第5話

 その後の後日談といえば、言うに堪えないありさまだった。私は見事、不純異性交遊で学校から一週間の停学処分を受け、卒業までの一年、男子からは英雄としてたたえられ、女子からはさげすみの目を向けられた。人生初の恋人となった加原涼子は、私の顔を見るたび、嫌悪とも取れるような目を向け、口すらも聞かなくなってしまった。

 バラ色学園生活から一転、灰色学園生活を送るようになってしまった俺が、そのきっかけともいえる葵みさとから突然の呼び出しを受けたのは、卒業式も終わり、大学も決定した、三月も終わりの頃だった。

「おはよう、ハル。元気にしてた?」

「元気も何も、大学の下宿の引っ越し準備で忙しいよ」

「ごめん。少し、付き合ってもらいたくって」

 俺は葵と並んで、どこかに向けて歩き出した。

「大学、どこだっけ?」

「東京のT大。葵は?」

「N芸術大学」

「え?お前が芸大?似合わないよな」

「ちょっと、ひどいよ、それ。しょうがないじゃん。わたし、カメラの勉強したいんだから」

「……よくやるよな」

 俺と涼子との問題の現場で大破したカメラはその後、時代の波に乗れない旧型カメラだからという理由で、見事新しいカメラに代替わりしたらしい。

「ここら辺、小学校の頃よく通ったよね」

「なつかしいなあ。あの、山辺の神社で遊んで。暗くなるまで遊んでたら、よく怒られたよな」

「そうそう。ハルって、神社までの階段でよくころんでたよね」

「そうだっけ?」

「そうだよ。それで、いつもひざにかさぶたつくってた。」

 クスクスと笑う彼女の首からは、少し小さめの、けれども、彼女の手からすれば少し大きめのカメラが下がっている。

「あのころはまだ、カメラとか、全然興味なかったなー。走りまわってる方が楽しかった」

「そういえば、どこに行くんだ?今から」

「うん、懐かしいところ」

 気が付けば、俺たちは山のふもとの一の鳥居の前についていた。

「久しぶりに、競争でもする?」

「やめようぜ、小学校の頃とは違って、今はもう、俺のほうが早いし」

「そう?わたしはたぶんハル、真ん中くらいで派手に転びそう」

「あー、もう。引っ越し近いから、本当にケガしたくないんだよ」

「引っ越し、いつ?」

「明々後日」

「早いんだね、意外に」

「しょうがないだろ?入学式が早いんだし、いろいろとやらないといけないこともあるし」

「……そうだよね」

 小学校の頃とはかわって、いつの間にか、俺のほうが先に階段を上っていた。

「やっぱり、競争、しない方がよかったね」

「ほら、葵。手、かすよ」

「あ、ありがとう」

 お互いがぎこちなく、手を握った。

「手、こんなに大きかったんだ」

「え?なにか、言った?」

「ううん。何でもない」

「あと少しだ、葵。上が見えた」

「うん」

 久しぶりに、葵と二人で、この神社を上った。無人の神社は定期的に地域の人の手が加わり、古汚さはそのまま、荒れることもなく、あのころと同じ姿を保っていた。

「目的地って、ここ?」

「うーん、もう少し奥なんだけどね、ここからはさ、ちょっ……あれだから、これ、目隠しにつかってくれるかな?」

 そういって渡されたのは、少し大きめのハンカチだった。

「わたしが、いいよ、っていうまで、つけててくれる?」

「なんだよ、あやしいなあ」

「いいから」

「……わかったよ」

「大丈夫。きっと」

「ほら、つけたぞ」

「じゃあ、ついてきて」

 彼女は俺の手をやさしく握って、ときどき足元に気を付けてくれながら、俺の手をゆっくりと引っ張った。

「……あのさあ、ハル。今でも四月のこと、怒ってる?」

「怒ってるっていうか、あれはさあ、俺が悪かったわけだろ?だから、別に……」

「あの時ね、わたしが、カメラを落とさなければ、ハルは加原さんとうまくいってたのかな、とか思ったこともあって」

「もしかしたら、だろ?そんなこと気にしてないし。どうせ大学も違う結果になったんだから、結局はわかれたかもしれない。……ていうかお前、北乃先輩と、付き合ってたんじゃないのかよ」

「そんなこと考えてたの?確かに仲が良かったけど、付き合ってたわけじゃないよ。それに、北乃先輩さ、きれいな彼女がいるんだよ?」

「そうなのか⁉本当に抜け目ないな、あの人」

「ははは。……はーあ。本当に、ハルはやさしいね」

「そうか?」

「そう、なんだよ。だから、つらいの」

 葵の少し悲しそうな声が、俺の心をちくりと刺した。

「そういえば、ハル。写真、見てたりしてないよね」

「なんのだ?」

「……じゃあいい。何でもない。もういいよ。はい、目隠し、とって」

 急に止まった葵の手が、静かに離れた。

「あ、ちょっと待って。もう少しこっち。……うん、ここ」

「もういいのか?とるよ」

「どうぞ」

 心地よい春の風が、ほほをくすぐった。

「どう?」

「うわ……すごい」

「これをね、見せたかったんだ」

 山の腹のところどころから吹き上げられた、白色の小さなものが、春の暖かな光を浴びて、きらきらと輝いていた。それらはやさしい風を受けて、ひらひらと山の谷間を抜けていった。それが桜だと気付くのに、いくらかの時間が必要だった。

「ハル?」

「すごい……本当に、すごい。知らなかったな、こんなところがあるなんて」

「きれいだよね。もったいないくらい」

 葵は指を重ねて作ったフレームを覗きながら、静かに言った。

「ハルって、わたしのこと、もう名前で呼んでくれないよね」

「そうだったっけ」

「そうなんだよ」

 ははは、と、葵は笑う

「たぶん、最後になると思ったから、ハルと見たかったんだ」

「どうして?」

「だって、わたし……」

「え、なんて?」

「何でもない。それよりさ、今日くらい、名前で呼んでよ。昔のよしみでさ」

葵は少し微笑みながら、やさしく俺を見つめていた。

「はあ。わかったよ、」

 俺は観念して、葵を見つめた。

 腹をくくって、息をすって、そして――。

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