第2話

 SAS――英国特殊空挺部隊スペシャル・エア・サービス。名実ともに世界最高の特殊部隊だ。内部の人間はSASとは言わず、ただ〈連隊ザ・レジメント〉と呼ぶ。

 ほんの一月前まで、俺はその一員だった。

 最高ってのは身びいきでもないし、うぬぼれでもない。本当に最高なんだ。〈連隊〉に入るための選抜試験は世界一厳しく、落第した人間すら挑戦したことを讃えられる。入隊してから受けられる訓練のレベルも最高だし、あらゆる友好国の治安部隊がその技術を学びにやってくる。第二次大戦中にアラビア半島で創設されて以来、実戦経験も豊富だ。自国他国のきな臭い現場に秘密裏に投入されて、手際よく仕事を片付けて帰る。無口で、下品で、汗臭く、仲間に忠実な、プロの戦士の集まりだ。

 プロの世界というのはプロだけで成り立つから気持ちがいいが、そこに浸かっていると、世の中にはプロじゃない人間がいることを忘れがちだ。人生には、ときおりこんなアホがいるのかと思うようなアホが現れて、色々なものをぶち壊すことがある。俺が除隊する原因になったのもそういうアホだった。

 きっかけはトルコの首都、アンカラ。身分を偽って入国した俺は、ある作戦を慎重に進めていた。詳しくは言えないが、ある別の国と通じていることがほぼ確実な高級将校と「話し合い」の機会を持つことが俺の任務だった。現地に詳しい民間人の協力者とも綿密に計画を練り、いよいよ明日実行に移すというタイミングだった。

 その協力者が俺の写真を流出させた。

 不安を紛らわせようとしたのか、ラリったのか知らんが、SASの友人と!!絵文字絵文字絵文字、みたいなキャプションをつけて夜のカフェでの自撮りをインスタに上げたのだ。後ろにいる俺の姿はスタンプで隠れていたが、ピカピカに磨かれた窓のガラスに俺の顔が完璧に映り込んでいた。

 作戦行動中だぞ。まさかそんなことをする奴がいると思うか?

 気付いたのは朝起きてからだった。俺はめちゃめちゃに腹を立てたがどうしようもなかった。すぐさま上に報告すると、作戦は即座に中止。撤退を命令された俺は四時間後にはトルコを脱出していた。

 無事帰国できたものの、俺は厄介な立場に置かれていた。〈連隊〉のオペレーターは極めて秘匿性の高い任務に就いているため、顔バレを避けなければならない。SASのことを書いた本や記事を見ればすぐわかるだろうが、公開された写真は原則として目線やモザイクで顔が隠されている。SASに対して思うところのある奴らは決して少なくない。俺たちは顔が割れたら危険なのだ。

 もうオペレーションの第一線で働くことができないのは明らかだった。後方任務に専念するという選択肢は提示されたが、俺はあくまで現役でいたかった。

 理不尽な出来事だ。しかし責任は俺にある。人を見る眼がなかったのもそうだし、写真を撮られたことに気付かなかったのは完全な俺の手落ちだ。任務は失敗し、仲間がその尻ぬぐいをする羽目になったが、俺にはもう何もできない。

 これ以上〈連隊〉にいるわけにはいかなかった。だから俺は、二十年務めた軍を辞めた。

 俺の苦境を聞きつけた旧い友人や知り合いからは、うちに来ないかという引き合いをいくつももらった。民間軍事会社のオペレーター、兵器会社のオブザーバー、戦闘インストラクターといった仕事の口が多かったが、出版エージェントから本を書かないかというオファーもあった。どこで聞きつけたのか、大手の芸能プロモーターから冠番組を持たないかというメールまで来た。元特殊部隊隊員が極限環境でサバイバルをする番組はみんな大好きだから、絶対に視聴率を取れるとかなんとか。

 SASというステータスは辞めた後も効果絶大というわけだ。少なくとも当面食い詰める心配はしなくてもよさそうで、ありがたい話ではあった。しかし、俺はどの誘いに対しても、検討してから返事をするとだけ答えるに留めていた。

 正直なところを話すと、俺は傷ついていたのだ。俺は〈連隊〉で生まれ直し、〈連隊〉で生きてきた。SASは俺の人生とイコールであり、心ならずも除隊することになったことのショックは本当に大きかった。その痛みは、新たな職場の労働環境がどれだけ快適でも、どれだけ高い給料をもらえるとしても、そう簡単には癒やせない類のものだった。

 そういうわけで俺は、浮ついた精神が落ち着くまで、しばらくぶらつくことにした。その手始めがここ日本というわけだ。

 すぐに次の仕事を始めなかった理由はもう一つある。

 顔が割れた俺は、よからぬ筋からも目を付けられているはずだった。これは決して被害妄想じゃない。想像してみてほしい、元SASを拉致して人質にしたテロリスト組織が、英国政府をどれだけ困らせられるか。元SASをハニートラップで堕とした他国のスパイが、どれだけの極秘情報を搾り取れるか。もちろん俺はそう簡単に思い通りにはならないつもりだが、敵が思いとどまってくれるとは限らない。

 だから俺が英国を出てぶらぶらするのは、界隈の動向を見ながら、ほとぼりを冷ますためでもあった。現役を退いて数年も経てば、悪党どもにとっての俺の資産価値は下がる。

 そのつもりだったのだが――

 まさか最初から狙われるとは、びっくりだ。トルコ、アフガニスタン、南アフリカ、タイ……恨まれる心当たりはいくつもあるが、それにしたって想定より動きが速い。

 電話をかけるフリをやめて、俺はスマホをポケットにしまった。尾行を確認し、その場を離れるべきか、制圧すべきかを判断し、実行する――こういうことは何度もやってきた。背中に突き刺さる視線と殺気を感じながら空港内を歩く俺はもう、この状況にどう対処するかということしか考えていなかった。

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