないかっていう話だ」

「ああ、そういえば真ん中にお山があるって話でしたよね」

「うむ。そして全ての島を集めたのも、マナを生み出したのもタユであり、唯一の神なのだというのが東の国の考え方になるのう。しかし西は違う。西は砂を上から落す」

 

 ジストリさんは今度は両手で器を作り、それをテーブルの上に掲げた。

 

「ここから、細くほそーく砂を落すと、やはり真ん中に砂が盛り上がり、そこから崩れたものが平地になる。地面というものは元から無く、神が空から大陸自体を創り上げたと考えているのが西の国だのう」

「凄まじい神もいるものですね」と俺は呆れておく。

「まあ凄まじさでいうのなら西も東も変わらないであろう。東は神を神としている。知っているかもしれないが、とにかく獣性が高ければ良いというような実力主義の国だからの、レメントを神性とは書くものの、そこに大した意味は無いのだろ。しかし西は違う。西は伝説の存在を神としている」

 

 ジストリさんは資料であるはずの紙を裏返しにし、筆記用具を取り出す。

 そんなことしていいのだろうか、などと困惑している間もなく、老人の手はあるひとつの単語を綴った。

 

 “人間性”

 

「あっ、これです!」とレフィが声を上げる。

「西では神性レメントではなく、人間性レメントと書く。はるか昔、人間ニンゲンという種族がこの世界に住んでいたという伝説がある」

「ニンゲン! 知ってるのだ!」と、そこでクーが突然反応を示した。

「おお、そっちのお嬢さんはニンゲンを知っているのかね」

「クーの里はニンゲンと仲良しだったらしいのだ。そんな話を聞いたことがあるのだ」

「ふむ、君も東の出身かね」

「たぶんそうなのだ。そうなのだ?」

「だとしたら珍しいのう。この国の東側はやはり東の国の影響があるからの。タユのみが唯一神であって、人間なんて種族は存在しなかったと考える者が多いと思っておったのだが」

「よくわかんないのだ。でも仲が良かったらしいのだ」

「ふむ、先祖の話は興味深いのう。なんでも西の国を治めているエルフは人間こそが神であり、この世界とマナを生み出したと考えているそうだ。言い伝えによると、エルフの姿は人間によく似ているという話だからのう。人間性レメントとは、どれだけ神に、つまり人間に近い存在であるかという目安になると考えているそうだ」

「レメントが100あったら、それこそ人間だ、みたいなことです?」

「はっは。そうだの。もし人間などという種族が実在したとして、その生き残りがいるとすれば、西の考えをそのまま受け入れるのであればレメントは100ということになるだろうのう」

「すごい音指ノートが出せそうです!」

「馬鹿馬鹿しい、……ですね」

 

 口をついて出てしまった言葉に、ジストリさんがこちらを見た。

 

「まあ、そうだの。馬鹿げた話だ」

「でもでも、すごいと思うんです。レメントが100もあったら。そうしたらノーヴィンさんよりもすごいんでしょうか」

「ああ、ノーヴィンか。本人も公表はしておるが、あれでレメントは98あるからのう。ワシもあの子の声紋契約を引き受けたことはあるが、なかなかに大変な作業だった」

「ノーヴィンさんの担当をしたんですか!?」

「うむ、したぞ。戦士の子達も彼の音指はすごいと口々に言っておったのを覚えている。でもどうしても、残りの2の分、ノイズが残るからの。ワシは耳が良くないから分からないが、ニトくんが司令レフィンダーをしているのであろう? お嬢さん達も、音指を受けたことがあるならばノイズは聞いておるはずだ」

「ノイズ?」

「ニトくんの音指がどうしてもかすれて聴こえる部分があるのであろう?」

 

 ジストリさんの言葉にレフィとクーは顔を見合わせ、お互いに首を傾げた。

 

「二人は」と俺は口を出す。「僕以外の司令の音指を受けたことがないので、まだ違いがわからないんだと思います」

「なるほど、それは仕方の無い話だのう」

「ええ、仕方のない話です」

「しかしまあ、ワシも協会職員の端くれだからの。少しのノイズも戦士に与える影響は大きい。だからこそ、もし完全な純度の音指があるとしたら、一体どれほどの効果が出るのかというのは非常に興味があるところだのう」

「ですよね! ほんとにどこかに居ないですかね、ニンゲン」とレフィが目を輝かせる。

「はっはっは。しかし、本当に生き残りがいるとしたら西も東も大変な騒ぎになることは間違いないからのう。なんせ信じる神に関わる大事件だ」

「どうなるんです?」

「分からん。西はすぐに手中に収めようとするやもしれんし、東は厄介な存在として消そうとするやもしれん。下手したらまた、戦争でも起こるかもしれんのう」

「それは、恐ろしいですね」

 

 くだらない話だ、と笑おうとした口がうまく動かなかった。

 

「すいません」と俺は話を切り上げる。「そろそろルーンさっ、……ルーンとの待ち合わせの時間なので」

「おお、そうか。ふむ、ずいぶん長いこと話してしもうた。イカンなあ、イカン。相変わらず直らないようだのう。今更直すつもりもないんだがの」

 

 老人の軽口に俺も小さく笑い、そして席を立つ。

 またお世話になることもあると思います。など、それぞれ挨拶を交わして俺たちは待ち合わせ場所へと向かった。

 おそらくまだ、オーグさんは来ていないだろう。

 

 

 

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