第3話 大丈夫

 外からピヨピヨと鳥の声がする。僕たちはその声を聞いて、朝だと認識する。朝日の届かない屋根裏は、いつまでたっても暗いままだ。だから鳥たちを時計にして、人間たちが動き出す時間を見計らうのだ。俺たちだって頭がいいんだぞ。だからこそ「生きた化石」なのだ。


 ていうかそんなことはどうでもいい。昨日のことを一秒たりとも忘れずに覚えている僕は、人間に追いかけられている時くらい早足で、1階のいつもの厨房へ向かった。換気扇近くから厨房の様子をそおーっと除く。

 いつものようにおばさんがお客様が座るイスとテーブルを布巾で端から端へ、端から端へと入念に拭いている。おじさんは今日来るお客様が食べるであろう料理の仕込みをしている。二人とも何とも思っていない無の顔で手作業をしている姿を見ると、長年変わらない作業を繰り返し行ってきたんだなと思う。


 そんな変わらない空間の中に、いつも通りなのにどこか違和感のある風が吹いた。廊下に続くほうのドアがガラガラと古臭い音を立てながら開く。その音が耳に入った瞬間におじさんおばさんがハッとした表情をして、それから音のした方を勢いよく振り向いた。僕も顔は変わらないが、ハッとした気持ちでいたことは言うまでもない。


「優子…おはよ!朝ごはんテーブルに置いたから食べてね!」

おばさんが心の中の焦りと違和感を隠すことができていないのは明らかだった。おじさんに関しては、昨日の事を引きづっているのか、無言を貫いている。

 優子は黙ったままだった。自分の親と目を合わそうともしない。しかし、素直にテーブルの方へ歩き、朝ごはんを食べだす彼女を見て、思わずおじさんとおばさんは目を合わし、お互いに安堵の表情を見せあう。まるで優子の気持ちを理解することができたと万歳するかのように。二人はそれだけで満足し、いつも通り作業をしだす。第三者である僕の目から見れば明らかにこの問題が解決されたわけではない。なのに解決した風を見せる親の姿に疑問を感じた。

 優子はチラッと親の事を見た。彼らがいつも通り作業している姿を見て、彼女はため息をついたような気がした。彼女も同じ疑問を感じているのだろう。細めた目、への字に垂れた口、いつもよりも猫っぽい背中、そのすべてが彼女の不満を表現し、親に訴えているような気がした。


 朝ごはんをきれいに食べ終わると、サッと立ち上がり、隣の椅子に置いておいたスクールバッグをサッと持ち上げ、サッと外へ出ようとドアへ向かう。無言なため、一つ一つの動作の「サッ」という音がはっきりと聞こえた気がした。その音を聞き取ったおばさんはドアを開けようとした優子を見て、

「行ってらっしゃい!」

と何も困っていないかのような元気な声で言った。

おじさんはまた黙ったままだ。ある意味おじさんの方が自分の心の中をちゃんと表現しているような気がした。

 そして、優子はおじさんと同じように、無言でドアを開け、外へ出て、しっかりと最後までドアを閉め、出ていってしまった。


 そのドアを閉めるまでの過程をしっかりと見届けた彼女の両親はまたお互い顔を見合わせた。表情はさっき顔を合わせた時とは違う、ネガティブなものであるような気がした。そのネガティブな表情が彼らの本当の表情なのだろう。その表情に見合った言動を対象である優子に与えなかった彼らは本当に何のつもりなのだろうか。


「大丈夫…よね?」

「…大丈夫…なんだと思うよ」


最終的には彼らが言ったことは「大丈夫」という三文字だった。正直僕は彼らのことについて疑問しか感じない。


 優子の様子は明らかにおかしい。今まで普通にしゃべっていた彼女が突然喋らなくなり、反抗するようにもなり、隠れて泣いている。泣いていることを知らないのは百歩譲るとして、見せる言動がおかしいという問題に立ち向かおうとしないおじさんおばさんは何がしたいのだろう。その問題と向き合うかと思えば、顔を見合わせ、お互いに「大丈夫だ」と半ば強制的に自分たちを安堵させるこの状況。


 優子と両親は明らかにすれ違っていた。僕たちと人間の関係でいえば、人間が僕たちを見つけたのに、殺そうとせず、そのままほったらかしにしている状況と似ている気がした。このままほったらかしにしていたら、どんどん僕たちの数は増え、数々の問題が浮上することになる。そのことを知っていて、ほったらかしにするおじさんおばさんの気が知れない。僕たちのことを自虐で扱う自分も気が知れないけど。


「大丈夫」の三文字によって、彼らはいつもの手慣れた作業に戻ることができた。


 その姿を見て、人間はそういうものなのかと思う自分がいた。

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