第11話 少女が知ること


 意識を取り戻したメイアは、自分が寝ている場所がどこか一瞬思い出すことができなかった。


「あれ?」


 むくり、と体を起こすと、その途端頭に鈍い痛みが走る。


「いっ」


 頭を抱えて蹲ると、自分に起きた出来事が一気に蘇ってきた。


「そうだ! ベッドがどれくらい跳ねるか気になって確かめてたら、落っこちちゃったんだ!」


(ああもう、なにしてるの私!)


 いったい自分はなにをしていたんだ、と別の意味で頭を抱えるメイア。

 そんなメイアの目の前に、湯気の立つカップが現れた。


「えっ」


「お茶だ。適当に淹れたから味の保証はないぞ」


 カップを差し出していたのは、ヒューマだった。

 鎧姿のままで、寛いでいる様子はない。

 警戒を緩めた訳ではないということだろう。


「ありがとう、ございます」


 カップを受け取ると、メイアは自分の失態を思い出して顔を伏せた。


「あの、ごめんなさい。はしゃいでしまって……」


「緊張が緩んだせいだろう。別に構いやしない。それよりも、頭は大丈夫か?」


(頭……。もしかして私、おバカだと思われたのかな……)


 確かにあの有様では、そう思われても仕方がない。 

 しかしすぐに、ヒューマの質問の意図を勘違いしていたことに気付き、慌てて答える。


「――あっ、大丈夫です! もう痛みもほとんどありませんし!」


「ならよかった」


 ヒューマは頷き、ベッドサイドに置かれた賢者の書を見つめながら言った。


「あの書について、話を聞かせてほしい」


◇ ◇ ◇


 賢者の書。

 文字通り、賢者の一族に伝わる秘奥の書である。

 これまでの賢者の技と知識のすべてが記載されていると言われているが、その本質を知っているのは賢者のみとされている。


「ですから、私もほとんどのことは知らないんです。でも、自分がいないときに賢者の書に異常があったら、メルスース様たち、先生の兄弟弟子の方を頼るようにと言い付けられていたんです」


「だから、こうしてメルスースに会いにきたということか」


「はい。私、本当になにも知らなくて……」


 メイアが嘘をいっているようには思えない。

 だが、あまりにも不自然だ。


『厳重な管理に対して、その所有権の継承があまりにも杜撰です。常に二名以上の管理者が存在しないようにすることで秘密を保つのが目的なのでしょうが、継承前に権利者が死亡し、その秘密が失われてはなんの意味もありません』


 アルゴノートの言葉はもっともだ。

 賢者の書がどれほどの間継承され続けてきたのかはわからないが、継承が途絶える可能性を考えていなかったのだろうか。


「中身を見せてもらうことはできるか?」


 ヒューマは断られることを前提に訊いてみた。

 だがヒューマの予想に反して、メイアは迷った様子もなく頷く。


「いいですよ」


「なに?」


 驚きの声を上げるヒューマに、メイアは寂しげに笑う。


「実は、私も前に同じように先生に訊いて、同じような答えをもらったんです。びっくりしました。でも、当然なんです」


 そういってメイアは賢者の書をテーブルの上に置くと、慎重に表紙を開いた。

 なにが出てくるかと緊張していたヒューマは、開かれた書に釘付けになる。


「――白紙?」


「はい。この書にはなにも書いてありません。少なくとも、私にはなにも見えないんです」


 ヒューマは何らかの仕掛けが施されている可能性を考慮し、視覚を通してアルゴノートに分析を命じる。

 だが、その答えはひどく端的だった。


『赤外線、紫外線にも反応なし、化学的にも単なる天然材料の紙です』


「ずっとこの状態なのか?」


 ヒューマは賢者の書に触れながら訊ねた。

 何らかの仕掛けが施されているのは間違いないだろう。この書そのものがフェイクであり、本物の賢者の書の在処を知るのが賢者だけという可能性も否定できないが、どちらにせよ、今手元にある手がかりはこの白紙の書だけだ。


「そうだと思います。でも、先生はこの書を大切にしていました。きっとなにかの魔法で、内容を隠しているんだと思います」


「魔法、か」


 こと魔法となると、アルゴノートの分析能力はあてにならない。

 攻撃魔法のように物理的事象を伴う魔法ならば、その物理的現象を観測することで魔法の存在を察知することは可能だが、発生していない魔法を観測することは今のところ不可能だ。

 より多くの情報を手に入れ、魔法の原理を科学的に解き明かすことができれば、地球産センサーでの魔法の検出も可能になるかもしれない。


(この書だけではだめということか)


『おそらくそうだと推測します。先ほど少女が他の兄弟弟子を頼れと命じられたと言いましたが、そこに何らかのヒントがあるのかもしれません』


 つまり、何らかの事情で秘密の継承が途絶えた場合、賢者の弟子たちの助力を得られれば、その秘密を再び明らかにすることができるよう、手筈が整えられているということだ。

 手間は掛かるが、簡単に秘密を知られるよりはましという判断かもしれない。


「やはり、メルスースという人物に会うしかないな」


 メルスースの名に、メイアが反応する。


「そうです! メルスース様はどこに!?」


「権力の掌握が済んでいない以上、どこかで生かされていると考えるのが妥当だ。あのグレゴールという男にとって、メルスースは弱点であり、切り札でもある」


 グレゴールの行動の正当性は、すべてメルスースという後ろ盾によって担保されている。

 メルスースがいなければ、彼は単なる魔導師のひとりに過ぎないのだ。


「この街の連中も、グレゴールを完全に信頼しているわけじゃない。兵士たちもだ。彼らを納得させるために、メルスースは絶対に生かしておく必要がある」


「そうですか、よかった……」


 ただ、あくまで今の段階では生きている可能性が高いというだけのことだ。

 生かしておくメリットよりもデメリットが勝るようなことになれば、グレゴールは躊躇いなく己の師を排除するだろう。

 そこに躊躇いはない。自分が絶対に正しいと信じている者が、躊躇いなど覚える訳がないのだ。


「メイア」


「は、はい!」


「しばらく時間を稼ぐ。その間にメルスースの居場所を探ろう」


「そんなことができるんですか?」


 できる。

 すでにこの施設内を、ドローンたちが走り回っている。いずれその居場所も判明するだろう。

 もともと軍用に作られた探索用ドローンだ。捕らえられた人質の居場所を見つけるのは本義だった。


「じゃあ、その間私はどうすれば……」


 もじもじと訊ねるメイア。

 賢者の弟子として、なにかできることがあるのではと期待しているらしい。

 しかし、ヒューマにそうした健気な心情は分からない。


「……ベッドで跳ねてていいぞ」


 ゆえに、こんな答えが出てくる。


「跳ねません!!!!」


 メイアは顔を真っ赤にしてテーブルを叩き、ヒューマをたじろがせた。


「そんなことをするくらいなら、少しでも賢者の書を調べます!」


 賢者の書を脇に抱えて部屋の片隅にある机に向かうと、メイアは机の天板に勢いよく賢者の書を叩き付けた。


(いいのか、そんな扱いで)


「ふん!」


 ぷりぷり怒りながら賢者の書を捲るメイアに、ヒューマは声を掛けることができなかった。

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