第17話 ずっと、僕の戦士で




 いいですよね。




 口の中には飲み込むほどの唾液がなかった。

 俺はいま、クリスタルの量が足りているのかを聞かれているはずだ。技を覚えても問題ないのかを聞かれている、ただそれだけのはずだ。

 ならばなぜレフィはそんな顔をするのか。戦地に行った大切なひとの安否を尋ねるかのような、そんな重大な知らせをまさにいま告げられようとしているかのような。

 

 俺は歩く。

 彼女の横を通り過ぎる。

 

「もちろん、いいですよ」

 

 開けた道の向こうに薬草の群生地がみえる。ここからさきはもう、魔物は出てこない村の領域だ。早く帰ってしまおう。帰って、街の協会へいって、レフィさんが技を覚えて。

 それで。

 

「……う、ひう」

 

 背中に聞こえた小さな嗚咽に、俺は空に顔を向け、目を閉じた。

 力が抜けて、息を吐く。


「うぅ……、ひぐ」

 

 泣きそうだな。泣くだろうな。

 口にする前にわかっていた。予想はできていた。俺の一言で彼女が決壊してしまうことを、俺の直感は十分に理解していた。だから顔を見たくなかった。

 だったらどうすればよかった。

 俺に選択肢なんてほかにあるはずもない。彼女を泣かす以外の選択がなかった。彼女が求めたことを与えただけだ。なにがいけない。避けられるはずもない。理由だってわからないのだから。

 

 わけがわからない。

 予想通りに訪れた予想外に、俺は立ち尽くす。ざあと鳴いた風に煽られるように、レフィの声が大きくなる。

 

「ふ、うう、なっ、……んぐ、なんで、ですかあ……」


 水気の多い声に、俺は眉間に力をこめて振り返る。

 そこにいるのは女の子だった。戦士でもない、大人びてもいない、ただのひとりの小さな女の子だった。硬く握った両手は涙を拭う様子もなく、幼い顔からは、たくさんの雫が零れ落ちていく。

 

「……レフィさん」

「なんで、ひ、う、なんでなんにも、なんに、も、いっで、ぐれないんですか……」

 

 ぽとり、ぽたり、と落ちる雫に、地面が黒く湿っていく。

 なんでなにも言ってくれないんですか。

 いったいなにを。

 

「アグニフさんと、お、おんなじ、ですか……?」

「え?」

「わたし、あ、うう、いつ、いつわたしは、すてられるんですか?」

 

 ワタシハ、イツ、捨テラレルンデスカ。

 

「レフィさんは、なにを」

「どうでもいいって! いったじゃないですかっ!!」

 

 びう、と一瞬の風が彼女を取り巻いて消えた。

 マナが呼応するかのようなつむじ風。土が舞い上がり、地面には螺旋状の模様を残す。

 俺はその光景と、噛り付くような彼女の瞳にただ圧倒された。

 

「はあ、は、どうでもいいから、なにも、いわないって……っ!! おんなじ、ですか? 剣がいいっていったときも、あの技を覚えたいっていったときも、なんでなんにもいってくれなかったんですか……!? わ、わたしがエリアに残りたいっていったときに、なんでもっと怒ってくれないんですか……!?」

「レフィ、さん?」

「なんで、なんで、叱って、くれないんですかあ……? あた、あう、わたしはあ、いつ、アグニフさんみたいに、されちゃうんですか……?」

 

 いつも気丈であろうとしていた彼女は、あまりにボロボロで。

 零れ落ちる涙と一緒に、ぐしゃりと地面に崩れてしまうのではないかと、思ってしまうほどだった。

 そんなつもりはなかった。

 レフィがアグニフと同じであろうはずがない。けれど、耳にした同じ言葉が、見えている世界が、あまりにも違う。

 

「わたし、わたし、協会に、いきました」

「……!? レフィさん、まさか」

「剣の、練習のときに、ニトさんが、寝てるときに、んぐ、ひとりでいぎました。わたしのなまえを、いったんです。なにもないって、いわれました。なにもないんです。だれも、だれもお、うう、だれもわたしのことなんて、探してないんだそうです……! リーダーは、あのヒトたちも、わたしなんて、なんでも、ないんです。どうでも、いいんです……」

 

 レフィの気持ちを、行動力を、甘く見ていた。

 俺も一度、確かめにいった。街の協会に問い合わせにいった。レリフェト、レフィという名前で捜索しているパーティはいないかと。

 いなかった。誰もレフィを探してはいなかった。

 レフィを誘拐してしまってから、おそらく二日か、三日くらい経ってのことだった。レフィに伝えられるはずもなかった。ときが来れば、無理にでもあのパーティを見つけ出せばいいと思っていた。

 

「でも、でもっ……、それでもいいって、いいって思えたんです。ニトしゃんが、ニトさんがきっと、わたしを強くしてくれるからいいって、あう、思った、ん、でずよ。わたしもいっしょうけんめい、がんばれば、強くなれるかもって、思わせて、くれたのが、ニトさん、なんですよう」

 

 ぐじ、ぐじと袖で拭う涙は、それでもとめどなく溢れていく。

 瓦解していくようだった。レフィを形成していた何かが、ギリギリで繋ぎとめていた気持ちが、その透明な雫に全て溶けて、跡形もなく。

 ああ、壊れてしまう。

 

「わだ、わたじがもうあきらめて、たのに、強くして、ぐれるって、言ったのに……、だからまだ、がんばれる、う、って、おぼった、のに……!」

 

 崩れる。崩れてしまう。

 

「なのに、ひっ、なのに、ニトさんのせいで、わたしはがんばれたのに、……そのヒトが、強くなれるって、えう、いってくれたヒトが! わたしより先に、わたしを諦めないでください……っ!!」

 

 泣き叫ぶように、吐ききって。

 途切れる。

 もう俺を見続ける余力すら使い果たしたかのように、レフィのあごは持ち上がり。空へ、大口を開ける。

 

 うあ、あ――――――。

 

 考えるより動いていた。

 まるでいまにも弾けてしまいそうだった。レフィをかたどっていた何もかもが、ぼとぼとと落ちて、何でもない何かになってしまいそうだった。消えてしまいそうだった。

 わあわあと泣く声を耳元に聞いた。自分も俺も、何もない。ただ声を上げることしかできない。そんな悲しくて痛くて、けれどあまりにも無垢な叫び声に、頬が痺れた。

 それでもただ、包む。彼女が彼女であれるように、崩れてしまわないように、その形をなんとしても支えるように、腕で、体で、抑え込む。抱きしめる。

 

「ああ、うあああ、じ、しかって、くださいよう、ちゃんと、あう、教えて、ぐださい……!」

「わかってる。わかった」

「見捨てっ、ないで、ください……! あだし、まだ、まだがんばれ、ます、よう……」

「わかってる。悪かった。俺が悪かった、ぜんぶ」

 

 剣がいいと言ったとき。

 あの技を覚えたいと言ったとき。

 

 ああ。最初から、レフィは気づいていたんだ。

 

 そうだ。そうだった。思えば俺がレフィンダーをしてやるなんて言ったときも、俺が月を見上げていたときもそうだった。レフィはいつだって俺の表情をみただけで、感情を読み取ろうとする子だった。

 気付いていたんだ。彼女が剣を持つことも、あの技にも、俺が良い反応を示していないことを。それでも彼女の選ぶ道なのだと、自分に言い聞かせて口を閉ざしていたことも。

 

「うわああ、ああああああああっ」

「悪かった。……悪かった」

 

 他に何といいようもない。

 他に何の方法もない。

 ただ抱きしめる。ただ彼女をここに繋ぎとめる。

 はあ、と吐き出した息が震えた。ため息でもなく感嘆でもない。胸に詰まった息をただ吐き出した。どうしようもない。きっと誰も教えてはくれない。

 

 彼女が俺の言葉をずっと待っていたのだとしたら。

 俺はもしかしたら、俺の言いたかったことを口にしてもいいのかもしれない。

 最初から、それで、よかったのかもしれない。

 

「レフィさんは」

 

 片手をその小さな背中にそっと弾ませて、なだめる。

 もうひとしきり出し切ったのだろうか。

 声と嗚咽が少し収まったのをみてから、俺は口を開く。

 

「レフィさんは、あの技を覚えないほうがいいです」

「んう、なんで、でずか……?」

 

 彼女の問いかけに、しばし黙り込む。

 別に、覚えたっていい。絶対なんてない。これはただの俺の独断で、俺の欲望で、俺のわがままでしかない。むき出しのわがままを、並べて、口にする。

 

「まず耐えうる武器が見つかりません。大会優勝者の戦士ボルダーなら獣性ベストはゆうに80を超えているでしょう。それに見合うほどの素材が、レアメタルが、手に入りません」

 

 俺はレフィの背中越しの景色をまっすぐ見つめながら、続ける。

 

「たとえ手に入っても、レフィさんの獣性がそれについてきません。まったく同じ“動き”はできますが、同じ“威力”が出ません。もともとが才能に任せて斬りまくるような技なんですよ。少しの間は通用しますが、魔物が強くなるほど意味をなさなくなります。覚えるためのクリスタルが全部無駄になります」

 

 俺は噛み締めるように、ひとつひとつ、彼女の夢と憧れを潰していく。

 

「レフィさんは剣を持つべきではありません」

「……なんで、ですか」

 

 似たような問いかけ。

 いつしか落ち着いてきた声は、まるで全てを受け入れているようだった。普通ならばありそうな反発や、悲しみも疑問も、何一つ感じ取れなかった。ただただ、俺の言葉の先を促すような声だった。

 

「レフィさんは前衛タイプではないからです。身軽なところも、剣の重さで台無しになっています。本当に持つべきは短剣や宝剣だと、僕は思っています」

「……この剣、だめなんですね……」

「そうです」

 

 ――――良かった、です。

 

 小さな小さなつぶやきは、俺の予想とは真逆だった。

 皮肉でもなく演技でもなく、一切の不安が消えたかのような柔らかい声色だった。

 武器だとか、技だとか。そんなことはもう、彼女の中では大きな問題ではなくなっているのかもしれない。それ以上に、俺の言葉を、俺の気持ちを伝えるべきだったんだ。

 

 だったらなおさら、これだけは言わなければならない。

 

「……レフィさんは、……レフィさんには」

 

 俺は背中に回した手に、少しだけ力を込めた。

 

「レフィさんには、ずっと、僕の戦士でいて欲しいです……」

 

 …………。

 

 …………?

 

「……寝るかね、このタイミングで」

 

 決死の想いで返答を待つ俺の耳には、すうすうというやけに心地よさそうな呼吸が聴こえてきた。さっきの一言で力尽きたのだろうか。

 そういえば、レフィは昨日からあまり寝てなかったか。

 なんだよ、もう。

 

「はあ……」

 

 一気に力が抜けた。

 屈んだ姿勢がそろそろキツい。本格的に鍛えなければまずそうだ。

 腕の中のレフィはもう、完全に身を預けている。こっちの気も知らずに寝るような輩は頭を撫でられても文句は言えないだろうと思うけれど、とりあえずは村まで運ばなければ。

 

 ぱさ。

「おっ」

 

 抱き上げようと前のめりになったとたん、帽子がずり落ちた。

 やけに緩いなあとは感じていたけれど、どうやらハウジールドに吹っ飛ばされたときに金具が取れてしまっていたようだ。

 俺は地面に落ちた帽子、の上に飛び出たケットシーの耳をつまみ上げ、もう一度深くかぶる。バッグのすみから予備の金具をひとつ取り出して、髪と帽子の内側をぱちんと留めた。

 

 抱きかかえた小さな体は剣の重さを考えても信じられないほど軽い。袋の中身もクリスタルで助かった。見た目は大荷物だけれど、これなら俺でも村まで歩ける。

 腕の中にすっぽり収まったレフィは相変わらず静かな寝息を立てていた。まずは彼女を寝かせるために、ランキョクさんに家を貸してもらえるようお願いをしなければ。


 彼女が起きたら。

 まずは、話し合いだ。

 

 

 

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