第3話 森の出会い
「ガァアアアアアアッ!!」
雄叫びと共に繰り出される鉤爪。
視界に入ったそれは、即座に脅威判定され、体の回避行動に反映された。
「っ!」
空中で身を翻し、眼下を抜けていく巨大な腕が伸びきった瞬間に着地。そのまま腕を駆け上り、熊に似た顔面に拳を打ち込む。
腕部アーマーに内蔵された粒子放射器が作動し、熊は断末魔を上げることもできずに頭部を破裂させた。
「はぁ……なんなんだ、この星は……」
鈍色に光る鎧に身を包んだ男が、地面に横たわる死体を見つめて呟く。
それに対する答えは、彼の脳裏に直接響いた。
『地球型惑星であることは間違いありませんが、以前お話しした精神感応粒子の存在により、独自の進化を遂げた生き物が存在しているようです』
「そんなものがたったひとつだけあるだけで、こんなにも厄介な生き物が生まれるのかよ」
『生物の進化については、私が製造される年代になっても結論が出ていませんでした。今も地球が残っているなら進化の謎はすべて解明されている可能性はありますが、私が地球に通信を送るためには――』
「わかった! もういい!」
男は手を振って話を終わらせると、不機嫌そうな足取りで歩き出す。
「この星に落ちたはずの他の船か、バラバラになったお前の別ブロックを見つけないと、このさきどうにもならないって話だろう。何度も同じことを言われなくてもわかってる」
『人類、感情レベルが行動に影響を与える数値まで上昇しています。気持ちを落ち着けるか、感情抑制機能の作動を推奨します』
「誰のせいだと思ってるんだ!」
男の怒鳴り声が森の中に広がり、消えていく。
それを自覚した途端、男は疲れ切った吐息を漏らした。
「アルゴノート。俺はまだお前みたいなAIに慣れてない。必要以上に話し掛けるな」
『了解しました。人類』
「その名前で呼ぶのはやめろ」
『――了解、ヒューマ・スミス』
ヒューマ・スミス。
人類――ヒューマンをもじった明らかな偽名だが、記憶を失っている彼にとっては唯一の名前だった。
彼がこの世界で生き延びるためには《アルゴノート》のバックアップが不可欠であり、そのバックアップを受けるためには個人を識別するための名前が必要とされていた。
彼は自分に向けられた『人類』という呼び名と、偽名の代名詞を組み合わせたヒューマ・スミスという名を名乗ることにした。愛着の湧きようもない、適当な名付けだ。
「この体、どの程度まで使えるんだ?」
『長期冷凍保存により劣化した部分を特殊改造したボディですが、現在は正規軍の軽強化スーツと同程度の身体能力を発揮できます。あなたがその体に慣れていけば、現在掛かっている制限を解除し、より高いパフォーマンスを発揮できるはずです』
「そりゃ楽しみなことだな」
吐き捨てるように言い、自分の手のひらを見る。
特に変わったところのない人の手のひらだが、それはそう偽装された生体パーツでしかない。
ヒューマが生きていた時代では限定的だった身体改造技術は、アルゴノートが建造される時代には至極当たり前のものとなり、医療目的の身体改造ならば患者本人の同意さえ必要なかった。
命を守ることが最優先であり、いざとなれば元の生体組織から作った複製品を取り付ければいい――それが常識となっていたのだ。
「ファンタジーなのかSFなのか、よく分からねえや」
『SF、サイエンスフィクションの略称。空想科学をテーマにした娯楽作品の一群。
ヒューマ・スミス。あなたの体に使用されているのは空想の産物ではなく、明確な安全基準を満たした既存技術です』。
「わかってるよ。冗談をいちいち真に受けるな」
ヒューマは旅の相方となった移民船AIの言葉に、投げやりな答えを返した。
目覚めてからほんの一日程度の付き合いだが、このAIが人間の感情の機微を理解できないことは分かっていた。
他のAIが機能停止しているためにアルゴノートと船の名を付けて呼んでいるが、このAIは本来、移民船の環境を制御するための補佐汎用AIでしかない。
汎用AIであるがゆえに専用AIよりは成長の余地が残されているらしいが、今は小うるさい監視役だ。
「それで、街で情報を集めてどうする?」
『現在のあなたの姿は、この世界において遺跡探査などを行う事業者に似せてあります。あとは身分を偽造し、各地の調査をしてください』
「身分の偽装なんて簡単にできるのか?」
『限られた範囲を調査しただけですが、戸籍情報のネットワーク化などは行われていないようです。身分の偽装もそれほど難しくはないでしょう』
アルゴノートの物言いはどこかこの世界を馬鹿にしたようなものだったが、実際にこの世界の個人情報の扱いはかなりいい加減だった。
情報のネットワーク化は通信技術の発達によってもたらされたものだが、この世界の通信はそこまで到達していなかった。
「そんなに色々調べたのなら、自分で他の船を探せば良かったんじゃないのか?」
『リソースがありませんでした。私の制御下にある探索ドローンの稼動半径は狭く、周辺の居住地と生物を継続調査することが限界だったのです』
無人機械による調査には、高度な自律制御装置を持つドローンか、広範囲の通信ネットワークが必要だ。ドローンが停止したからと自らの足で取りに行くこともできない以上、ドローンが自ら戻ってこられるか、回収用ドローンが移動できる範囲しか調査できないのも仕方のないことだった。
「この通信は大丈夫なのか?」
『マップ転送。――この場所にお渡しした中継装置を設置してください。そうすれば通信を確保できます』
ヒューマの視界に半透明の地図が投影される。
その中にはいくつもの輝点が点滅していた。
『すべてに設置する必要はありませんが、予備も含めて可能な限りお願いします。その体は私のバックアップを前提に作られています。通信が途絶した場合、十日程度で身動きが取れなくなる可能性があります』
「自分自身が人質か、よくできた話だな」
『そのような意図はありません。我々汎用AIには、人類に危害を与える機能が与えられていません』
だが、結果として危害を及ぼすことはある。
ヒューマはこのAIを信用することができなかった。そもそも、彼の生きていた時代においてAIはまだ人の友人となるには未成熟だった。
いずれ新たな知性体として、鱗人として暮らす日が来ると言われてはいたが、まだまだ遠い未来のことだと思われていた。
しかし、いまヒューマ・スミスはその遠い未来にいる。
「せいぜい気をつけることにするよ。それでいいんだろう」
『はい、感謝します』
アルゴノートの答えにヒューマはなにも答えず、黙々と森の中を歩く。
少しずつ体に慣れていくのがわかった。
(機械でもなければ生身でもない。俺はなんだ?)
もともと違和感と呼べるほどのものはなかった。
目覚めたあと、劣化した体の代わりに用意した体だと説明された。同時にこの世界でも生き延びることができる性能を持たせた、とも。
『警告』
アルゴノートの声と共に、視界に警告文が浮かぶ。
自分を中心とする三次元図が映し出され、背後に三つの赤い輝点が瞬いた。
『背後に高脅威原住生物を確認。迎撃してください。相手はすでにこちらを認識し、敵対行動を取っています』
「わかった」
言うが早いか、ヒューマは背中の大剣を引き抜き、背後に向けて放り投げる。
ほとんど予備動作のない動きだったにも関わらず、大剣は真っ直ぐに木立の中を飛翔し、二足歩行の猪のような生き物の上半身を、その生き物が隠れていた木の幹ごと粉砕した。
『一体無力化しました。残り二体、移動中』
「追撃する。追い回されては気が休まらない」
『妥当な判断です。予期しない攻撃を受ける可能性は極力減らすべきでしょう』
アルゴノートの言葉に頷き、ヒューマは大剣を回収するため走り出した。
◇ ◇ ◇
メイアがそれに気付いたのは、森の中にある小川で休んでいるときだった。
森の外にある小さな村まであと半分の地点だ。
「はぁ~~……」
メイアは靴を脱ぎ、熱を持った足を小川の中に浸して冷やしていた。
急がなければならないという気持ちはある。しかし、体がそんな気持ちについていかない。
何時間も走ったり、歩き続けるには、相応の訓練が必要なのだ。
「少し休んだら……村にいって……」
暖かな日の光と涼やかな小川の風の中で、メイアは眠気に襲われる。
そのままうつらうつらと頭を揺らしていると、河原の小石が震え始めた。
「…………」
だが、メイアはそれに気付かない。
地面を揺らす低音が彼女に近付き、そして小川の上流で爆音となった。
「!!」
吹き上げられた水と、粉砕された岩の欠片が降り注ぐ中で、メイアは呆然と爆発のあった場所を見つめる。
そこには大きな影が呻き声を上げていた。
「あれは……フォレストオーク!?」
森で暮らす亜人種系魔物の一種だ。
メイアの住処の周囲にはいないが、より深い場所には群れがいると言われていた。
「に、逃げないと!」
フォレストオークは人間の兵士十人分の戦闘能力があると言われていた。
少なくとも、メイアがひとりで立ち向かえるような相手ではない。
「フゴォオオオオッ!!」
「ひっ!!」
背後からの雄叫びに身を竦ませるメイア。
同時に足を滑らせ、川に落ちてしまう。
「きゃあっ!!」
だが身を包む水よりも、こちらに近付いてくる魔物から発せられる威圧感のほうがよほど冷たく、鋭い。メイアは竦む体を叱咤して立ち上がろうとしたが、滑りやすい川底と震える手足のせいで立ち上がることができなかった。
(はやく、はやく、はやく!!)
気持ちがどれほど急ごうとも、体はそれを拒否する。
フォレストオークの濁った目がメイアを見下ろし、その太い腕を振りかぶった。
「っ! ウォーターパイク!!」
水に浸った手から魔力を流し、自分の周囲にいくつもの水の杭を作り出す。
馬防柵のように屹立した水の杭はフォレストオークの体を貫くように伸びたが、その毛むくじゃらの皮膚に遮られて飛び散った。
魔法の威力は術者の精神力に比例する。集中力を欠いた状態で放たれた魔法は大きく威力が減衰するのだ。
本来ならばフォレストオークを串刺しにしたはずの水の杭は、その分厚い毛皮を貫くことができなかった。
「ブゴォオッ!!」
しかし、反撃されたという事実がフォレストオークを激怒させる。
最初こそ自分より遥かに小さなメイアを侮り、油断しているような動きを見せたフォレストオークだが、彼女が魔導師だと知った以上、一撃で脅威を排除することを選ぶのが当然だ。
フォレストオークは涎を撒き散らしながら両手を振り上げ、大槌のようにそれを振り落とそうとする。
「あ」
こんなものを受ければ、メイアの体など簡単に潰されてしまうだろう。
避けがたい死を前に、メイアは古い記憶を思い出した。
親に捨てられ、森の中を彷徨っていた夜の記憶だ。
あのとき、泣いている自分を襲ってきたのは、もしかしたらフォレストオークだったのかもしれない。
「先生……」
あのときは偶然近くで野草を採取していた師に助けられた。
だが、その師はもういない。あんな偶然は二度も起きないだろう。
メイアは頭の冷静な部分でそう判断した。
「まったく、なんて日だ」
そのため、ズドンという鈍い音とともにフォレストオークの胸から輝く大剣が突き出したときも、光の剣が発する虫の羽音に似た音が一際大きくなったときも、呆然としたフォレストオークの顔が胸から振り上げられた剣によって両断されたときも、彼女はおよそ自分で驚くほど冷静に状況を見ることができた。
「そのまま動くな」
フォレストオークの体が倒れ、川が血の色で染まる。
その骸に刻まれた剣跡が焦げ臭いことには気付いたものの、メイアにはそれを疑問に思うだけの余裕がなかった。
目の前に現れた男はメイアを見下ろすと、再度訊ねた。
「わかったか?」
「はい……」
考えることもできず、メイアは反射的に答えを返す。
男はそれを聞いて小さく頷くと、もう一体のフォレストオークの対処に移った。
「フゴォオオオオッ!!」
残ったフォレストオークは、川辺の木々の中から飛び出し、男に奇襲を仕掛けようとする。
今の今までメイアが気付かなかったのだから、フォレストオークの隠伏能力は低くなかったのだろう。
しかし、男には無意味だったらしい。
「制御、収束、拡散」
フォレストオークに右の手のひらを差し向け、男が呟く。
それはメイアの知る魔法の詠唱とよく似ていた。
(このひと、魔導師だ)
メイアは賢者の一族に連なる者以外の魔導師を見たことがなかった。
そのため、彼女は男を自分とは別の、自分の知らない流派に属する魔導師だと判断した。
そして、男の手から放たれた不可視の力によって引き起こされた破壊に驚いた。
「ゴアッ!?」
巨大な何かが通過したかのように、フォレストオークとその周囲の木々が一直線に吹き飛ぶ。その中心にいたフォレストオークの体は、ねじ曲がり、へし折れ、破壊の中心線に向かって小さく折り畳まれてしまった。
「範囲が広いな。使いにくいぞ」
それは独り言だろうか、メイアは呆然と男を見上げ、その男が研究中の自分と同じ癖を持っていることに親近感を覚えた。
周囲の破壊と殺戮の痕跡を思えば場違いな感情だろう。
しかし、彼女はそう思った。そしてその感情は彼女の運命を大きく大きくねじ曲げた。
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