3章 Reprobated Golden Wheel

 ケンタローとのデートの翌日、学校へと向かう足取りが久しぶりに軽やかに感じられた。


 久しぶり、なんていうくらいだから、ここ最近のあたしはやっぱり無自覚に何か思い詰めたりしてたのかね~と思う。今はもうほぼ誰も知らないあたしの過去の事、そして今のあたしの悩み。どうしてケンタローには打ち明けられたんだろう。


 まあ、あの世間知らずなとこが無害そうだったってのはあるかも。でも多分それ以上に、ケンタローに親近感を感じていたんだと思う。ケンタローは同情もアドバイスもしてくれなかったけど、あたしの生き方に好感を持ってくれていた。それは今のあたしにとってすごく嬉しいことだった。


 教室の後方のドアを開いて中に入る。するとそこから一番奥に見える窓側の席で、昨日一緒に過ごした奴が相も変わらず机に突っ伏していた。


 本人は全く気にしてなさそうだけど、学校生活のほとんどの時間を睡眠に費やしている姿は異様なものだった。みんな同じ時間に登校して、同じ教科書を使い、同じ授業を受ける学校という世界では、寝るという何でもない行為でさえ人の目を引いてしまうものだ。それでも絶対に眠り続けるあの胆力はどこから来るのか。

 いや、多分ケンタローのは天然だけど。


「あ、真衣ちゃんおはよう」

「おはよー」


 挨拶をしてくるクラスメイトに返事をしながら、その席へと前進する。そして無防備に曝け出した頭に、軽くチョップをかましながら声を掛けた。


「おっす」

「………」


 死んでいた。ケンタローはすでにここではない、イメージ的にはお花畑的なところに意識が飛んで行ってしまっているようだった。


 かつて授業中にもかかわらず眠りこけるこの男を数多の教師が叩き起こそうとした。ある者は丸めた教科書を振るい、ある者はシンバルの大きな音を浴びせかけた。しかしケンタローは起きなかった。業を煮やした教師陣は徐々にエスカレートしていき身の毛もよだつ責め苦を彼に与え続けた。それでもケンタローは起きなかった。


 やがて諦めた教師陣は、ため息交じりにこれはこういうものなんだと処理するようになり、現在に至る。その逸話を称えて一部の生徒からははスリーピン・ファイターと呼ばれているとかいないとか。


 まあ、そんな絶対に起きないある種の無敵モードに突入したケンタローにこれ以上話しかけても無駄だろう。どこか愉快な気持ちになりつつ、あたしはよくつるんでいる友達グループに足を向けた。


「おはよっ」

「お、おはよう…」


 あたしが声を掛けると、グループの一人である日向がどこかオドオドした様子で挨拶を返してきた。


 日向を一言で言い表すなら、控え目な可愛い女の子といったところだろうか。腕の良い美容師に手入れされていることが分かるブラウンヘアーはショートボブに整えられている。血色の良い丸顔にその髪型はよく似合っていて、小さな体つきも相まって愛らしい印象を抱かせていた。

 そんな日向は比較的明るい子で構成されるこのグループにおいてあまり自分の意見を主張するような子ではなく、それゆえに控え目だな、と思っていたのだ。


 しかし、いくら日向が控え目とはいえ、さっきの挨拶はいささか暗すぎやしないか。何か違和感のようなものを感じたあたしは少しおどけた口調で日向に声を掛ける。


「え、なーんか暗くない?どうしたの?」

「えっ、そんなこと、ないよ…」


 ここまでくるとあからさまだ。日向は何か躊躇うような、言い淀むような様子を見せていた。


「何があるのか知らないけどさ、困ったことがあるなら相談してよー。友達でしょ?」

「う、ううん。別に私が困ってるわけじゃないの。…そうだね、ちょっとこっち来て」


 そう言うと日向はあたしを連れて廊下に出る。そして懐からスマホを取り出して、アプリを開いた。


 見覚えのあるその画面はインスタントグラムのものだ。インスタントグラムは若者の間で流行しているSNSで、通称インスタとして親しまれている。インスタの特徴は画像や動画が目立つような投稿ができることだ。利用者はそれを用いて何かを表現したり、交流したりすることで楽しんでいる。


 日向が操作を続けると、やがて一人のユーザーアカウントの画面が映し出された。あたしはそのプロフィール文を読んで驚愕する。


『まい 裏アカ エッチ大好き』


「何、これ」

「最近このアカウントがうちの学校の男子をフォローしてて…」


 はじめに断っておくと、あたしはインスタをやってるけど、こんなアカウントは知らない。だけど、プロフィールに使われているアイコン写真にはあたしが映っていて、フォローされた男子やそれに気づいた日向がこれを本物かもしれないと思い込むには一定の材料が揃っていた。


「確認するのもどうかと思うんだけど、これ真衣ちゃんじゃないよね?」

「当たり前じゃん…」


 言いながら、投稿された内容をチェックしていく。約二十枚ほどの画像はそのいずれも、胸を強調したり、太ももを写したきわどい写真や、ほぼ裸に近い写真もあった。これらはもちろんあたしの写真じゃないけど、中にはウチの制服が写っている写真もあった。


「いったい誰がこんなこと…」


 驚きが収まってきたころ、徐々に浮かんだ感情は勝手にこんなものを作りやがったどっかの誰かへの怒りではなく、そのどっかの誰かが分からないことへの恐怖だった。


「これ偽物なら、みんなにちゃんと言った方が良くない?」

「うん…。いや、ごめん。ちょっとあんまり大事にはしたくないかも…」


 日向は心配そうに声を掛けてくれたが、正直あたしは動転していた。誰かに悪意を向けられている感覚。それに気づくと、過去に置き去りにしてきた苦しい出来事がひたひたと背筋を這いあがってくるような気がした。


 そんなあたしにお構いなく、いつものように予鈴が鳴る。


「ありがとね、教えてくれて」

「なにかあったら相談に乗るよ?」

「ふふっ、あたしのセリフパクられちゃった」

「あっ、いや別にそんなつもりじゃ」

「ううん。ありがと」


 言いようのない恐怖を感じ始めている中で、日向が心配してくれるのは本当にありがたいなと思いながら、教室に戻った。

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