第4話

「手荒な真似をしてしまい、申し訳ありませんでした。」

「いいえ、顔をあげて?」

彼女の家を離れて、ようやく男はその歩みを止めて私に向き直った。


 顔はどうあれ、彼のその所作はお貴族様顔負けのものであったため、私は自分の薄汚いドレス姿を恥じた。

「それに、私と貴方は同じ年よ?畏まった敬語もいらないわ。」

そう私が声を掛けると、彼は目を大きく見開いて驚いた。私は先程まで無表情に等しかった彼が、このような顔もするのかと私もつられて驚いた。

「そう、だったのか。落ち着いていたものだから、つい。」

それはきっと、私のふてぶてしさによるものだと思う。

「いえ、このような服装だからよく言われるわ。でも、私も貴方の年齢を聞いた時には驚いたわ。」

「それは、どういった意味で?」

そう聞かれてしまっては、ジョンよりも落ち着いているからと答えるしかないと思っていた私は慌てて言葉をひっこめた。もし、彼がジョンのことを知っていたら?そんな考えが浮かび、私はとっさにごまかした。

「貴方も、私より数段落ち着いているんですもの。」

そう口にすると、彼はまた薄く笑った。

「そうか。でもごめん、あれは演技。どうにもああいった場所は苦手でね。」

「あら、そうなの?」

「でも、君ともっと話がしてみたくて。迷惑でなかったら、私と友達になってくれないか?」


 友達。そうよ、そうよね。そんないきなり恋人を望むなんてどうかしているわ。私はそう自分を叱咤して、彼を見つめた。ジョンとは違う、男性の友人ができるなんて何年振りだろう。

「私でよければ喜んで。」

「よかった、これからよろしく。」

「ええ、こちらこそよろしく。」


 それから私達は、彼がよく通っているという酒場に立ち寄った。

そこは意外にも、私の家の近くに存在していた。けれども、人を寄せ付けない雰囲気を醸し出しいかにも高級感漂う外観をしていたため、私一人で訪れるのはきっと無理だろう。彼に連れられてその店に初めて足を踏み入れた私は、外観とはまた違ったその雰囲気の良さに驚いた。客は少ないものの、落ち着いていてどこかシックでお洒落な酒場。彼曰く、ここは招待制の隠れ家なのだそうだ。

「いらっしゃいませ。本日はいかがなさいますか?」

この気難しそうな顔をしたおじ様が、ここの主人らしい。

「今日は軽いものを。あと、彼女にサービスを。」

「かしこまりました。」


 仕切りのある席に案内されてからも、私はきょろきょろと店内を見渡してしまう。そんな私を彼は小動物の様だ、と口にして笑った。どうやらよく笑う男らしい。

「ここは私がこちらに来た時に偶然紹介された店でね、とても雰囲気がいいんだよ。」

「ええ、そうね。内装もとても素敵だわ。」

やがてウェイターが飲み物と軽食を運んできた。軽食と言えども、私はあまり多くは食べれないため、残してしまおうかどうか悩んでいると向かいの席の彼がひょいとそれらを奪っていった。

「私は食べることが好きなんだ。」

「そうなの?」

「ああ、甘いものも好きだから今度いいお店を紹介するよ。」

「本当?嬉しいわ。」

彼との談笑はとても楽しいものだった。

 

 二人になった途端、彼は驚くほど言葉を発していく。

 先程までとのそのギャップに、私はどちらが本当の彼なのかと考えてしまうほどに。いつしか話は進み、私は彼に休日に共に出掛ける予定を持ちかけられていた。

「でも、私も労働者の身。休みはそう多くはないの。」

そう曖昧な返事をしてみたものの、彼はにこやかな顔を崩さない。

「大丈夫だよ。私も学生だから、目途が立ったら君には手紙を送るよ。」

「でも、そんなの悪いわ。」

「どうして?私達は友達だろう?」

「そうだけど、私は頭も良い方ではないし、その…。」

「じゃあ、こうしよう。私が君に便箋をプレゼントするから、君から手紙を出してほしい。」

彼は思った以上に強かな男だった。言われるがまま互いの住所を交換し、私はその達筆な字で書かれたメモをしげしげと眺める。彼はジャケットの内ポケットにしまい、そしてまた満足そうに笑った。けれども私は、それを嫌とは思わなかった。それによく笑う彼の顔は嫌いではなかった。

 

 食事もそこそこに、そろそろ帰らなくてはと私が切り出すと彼は少し残念そうな顔をしてウェイターを呼んだ。

「もっと話していたいけど、それはまた今度。」

「ええ、そうね。」

ウェイターにちゃっかり私の分まで支払いをして、それと引き換えに何かを受け取っていた。

「はい、これは君に。」

そう言って、彼は受け取った可愛らしい花を一輪、私に差し出した。

「いいの?」

「ああ。今日の記念にでもしてもらえると嬉しい。」

「記念?」

「ああ、私と君が出会った記念に。」

「あ、ありがとう。」

私はその時、顔が熱くなるのを感じた。お酒は口にしていないはずなのに、恥ずかしくてそれから彼の顔を直視することが出来なかった。


 店を出ると、涼しげな夜風がふいていた。

「もう暗い、家まで送るよ。」

しかし、私は一人になりたかったので彼に断りを入れて、店を出たところで彼と別れた。

「じゃあ、気を付けて。便箋を送るから。手紙、書いてね。」

「ええ、今日はありがとう。おやすみなさい。」

 ありきたりな返事をして、私は浮かれ足で家についた。

 

 そしてすぐに名も知らぬ可愛らしい花を花瓶にさし、ずっと握りしめていたメモをゆっくり広げては彼を現したかのような繊細な文字をなぞった。


 赤毛の彼は、大学でこの国の歴史を学んでいると言っていた。クラブには入っておらず、時間があれば本を読みふけるか図書館に通っているらしい。そしてよく笑い、よく喋る。そんな彼のことを、私はもっと知りたいと思った。


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