第12話 囚われ、囚われず
「もう! もう!」
(牛……)
賢者の書を調べるといって机に向かったメイアの姿をそう評し、ヒューマは部屋の壁面に埋め込まれた本棚に近付いた。
(話し掛けて噛み付かれては困る)
機嫌の悪い生き物には近付かないのが鉄則である。
ドローンたちがこの建物の構造とメルスースの居場所を調べている間、ヒューマはメイアの邪魔をしないよう、勝手にこの世界の書物を調査することにした。
(ふむ)
最初に手に取ったのは、一際豪奢な装丁の歴史書だ。
メルスースがこの街に入ってからの発展の歴史が記されていた。
「一応、この街には貴族の代官がいるのか」
メルスースの公的な立場は、その代官の相談役となっている。
ただ、その相談役が属する街の評議会が実質的に行政を司っているため、ほとんどの市民はメルスースこそがこの街の統治者であると認識していた。
「貴族側からすれば、メルスースが納めたほうが実入りが多いし、余計な手間を掛けられることもない。信頼関係が築けているならば、放っておいたほうがいいということか」
賢者の弟子たちは各地で暮らしているが、同じように王侯の相談役に収まることが多い。
「賢者そのものの権威は形骸化しても、賢者の弟子たちの持つ見識は本物。しかも同門としての繋がりも維持しているとなれば、下手に敵対するよりも利用したほうが利益になる」
ただ、そうして賢者の弟子たちが各地で活躍したからこそ、その本流であるはずの賢者の権威が埋もれてしまったという側面もある。
そして、その賢者の弟子たちの弟子、賢者にとっては孫弟子となる者たちにとってみれば、賢者は尊敬の対象ではあっても、自らの師ほどの敬愛は抱かない。
「面倒といえば面倒だな。なぜ賢者はこんな形で世俗に関わることを選んだんだ?」
『もっとも可能性が高いのは、魔法技術の制御だと考えられます。魔法研究の第一線を自分たちの関係者で占めることで、発展の方向性を操作できます。望まぬ技術が生まれそうになっても、すぐにその芽を摘むことが可能となります』
(まるで核兵器だな)
歴史上、そのものが禁忌となった技術は数多存在する。
宗教、教育、協定、軍事的緊張、様々な方法で封じ込められた技術たちだが、もしもこの世界にもそんなものが存在したとしたら、それを賢者の一族が知っているとしたら。
(秘密を継承するよりも、秘密が永遠に闇に葬られることを選ぶかもしれない)
拡散よりも消失。
それが賢者の一族の選択だとしたら、グレゴールの行動はあまりにも危険だ。
(待て、まだ仮定の話だ。この世界にそんなものがあるとは限らない)
もっと単純に、魔法技術の黎明期には魔法そのものが禁忌に近い技術であり、それを行使する魔導師が迫害対象だったのかもしれない。
そうならば自分たちの技術を秘匿し、継承者を最低限に絞り込むことも理解できる。
実際、賢者の名声を高めたのは古い時代の戦争だ。それ以前の彼らがどのような存在であったのかは分からない。
(その頃の情報はまだ取り出せないんだったな)
『はい。現在、船内アーカイブはA級以上の重要情報を維持するために必要なエネルギーしか供給されていません。船の落着後の情報はそれ以下の重要度に分類されていたため、いま参照することは不可能です』
(エネルギー供給が改善されたとして、アーカイブのデータは残っているのか?)
保管そのものにエネルギーが必要な保存媒体は少なくない。
内部から完全にエネルギーが喪失したときに果たして情報を保持できるようになっているのだろうか。
『不明。船内設備の構成情報は優先順位が低いと判断し、六十八周期前に破棄されました。現在も保持されている船内設備に関する情報は、構築、操作、保全に関するものが優先となっています。保存されている規格基準で判断する限り、アーカイブ群のすべてが完全に保持モードへと移行されているならば、情報が残っている可能性はあります』
保持モードの規格が送り込まれ、保持モードの詳細が視界に重なる。
どうやら鉱物の分子構造を変化させて情報を保持するようになっているらしい。鉱物の変化は非常にゆっくりとしているため、外的要因がなければ確かに情報は残っていそうだ。
(ただ、墜落って最悪の外的要因だけどな)
情報は残っていないと思ったほうがいいかもしれない。
ヒューマはそう考えながら持っていた本を棚に戻し、別の本を取り出した。
「――菓子作りの本、か」
「!!」
びくり、と反応するメイア。
がたがた震える体で、こちらを振り向かないよう必死に自制しているのが分かる。
食べたいのだろう。間違いなく。
(甘味の価値は異なる星でも通じるのか)
ヒューマは言いようのない感動を抱き、様々な菓子の作り方を記した本を捲っていく。
大半が材料調達及び調理難易度の高い菓子類で占められていること考えると、この本は比較的高級な菓子の作り方を纏めたものなのだろう。
『そもそも、この部屋にある資料は、この部屋で起居する者にホストへの恐れを抱かせるために置かれていると考えられます。宿泊者を楽しませるためではありません』
ヒューマの考えを読み取ったアルゴノートが、メイアにとって救いのない答えを寄越す。
(そうだな)
ならば、自分が覚えているものでも作れば良いのだろうが、そんなものはない。
メイアにとって過酷な現実だ。
『あの少女を甘やかす理由はありません』
アルゴノートの声はどこか辛辣だった。
このAIにとって、ヒューマ以外の生命体はこの星の原住生物という括りでしかない。
彼らに利益を与えるという発想そのものがないのだ。
『彼らとの間に休戦協定は結ばれておりません。いまなお、我々は戦争状態にあるのです』
(戦争ね)
外敵に生命と財産を脅かされ、属する共同体の意思によって戦闘状態になる。
それが戦争だと定義されるならば、確かに人類が置かれた状況は戦争かもしれない。
だが、素直に頷くことはできなかった。
(俺ひとりで戦争しろってか)
ワンマンアーミーどころではないし、そもそも戦う意味も分からない。
そんな状況で戦えるほど、ヒューマは好戦的ではなかった。
「あの……」
森で拾った小動物が、期待するような眼差しでヒューマの手元を見詰めている。
ヒューマはそっと、菓子作りの本を小動物に手渡してやった。
「ありがとうございます!」
うきうきと机に戻る小動物。
彼女が現実を知って叫ぶのを、ヒューマは生温く眺めた。
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