3-3
美術室の扉を開ける。教室には人の気配がない。けれど、教室の後方、窓側の場所にキャンバスがぽつんと設置されていた。教室の席といい、ホントにこの位置好きなんだなぁと可笑しく思いながらキャンバスに近づく。見ると、キャンバスには色のない花が描かれていた。
「これってもしかして、向日葵?」
確かケンタローは向日葵の絵がうまくいかないと言っていた。前に見た絵はちゃんと色が塗られていて一目でそれが向日葵だと分かった。だけどこの色のない花は、まるで向日葵になる前の石像のような硬さが感じられた。
「どうだい?色がないだけでずいぶん印象が変わるだろう」
「そうだね、ってうわあ!?」
突然かけられた声にびっくりする。見ると美術の川端先生が横に立っていた。あれ、いつからそこに?あたし、教室には人の気配がないって言ったよね!?
「先生、びっくりさせないでよ~」
「ほっほ。こればかりは私の趣味というか生きがいにも近いことなのでね」
この先生、人の良さそうなおじいちゃんに見えて、どうやらかなり悪趣味なようだ。
「そういえば先生、ケンタロー知らない?」
「ああ、並木君ならもう帰ったよ」
「え?でも、これケンタローの書きかけに見えるけど」
「よっぽど集中してたのだろうね。突然立ち上がったかと思えば何かぶつぶつと呟きながらカバンを持って出ていったよ」
「あはは!何それ~」
その光景を思い浮かべると、あまりにもケンタローらしすぎて可笑しかった。そんなあたしの様子を見た川端先生はふっと笑う。
「もしかして並木君に何か用事があったのかな?」
「へ?あ、あぁ、いや別に用事があったわけじゃないけど…。なんか、元気にやってるかーいみたいな?」
「ほうほう」
川端先生は、非常に興味深いものを見たというような感じで頷いていた。
「何、そのリアクション…」
「ああいや、二週間前くらいの週明けかな、面白いものを見てね。並木君、美術室に来た途端に『これは違う』とか言って描いてた絵を破り捨てたんだよ」
「え!?」
「それはもう淡々とね。それからまた描きはじめたのがコレ」
川端先生はキャンバスを指差す。あたしはケンタローが絵を破り捨てたりするのをかなり意外に思った。なんか破壊とか似合わなそうだし。
「そういえばケンタロー、向日葵の絵がうまくいかないとか言ってたっけ。でもあたしはあれで十分綺麗だと思ったけどなあ」
少なくともクラスのボッチという印象が、がらりと変わるくらいには上手だった。
「…完成された美」
「え?」
「以前、並木君が受賞したそこそこ権威あるコンクールで彼の作品が獲得した評価だよ」
「へー」
コンクールだとか芸術だとかよく分からない私にとっては、なんとなく凄そうくらいの相槌しか打てなかった。そんな様子を見た川端先生はクスリと笑って付け足す。
「ちなみに受賞者の作品は数十万単位で取引されることもあるよ」
「すご!十万もあったら好きな洋服も買えるし、ケーキ食べ放題だし、太鼓の鉄人もやり放題じゃん!」
「ほっほ。欲望に忠実なのは見ていて気持ちがいいねえ」
「え、じゃあケンタローって実は金持ち?」
いつも眠りこけているその懐には莫大な富が隠されていたのか。
「いや、彼は自分の絵で取引しないから、絵で稼いだことは一度もないよ。なんでも家に保管しているそうだ」
「もったいなー」
「それどころか並木君、絵の材料を揃えるためにアルバイトもやっているみたいだし。案外将来は普通に働いているのかもね」
普通に働くケンタロー…。その時までに寝ることがお金になるビジネスが確立されていればワンチャンあるかもしれない。
「でもそんな賞もらって、完成された美?なんて言われるなんてすごいじゃん」
素直に感心すると、川端先生は含蓄のある響きを持った声で言った。
「芸術家にとって、完成は死なんだ」
「死…」
「泉君の言う通り、それは良い意味で使われることが多い。げに素晴らしきもの、最上のもの、とかね。でもそれは、これ以上の物がないという限界でもあるんだよ」
あたしはその限界という言葉がなんだかすごく嫌だった。
「まあ彼はそんな言葉の裏を読むようなタイプじゃないし、受賞自体どうでもいいことだと思ってるだろうけどね」
「じゃあなんでコンクールなんかに出たの?」
「多分、あれは彼にとっての新しい試みというか一種の挑戦だったんだ」
ふと、ケンタローがあたしを知るために誘いに乗ったと言っていたことを思い出した。
「もしかしたらコンクールの評価を待たずとも、彼は無意識的に自分の世界の限界を悟っていたのかもしれない」
限界を超えるために挑戦する。あたしはケンタローの人間らしさに触れた気がした。
「そんな並木君が完成した絵を破り捨てるなんて、なんだか胸が熱くならないかい?」
あたしはなんとなく分かったようなそうでもないような、ただケンタローが絵を破り捨てたことに何とも言えない興奮を感じていた。
「環境の変化か心境の変化か、なんにせよ彼の中で劇的な何かがあったのかもしれないね」
自然と夜の公園での出来事が思い出される。あたしはなんとなく気恥ずかしく思いながらも劇的な何かってやつに心当たりがある気がした。そんなあたしの心中を知ってか知らずか、川端先生はこちらにニッコリと微笑みかける。
「並木君は少し変わっているかもしれないけど、これからも仲良くしてあげてね」
「うん、まあケンタローにはあたしくらいしか友達いないしね~」
まるで親が小さな子供に向かって言うようなセリフ。あたしはそれに対して、おどけたように返事をしたけど、内心はどこか照れ臭い気分だった。
川端先生に挨拶をして美術室を後にする。ケンタローには会えなかったけど追い詰められていた心が少し軽くなったような気がした。完成した絵を破り捨てたケンタローは今どこで何をしてるんだろう。あたしとの会話から何を感じてくれたんだろう。
あれからケンタローに迷惑かかるかもと思ってクラスでは声掛けてなかったけど明日は話したいなと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます