【第3生】特別は要らない

 光に慣らすようにゆっくりと瞼を持ち上げる。

 そこは最初に倒れた道端でも、夢で見た洞窟の中でもなかった。

 ふかふかの真っ白なベッドは引寄の部屋のものではない。薬品と消毒液の微かな匂いからここが保健室だと分かる。

 すぐ近くのカーテンが揺らめいて、その向こうから白衣を着た優しげな女性がニコリと微笑んだ。増えた白髪を隠すこともなく伸ばし、後ろで一つまとめに束ねている。落ち着いた穏やかな雰囲気は何処か人を安心させるようだった。

「目が覚めたみたいね。病院に連れて行ったほうが良いのか悩んでいた所よ。まだ頭は痛い?」

「大丈夫です」

 壁にかけられた時計から意識を失っていた時間は二時間ほどだと推測する。入学式はもう始まってしまっていることだろう。

 引寄は立ち上がろうとするが、直ぐにそれを制される。

「頭を打ったんだから無理はしない方が良いわ。今日はもう少し休んだら帰りなさい」

 引寄は入学早々のアクシデントに顔を顰めた。注目されるのがあまり好きじゃない性格をしているために、明日のことを考えて気分が沈む。

 また頭が痛みだした気がして布団に潜り込んだ。

「それじゃあ、私は貴方の担任の先生に連絡してくるわね」

「はい、分かりました」

 保健室の先生はカーテンを元通りにすると、ゆったりとした歩調で外に出ていった。

 それを確認してから、大きな溜息を吐き出す。

「はぁ……最悪だ」

「なんで?」

「わっ! えっと、誰ですか? 今って入学式の途中なんじゃ……」

 自分一人だと思って油断していた所に話しかけられて、引寄は飛び上がって驚く。声の主を探してカーテンを開けると、隣のベッドからひょっこりと誰かが顔を出していた。パッチリとした大きな茶色の目で引寄をじっと見つめている。

 その子が立ち上がると、腰までありそうな艶やかな黒髪が目の前で揺れた。こんなに長いと手入れも大変だろう。

 ニッコリと素敵な笑みを見せた女子の胸には『発火』と書かれた名札と二年生が付ける赤色のリボンが揺れている。

 この人も体調を崩すか何かしたのだろうか。

「私は発火はつび 恋華れんか。君の付き添いでここに居るんだよ。天定引寄くん」

「えっ?」

 恋華の言っている意味が分からなくて、引寄はキョトンと首を傾げる。

 それに対して、恋華は楽しげに笑っている。まるで、狐か狸か何かに化かされているようだ。

「君が倒れた時に傍にいたから、運ばなくちゃって思って」

「あ、発火先輩が俺を運んでくれたんですか。ありがとうございます」

「運んだのは私じゃないけどね。手伝ってくれた子は入学式に行ったから私が残ったわけ」

 引寄は恋華の言葉になるほどと頷いた。

 その人にもお礼を言いたかったのだが、それならば仕方ないだろう。

 そんな引寄の気持ちが分かったのか、恋華は心配しないでと笑った。

「入学式とかが終わったら様子を見に来るって言ってたから、待っていれば来るわ……そんなことより、私がここに残った理由なんだけど、ね」

 恋華の声のトーンが下がり、まるで何か悪巧みをしているように声を潜めた。チラリとドアの様子を気にしているところから、誰かに聞かれたくないのだろう。

 後退ろうとした引寄の耳元に恋華が顔を寄せて、ヒソヒソと囁くような声で尋ねられる。

「変な夢……例えば、特定の何かがたぁくさん並んでるような、そんな夢……見なかった?」

 引寄の脳裏に夢の中で見た青い光が蘇る。

 思わず身構えてしまった体が、勝手に恋華に答えを示していた。

 すると、恋華は一番の笑顔を見せて引寄に手を差し出す。

「やっぱり! 天定くん! 君は凄い力を手に入れたんだよ! ちょっと来て!」

 何やら興奮した様子の恋華は有無を言わさず引寄の手を掴み、何処かに連れて行こうとする。

 引寄はそれに抵抗しながら、状況を整理しようと頭を働かせた。

 凄い力が何なのか、あの夢になんの意味があるのか、聞きたいことは山のように浮かぶ。

 しかし、何よりも先に聞かなければいけないことが引寄にはあった。

 例えば『貴方は凄い力を手に入れました、その力を使って一緒に戦いましょう』なんて言われた時、引寄が返す言葉はソレしかなかった。

「すみません、凄い力ってどうやったら消えるんですか?」

 その時の恋華の悲鳴じみた叫び声は、もしかしたら体育館まで届いたかもしれない。

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