いってきます

「こりゃあ外は寒いだろうなあ……」


 格別に冷え込んだ朝。窓から見る外の木々は、そこそこ大きく揺れていた。雪はほとんど降らない地方だが、温暖なくせに北風が強いので体感温度が低い。コートを羽織ろうとしつつも、オレは心底震えていた。


「まあまあ、そう言わずに」


 いつの間に忍び寄っていたのか、オレの後ろから高い声がした。後ろというか、背中からか。いつの間にか、引っ付かれていた。妙にコートが着づらいと思ったら。


「ぬっくぬく~」


 腹部を見れば、二本の手が組み付いていた。気付いた途端に、柔らかい感触。スリスリされている。これはまずい。出勤的にも、理性的にも。


「ぬ、ぬくぬくだけどさ。離れてくれないかな」

「や~だ~」


 すりすり、むにゅむにゅ。


 背中越しの感触がヤバい。ついでに下腹部もヤバい。おっぱいも擦り付けられている。ぶっちゃけ時間には余裕があるけど、色んな意味でヤバい。


げんきになりゅまふぇはふぁふぇまふぇん元気になるまで離しません


 ギリギリで解読できる言葉。頬ずりまでされているのか。なるほど、たしかに元気は出てきた。心の内側がポカポカして、今なら寒さを跳ね除けられる気がする。なお、別の元気については無視することにした。こっちを意識すると、大変なことになる。


「うん。ありがとう。ありがとうね」

「ん……」


 そっと組み付かれている手を撫でる。彼女が心地良さそうな声を上げた。かすかに緩んだところで、なんとか向き直る。オレ達を覆っていたコートが、はらりと落ちた。


 軽く抱きしめると、ほのか温かみが伝わってくる。少しだけ力を入れ、背中に回した手で髪を撫でる。オレの大好きな、彼女の長い髪。さらりとした肌触りが、一瞬だけ理性を奪いかける。これは内緒だ。


「んぅ……」


 髪を手櫛されて、小さく声を漏らすパートナー。表情は見えない。オレの胸に顔を埋めているし、彼女はオレより背が低い。だいたい頭ひとつ分低い。


「んふぅ……。そろそろ、出ないと」


 永遠にも思えるような至福の時間を過ごした後、オレは彼女の背中を叩く。流石にこれ以上はマズい時間になっていた。


「んゆー……」


 可愛らしい声を上げて、彼女が顔を離す。上目遣いで見上げるその顔は、熟したりんごのように真っ赤だった。大きな瞳が潤んでいた。


「……どうした?」


 なんとなく何かを求められている気がして、オレは尋ねた。事実、手のホールドが解かれていない。


「……ちゅーしよ。いってきますの」


 口を尖らせるパートナー。しかし怒っている風ではない。


「わかった」


 背伸びさせるのも申し訳ないので、そっと身を屈め、顔を引き寄せて。自らも顔を近づけて。唇に軽くキス。……のつもりだったが。


「んお?」

「んー……」


 自分が屈んだのがまずかったのか、数秒ほど離してくれず。柔らかい感触を堪能するはめになり。


「んっ」


 弾んだ声で解放された時には、既にパートナーの顔は若干のぼせていた。


「……いってらっしゃい」


 少し名残惜しげな表情と、のぼせて赤くなった顔。妙に色気があって、色んな意味でオレは元気になれそうだった。


「ん。いってきます!」


 意気揚々と玄関へ行き、ドアを開ける。次の瞬間、冷たい風が舞い込んで来た。よく考えたらこの部屋はアパートの三階。ついでにドアの向こうは吹きさらしだった。


「……ぶえっくしょい!」


 さっきの温もりが一瞬で吹っ飛び、くしゃみが出る。それを見たパートナーが、クスッと笑った。もう一度見つめ合い、軽く笑いあった後。オレは笑顔で送り出された。


 つまり、オレのパートナーは今日も可愛い。以上。

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