第20話 習得


 

 

「ぬー……」

「……ふむ」

 

 いつものごとく「あら、そのお気持ちだけで嬉しいですわ」などというランキョクさんに今回の件をどうお返しするべきか、とそんなことで悩んでいるうちに、レフィのハウジールド狩りはさっくりと終わった。

 

「むむむ……」

「……ふむ」

 

 レフィが魔法・技の便覧に目を通しているとなりで、俺は魔物図鑑なるものを読んでいる。

 相変わらずピリピリとした空気のエントラスを抜けて少し脇へ外れると、そこには一般のヒトも閲覧が可能な資料置き場があった。街の協会に来る戦士たちの要望からか、等間隔に椅子も並べられている。ただ、受け付け台とは違い同じ高さの椅子しかないらしく、となりに座るレフィの両足は宙ぶらりんになっている。

 

「ぬうー……」

 

 あのままクリスタルに映し出されたライブラリを見続けていたら、俺とレフィの後ろにはいまごろ長蛇の列が出来上がっていたことだろう。気を利かせた職員さんが紙媒体の便覧を持ってきてくれたから助かったものの、レフィのこれほどまでの食いつきは初めてのクリスタル以来だろうか。

 

「楽しそうですね」

「……!」

 

 俺の言葉に、レフィがむんと顔を上げる。

 そのエネルギーあふれる表情に、昨日までの不健康そうな面影はまったく見られない。服を選んでいたときよりも圧力を感じるほどだ。

 

「たくさん……! こんなにいっぱい……! すごいです!」

「すごいですね」

「すごいです! ふん!」

 

 鼻息が荒い。

 しかしこの様子だとたとえ食事を取らなくても夜まで便覧にかじりついたままだろう。俺も本当に興味のあることには時間を忘れてしまうタイプだ。だからこそわかる。あのときの俺を客観的にみたら、おそらくこんな感じなのだろうと。

 まあ、俺の声が聴こえるうちはまだ大丈夫だろうか。

 

 俺は俺で分厚い図鑑をぱらぱらめくりながら、挿絵と名前を順々に見比べる。この様子からして、おそらく近隣に生息している魔物から順番に掲載しているのだろう。妖精とハウジールドはすぐに見つかった。さすがにすべてを頭に入れるほどの時間はないけれど、この分なら近々出会うであろう魔物は簡単に網羅できそうだ。

 説明文を適当に読み飛ばしながら、とにかく挿絵のイメージを頭に注ぎ込んでいく。正直いってハウジールドを一目で判別できなかったことがかなりショックだった。姿がほとんど同じでも特徴や行動がまったく違う魔物なんてきっといくらでもいる。司令としては、わずかな外見の違いでもすぐに名前が言えるくらいでなければ今後に支障が出る。

 

「ぬぬぬ……」

「……ふむ」

 

 トレーニングに、発声練習に、魔物の情報。今後やらなければいけないことがどんどん増えていくけれど、かといって全く嫌な気分にならないのは、おそらく俺だけではなく隣の小さな戦士さんも同じなのだろう。

 

 

 

「レフィさん、そろそろ……」

「……」

 

 座り疲れというやつだろうか。

 固まったからだが痛みを発し、俺が紙面から顔を上げたときには、周りにいたパーティの面子が総入れ替えになっていた。おそらく相当の時間が経ったことはわかるけれど、レフィはいまだに情報の世界に潜り続けている。まさか俺が集中力で負けるとは。

 

「レフィーさーん」

「……」

 

 ああ、これはよろしくない。

 完全にどっぷりいかれてらっしゃる。

 

 はら。

 

 めくった先の挿絵と活字を、その目はひたすら追いかけていく。ページをめくるための脳は働いているはずなのに、音が聴こえていない。いま彼女の頭の中は、必要な情報といらないものの仕分けがきっちりされているようだ。

 はっは。

 そのいらないと切り捨てた情報は、本当に不必要か?

 

「…………」

 

 俺は彼女の後ろから手を回していく。目標はその前かがみの頭。

 相変わらずクセの強い髪は、よくよく見てみれば数本が迷子のように外側へ飛び出している。獲物を襲うときは群れからはぐれたモノを狙うのが常識だ。俺は指先を伸ばし、そのうちの一本に狙いを定め、弾く。

 

 すん。すんすん。

 

 なるほど、これは無反応か。

 ならばこれは。あれは。そっちは。

 俺は上半身を平行移動させながら、ありとあらゆるはぐれ者をつついて回る。つつかれた方もあまり嫌な顔をしていないように見える。少なくとも抗議はしてこないし、何度弾いてもまた触れとでもいいたげに元の位置に戻ってくる。これは合意と見ていいですね?

 

 そい。そいそい。

 

 ふむ。反応はない。

 一度立ち止まって考えてみれば、髪が言葉を発するわけもなく、抗議をするわけもないので、もしかしなくて俺は頭が悪いのだろう。なぜこんなことになってしまったのだろうか。パロームおばさんは俺の育て方を間違えたのか。それとも俺が悪いのか。はたまた時代が悪いのか。誰も教えてはくれない。

 おーい、寂しいぞ、レフィ。

 

 俺は伸ばした指先を、さらにその奥へと伸ばす。

 目に付いたのはレフィの耳だ。茶色い毛に覆われた可愛らしい耳。そしてその内側からもふっと生えた白い毛がなんとも柔らかそうで困る。あんまり眺めているとよだれが出てきそうだ。ああ、触りたいなあ。触るんだけども。

 ふわさ。

 う、わ。やわっ……。

 

「…………っ!?」

「……ッ!!」

 

 突如としてこちらを振り返ったレフィに、俺は両手を天井に向けた状態で固まる。

 何もしてない!! 何もしてないよっ!!

 

「……て、敵襲ですか!? レフィさん!?」

「ニトさん、いま、何かしました?」

「敵襲!? 敵はどこですか!?」

「ニトさん?」

 

 俺は慌てて四方八方に視線を送る。敵はいないか。魔物はいないか。

 どこかにいないだろうか。レフィが感づいた敵の気配。どこかにいるはず。いてくれなければ困る。いろ。

 

「…………」

 

 非常にじっとりとした視線を感じる。感じるので絶対に見ない。見たらいけない。敵がいたんだ、きっとどこかに。いるに決まっている。俺はどうしても探してしまう。書類の棚の裏、エントランスの角、そんなところにいるはずもないのに。

 

「ニト、さん?」

「……僕がニトです」

「名前は知ってます。なにを焦ってるんです? 何をしましたか?」

「何をしたかと聞かれたら、してないと答えるかもしれない。でもきっとそこに、あなたは“した”という結果を求めてしまうに違いないがそれは幻想に過ぎない」

「何を言ってるんですか? 何かしたんですね?」

「何をもって“した”というのか。“していない”ことを“した”と言うのならば、すべてのヒトは必ず何かをシていることになり、そこに矛盾が生まれるけれど、そんなことを言ったってヒトはいずれ死ぬ」

「何をしたのかを聞いてるんです。答えられないようなことです?」

「何も、してはいませんが。しては、いませんがしかし、先に謝っておきますごめんなさい」

「謝るようなことしたんですかっ!?」

「してないけどごめんなさい」

「何もしてないなら謝らないでほしいです、気持ち悪いです!」

「わかりました。絶対に謝りません」

「それはそれでなんだか……」

 

 困惑した顔で頭を抱えてしまったレフィに、俺はこれ幸いと畳み掛ける。

 

「とにかくアレですよ。技です。そろそろ習得にいきませんか」

「あっ、そうですね。ずっと読んじゃってました。…………これって、借りていくことはできないんですかね?」

「まだ読むつもりですか」

「うう……、いいじゃないですか……」

 

 どうやら相当お気に召したようだ。

 たぶん貸し出しは厳しいだろうが、一応あの職員さんに聞いてみるか。

 

「ニトさんは何を読んでたんですか?」

「これですか? 魔物図鑑です。魔物がいっぱい載ってます」

「そっちも面白そうですね……」

「レフィさんは何か、めぼしい魔法なんかは見つけましたか?」

「全部です!」

「よくばりですね?」

「言うだけならいいじゃないですか! 全部かっこよくて、すごそうです!」

「どれを覚えたいと思いました?」

 

 俺が尋ねると、レフィはわかりやすく口を尖らせた。

 

「……わたしが覚えても意味がないの、知ってるじゃないですか……」

「有効なものもありますよ。僕が聞き方をちょっと間違えましたね。覚えたいっていうより、興味があったものを教えてほしかっただけです。いっかい戦士だとか、適性だとか、そういうものを無視しておしゃべりしませんか」

「あっ、……そ、それなら、これとかは!?」

「……雷の魔法ですか」

 

 挿絵には鋭い稲妻が敵に突き刺さり、痺れのようなものが走る姿が描かれている。

 また珍しい魔法に興味を示すものだ。

 

「どんな魔法なんですかね!?」

「これは頭がおかしいほどの速力が出る魔法ですね」

「そくりょく……? はやいんです?」

「めちゃくちゃに速いです。威力もすごいんですが、それ以上にこの魔法は速さです。発動するのに天候が関わってたり、命中率にもちょっと不安があっていろいろと条件がうるさいんですが、僕は意外と嫌いじゃないですね。ふつうの魔法はこっちに届くまでに魔法盾を展開すれば防げるんですが、これは発動した瞬間に相手に届くほどのスピードなので、発動される前に予測で盾を展開しない限りはヤられます。それぐらいバカみたいな速度が出るんですよ」

「速いんですか! そんなに速いんですね! 盾ってなんですか!? 展開って?」

「ああ、えっと、魔法で作り出せる障壁を盾と呼んだりするんですが、魔法盾と物理盾というものがあって…………」

 

 じゃあ。なるほど。

 それで? こっちは? どういうことです? わあ。

 これは? 次は? なんでです? はー。でも、だったら。

 

 恐ろしいほどの食いつきを見せるレフィに、俺はひとつひとつ説明していく。ときおり言葉では足りない部分は便覧をめくって、挿絵でイメージを補完させる。

 さらっと話をして習得に向かうつもりだった。そのつもりだった。けれど、レフィの天然の聞き上手っぷりは凄まじく、その百面相を見たいがために、こちらも説明に熱が入ってしまう。楽しんでいる場合じゃないのだが、楽しい。

 

「レフィさん、あの、そろそろ……」

「ばか言っちゃいけません! まだ説明の途中じゃないですか!? なんで覚える魔法の種類をひとつに絞ったほうがいいんです!?」

「いや、あの、時間がですね、レフィさん」

「どうなんですか!? ニトさん!?」

「……え、ええっとですね。魔物には炎に弱いだとか、冷気に弱いだとか、そういった弱点のようなものは基本的に存在しないので…………」

「ふんふん」

 

 今日は、いったい何をしにここへ来たのだったか。

 

 

 

     *   *   *

 

 

 

「狩場です! 狩りです! ニトさん! どこにいきましょうか!?」

「……レフィさん見てください、あの太陽を」

「赤くて綺麗ですね!」

「そうですね綺麗な夕暮れなので宿に向かいます行きますよ」

「ヤです! イヤです! わたしの知ってるお日様はそんなかんたんには沈みません!」

「太陽とどんな仲なんですか。もう暗くなりますから」

「ニトさっ、ニトさん! 待ってください! せっかく覚えたのに……!」

「僕が勧めたときはあんなに乗り気じゃない顔してたじゃないですか……。試すのは明日にして今日はもう休みましょう。喋りすぎて疲れました」

「でもっ、でもお、みっつですよ!? みっつも覚えたのに……!」

「はいはい、いい子ですねー」

「うひゃあっ!? おっ、降ろしてください!!」

 

 袖を引く少女をよいしょと肩にかついで歩く。相変わらずの軽さだ。クリスタルも消費しきったのでほかに荷物もない。

 

「ひとさらいっ! ひとさらいですっ!!」

「僕は出会ったころからヒト攫いですよ。いまさらですね」

「そうでした! そうでしたが! も、ち、ちょ、ニトさん、ほんとに降ろしてください! 恥ずかしいですうっ! 見られてますうっ!」

「騒ぐから見られるんですよ。誘拐されるときの心得は慌てず騒がず諦めることです」

「聞いたことないですっ! わたしは諦めません!!」

「った、いたい、痛っ! レフィさん背中を、背中を叩くのは良くないです」

「のおおおおおっ!!」

「たいたいたいたいっ」

 

 暴れるレフィを地面に降ろすと、いつもの一発をいつもの場所にもらう。

 

「すねがとても痛い!」

「ふう、ふう、ほんとに、こんどやったら、本気で蹴りますからね……っ!」

 

 俺はじんとした強い痛みに脚を抱きかかえて座り込む。レフィは真っ赤な顔でぶつくさと文句を言いながら、髪と服の乱れを直した。

 ああ、いますぐ覚えた治癒魔法を唱えて欲しいくらいだ。いや、傷が出来ているわけではないから意味はないかもしれない。だとすれば、ある意味では最大級の攻撃ともいえるのだろうか。

 

「いいじゃないですかっ! 少しくらい技を試したって!」

「レフィさんがいつまでもいつまでも質問してくるからいけないんですよ。こんな時間になるまでヒトに魔法や技の解説をさせるケットシーがどこにいるんですか」

「楽しかったらしょうがないじゃないですかっ! あの本を貸してもらうのがダメいって言われたときも、わたし我慢したんですよ!? すごく我慢したんですよ!?」

「我慢もなにも無理と言われたら無理に決まってるじゃないですか。協会を襲撃して奪うつもりですか? 来たヒトみんなが読めるようにって備えてある本なら仕方ないじゃないですか」

「仕方なくはないです! 今度からニトさんには協会に付き合ってもらいます!」

「まあ別に、それは、かまいませんけど……」

「聞きましたからね! ……ふあっ!?」

「うおっ」

 

 俺とレフィの間を、黒い突風が吹きぬけた。

 魔法を撃たれたのだと、そう直感した俺は風の吹いてきた方向に目を向ける。大通りに佇むまばらなヒトの群れは、そのほとんどが驚いたような表情でこちらを向いている。

 違う。

 俺は慌てて風が抜けていった方角を見る。もうすでに遠くに見えるその長い黒髪は、ひとけのない道をまっすぐ進み、そのまま街の南門の方へと消えていった。

 なんだあれ。速すぎる。

 

「……長い黒髪?」

「……街の中を走り回ってる女の子です?」

 

「食い逃げ少女か!」

「食い逃げ少女です!」

 

 俺はレフィと顔を見合わせて、同時に口を開いた。

 情報共有が十分じゃないと思い、レフィが街で収拾した情報をもう一度聞いておいて助かった。今度は同じタイミングで気付くことができた。

 あれが街の依頼内容にあったという食い逃げ少女だろう。あの様子だといまだに誰も依頼をこなせていないに違いない。そもそもそんな簡単そうな依頼がなぜ解決されていないのかと思っていたけれど、これで納得がいった。

 足が速すぎるんだ。あまりに。

 

「僕は目でも追えなかったですが、何か食べてたんですかね。レフィさんわかります?」

「い、いえ、わたしの目にも後姿しか……」

「ですよね……」

 

 ふたりでため息を吐いて、黒髪の少女が消え去った方向を眺める。そこには夕日に長く伸びた建物の影が並んでいるだけだった。

 本当に、嵐が過ぎ去ったというよりも一瞬の出来事だった。

 おかげで何の話をしていたのかすら忘れてしまった。

 

「ニトさん。あんなの、どうやって捕まえるんですかね……」

「いやあ……、どう、するんですかね? 街の兵士が全員で待ち構えていれば捕まえられるでしょうけれど、そこまで大掛かりな対策はできないでしょうね。お金がかかりすぎます。大して被害が出てるわけでもないから放置されているんだと思うんですよ」

「なるほど、……じゃあ罠をしかけるのはどうです?」

「街中にですか? 通行人が引っかかっちゃったら大変ですからね……、むしろ罠を仕掛けたヒトが兵士に捕まりかねないような気がします。あの食い逃げ犯がどんなタイミングで現れるのかもよくわからないですから」

「ふーむ。そうですか……」

 

 考え込むレフィに、俺も腕を組む。

 罠。罠かあ。

 罠といっても……、ああそうだ。

 

「そういえばレフィさん、技と魔法の練習はどうしますか?」

 

 俺の言葉にレフィの耳がピンと立つ。

 

「あっ!! そうでした!! いいんですか?」

「いまから狩場にいくのは厳しいですが、街のすぐ外で試し撃ちするくらいはいいかなと。せっかくクリスタルを全部使ってまで覚えたわけですからね」

「そうです! それがいいです!」

 

 はりきるレフィに、俺は黒髪の子が消えた南門の方へと足を向けた。

 

 

 

「まあでも、協会の中で一回くらいは試したんですよね?」

 

 門を出た俺は、ほどよくひらけた場所を探して歩く。

 

「……それが、傷を治す魔法は試すことができたんですが、ニトさんがいった残りのふたつはここじゃ出来ないって言われたんです」

「まあアレは地面の上じゃないとダメでしょうね。治癒魔法は試せたって、どんな感じだったんですか? 昔のヒトの記憶が丸ごと入ってくる感じなんですか?」

「ええっと、なんていったらいいか、むずかしいです。なんだか、知らないことがふわーって浮かんできて、なんとなくやり方がわかって、あとは唱えるんです」

「ふわっとしすぎじゃないですかね?」

「それ以外に説明のしようがないんですうっ! なんだかわからないうちになんだかできて、うわーってマネしてたら、わーって治るかんじなんです」

「情報がまったく伝わってこないですね……、このあたりにしますか」

 

 東西の門はそのまま大通りへ繋がっているためヒトの出入りが多い。南門はこの時間になるとヒトの姿はちらほら見かけるくらいのもので、夕暮れの風景も合わさってどこか寂しげに見えてしまう。見張りの兵もなんだか眠そうな表情だった。

 

「さて」と俺は腰に手を当てる。

「どっちからやりますか?」

「どっちにしましょうか……! そうですね、はや、はやっ、なんでしたっけ」

疾砂はやさごですか。レフィさんが嫌そうな顔をしてたやつですね」

「……かっこよく攻撃できるのが、ひとつぐらい欲しかっただけですもん」

「まあいいじゃないですか。やってみせてください」

「やってみます」

 

 レフィはその場に立ち止まると、スッと視線を落とした。

 小さな体は瞬時に姿勢を低くし、同時に右手が地面にまっすぐ押し当てられる。

 

 もう“入って”いる。

 

 音も予兆もなく、地面に付けた手のひらからちょうど円を描くように、彼女の周囲の土が一瞬で濃い色に変化する。

 ず。と彼女の体がわずかに沈んで――――。

 

 ――――――あ。

 

「レフィさん、それっ……!」

「え? あ、え?」

 

 言うより早く、レフィの脚がくるぶしのあたりまで地面に飲み込まれた。

 ああ、やばい。

 

「なっ? え? なんですかこれ? 抜けな、えっ、えっ?」

「なんで自分を中心にしちゃったんですか!? ちょ、手は届きますか!?」

「抜けない、ああ、抜けないですうううっ!!」

「ヘタに動いちゃダメです。うわ、ちょっと待ってくださいね僕もあんまり近づくと危ないので、手、手を伸ばして……!」

「たっ、助けてくらはいっ! ニトしゃんっ!」

「いきます! ふんっ!!」

 

 俺は変色した地面の端から、レフィの手を掴んで引っ張る。

 すぽんと抜けたのはレフィの体。置いていかれた彼女の靴が、ドロドロの地面の真ん中にふたつ、ぽっかりと口を開けている。あいた口が塞がらないとはこのことか。馬鹿をいってる場合じゃない。

 

「ああ靴がっ……! わたしの!」

「待って! 待ってくださいレフィさん! ヘタに近づいちゃダメです!」

「でもっ、でもお、わたしの靴があ、靴がもってかれますうううっ!」

「大丈夫です靴だけなら軽いので、アレ以上は沈まない、はず……」

「どう、どうしましょう!? 取れますか!?」

「えーっと、僕がレフィさんの体を引っ張るので、レフィさんが手を伸ばしてください! それでいけますか!?」

「いきます! 離さないでくださいね!?」

「最悪離します! どうぞ!」

「どうぞじゃないですよ!! お願いしますよ!?」

「わかってます、ほら、はやく!」

「ああ、あああっ」

 

 俺はレフィの後ろから装束を掴み、腰に腕を回す。レフィは身を投げ出さんばかりの前傾姿勢でまっすぐ手を伸ばす。

 親鳥を待つ雛のように大口を開けている、その縁に、レフィの指先が届く。掴む。よし。

 

「ふぬうっ、抜けっ、抜けなっ……!」

「レフィさん、本気出してください!!」

「出してますう!! んうっ、んううっ!」

「どうですか!? 産まれそうですか!?」

「ち、ちょっと力が抜けること言わないでください!! 冗談じゃないですよっ!!」

「もうすぐ! 新しい! 命が!!」

「蹴ります!! あとで絶対に蹴りますううっ!!」

「一気にいきます! うおおおおおおっ!!」

「なあああああっ!!」

 

 ずぼん。

 

 鈍い音をたてて、尊い二つの命が助かり。

 そして同時に、悪ふざけの過ぎた成人男性が、激怒した幼き戦士の手によって、まもなく命を散らそうとしていた。

 

 

 

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