7.イルムの過去

「二人と狼なら銀貨二枚だ」


「はい」


 差し出した銀貨を受け取った店主は、一〇四と書かれた鍵を俺に手渡した。

 俺は店主に軽く礼を言い、早く横になりたいようでうずうずしているイルムと、大きな欠伸をするメルカバを連れて部屋へと向かう。

 廊下の奥の方に位置する扉に一〇四と書かれているのを見つけ、中へ入ると同時、急にドッと湧き出る疲労に襲われた。

 まだ歩き慣れていない山道を丸一日歩き回ったり、デカいゴキブリと遭遇したり、宿探し回ったり、変なタトゥーだらけの託児所志望のヤバい人と遭遇したり…………そりゃこれだけ疲れる訳だ。

 と言うか、異世界に来て二日目なのにこれはハード過ぎないか?

 

 俺は異世界の過酷さに嫌気を感じながらリュックをベッドの傍に置き、質素だがどこか上品な物を感じさせる部屋を見回す。

 銀貨一枚は千円程度の価値らしいが、二千円でこのランクの宿に泊まれるというのは凄いな。本当は一万円程度の価値はありそうだ。

 そんな事を考えつつ、道中で買った三つの黒パンをリュックから取り出し、一つをイルムに渡す。

 

「これ硬すぎて偶に歯が折れることあるから気を付けてね」


「何で買う時に言わないの?」


 今度こそ怒ってやろうかと考えるも、てへっと舌を出すイルムにすぐさまそんな気が失せてしまうのだから不思議だ。

 足元で欲しい欲しいと喉を鳴らすメルカバに一つを咥えさせ、尻尾を振ってテーブルの下で食べ始めるのを見て、俺もパンに齧り付いた。

 イルムの言う通り、確かにこれは堅いな。これだと歯が折れてもおかしくない。

 更にもう一口食べようとすると、イルムが噴き出した。


「アハハッ! やっぱりバカだぁ。このパンって普通はスープとか汁物に付けて食べるのよ。流石に歯が折れる事は無いけど、硬すぎてそのまま食べようなんて普通考え無いわよ」


「……絶対やり返してやるからな?」


 イルムは適当に謝ると、キッチンへと駆けて行き、リュックに入っていた鍋に水を入れ、火を付けた。

 齧ってしまったパンをテーブルに置き、暇つぶしに撫でようとメルカバを探すと、


「お前は被害甚大だな」


 残り一口まで食べてしまい、ジト目をイルムの背に向けている姿を見つけた。

 仕方ない、一口程度ならくれてやるか。流石にかわいそうだからな。

 そんな事を考えつつもふもふな背中を撫でていると、遂に調理を終えたイルムが皿にスープを盛り付けていた。


「出来たよ。って言う事で、これでチャラにしてね」


「俺は許すけど、メルカバは許してくれ無さそうだぞ」


 俺の言葉でメルカバを見たイルムは、再び噴き出した。

 その反応に、遂に堪えきれなくなったメルカバが牙を見せて唸るが、イルムは。


「大丈夫、そんな事もあろうかと実はもう一つ買ってるから」


 そう言ってポケットから一つの黒パンを取り出した。

 それを受け取ったメルカバは、嬉しそうに尻尾を振り回し、頭を擦り付けている。

 ……もしかしてこいつってエサで簡単に釣れるタイプだったりするのだろうか?


「なあイルム、フォレストウルフって結構簡単に仲間になっちゃう感じの魔物だったりすのか?」


「優しくしたり、エサで釣れば簡単に懐くよ? こんな感じで」


「なるほどな?」


 こいつが俺に懐くようになった理由は、仲間を目の前で殺し、その後で普通に接したから優しくされたと錯覚したんだろう。

 何にせよ、こいつが他の誰かに絆されて持って行かれないようにしないといけない。いっぱい甘やかしておくか。

 そんな事を考えながら、俺はパンをスープに浸し、口に運んだ。

 うん、美味い。いつの間に塩を買ったのか知らないが、塩味が利いていて味気なくて硬かった黒パンが柔らかくなって食べやすく、そして美味しくなっている。

 対面に座るイルムを見ると満足そうに頷き、凄まじい速さで次々と黒パンを口に運んでいる。

 そう言えばまだイルムの過去の事を聞いていないな。食への執念深さもそこに原因がありそうだし、ちょっと聞いてみるか。

 

「イルム、俺まだ何で魔王に操られる事になったのかとか、過去のこと何も聞いて無いから話してくれない?」


「あー、そう言えばまだ話して無かったっけ。それじゃあ私が話したらアオトの事も教えてね」


「はいよ」


 イルムはスープを一気に飲み干すと居住まいを正して俺に向き直った。

 俺も思わず姿勢を正し、口の中の物を飲み込む。


「それじゃあ話すよ。って言っても、そんな長い話じゃないけどね」


「どんと来い」


「えっとね……私が傀儡状態になる前までは普通に冒険者をやっていたの。しかもAランクで、ヘルト皇国内ではそこそこ有名だったの」


 内容こそ自慢げだが、その声色は少し寂しそうで、そして懐かしむ様で。


「だからかな、私達が魔王軍幹部と遭遇しても戦おうなんて考えちゃったのは」


 何より悔しさが滲み出ていた。

 

「完敗だった。手も足も出ないって、まさにこの事を言うんだって実感するくらい、一方的にやられちゃった」


「私達って事は仲間が居たんだよな? そいつらはどうなったんだ?」


 俺の問いにイルムは悲しそうに首を横に振り、


「分かんない。気付いたら魔王城の中だったし。それで、私が操られるようになってからは黒髪の老人を何人も襲わされたり、私に用が無い時はずっと牢屋に閉じ込められ続けたの……」


 涙を見せて俯いた。

 そうか、そんなに酷い事になっていたのか。……黒髪の老人?


「なあ、もしかしてその黒髪の老人って、木ノ下さんみたいな人達だった?」


「うん、皆村長さんみたいな人だった。あの人達ってアオトと同じ国の出身なんでしょ?」


「まあな」


 しかも、こっちに来ていなければ年は一つ二つしか変わらない程度だったろうな。渡されたスマホも俺の持ってる機種と同じ最新型だったし。

 

「あれ、待てよ。何で十分程度で終わる話が村では何時間も続いたんだ?」


「ああ、私が殺しちゃった黒髪の人達の事を教えて欲しいって言われたから、特徴とか話してたら長くなったの。それと、その人たちは皆村長さんの知り合いだったみたい」


「……ほう」


 狙いはこの世界に来た日本人達か。

 ……何のためにもう戦う事も出来なさそうな老人を狙ったんだ? 寧ろ狙うんだったらどこ行ったか分からない三十五人のキチガイ達だろうに。

 思わず首を傾げる俺に、イルムが。


「私を操ってた魔王軍幹部の話だと、とにかくこの世界を支配する時に邪魔になりそうな人間を前以て駆除してるって言ってた。だから案外、ここでのんびりしてる暇なんて無いのかも……」


「案外俺も狙われてたりしそう」


「縁起でも無いから辞めて」


「ごめんなさい」


 真顔で怒られてしまった。

 何にせよ、今後俺が狙われる可能性が出て来てしまった以上、周囲への警戒は怠らないようにしなければならないな。

 ……寝込みの襲撃だけは勘弁願おう。

 俺は信じてもいない神に祈りながら、空になった全員分の皿をシンクに持って行く。

 すると扉が二度叩かれ、


「おい、四居いるんだろ? 早く出てこい!」


 今一番聞きたくない声が室内に響いた。

 どうしようか、ドアを開けた瞬間爆破されそうだし、裏から回り込んで無力化してしまおうか。

 

「あれ? 部屋間違えたか?」


 ……あいつ俺らがここにいるって情報は不確定だったのか。

 ならこのまま居留守を続ければ――


「ワンッ! ワンワンッ!」


 メルカバァ! 

 俺は慌ててその口を塞ぎ目で睨み付けるが時すでに遅く、


「おい! やっぱりいるじゃねえか、早く出て来やがれ!」


 借金取りのようなことを言いながらガチャガチャとドアノブを回し始めた。

 このバカ犬め、絶対に許さん。寝る時の抱き枕にしてやる。

 俺は何かを感じ取ったのかブルブルと体を震わすメルカバを、面倒くさそうな目をドアに向けるイルムに任せ、ゴブリンの棍棒を片手にゆっくりと近付く。

 覗き穴から招かれざる客の顔を見るとやはり、半田の悪人面がそこに映し出されている。

 ……あれ、こいつの顔、前まで見るだけでも怖かったのに今はそうでも無いな。寧ろ今すぐぶん殴りたいくらいだし、何かムカムカして来た。

 俺はすぐさま乱暴にドアを開け放ち。


「何の用だ。こっちは取り込み中だ」


「やっぱお前か。ちょっと面仮せよ」


「何で」


「俺含めた全員宿取れなくてよ、しかも金も無いんだよ。そのせいで路地裏で過ごす事になっちまった。しかも顔にタトゥー入れたヤバいやつに襲われて何人かは重傷だ。何でか分かるか?」


 自業自得じゃないのか?


「分かんねえのか? お前が俺達を村に入れないように言ったからこうなったんだよ。つまりお前の――」


「自業自得だ雑魚。帰れ」


 俺はドアに足を引っかける半田を棍棒の先で突き飛ばし、中指を立ててから閉めた。

 すぐにドアをバンバンと叩く音が響き始めたが、俺はそれを無視して片付けを始めたイルムの手伝いに加わる。

 

「良いんですか、あれ放置しておいて」


「後十秒もしたら消えるからヘーキヘーキ」


 何たって、さっき奇襲を掛けて来た”敵”を無力化した、託児所希望の優しい男が、宿に入って来ているのだから。

 恐らくあの人もここに泊るつもりだったのだろうな。それか俺達がここに泊る事が出来たと、誰かから聞いたのか。

 男は受付の立つ店主の元を離れ、こちらに向かって来ると。


「おいガキ、こんな夜中に何騒いでやがんだ。前歯を尻穴までめり込ませるぞ」


「す、すいません!」


 さっきまでの威勢の良さはどこへやら、凄まじい変化だ。

 

「てか、俺のダチが泊ってる部屋じゃねえかよ。覚悟は出来てんな?」


「ひ、人違いかと思いますけど……」


 あの人にはお礼くらい言っておくべきだろうな。こんな良い部屋泊れたんだし

 丁度片付けを終えた俺は、急いでドアを開けて顔だけを出す。


「さっきはありがとうございました。おかげで良質な部屋を取れました」


「お、そうか。そんでこいつは何だ?」


「さっき弓撃って来た内の一人です。逆恨みして怒鳴り込んで来ました」


 俺がそう言うと同時、半田は逃げ出した。

 男は急いでその後を追いかけようと動き出し、俺は慌てて止める。


「大丈夫ですよ、あんな虫けらなんて放置して、今日の疲れを落として下さい。あんなやつを追いかけるのは時間の無駄です」


「お前がそう言うんなら別に良いけどよ」


 男は「じゃあな」と軽く手を振って、向かいの部屋へと入って行った。

 にしても、あいつらは本当に碌でも無いな。門番に嘘でも謝りたいとか言っておけば通して貰えただろうに。

 俺は呆れを感じつつも部屋へと戻り、明日に備えての準備を始めた。

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