屋上サボタージュ

音和

屋上サボタージュ

 空を見る。この時期、その色は随分と深く感じられて、長く見ていると自分は今、地に足がついていないのではないだろうか、と奇妙な浮遊感に囚われることがある。


 十二月、屋上で授業をサボるには少し厳しくなってきた今日この頃、いやに強い風に身を震わせ、流される黒い髪と黒いブレザーを手繰り寄せて体を丸めていると、すぐ隣に設置された屋上唯一の出入り口が悲鳴のような音を上げて開いた。


「なんだ、お前。また今週もいるのか。仮にも生徒会の優等生様なんだろうが。授業くらいは出たらどーなんだ?」


 わたしの姿を見るなり、妖怪と出くわしたような顔で嫌味を言った男子生徒は、校則などないと言わんばかりに染め上げられた金色の頭髪を靡かせて、わざとらしくしかめっ面を作った。


「優等生様だから信用されているってことでしょ。あれこれ理由を作ってわざわざ来てあげてるんだから、感謝してほしいくらいだけど」


 実際、生徒会に入って成績をある程度上位で維持し、ついでに普段から素行良く過ごしていれば、教師の信用なんて勝ち取れるものなのだ。教師の多くは面倒ごとが嫌いなだけで劣等生や不良生徒を嫌っているわけではない。面倒をかけない生徒は自然と好かれ、信用されるというのが、わたしが十年近く学生をやってきて得た知見だ。


 逆に、素行が悪く、校則を蔑ろにし、成績も悪い彼のような生徒は教師からは煙たがられることも多い。そして教師から煙たがられると、それに倣うように自然とほかの生徒たちからも煙たがられてしまうことも少なくなかった。


 同じクラスで過ごす彼は、いつも人だかりを作るわたしと対極的に教師からも生徒からも煙たがられ、いないかのように扱われている。


 おそらくこうして授業を抜け出してきても誰も何も言わないだろう。そういう点においては、わたしたちは同じような存在なのかもしれないな、とどこか仲間意識を抱いていた。


「誰も会いに来てほしいなんて思ってねえよ。毎週毎週来やがって。人恋しそうにでも見えたかよ」  


 けっ、と絵に書いたような音を喉の奥で鳴らしながら、彼はうんざりしたような顔を見せた。


 もちろんここで「ええその通り」と言ってやることも出来たのだが、そうすると本当に拗ねてしまいそうなくらい仏頂面をしていたのが背伸びをした金の頭髪に見合わなくて、つい笑ってしまっていた。


「ごめんごめん。不良って大人なのか子供なのかわかんないなと思ったら、ツボに入っちゃってさ。馬鹿にしてるわけじゃないからそう怒んないでね」


 フォローしてみるも効果があったかは怪しい。険しい目つきでわたしを見ながら彼はこれまた校則を破ることが目的です、と言わんばかりに着崩したブレザーのポケットから手のひら大の箱を取り出した。


 一瞬だけ、わたしの様子を窺うように目線を向けたが、わたしが変わらず笑みを浮かべているのを確認すると、何のためらいもなく箱の中に入った煙草を口元に持っていく。


「ほんとに何にも言わねーんだな。お前。生徒会ってのは校則を生徒に守らせたりするのも仕事じゃねーのかよ」


 彼は生徒会をなんだと思っているのだろう。少なくとも、生徒会がそんな高尚な考えの元集まった組織であるなら、彼のような生徒が生まれることもなかっただろうに。


「いーのいーの。ほらみて、今腕章してないでしょ? だからノーカン。でも、下から見えないようにしてね。さすがのわたしも見られたら庇ってあげられないかもよ」


「そんなヘマするかよ。今までだって見られたことはねえよ」


 乾いた音がして、煙草の先が橙色を灯した。 


 大きく息を吐く音がして、白い煙がふわふわと風に乗ってわたしの視界に霞をかける。


 わたしはなんとなく、この光景を見ているのが好きだった。


「ねえ」


 橙と白と金。


 わたしには存在しない色の対比を眺めているのに、それでも彼はとても似た存在のように感じて、つい声をかけていた。


「なんだよ」


 彼は煙たそうな表情をこちらに向けもせず、小さく返事をしてくれた。


「煙草、何で吸ってるの?」


 ぽろりと、橙が遺した残骸が落ち、風に流されていく。


「……考えたこともねえよ。気が付いたら吸ってた。はじめは親の吸ってたのを勝手に吸ってみたら、ずいぶん咳き込んだ。それでも何にも言われなかったけどな。教師どもも止めはするけど、学校の中で吸うのはやめろとか、そんな話ばっかだ。どうだっていいんだよ。俺みたいなのが煙草吸ってようが吸ってまいが」


 別に聞いたわけでもないのに。どんな顔をして語っているのかと覗き込んでやれば、煙草の灰が零れるのにも気づかない様子で、茫然と空を見ていた。


 ただ、彼がどうしてここにいるのか、どうして煙草を吸っているのかは分かったような気がして、次の言葉が口から勝手に飛び出していた。


「煙草、一本頂戴よ」


「は?」


「その代わり、真面目に授業受けてみない?」


「……馬鹿だなお前」


 ふっと吹き出しながら、彼はストレートな罵倒を投げかける。


 ただ、その言葉を受けてやっと、彼と通じ合えたような気がして、わたしもふっと

 笑い返した。


「こう見えても成績優秀な優等生様なんだけどな? 知ってた?」


「優等生様は煙草なんざ吸いたいって言わねーよ」


 彼はほとんど吸っていないのに、大半が燃え尽きた煙草を踏み、わたしの隣に腰掛けた。


 細かく散った煙草の灰が、風に舞って深い空に吸い込まれていく。


 それが彼の吸う最後の煙草なのだろうということを、わたしはどこかで察していた。


 了


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