3-2

 生きていると、人って不思議だなと思うことが時々あったりする。それはテレビで見るような、びっくり人間のことではなく、誰しもが共通して持っている日常的で本能的な部分のこと。今のあたしは、そのことをひしひしと感じていた。


 意識が変わると認識が変わる。あれから二週間、インスタでなりすまされてることを知ってから、あたしの世界は徐々にその姿を変えていった。誰かがあたしに悪意を向けているという意識が、世界の受け取り方を変えたのだ。もしかしたら笑顔を向けて喋っているこの子の笑顔はあたしをバカにしてのことかもしれない。こっちを見て会話している男子たちは、あのアカウントについて下卑た妄想をしているのかもしれない。


 まるで世界の全てが敵になったかのような感覚。それでもあたしは、今まで通りのあたしであり続けようとした。だってそれが被害妄想だって分かっていたから。勝手に悲劇のヒロイン像を作り上げているのが分かっていたから。世界は変わってなんかいない。変わったのはあたしの意識。だからこそ、今まで積み上げてきたあたしを変えるわけにはいかなかった。


 とはいえ、沸き上がるネガティブな思考を止めることはできず、どんどん追い詰められていくような気にもなった。こんな最悪の気分にあって、こんなに自分を冷静に分析できているのもまた不思議だなと思う。


「あれ」


 数学の授業中、シャーペンの芯が切れたから詰め替えようとすると、筆箱から芯がなくなっていることに気づいた。ここ最近、なりすましを知る少し前くらいから物がなくなることがよくあった。

 最初は物忘れ激しいな~くらいに思っていたけど、ケンタローと一緒に探すころには違和感を感じていたし、なりすましのことがあってからは誰かに隠されてるんじゃないかと疑いを持つようになっていた。でも、誰がやったのかなんて分かんないし、大体その証拠すらない。そうである以上はあたしの過失だ。


 だってあたしはいじめられてなんかいないんだから。


 いくら認識が変わろうとも、その認識を認めさえしなければ、それは無いことと同じ。そうやって違和感や不快感や恐怖や怒りや動揺や苦しみや辛さや不安といったマイナスな感情を全て体のどこか奥の方に追いやることで、あたしはなんとか強がることができた。


「なあ泉、俺とセックスしようぜ」

「は?」


 放課後のまだ人がまばらに残っている教室で、帰ろうとしていたあたしを呼び止めた野田が、心底気持ちの悪い笑みを浮かべながらそんなことを言ってきた。


「いや、お前に頼めばヤらせてくれるって噂だったからさ~」

「キモ」


 野田が何を口走っているのか理解できないあたしは、動転しつつ素直に思ったことを口に出した。すると、野田の背後から笑い声が聞こえてきて、そこで男子たちが隠れてこちらを伺っている様子に気づいた。


「おい!話が違うじゃねーか!」


 野田はその背後を振り返って叫ぶと、笑って逃げ出す男子たちを走って追いかけていった。その様子はとても楽しそうに見える。あぁ、アレか。男子の間で流行ってる、じゃんけんで負けた奴が罰ゲームするってやつ。


 罰ゲーム?あたしがその対象?中学の時みたいな根暗なあたしがそうなるのはまだ分かる。でも今のあたしはあの時と全然違う。それはあたしの自信にもなっていたことだったし、こんなくだらないことの対象になるなんて理解できなかった。


 大体、野田はなんて言ってた?頼めばヤらせてくれる噂?どうやらそういうものが生徒の間では流れてるらしい。心当たりはあった。あのアカウントだ。今まであのアカウントの存在はあたしに悪意を向ける存在がいることの恐怖を植え付ける効果こそあったけど、だからといってそれが現実に何か影響を及ぼすようなものじゃないだろうと、どこか楽観視していた。


「真衣ちゃん、大丈夫?」


 まだ教室に残っていた日向が呆然としていただろうあたしに、心配そうに声を掛けてくれる。


「ごめんね。あんな酷いこと言われてたのに見過ごす感じになっちゃって」

「ううん。ありがとう」


 日向の心配に感謝すると、他の子も声を上げ始めた。


「マジで男子ってサイテーだね」

「いくら真衣がギャルっぽいからって…」

「真衣がビッチなわけねーだろ!」


 多分あたしのために怒ってくれているのだろうが、その子の言ったビッチという言葉はあたしに強烈な印象を与えた。別にメイクしてるのも、髪を染めてるのも、服を着崩してるのも男を惹き寄せるためにやってるわけじゃない。でもそれらが、こんな些細なことでビッチという烙印を押されるには十分な材料になることを思い知った。


 そんなことがあって、日向たちは憂さ晴らしに遊びに行こうと誘ってくれたけど、あたしはどうしてもそういう気分になれなかった。日向たちが教室を出ていくのを見送った後、あたしの頭にはある場所が浮かんでいた。美術室。ケンタローのいるあの美術室に行きたい。そう思うと自然に足は動き出していた。


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