ラブレターは未来から

天鳥そら

第1話

手紙というものは、友達や友人、親しくない相手への挨拶であっても書いて出すとなると緊張するものでしょう。字が下手だったり、良い文章が浮かばなかったり、何度も何度も書き直したと思ったら間違いに気づいて最初から書き直すこともあります。メールだとキーを叩いて削除できてしますが、手紙ではそういうわけにもいきません。だからでしょうか、一文字一文字に想いを込めてつづた手紙は心の奥深くに残ってしまうこともあります。これは、一通のラブレターが届けた物語です。





飯田咲、小学校五年生の時の話です。朝、学校に着いて机の中に教科書を入れようとすると一通の手紙が入っていました。


「何、これ」


朝早い教室には咲の他にクラスメートが数人しかいません。この時間を利用して宿題をすませたり、本を読んだり教科書をながめて予習をする比較的真面目な子ばかり来ていました。咲の手の中にある手紙は、淡い緑色の封筒にクローバーとシロツメクサが描かれたもの。四つ葉のクローバーと七つの星を背負ったテントウムシが印象的な封筒でした。最初は女の子の友達が咲にあてた手紙だと思い、特に気にすることもなく封をあけて一枚の便せんを取り出しました。





「拝啓飯田咲様、突然のお手紙をお許し…」





一体何が書いてあるのだろうと思って読み始めた咲は、思いもよらぬ言葉に思わず顔を赤くしました。すべて読み終わってから、封筒のあちらこちらを見て差出人の名前を確認しますが差出人の名前が見つかりません。しばらくの間体をこわばらせていた咲は、まだ朝早くクラスメートがいない間にと真面目で話しやすい同級生にこの封筒を自分の机の中に入れたかどうか聞くことにしました。


「初島君、いつも朝早いよね?」

「うん。今日も一番だったけど」


本を読んでいた少年は、初島健といいます。読みかけの本を置いて不思議そうに咲のことを眺めました。女の子がうらやむほどの白い肌に長いまつ毛、目が悪いのかいつもメガネをかけているので先生に頼んで一番前の席に座っています。目が悪いなら本を読むのは控えればいいのにと、咲はぼんやりと考えたことがありました。


「私の机にこんな封筒が入っていたんだけど、初島君が入れたわけじゃないよね」


健は咲から封筒を受け取ってしげしげと眺めてから首を振ります。真面目で優しい健は無表情だと少し怖いイメージがありますが、勝手に封筒を開けて見るようなことはしませんでした。


「誰かが私の机の中に入れたか見なかった?」


「僕は一番前の席だし、本を読んでいたから…」


はっきりとはわからないと申し訳なさそうに言われて、咲は肩を落としました。


「そうだよね。何でもないの、ありがとう」


一人二人とクラスメートが増えてきて、教室内がざわざわと騒がしくなってきました。健と咲が話している様子を気にしている人もいるようです。咲は落ち着かない気分になって、慌てて健から封筒を取り返しました。健はしばらく咲の様子をじっと見てから、ぽつりと呟きました。


「何か、悪いイタズラだったらすぐ先生に相談しなよ」


それからすぐに読みかけの本に視線を落としてしまったので、咲はうんとぎこちなくうなづいて急いで自分の席に戻りました。


「咲ちゃん、おはよう」


「おはよう、百合ちゃん」


仲良しの田倉百合は咲の前の席に座っています。咲は封筒を机の中に押し込んで何事もなかったかのように笑いました。百合は咲がどうしたのか気になる様子でしたが、すぐに宿題の話や好きなアイドル、アニメの話にうつりました。百合の話にうんうんとうなづきながらも、咲は差出人がわからない緑色の封筒が気になって仕方がありませんでした。

授業が終わり放課後になったところで、咲は思い切って百合に緑色の封筒の話をしました。


「手紙?私が?咲ちゃんに?」


もしかしたら百合が咲にあてたものではないかと考えましたが、きょとんとして首を振るばかりでした。


「そうだよね、書いてある内容が友達同士の文章じゃないんだもの」


「なんて書いてあったの?まさか、ラブレター?」


大きな声をだした百合の口をふさいで、咲は静かにと懸命に訴えました。百合は肩をすくめてまわりの様子を伺います。誰にも聞かれないようにとわざわざ体育館の近くにまで移動をして話をしていました。


「その手紙、見せてもらっても良い?」


「うん…。」


ラブレターを誰かに見せるのは気が進まないものの、差出人の名前がないのではどうしようもありません。もしかしたら、筆跡を見て百合が誰か気づくかもしれないと思いました。


「これ」


クローバーの柄の淡い緑色の封筒を渡すと、百合はそうっと便せんを取り出して読みました。


「咲ちゃんの名前は知ってるんだね」


拝啓という難しい言葉に眉をしかめて読み進めていくうちに、百合の顔がこわばりました。何度も読み返して丁寧にたたむと封筒の中に戻して咲に渡しました。


「咲ちゃん、差し出し人に心当たりがないんだね?」


「百合ちゃんにもわからないかな?」


真剣な表情で首を横に振りました。咲はやっぱりかという気持ちで息を吐くと百合から封筒を受け取りました。


「なんだか、ラブレターにも思えるけど友達にあてたようにも思える」


「百合ちゃんもそう思った?」


「読んだ時は、ストーカーかと思っちゃった」


「え?やめてよ!」


咲は寒くもないのに思わず体を震わせます。この手紙をどうしたものかと悩んでいたのですが、さっぱり良いアイデアが浮かびませんでした。


「やっぱり、イタズラかな?」


「誰かが?咲ちゃんに?何のために?」


目を丸くした百合は、封筒の方をじっと眺めました。封筒と便せんは雑貨屋さんや文房具店にもおいてあるごく普通のレターセットでした。汚れも皺もなく、便せんに書かれた文字は黒ペンでした。


「イタズラじゃなかったら間違いとか?」


咲は自分がラブレターをもらうだなんて信じられなかったし、目の前にいる百合の方がよっぽどラブレターをもらいそうだと思いました。


「宛名は咲ちゃんでしょ?フルネームだったし」


「そうだよ…ね」


字に覚えがあれば差出人もわかるだろうという咲の考えは崩れ去り、奇妙な思いだけが残ります。名前を書かなかったのはワザとなのか、ただ書き忘れていただけなのかそれすらもわかりません。


「もし、変なことがあったらすぐに先生とか親とか、相談した方が良いよ」


ちらりと咲の方を見て健と同じことを言いました。咲は力なくうなづいて百合と家まで一緒に帰ることにしました。百合の家はマンションで咲の家は一軒家です。近くまで一緒に帰るのは二人の日課でした。近くの駄菓子屋さんでおばあちゃんとお話したり空き地で話し込んだり、塾やお稽古事がない日は二人でのんびり遊びます。たまに他の友人も交えてグループで遊ぶこともありましたが、二人で話している時間は咲にとってほっとする時間でした。


人見知りしがちで引っ込み思案な咲は、自分の意見をはっきり言う百合に憧れています。黒い瞳をくるりとまわし、おどけた表情で笑う百合は男の子の中でも人気がありました。もし宛名もなかったら、咲はすぐ前の席に座る百合と勘違いされたと思っただろうなと考えます。そう思う自分が少し情けなくなりました。自分はいつだって百合のおまけ、そんな風に自分のことを思っていたからです。


夕暮れ時の日差しが百合と咲を照らし、影法師が長くのびていきます。二つ並ぶ影法師が一つになってしまうだなんてこの時は思いもしませんでした。


家に帰ってからお帰りと言うお母さんの声を避けるようにして、急いで二階の自分の部屋へと飛び込みます。ランドセルから取り出した手紙を取り出してもう一度便せんを開きました。淡い緑色、四つ葉のクローバー、ナナホシテントウムシ。どれもこれも人の幸せを願うような印象を受けました。


知らない人からもらったと思うと怖くもありますが、咲はこの手紙を書いた人が悪い人だとは思えませんでした。何度も読み返しているうちに、ずいぶん前に百合と二人で四つ葉のクローバーを探したことがあったことを思い出しました。広い野原にシロツメクサが咲いていて、二人で探したというのに一本も見つけられなかったのです。


「テントウムシは見なかったと思うんだけど」


封筒に便せんをしまい、鍵のついている一番上の机の引き出しの奥にしまいました。


「誰かが私をからかったのよ」


そう思うと寂しいような腹立たしいような複雑な気持ちになりました。今日一日過ごしても誰かが咲に手紙のことで話しかけてくることはありませんでした。すっかりイタズラだと決めつけた咲は、すぐに宿題を始めました。


一晩眠ってすっきりした咲は、いつものように学校へ向かいます。静かに読書や宿題をしているメンバーは同じで、この騒がしくなる前の朝のひとときが咲は好きでした。一番前で本を読んでいる健が咲が来たのを気にしています。もしかしたら、昨日の手紙の話が気になっているのかもしれません。ランドセルの中身を机の中にしまったら、すぐにイタズラだったと話にいこうと決めました。


机の中に教科書を入れようとした時、小さな包みが入っていることに気がつきました。咲の心臓が飛び跳ねて嫌な予感がしました。おそるおそる取り出すと小さな緑色の包み紙がでてきました。咲の顔がこわばります。中にキーホルダーか何かが入っているようでした。


開けることもできずに固まっている咲の前に、健が真剣な表情で立ちました。


「飯田さん、どうしたの?」


「あ、初島君」


気づいたら足ががくがく震えていました。何でもないと言うことができずに、咲はその場で両手で顔をおおって泣いてしまいました。


「い、飯田さん!」


泣いている咲の手から小さな緑色の包みを取り上げました。


「また知らない人から?」


咲は泣きながらわからないと呟きました。中身を確認したわけではありませんが、昨日のように誰かが自分にイタズラをしたのだと思って怖くなったのです。


「開けて見ても良い?」


こくこくとうなづく咲に、ちょっとためらうような表情をしてからカサリと音をたてて包みを開きました。


包み紙のカサカサという音にドキドキしながら、健が何か話すのをじっと体を固くして待っていました。


「飯田さん、クローバーの飾りみたいだよ」


冷静な口調の健にそっと顔をあげて、四つ葉のクローバーにナナホシテントウムシがのっている物を見ます。四つ葉のクローバの葉の裏に、ピンがついていたので布の鞄や洋服に身に付けるブローチだと気がつきました。


「かわいい」


「今回はね、差出人の名前があるよ」


「誰?」


「色見 和弘さん」


名前を見つけたことで健はほっとして咲も気が抜けたように笑いました。


「名前わかっても、誰だかわからない」


「うん。一緒に探してみよう」


泣きながら笑う咲と微笑む健をどうしたのだろうとクラスメートが眺めています。健は、顔を赤くしてまたあとでねと咲に四つ葉のクローバと包み紙を渡して自分の席へと戻りました。百合が教室に入ってきて、涙のあとが残る咲の顔を見てぎょっとします。事情を話そうと思いましたが、興味津々とこちらを見るクラスメートの前では話せません。百合にあとで話すからと言うと納得して黙ってくれました。


授業の合間、休み時間の途中、咲は四つ葉のクローバーのブローチが入っていた包み紙が気になって仕方がありません。何度も引き出しの中から取り出そうとして思いとどまりました。色見和弘という名前に心当たりがなく、やっぱり困ったなと咲は思いました。


放課後、体育館付近に百合と健を呼び出して四つ葉のクローバーのブローチと包み紙を見せました。名前は包み紙の裏に書かれていたので、注意深く見なければ気がつかなかったでしょう。


「イタズラ…にしてはおかしいよね」


「咲ちゃん、ほんっとーに心当たりがないの?」


百合は言葉に力をこめて、咲にたずねます。好意的に受けとめればこの色見和弘という人が咲に贈り物をしたように思えたからです。健はもう一度四つ葉のクローバーのブローチと包み紙を確認します。名前以外書かれていないので、がっくりと肩を落としました。


「百合ちゃんは、色見和弘さんって名前の人に心当たりはない?」


「うん。同級生にもいないんじゃないかな」


「他の学年か、もしかしたらよその学校かもしれないね」


「ええ~?ますますわからないよ」健がぽつりと呟いて、百合が情けない声を出します。


「それにさ、昨日の手紙もこのブローチも咲ちゃんの机の中に入っていたわけだけど、知らない人が教室に入ってきたらさすがにわかるんじゃないかな」


「そうだよね。知らない人が来たら目立ってみんな騒ぐと思う」


咲は、昨日と今日と静かないつもの朝の風景を思い出して、ああと声をあげました。


「もしかして放課後かな」


「放課後?」


「そうか!クラブ活動や委員会、学校の用事で遅くまで残る人」


健は少し考えるように右手を握って口元にあてました。そうの様子がちょっと大人の人のようで、咲はこんな時にもかかわらず格好良いと思ってしまいました。


「それじゃあ、今日、校門がしまるギリギリまで残って誰かが忍び込んでこないか見張ってみない?」


百合が瞳を輝かせて人差し指を立てます。健と咲は顔を見合わせてから、咲が不安そうな顔をしました。


「それって、また誰かが私の机の中に何か入れるってこと?」


「わからないけれど、ラブレターだったら、返事がほしいと思うだろうし名前も知らせてきてる」


「でも、誰も来ないかも」


「それならそれで良いじゃないか!」


心配そうな顔をする咲に、健が大きな声をあげます。


「誰か来たら、文句言ってやろうよ」


「そうそう、咲ちゃんを泣かしたんだから。私だって文句言いたい!」


二人に励まされて咲は、胸が熱くなりました。涙がこぼれそうになるのをこらえて晴々と笑いました。


三人は下校時間の三十分ほど前まで図書室で過ごして、自分たちの教室に向かいました。薄暗くなった校舎は何か他の生き物がやってきそうで咲はぶるりと体を震わせました。


「飯田さん、寒いの?」


「ううん。ちょっと怖いなって。」


「大丈夫、一緒に手をつなご」


百合の手を握ったら咲は落ち着きました。三人はそっと教室のそばにまでやってきます。廊下には先生とクラブ活動や用事を終えた生徒がいて、教室に物を取りにきたりバタバタと扉を開け閉めして落ち着きがありませんでした。咲たちの学校は鉄筋コンクリートの古い校舎です。三階建ての校舎には二学年づつ同じ階を使っていました。


「思ったより、人が多いね」


健の言葉に百合がうなづきます。


「放課後にこっそり忍び込むなんて、無理なんじゃないかと思えてきた」


咲はこっそり百合と健の様子をうかがいます。二人の真剣な表情に、夕日があたって綺麗だと思いました。


(百合ちゃんと健君ってお似合いだな)


それに比べてと自分の容姿を考えてため息をつきます。咲は決してかわいくないというわけではありません。どうしても百合が目立ってしまうので、咲は百合の陰に隠れるように小さくなることが多かったのです。


階段の陰から自分たちの教室を見張っていましたが、教室を出入りするのは同じクラスの男女で特に変な様子はありませんでした。とうとう校門が閉まる時間になってしまったので、三人は諦めて立ち上がりました。


「もう、ダメだ。このままじゃ、先生に見つかっちゃう」


百合も健も残念そうでした。咲は二人に振り返って決意したように言いました。


「私、ちょっと机の中を見てくる」


「え?」


「でも、咲ちゃん。あやしい人は、誰も来なかったよ」


「うん、一応、だから」


ぎこちなく笑う咲に健がうなづいて、にこっと笑いました。


「そうだね、確認だけしてみよう」


今度は百合が不安そうな顔で、二人を眺めます。百合は明るく社交的で、人前にでることを嫌がるタイプではありません。ですが、いざとなった時百合を引っ張るのは咲でした。百合は咲のここぞという時の勇気や行動力をとても尊敬していました。百合も二人にうなづいて、咲の手をしっかり握りました。


「時間がないから急ごう」


健が先頭を切って歩きだし、百合と咲がその後をついていきます。教室の中に入るとそこには誰もいません。静かな教室に夕日が差し込み、窓際の咲の席には明るい橙色の光が机を包み込んでいました。


「僕が見ようか?」


健の提案に咲はゆっくり首を振ります。百合の手を離して、ゆっくり自分の机の中に手を入れました。机の中から資料集やプリントを取り出して、一つ一つ確かめていきました。


「何か、入ってる?」


百合の言葉に咲が首を振ります。健は肩から力を抜きました。


「放課後に誰かが来るかもしれないっていうのは、外れちゃったね」


「うん」


咲が資料集、プリントをまとめて机の中にしまおうとすると桃色の封筒が資料集の合間から落ちました。三人の表情が固まります。誰も動けずにいると、教室の扉ががらりと開いたので、三人は一斉に後ろを振り向きました。一人の少年が三人のことを驚いて眺めています。黒いランドセルを背負い、手には青色の封筒が握られていました。


「誰、ですか」





最初に口を開いたのは健で、その声は緊張でかすれていました。


「君たちこそ、誰?」


「僕たちは…」


「私たちは、このクラスの生徒よ。咲ちゃんに変な手紙を渡していたのはあなたなの?」


百合が大きな声をだして、目の前の少年をにらみつけました。


「咲ちゃんって、飯田咲さん?」



咲はドキリとしてギュッと手を握りしめました。少年は自分たちと同じ年頃で、しかも咲のことを知っているようです。少年はまいったなと呟きながら頭をかきます。咲は勇気を出して、緑色の包み紙と四つ葉のクローバーのブローチを取り出しました。


「これも、あなたが?」


「そう、だけど」


顔を赤くして恥ずかしそうに頬をかきました。ここで百合が思い切り前にでて怒り始めました。


「じゃあ、最初の緑色の封筒のラブレターもあなたなのね?差出人の名前がなくて、何がなんだかわからなくて本当に困ったんだから!」


「ご、ごめん」


「ストーカーかと思ったのよ!」


百合の剣幕にたじたじとなり、ストーカーいう言葉に目の前の少年はショックを受けたようでした。咲はじっと少年を眺めているうちに、おかしなことに気がつきました。夕日が照らす机や咲たちの先には影法師がのびています。少年の足元に影が見当たりませんでした。咲は真っ青になりました。健がはっとして視線を遠くに向けます。教室に生徒がいないか確認してまわる先生の様子がありません。それどころか、しんと静まり返った校舎には誰一人として存在していないようでした。


「今、何時?」


百合は怒っているのでまわりの不思議な様子にはまったく気がつきません。健の問いかけに、はっとして時計を見ました。早く帰らなければならないことに気がついたからです。百合は時計を見て表情を失くしました。


「時計の針がない」


「壊れちゃったわけじゃないよね」


咲と百合の言葉に、目の前の少年がゆっくりと歩んできました。健が勇気をだして二人の前にでます。どう見てもどこにでもいる普通の少年でした。


「色見和弘さんですか?」


「うん。」


大きく息を吸ってから、健は口を開きました。


「ここはどこですか?」


「大丈夫。君たちがいつもいる場所だよ。」


どういうことだろうと不安そうな表情を浮かべる三人に、色見和弘は肩の力を抜いて笑いました。


「ちょっとの間だけ、他の人達と時間がズレてしまったんだ。すぐに戻るよ」


「ど、どいうことですか?」


少年は話そうかどうか迷ってから、すっと健のそばを横切って咲の前にやってきました。百合も健も金縛りにでもあったかのように動けません。


「僕はタイムトラベルの研究をしています」


「タイムトラベル?」


咲の答えにうんとうなづいて、柔らかく語りかけてきます。


「思いもかけず時を超えてしまった人もいれば、僕みたいに機械や装置を使って安全にタイムトラベルを行う人もいる」


「あなたは、その、機械や装置を使って?」


「僕がやっていることはちょっとした実験なんだよ」


「実験ってどういうことですか?」


金縛りから解けたように勢い込んで尋ねる健に、色見はちらりと視線を向けます。


「僕はね過去や未来の人間と接触して、コミュニケーションをとったことのある人のヒアリング調査をしていたんだ」


あまり話すのは禁じられているんだけど、困ったような顔をします。


「僕が過去の飯田さんに渡した手紙が、タイムトラベルの証になったんだよ」


咲は自分の手の中にある封筒が、とんでもないものだということだけ理解しました。百合がはっとした表情で、色見を眺めます。


「あなたは、色見さんは、咲ちゃんの未来のお婿さん?」


色見はぱっと顔を輝かせましたが、健の顔つきがきつく鋭くなります。


「ちょっと待ってよ、未来から来たのならなんで大人じゃないんだ?」


「ちょっと見た目をいじってね。他の人からは僕は小学生に見えるようにしたんだ。できるだけ自然に学校に入れるようにしたかった。そのせいかな、影がなくなってしまった」


しんとした教室に差し込む夕日が一段と強くなったように思えました。聞きたいことは山ほどあるし、相手の言葉を信用するわけにもいきません。ドキドキする心臓の音だけが咲の中で響いていて、この場に立っていることが不思議なくらいでした。


「あなたが持っている、その青色の封筒」


「これは、桃色の封筒の次に出すはずだった。ちょっとフライングだけど今渡します」


断ることもできました。気味が悪いと手を振り払うことも。ですが、咲は自然と手を差し出して青色の封筒を受け取りました。嬉しそうに微笑む少年に強い夕日の光があたります。二度、三度と瞬きをした後、少年の姿はなくなり下校時のがやがやとした雰囲気が伝わってきました。百合と健は呆然としたまま、色見のいた場所を見つめています。


「何、今の」


「もしかして、夢?」


「夢じゃないよ」





百合と健に咲は先ほど少年からもらった青色の封筒を見せました。






青色の封筒をもらった後は、一度も咲の机の中に手紙や贈り物が入っていることはありませんでした。桃色の手紙には、差出人の名前を書かなかったお詫びと気持ち悪がらせてしまったのではないかという咲を案ずる内容でした。決して悪意のないことやわけあって、姿を見せたりすることができないことを真面目に誠実に伝える文面でした。





最後にもらった青色の手紙には、手紙を送るのはこれで最後にすること。贈り物を渡すこともしないこと。ただ、四つ葉のクローバーとナナホシテントウムシのことだけは忘れないでいてほしいことが書かれていました。心配をかけずいぶん協力してくれた健と百合には、手紙に書かれている内容をすべて話しました。


「四つ葉のクローバーとナナホシテントウムシは、色見さんにとって大切なものなんだね」


「私にもよくわからないんだけれど、大事に取っておくよ」


咲に送られてきた不可解なラブレターの事件はあやふやなまま、あっけなく幕を閉じました。最後の青色の手紙に書いてあった通り、一度も咲の机の中に手紙が送られてくることはありませんでした。学校のイベントや友達との語らい、勉強にと忙しかったので咲もすっかり忘れていました。


小学校六年生になった頃から、咲と百合は自然と一緒に遊ばなくなってしまいました。百合は私立中学の受験をするからと塾に行くことが増え、学校から塾まで両親が送り迎えするようになってしまったからです。次第に開く二人の距離は寂しいものではありましたが、咲は仕方がないと考えていました。他の友達と遊んだり、一人で帰ることが増え楽しい小学時代の光輝くような時代がゆっくり過ぎていきます。


あまりに寂しくなった時、咲は色見和弘から送られてきた手紙を何度も読み返しました。そのたびにあたたかい気持ちになって、一人でも前に進もうと思えたのです。長い冬を迎えたような気持ちで咲は中学時代を迎え、高校を卒業する頃に一人の青年と出会いました。


「色見!色見!」


入学式の前に訪れた大学のキャンパスで、大きな声が響き渡ります。咲は驚いて、声のした方を振り向きます。呼ばれた青年はおう!と声をあげて、ゲラゲラと笑いながら仲良く肩を組んでいました。


「無事、入学できてよかったな!」


「当然だろ。オレ様に不可能はない」


「何言ってんだよ。もうだめかもしれないって泣いてたくせに」


「うるさい!」


どこにでもあるようなふざけた軽口のやり取りをドキドキしながら聞いています。色見と呼ばれた青年は、ここで不思議なことを口にしました。





「ここで俺は運命の女性に会うんだ」


「また始まったよ。タイムマシンつくるとか、過去を見て観察するとか。ドラえもん作れよ」


「ドラえもんの不思議道具はだな…」


「どこでもドア~」


「俺は、結構本気なんだぞ」


「お前みたいな子供っぽい男に、運命の人なんか現れるわけありません」


「輝かしい未来を夢見て何が悪い」


「はいはい。それにしてもさ、色見がずっと持ってたキーホルダー」


「クローバーの?」


「あれ、ご利益あったのかもな」


ふふんと嬉しそうに笑いながら、色見はポケットの中から四つ葉のクローバーにナナホシテントウムシが描かれたキーホルダーを取り出しました。


「これは、幸運のお守りだからな」


「少女趣味~」


「おい!」


真っ赤になった色見は、友人の顔を軽く殴るふりをしてそのまま立ち去ってしまいました。咲はドキドキする胸を抑えてスマホを取り出します。それから、たまに会ってお互いの近況を報告している友人に電話をしました。ちょうど時間があったのか、呼び出し音が二度ほどしてから電話にでました。


「百合ちゃん?色見って人と会えたよ」


「じゃあ、今度、話かけてみれば?」


「うん。でも、人違いかもしれないよね」


「また、そんなこと言って」


笑う百合と少し話してから、咲は電話を切りました。あたたかい春の日差しに桜の花びらが眩しいくらいに光っています。咲は、最初にもらった緑色の便せんに書かれていたことを思い浮かべていました。


拝啓 飯田咲様

突然のお手紙をお許しください。どうしてもあなたにお伝えしたいことがあり、手紙を書きました。出会ったのが遅くとも、今を一緒に過ごすなら、ずっと、一緒にいたということになるかもしれません。ずっと一緒に過ごせればという想いが打ち砕かれても、誰にも負けない絆があります。その絆は過去も未来も飛び越えて、きっとあなたを救うでしょう。楽しいと嬉しいと寂しいと悲しいと、怒りさえもあなたの世界を彩ります。心の中にタイムマシンを思い浮かべて下さい。いつでもどこでも好きな時に、好きな人に会いに行けます。必ずそれを証明してみせます。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ラブレターは未来から 天鳥そら @green7plaza

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ