第3話

 彼女の旦那が戻ってきた。

 そのことにより、私は彼女の家を去った。旦那は礼としてあらゆる食料を私に贈ろうとしたが私はやんわりと断った。その代わり、またいつでも泊りに来てくれとのお許しをいただいた。


 そして反対に、私もいつかは彼女を自宅に招くことを約束した。彼女は少女の様に喜んでいた。

 私はそんな二人を見て、なんとも言えない気分になった。



 私は今まで通りの、けれども少し色づいた世界で生活をしていた。

 あれからジョンとの遭遇率は格段に減ってしまったけれど久々に顔を合わせた彼は艶々としており、幸せそうに彼女との間に起きた出来事を語っていた。

「ごめんなさい。もっと聞きたいのだけれど時間が足りないわ。」

「ああ、ごめんよ。お互い、今日も頑張ろうな。」

「ええ、頑張って。」

 しかし、私の心を巣食う醜い思いはどうにも消えそうにもなかった。

表面では、いくらでも表情をつくることはできた。けれども、楽しそうな彼のその奥の彼女に嫉妬する。私の知らない彼をいとも簡単に引き出してしまう彼女が、憎かった。そしてそんな彼女のことを思う彼もまた、愛しくもあり憎くもあった。


 そんな私の心を紛らわすのは、やはり労働だった。

 同僚の彼女は、あれ以来私との距離を以前にもまして縮めてきた。だからこそ、私はある日の休憩時に思い切ってこれまでのことをぽつりぽつりと彼女に語り始めた。まるで私が夜寝る前にページを捲る童話を聞かせるように、彼女は私の言葉一つ一つに興味を示して目を輝かせたり時には瞳を震わせたりしていた。

「貴女も、辛い恋をしていたのね。」

そう彼女に言われて、初めて私は彼女に抱きついて涙した。

子どものように泣きじゃくる私を、彼女はその細い身体で抱きとめて以前私がしたように優しく撫でてくれた。


「けれども、まだ彼のことは諦めきれないのでしょう?」

まるで自分のことのように、彼女は困ったような笑みを浮かべた。

「ええ、頭では理解しているのに。いざ彼の姿を見てしまうと…。」

そして私もまた、今までの涙が枯れるまで彼女に抱きついた。

「でも、それが恋なのよ。」

彼女は少女のように笑った。


 しかし、いつまでも引きずってはいけないと彼女は私を奮い立たせて「恋には恋で塗り替えましょう。」と、なんとも能天気な提案をした。

「正気?私にはジョンしか見えないのよ?それに、恋といっても男性の知り合いなんて私にはこれっぽっちも。」

「大丈夫よ、私の親戚や旦那の人脈があるんですもの。」


 そしてあれよあれよという間に、休日のお茶会が開催されてしまった。

 彼女は、驚くことに魔女や香水女も誘っていたので就業のベルが鳴ると同時に三人で彼女の家へと向かった。道中、彼女達と以外にも馬が合うことに気付いてしまったのはまた別の話だ。


「いらっしゃい。さあ、素敵な殿方がお待ちよ?」

 彼女の庭に誘われて、私達は息をのんだ。想像していたよりも、華やかなその茶会の場に私達はあまりにも不釣り合いな格好に思えた。貴族の服を着た男女に、私達よりも年下かと思われる少年少女達、その保護者のような年代のご夫妻達、そして仕事終わりのような恰好をした農夫や下働きの女達。それに童話の中から出て来たかのような目麗しい男女、極め付けにはジョンが通う大学の制服を着た男女もいた。


 私は、頭が痛くなりそうだった。


「すごいでしょう?旦那様が張り切って、交流会にしてしまったのよ。」

私達は互いに顔を見合わせて、苦い顔をした。しかし、彼女はそんな私達には目もくれず、小奇麗なドレスを着て招待客への対応に追われていた。

「まあ、そんなに固くならずに皆さんとの会話を楽しんでください。」

旦那に声を掛けられて、私達は各々の名前が書かれたカードが置いてある席についた。


 私のテーブルは庭から奥まったところにあったため、席に着いた時には私以外の皆がすでに揃っていた。お貴族様はいないようで安心したものの、ジョンと同じ大学の制服を着た男性を見た瞬間私はどうにかなってしまいそうだった。

「遅れてしまい、申し訳ありません。」

一礼して席に着くと、皆温かく私を迎えてくれた。

「では皆さん、どうぞ楽しいひと時を。」

旦那の声により、各テーブルが華やいだ。


 右隣に、ジョンと同じ大学の私と同い年の青年、まだあどけない顔をした少年少女、学者をしているというおじい様、下働きをしているという女性、そして私の左隣に座る農夫と位置していた。はじめは各々の話で盛り上がったものの、時間が経つにつれ話題は尽きてしまう。


 おじい様は寝こけてしまい、それをからかうように少年少女が席を立って遊んでいる。下働きの女性は早々に時間だと言って帰ってしまったため、席に着いているのは私と左右の男だけだった。男達はどうやら口下手なようで、私が適当な話題を持ち出してなんとか話を繋げていたもののすぐに限界が来てしまった。やがて農夫も、仕事の時間だと言って席を立ってしまった。


 私もそろそろ帰ろうかと、俯いて考えていると右隣から声がかかった。

「お時間は、大丈夫ですか?」

その意図が読み取れず、私は右隣の彼の顔を見る。ジョンとは違い、お貴族様のように落ち着いた佇まいの彼はその赤毛の髪を風になびかせて私の返事を待っていた。

「その、大丈夫と言えば大丈夫なのだけれど…。」

私が曖昧な返事をしたにも関わらず、彼は薄く笑って私の右手を取った。そして驚く私との距離を詰めて、先程の時よりも少し低い声で囁いた。

「それでは、場所を変えましょう。」

私は彼に手を引かれるまま、同僚の彼女の家を出てしまった。


 彼女に目をやると、私達の姿を見るや否や笑顔で手を振ってくれた。人の間をすり抜けていく彼の後ろ姿を見つめる。そんな簡単に恋愛感情は抱けない、ましてや彼はジョンと同じ大学に通う同い年の青年だ。私の方は年齢を言い忘れてしまったため、きっと彼は私のことを年上だと思っている。けれども、私の右手を優しく引く彼の左手は、昔のジョンのものよりも少しだけ大きかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る