第22話 森とケットシー
「んあ、レフィさん? …………あれ?」
上半身を起こす。
自分の声に布団の重なる音が続き、それ以降は完全な静寂に包まれた。
真っ暗な部屋の中で首を振る。みしりと家鳴り。ぼやっと浮かぶ輪郭に、自分がまだ宿屋のベッドの上であることを理解する。いまがどれくらいの時間なのかもわからない。
「いっ……!」
つま先をつけた床と一緒に体も軋む。
筋肉痛のままで走ったのは逆効果だったのだろうか。
しかし鍛えないわけにもいかない。筋肉の痛みは筋肉で解決するしかない。お金を稼ぐためにはまずお金を貯める、だとかいうトンデモ理論に近い気もするけれど、ひとまずはゴリ押しでいくしかない。
床の木目を足の裏に感じながら、窓へ近づきカーテンを少し開ける。
黒。
どうやら朝ごはんを食べるような時間ではないらしい。
カーテンを戻し、振り返る。
反対側の壁にはレフィの眠るベッドがある。布団の膨らみでそこにいることはわかるけれど、寝息は聴こえない。聴覚が痛覚に食われたのかもしれない。体が熱を持っているようにすら感じるほど、俺の全身はお疲れのご様子だ。このまま寝てもまた起きてしまうかもしれないけれど、休息は取らなければ。
「っつうぅ………」
まるで十年掛けてやっと見つけた希少なイキモノに忍び寄るがごとく、俺は自分のベッドにすり足で向かう。足以外を動かさないことが重要だ。右、左、右。ベッドに手をつき、腰も同じ角度を保ち、座り、倒れる、こてん。はあ。到達。
おそるおそる手足を伸ばして、めくりあげた布団を戻す。目が覚めたらこんな疲れなんて吹き飛んで全快しているに違いない。そうに違いない。
違った。
全身を拘束されているかのような張りを無理やり引きちぎるがごとく、俺は脚を動かす。
ぜえぜえ言いながら眺める街の中は、村の朝よりもヒトが少ない。朝から開く飲食店なんかは、すでに仕込みを始めているのだろうか。
「はあ、ひい」
南門を折り返し、北門へ向かう。
はあはあ、ちゅんちゅん、ざっざ。
面白みのない音を耳にしながら、腕を振る。とにかく腕を振る。歩幅が見合っていないといわれようが知ったことではない。腕を振れば勝手に足が動く。俺は動かしたくない。なぜなら痛いから。だったら勝手に動いてくれ、とそう願う。願いを込めて腕を振る。願ったところで昔のヒトの感覚が降りてきたりはしない。当然だけれど。
トレーニングの記憶を丸ごと協会に保存するような、そんなことを思いつく先人はひとりもいなかったのだろうか。いないんだろうな。いるはずもない。
もう少し、あと少し。
遠くに見えてきた北門に、俺は顔を歪める。
いままではマシだったはずなのに、終点が近づくと一気に体がしんどくなるという、この現象に誰か名前をつけてはくれないだろうか。意識の問題なのだろうか。俺の気持ちが勝手にラストスパートをかけているのかもしれない。そんなものかけなくてもいい。下手をすれば人生のラストスパートになりかねない。レフィがあれだけやる気をみせてくれているのだから、まだしばらくは生きていたい。
「ぜへっ、ついた、へ、ふへ」
北門の柱に手をつける。けれど体が歩きたがっているのでそのまま歩かせる。地面を眺めながら、ぐるぐる、ぐるぐる。門の前で回る。門番の兵もいなければやりたい放題だ。どうやら勤務時間外らしい。
「ひゃひ、ひい」
こうして無理やり走って、痛みがなくなるまでに何日かかるだろうか。
朝方の涼しい風が服の隙間を通り抜ける。意味もなくアゴをあげて「ぶぁー」と呻き声をあげる。次第に整っていく呼吸と、達成感が心地よい。走っているうちは地獄だけれど、こうして歩くのは悪くない。ああ、断じて悪くない。
「はー……、はー……、は?」
地面ばかりを見ていた俺が顔を上げると、ちょうど門の外にいる少女と目が合った。というか、少女がいた。なんかいる。
目が合った瞬間に、お互いびくりと動きを止める。けれど、俺はすぐにまた歩き出す。
至極どうでもいい。いまはちょっと、ソレについて考えるほど体力がない。覗き込むようにこちらを見ていたのは、長い黒髪の少女だった。というか、俺の目がおかしくなければ食い逃げ少女に違いなかった。
ああ、暴力を振るわれたとかいう噂もあったか。俺も危ないのだろうか。だとしても逃げ切れないし、捕まえるにしても追いつけるはずもない。いまはどうすることもできない。とりあえず座ろう。休憩。
俺は近くの壁を背にして座る。はあと一息。
動きを止めてじっくりと時間の流れを感じていると、無理やりほぐされた体の痛みが程よくじんじんとするような気持ちの良い痺れに変わっている。
ぼーっと少女の姿を眺める。彼女は反対側の柱に身を隠し、こちらの様子を伺っている。なんだか野良の動物を見ているような気分だ。逃げるなら逃げればいいのに。
まっすぐ伸びきった髪は腰あたりまであるだろうか。レフィのようなクセはないけれど手入れがされておらず、頭の上からは頭の悪そうな髪がぴんと跳ねている。少し日に焦げた肌はそのボロボロな服装のせいで、というか布切れのせいでかなり際どいところまで露わになっている。出会った頃のレフィよりもさらに酷い。
顔立ちと身長をからしても、やはりレフィと同じくらいだろうか。ツリ気味の目に真っ赤な瞳が印象的だ。種族はクーシー、だとは思われるけれど、なんだか断定しにくい。
どこか凛としたような雰囲気がやかましくて人懐っこいクーシー種とそぐわないのかもしれない。
食い物でも漁りにきたのだろうか。
残念ながらまだ店も果物屋も開いてはいない。何回も目撃情報があるような子だ。この街に何度も訪れているならそれくらいわかりそうなものではある。だとすれば何のつもりで街の様子を見に来たのだろうか。昨日の自分の犯行現場を確認しに来たのだろうか。犯人は現場に戻るというやつか。
いちおう聞き込みをしておこうか。被害があったお店くらいは知っておきたい。なんなら依頼が合わさって報酬が増えるかもしれない。
というか、彼女はいつまでそこにいるのだろうか。
いまだに俺を眺めているけれど、俺がいなくなるのを待っているのだろうか。残念ながらこの門は俺の場所だ。北門のニトとは俺のことだ。街に入りたければ、ほかの門を当たるか、もしくはここを通るがいい。北門のニトは現在絶賛満身創痍である。
唐突な重低音に、驚いたのは少女の方だった。
慌てて逃げていく後姿はすぐに小さくなって消える。相変わらずアホみたいに速い。自分の腹が鳴ったくせに、まるで俺が屁をこいた様な被害者面はやめてほしい。
食べ物を漁りにきた、というのはおそらく正解なのだろう。別に食い逃げなんてしなくてもあれだけの脚があればいくらでも仕事はありそうだ。普通にごめんなさいをして、普通に仕事について、普通に腹いっぱい食べればいいのに。なかなかそうもいかない世の中なのだろうか。
勝手に世知辛さを感じながら、俺はまた適当な空き地を探して、石を拾った。
レフィは自分の生まれた時期を知らないという。
「だけど、それでよく自分が成人してるだなんて言えましたね」
「…………たぶん、してます、もん」
レフィは口を尖らせながら、手に持った新品の宝剣をまじまじと見つめていた。
彼女の希望もあって、刀身が長めのものを購入した。とはいっても下取りに出した剣と比べると圧倒的に短く、短剣というには長いという、なんとも中途半端な長さである。
鞘から飛び出た柄の先には若葉色の魔石が埋め込まれている。“形を持った詠唱”とも呼ばれる魔石は、相性さえ合えば、魔法などにおけるマナとの繋がりを助けてくれる。
これもまだまだ純度の低い安物である。けれど、この石探しに時間がかかった。
「暖かい季節って言われてましたね」
「そうみたいですね」
反応を示した石の種類からして、暖かい季節の生まれだろうと、武器屋の女性は語った。本当は相性の測定にもお金がかかるらしいけれど、レフィが新米であることを理由にまけてくれた。気前のいいヒトである。
さらにはレフィのわがままで、下取りに出した鞘の装飾の一部を外してもらい、こちらの鞘に移植する工費までかかったので、お金はほとんど浮かなかった。どうやらあの剣にも思い入れが深かったらしい。レフィが初めて手にした武器なのだから、その気持ちもわからなくはない。その飾りを見るたびに初心を思い出すこともあるだろう。
いずれにせよ武器は調達できた。
剣よりも威力はなく、杖よりも魔石は安物で小さい。宝剣という武器自体も、その長さも中途半端ではあるけれど、これが間違いなくレフィのスタイルに一番ハマる。少なくとも俺はそう考えている。
「なん、だか……」
「どうしたました? レフィさん」
「軽すぎて落ち着かないです……。無くしてないですよね?」
「ちゃんと背中にありますよ」
小さな身をよじりながら困惑する姿に、俺は笑う。
いままであったものが無くなるのは確かに不安を覚えるものかもしれない。
「せーの、……はっ!」
「うお!」
「わふっ!?」
その場で跳躍したレフィが、俺と顔を見合わせるほどの滞空時間を経て、上手に着地した。自分でも驚いてしまっている表情に、俺は吹き出しそうになる。
すごいな、おい。
「……体が軽すぎて、気持ち悪いです」
「そのうち慣れますよ、きっと」
「そうですかね……?」
短い間ではあったけれど、あの剣の重さが自然とトレーニングの役割を果たしていたのかもしれない。重りを外したレフィが、それなりに鍛えられた足腰で跳べば、こんなことにもなるのだろう。
なんとも先が楽しみだ。
「それで! 今日はどうするんです!?」
ぱっと顔を上げたレフィの瞳は光り輝いている。昨日の続きをさせろ、狩りにいかせろ、新しい武器を使わせろ。そんな言葉がいっせいに聴こえてきそうな表情だ。
「エイスキューかボリアを狩りにいこうと思います。ラット系とボア系の魔物ですね。どっちもハウジールドよりは弱いですが、攻撃すればもちろん襲ってくるので注意が必要です。そうですね、せっかく身軽になったので、エイスキューからにしましょうか」
「えーすきゅーは、すばしっこいんです?」
「木にのぼる魔物なんですが、小さくて動きが早いです。そのかわりハウジールドほどマナも固くなくて脆いはずなので、その宝剣でも一発で仕留められるはずですよ。妖精さんをもう少し素早くして、たまに噛み付いてくるようなのを想像してもらえばいいかなと」
「それぐらいならなんとかなりそうですね。今日だけでも終わりそうです?」
「終わるかもしれないですが、昼過ぎには街に戻ってこようと思うんですよ」
俺の言葉に、レフィが首をかしげた。
「なにか用事ですか?」
「今日だけの話じゃないですが、これからしばらく昼以降はお互い自由行動にしようかなと。依頼を探したり聞き込みしたり、あと協会でまた魔物図鑑が読みたいので」
「あっ! それならわたしもアレが読みたいです! 技とか魔法の!」
「じゃあ一緒にいきましょうか。自由解散で。レフィさんもあの本を読み続けるか、技や魔法の練習をするか、それとも僕と一緒に聞き込みをするか。好きにしていただければ」
「うう……、すごく悩みます……」
「それで、夕方になったら一度集まって、そのあと暗くなったら宿に戻るといった感じに、ここ数日間はやっていこうかなと思います」
「夕方に集まるんです? なにをするんです?」
「実は今朝、あの食い逃げ少女に会ったんですよ」
俺の言葉にレフィが目を丸くした。
「えっ、捕まえたんです!?」
「そんなまさか。勝手に逃げていきましたよ。ただ様子をみていた感じそこまで頭が良さそうではなかったので、この前と同じように街の出入り口まで走り抜けていくのを見かけたら、うまくすればレフィさんの技で捕まえられると思うんですよね」
「なるほど、ドロドロですね?」
「そうです。作戦はまた考えますが、レフィさんは通行人の邪魔にならない程度で練習を続けてくれればいいです。食い逃げ少女が現れたときにその練習用のドロドロが使えればちょうどいいので、練習、兼、待ち伏せということで、張り込みをしようかなと思います。どの門に現れるかはわからないので、そのあたりも聞き込みで確かめようと思っています」
「わかりました。でもよく捕まえる気になりましたね?」
「まあレフィさんの練習が主なので、ついでに狙ってみるだけですよ。……あとはなんだか、あの子はどこかで見たような気がするんですよね……」
「ええ? お知り合いですか?」
「そんなはずはないんですが……」
なんとなく、あの赤い瞳に見覚えがあるような、ないような。
気のせいだろうか。
「まあ立ち話もなんなので、今朝のことは歩きながら話しますよ」
「そうだ、えっと、えーすきゅーはどこにいるんです?」
「アライクンさんの村の方角にある森の中ですね。いきますよー」
「おー! です!」
* * *
「……ニトさん」
「あれ、レフィさん? どうしました?」
肩を落とし、とぼとぼと歩いてくるレフィの姿に俺は驚いた。
鬱蒼と生い茂った木々はハウジールドのいた山道よりも濃密で、まだ朝方なのにも関わらず薄暗い。けれど空気がこもっているということもなく、なんなら森林浴を楽しむこともできそうである。
レフィの素早さならば楽々とエイスキューを倒せると踏んでいた俺は別行動で、少なくなった薬草を集めていた。いちおう魔物が出る森であるだけにいままで一人で来ることはなかったけれど、やはり山道と比べると採れる薬草の種類が違う。
今度またここに来たいと思ったらレフィにお願いしよう、などと考えているところに、彼女は申し訳なさそうな顔で現れた。
「……すいません、アドバイスを、ください」
「あらら、どうしたんですか」
俺が尋ねると、レフィは無言で森の奥へと入っていった。
仕方なく後ろをついていくと、ある場所でレフィは立ち止まり、上を見上げた。
「アレ、ですよね?」
「……そうですね。あれがエイスキューですね」
レフィの指差した先、俺は目を凝らさなければわからなかったけれど、確かに太く伸びた枝の上に一匹のイキモノがいた。ラット系としては平均的な体長と、白っぽい体毛が特徴のソレは、魔物図鑑で見たものとまったく同じだった。
今度はちゃんと一目でわかった。よし。
「降りてこないんです……」
「なるほど、降りてこないんですか」
「石もちゃんと投げたんですよ? でも逃げちゃうんです」
「あっちからは襲ってこないということですね?」
「そうです。なのでちょっと見ててください」
レフィは宝剣を両手に持ち、一息に地面を蹴った。枝に激突するかと思いきや、まるで吸い付くように幹と枝を足場にし、殺した勢いを踏み込みに変えて大きく振りかぶった。
鋭く振り下ろす。
枝の削れる鈍い音がして、宝剣が弾かれる。小さい魔物は間一髪のところで枝を跳び、その刃を回避していた。体勢不十分のまま落ちてくるレフィは、不自然なほど自然に着地をしてみせる。そして、苦々しそうに逃げた魔物をにらみつけた。
いや、すごいんだが。
何を悔しがることがあるのか。
「ぜんぜん、当たんないです! もう!」
「……なるほどなるほど」
レフィなら簡単に狩れるだろう、なんて印象を付けたのが失敗だったかもしれない。最初から苦戦する前提で話しておけばよかった。
しかしなんだろう、この身のこなしは。まさにホームグラウンドと言わんばかりの動きは。山道よりもすごく見えるのは生い茂った枝のせいで立体的に動けるからだろう。ケットシーにはそもそも入り組んだ地形の方が有利なのかもしれない。
「どうすればいいかわからないです……」
「向こうからは降りてこなくて、石を投げても逃げるばかりで、こっちから斬りかかってもどうにもうまくいかない、だからどうしていいのかわからない、というところまではしっかり理解できているんですよね? 十分じゃないですか?」
「え、そ、そうなんですかね?」
戸惑い顔に、俺は頷いておく。
とりあえずどんな形でも褒めておく。そうでなくとも、ひとりでしっかりと考えて戦っているのだから優秀だろう。敵が降りてこないというだけで途方に暮れているわけでもないのだ。
「僕が思うにですが」と俺は口を開く。
「たぶん、あの剣での戦いに慣れすぎましたね」
「あの剣です?」
「そうです。剣は重かったので両手で持っていましたが、その宝剣は片手で普通に持てますよね?」
レフィは俺の言葉に宝剣を持ち替えて、片手でぶんぶんと振る。
軽さを十分に確認してからコクリと頷いた。
「持てます」
「たぶん両手で持ってるから動きが大きくなりやすいんだと思います。それに強く踏み込む必要も、振りかぶる必要もあまりないです。武器の説明をし忘れてましたが、短剣はもともと敵を待って受け止めるような武器ではないです。軽さと速さを活かして、かく乱して、攻め込んで、回避して、とにかく手数で攻撃する武器です」
「手数、ですか……」
「そうです。どっしり構えて受け止めて一発を狙うようなスタイルとは真逆ですね。もっと自然体でいいです。宝剣は軽い分、強度もないですから、受け止めるより回避です。相手の攻撃は避けて、こっちは当てる。今回の魔物は石を投げても攻撃してこないぐらいですから、ガンガン追いかけていいと思いますよ」
「うう、難しそうです」
「レフィさんの脚ならいけますよ。イメージはあんまり良くないですが、アグニフさんくらいアグレッシブでも、この森なら大丈夫だと思いますよ」
「あのヒトくらいですか……、うーん」
アグニフの名前にレフィは苦い顔をする。
よほど嫌な記憶として残っているらしい。
「わかりました。やってみます」
「あがっ、はあっ、ま、また……!?」
クリスタルの回収が追いつかない。
再開して最初のうちは、何回か俺に動きの確認を求めてきた。けれど、段階的にコツを掴んでからは、レフィの独壇場というか、まさに圧巻だった。
まず、地面に降りてこないのだ。
「やっ! はっ!!」
一撃目をかわされてもニ撃目ではすでに捉えている。
枝から枝へ逃げようと、レフィの目が良すぎて撒くことができない。もちろん他の狩場へ行けば話しは変わるだろうが、ことこの森の中において、レフィはいままでで最高のパフォーマンスを見せ付けている。
これがついさっきまで武器の扱いで悩んでいた
生まれてこの方、短剣しか使っていないと言われても疑わないかもしれない。
どうやら短剣を手にしたケットシーは、ラット系の天敵のようだ。
もはやクリスタルを集める係りの俺の方がひいひい言っている。「宝剣は剣よりも軽くて細いから、斬るより突く方がたぶん強い」だとか、言わなければ良かった。
もちろんレフィの活躍は嬉しい。これは嬉しい悲鳴であるし、贅沢な悩みであることはわかっているけれど、肺がいまにも破裂しそうだった。木々の間を跳びまわってる少女より先に、もたもた走ってるだけの俺が根を上げるわけにはいかない、なんていう自尊心だけで脚を動かしていたけれど、そろそろ精神論も限界らしい。
こうなったレフィの集中力はもう手に負えない。
「げふっ、ゲヒーさーん!!」
返事のかわりにキラキラとした光が落ちてくる。
これはまだ働けということか、それとも聴こえていないのか。おそらく後者だろう。
一定の間隔で落ちてくるキラキラを拾うために右往左往する。これが俺の今日の仕事であるからには是非もないのだが、そろそろ休憩がしたい。させてくれ。死ぬ。
「レッ、へふっ、レヒッ、レッさん!!」
ゲヒーさんて誰ですか。レッさんなんて知りません。
そんな指摘すら返ってこないのが悲しい。別に冗談で名前を間違えているわけでもなく、これが精一杯なだけだ。この際だから何の脈絡もない名前で呼んでやろうかとも思ったけれど、思考を巡らせるほどの余裕がない。そもそも届かない。
結局のところ、名前を呼ぶことを諦めた司令の怪鳥のような鳴き声によって、やっと気付いてもらえたのだった。
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