第1話 オノゴロ島
永遠ともいえる
それからいくばくもせずに、はたと天界に生まれ出るものがあった。左から見れば男、右から見れば女。男でも女でもないそれは、名を
天之御中主神はあたりを見まわして呟いた。
「なんもないねえ、ここ……」
「……ていうか、ぼっちじゃん」
世界はただただ広いばかりでなんの気配もなかった。天之御中主神はぽつんとひとりぼっちだ。しかし、瞬きをした次の瞬間に、ふたりの神が生まれ出た。
ふたりは天之御中主を認めると、即座に片膝をついて低頭した。ひとりは
神Aが頭をさげたまま慇懃に口を開いた。
「天界を統治し天之御中主神さま、貴殿におかれましては、益々ご清栄のこととお喜び申し上げます。つきましては――」
「ちょっと待って」と天之御中主神は神Aを制した。「堅苦しい挨拶はなしにしようよ。
口上に割って入られた神Aは、
「じゃあ、
すると、神Bが「おいっ」と神Aを睨めつけた。
「なんだその口の利き方は。不敬だぞ」
不敬だろうがなんだろうが、堅苦しいよりはよっぽどいい。天之御中主神は神Aの提案を快諾した。
「いいよ、いいよ、天之ちゃんって呼んで。覚えにくい名前って、神さまあるあるだよね」
ざっくばらんな関係を求めたおかげだろう。天之御中主神はすぐにふたりと打ち解けることができた。三人揃って根っからの酒好きというのも、意気投合を早めた一要因かもしれない。
ところで、天界の
ふたりは頭上を仰ぎ見ると、いっきに天界まで飛びあがった。天之御中主神はそのとき、神ABと酒を
「はじめまして、
「どうも、どうも、
愛想よく挨拶してきたふたりの名前は、神Aと神Bに負けず劣らずの覚えにくさだ。天之御中主神はふたりを神C、神Dと呼ぶことにした。
「あ、お酒飲んでるんだ。いいなあ」
「美味しそう。仲間に入れてくれない?」
神CとDのふたりも無類の酒好きで、天之御中主神たちとすぐに親しくなった。
天之御中主神を含めたこの五人の神は、のちに『
あるとき、天之御中主神は超絶大神五柱戦隊のメンバーを誘って、いつものように酒盛りを開いていた。すると、神Aが手酌しながらこんなことを言いだした。
「前々から思ってたんだけどさ、身体があるのって、ちょくちょく面倒だったりしない?」
天之御中主神も以前からそう思っていた。神Aに同意する。
「確かに面倒だよね。毎日着物を着たり脱いだりしてるけど、そういう手間も身体がなければ必要ないし」
他の神も身体に不満を抱いていたらしく、天之御中主神に追随した。
「あー、わかるわー。毎日の繰り返しだから、ほんとに面倒くさいよね」
「面倒くさいだけじゃないよ。身体があるだけでつらいことも増えるよ」
「そうそう、それなー。実害があるんだよなー。寒かったり暑かったり、痛かったり痒かったり。病気なんかもそうじゃん。身体さえなければ、ほとんどの苦痛を感じずに済むんだよ」
身体への不平は尽きない。しばらくみなでぼやき合っていると、神Aが「そうだ」と
「ねえねえ、天之ちゃん」
神Aは天之御中主神に訊いた。
「最初に生まれ出た神さまだけあってさ、天之ちゃんの神通力って半端ないじゃん。超絶大神五柱戦隊の中でもずば抜けて一番だし。その神通力をちょいちょいと使ったらさ、身体を捨てて魂だけになれたりしない?」
「あー、魂だけにね。それ、いいかもね。たぶん、できると思うよ。試しにみんなで身体を捨てちゃう?」
他の四人が揃って頷いたのを確認した天之御中主神は、ちょいちょいと神通力を発動した。たちまち五人の身体は消えてなくなり、希望どおりに神霊だけの存在となった。
そのときだった。突として神さまビッグバンが起きた。姿を消した天之御中主神たちとは裏腹に、新しい神が次から次へと生まれ出たのだ。
まずはふたりの神が続けてポンポンと出現した。次に男女一対の神が五組誕生した。それらの神は天界に住まう
この国津神たちを合計すれば十二人だが、最初のふたりはひとりで
また、神セブンの最後に生まれた出た男女一対の神は兄と妹だった。兄の名はイザナギといい、妹の名はイザナミといった。
イザナギはすらりとした長身の持ち主で、切れ長の目が精悍な印象を与えていた。イザナミは小柄でどこかあどけないが、白い肌には得も言われぬ美しさがあった。ふたりは魂を共有しているかのように仲が良く、いつも寄り添い合っている一心同体の
◇
淡い青空が広がる日の午後だった。イザナギは
さてと……
イザナギは心の中でそう呟きつつ、天の浮橋から地上を見おろした。その手には槍にも似た
四半刻(三十分)ほど前のことになる。イザナギはイザナミと連れ立って天界まで足を運んだ。突如地上に現れた天之御中主神の
間もなくしてイザナギたちが天界に着くと、天之御中主神は大地にあぐらをかいて、
「お久しぶりっすね、
イザナギが片手をあげて挨拶すると、隣りにいるイザナミも挨拶をした。
「こんにちは……」
しかし、いつになく声が低かった。イザナミは酔っ払いが苦手だ。酒臭い天之御中主神をよく思っていないのだろう。
そんなこととは露知らずの天之御中主神は、赤い顔をにっこりと崩すと、イザナギたちに労いの言葉をかけた。
「お疲れさま。天界くんだりまで呼びつけちゃって申しわけなかったねえ」
「いえ、全然大丈夫っすよ。それより、俺たちになにか用っすか?」
「うん、そうなんだよ。君たちに折り入ってお願いしたいことがあってね」
天之御中主神はお
「今ってさ、地上になんにもないじゃん? いかほど土地が余ってんのよって感じで、どこもかしこも空き地だらけなんだよね。だからね、超絶大神五柱戦隊のみなと話し合って、国を作ろうってことになったんだけど、その大役を君たちに任せようと思ってるわけ。
半ば押しつけるように天沼矛を差しだしてきた天之御中主神は、最後に「じゃあ、よろしくね」と言い残してさっさと姿を消した。重要な案件を託された言えば聞こえはいいが、面倒事を体よく押しつけられたにすぎない。
しかし、天之御中主神は腐っても天界を統べる神だ。その最高神の言いつけを無下に断れば、恐ろしい神罰をくだされ兼ねない。
「自分はお酒ばっかり飲んでるくせに、私たちには無茶なことをさせるんだから。こんなのほとんどパワハラだよ」
イザナミがそうぼやくのももっともではあるが、やはり最高神の命令を反故するのは憚れる。
イザナギは改めて天の浮橋から見おろし、眼下に広がる地上を確認した。油のようなものがドロドロとうごめいているだけで、陸地のらしきものはどこにも見あたらなかった。
イザナミが浮かない声で尋ねてきた。
「お兄ちゃん、どうするの?」
地上の未熟さは話に聞いていた以上だ。そこに国を作れと命じられて、イザナミは困惑しているのだろう。しかし、イザナギにはある考えがあった。
「まあ、俺に任せとけ」
イザナギはイザナミの頭をぽんぽんと叩くと、油じみた地上に天沼矛を突き刺した。どうやら、矛先から伝わってくる感触から察するに、脂の主成分は海水のようだ。だから、ときおり潮の匂いが漂ってくるのだろう。
海水をコロコロとかきまわしたイザナギは、天沼矛をそっと慎重に引きあげた。やがて、天沼矛の先から滴り落ちた潮が、積もり積もって小さな島を形成した。のちにその島はオノゴロ島と呼ばれるようになった。現在の淡路島の南西に浮かぶ
島を目にしたイザナミは、イザナギの腕に抱きつくと、甲高い声をあげてはしゃいだ。
「凄い、お兄ちゃん、島ができてるよ! もしかして、お兄ちゃんって天才なの?」
「そりゃあ、俺だからな。天才だろうよ。けど、国づくりはここからが本番だ。島におりるぞ」
言いながらイザナミをお姫さま抱っこすると、耳もとで小さな悲鳴が「きゃっ」とあがった。見ればイザナミの頬が赤らんでいる。かわいいやつだ……。イザナギそう思いつつ、ひらりと島におり立った。
【第二話に続く】
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