出勤前
カチッ……カタカタ……。
時刻は午前零時を回った。世間ではよい子はおやすみよ、なんて言っている時間なんだろうが、私は世間とは違う。いつも通りに、会社のデスクでパソコンと向かい合っている。今、製作しているソフトの納期が、かなり前倒しになったのだ。うちの営業の無能っぷりにもほとほと困り果てる。その尻拭いをさせられるのは、私たちだと言うのに。
バンッとデスクを叩き立ち上がる。
「はあ……。今日はもうこれくらいでいいでしょ。」
誰もいないオフィスで、声に出して区切りをつける。上着を乱暴に掴み、鞄を持ち席を立つ。そろそろ終電の時間だ。最後に、あたたかい缶コーヒーを自販機で買って会社の戸締りを済ませる。
駅へと向かいながら、辺りを見てみる。すっかりクリスマスムードが深夜の街を包んでいる。ぼんやり聞こえてくるのは、よく聞くクリスマスソング。私は退社したばかりだというのに、いちゃつき倒しているカップル達の雑踏の中悶々としながら歩く。
私に恋人が欲しいとか、クリスマスを楽しみたいという願望がないわけではない。ただ、それは叶わない。今の仕事を続けている限りはの話だが。
仕事を辞めればいい、という話なんだろうがそうもいかない。労働基準をゆうに超過し、見合った報酬をもらうこともなくサービス残業を強いられ、休日出勤は当たり前。現在二十一連勤中で記録更新の真っ只中だ。しかし、学も無くこの専門でやっていくと決めた私にとって、この仕事以外でやっていける自信がない。今頑張っていれば、もしかしたら威張り散らしている無能な上司共を退けさせ、私がそのポストに就くことができるかも知れない。そうなったら勝ちだ。
それに、母には早く楽になってほしい。母は、早くに離婚したが、父に頼らず一人で育ててくれたのだ。そんな母のためにも、稼ぐことはそれほど辛いことではない。
私は、世間で言う社畜だ。今日も終電で帰路に着く。
電車で三十分、そこから徒歩十分の道のりを経て家へ帰る。もう少しで、家が見えてくるだろうというところで信号を待っていた。
青になった。さっさと家に帰ろう。そう思い歩み始めたその時、大きな摩擦音が真横で鳴り響いた。理解が一瞬遅れる。
「え?」
それが恐らく私の最後の言葉だっただろう。最後に感じたのは、私に猛烈なダイブをキめている大型トラックによる尋常ではないくらいの激痛だった。
――痛みはない。私が次に意識を取り戻した時、辺りには空が広がっていた。わけも分からぬまま、辺りを見回しているとサイレンの音が鳴っている。その音の方へと目をやると、救急車が走っているようだ。そして、救急車は人だかりと大型トラックがある場所で止まった。
「え?」
二度目の困惑である。え?今の私なに?あれ私だよね?じゃあ私なに?幽霊?この展開なんかの漫画で見たような。
当然理解が追いつかない私が困惑していると、
「おう、やっぱ困っとるやんけ。」
と、やたらと馴れ馴れしい声が隣でした。聞き覚えのないその声の方を見てみると、そこには白いローブのようなものを纏った若い男性がいた。
「そんな睨むなや。せっかく説明しに来たったのに。」
悠長にその男は言葉を続ける。
「お前はな、死んでもたんや。」
「……はあ!?いやまあそうかなって若干心の隅っこで思ってたんだけど。いやそれでも言わせて、はあ!?」
居ても立っても居られず、ツッコミを入れる。
「元気な女やな、なんで死んだんやお前。まあええわ。話聞けや。」
むかつく関西弁の男は、こちらが死んだという事実を受け入れられるかそうじゃないかという瀬戸際だというのに、ずかずかと話を進めていく。
「お前は運悪く死んでもたわけ。ていうか自業自得みたいなところあるけど。赤信号やのに道路突っ込んでいって、トラックに轢かれとるからな。でもまあ、生前の行いもそれなりに悪くなかったし、見ててかわいそうなところあるから、わしがお前にチャンスをやろうって話や。」
「信号は青だったんだけど!いやでももしかして疲れすぎてて……?え、ていうかなにそれ生き返らせてくれるみたいな話なの?まんまあの漫画じゃない。」
指先に力を集中させたら霊気の塊でも撃てるようになるのだろうか。
「ちゃうわ、そんな虫がええ話あるか。」
違うのか。話の流れが完全にそうだと思ったのに。ともあれ、まだ状況が理解できてない私もさすがにツッコミを入れるテンポが戻ってきた。
「ていうかあんた誰なの?なんで関西弁なの?」
「人が話しとる途中で別の話持ってくんなや、話聞け言うたやろ。わしは……、うーんなんやろな。神様?」
神様関西人かよ。と、心の中でツッコミを入れる。口に出していては話が進まないしこちらが飲まれてしまう。
「まあ、カッシーワっちゅー名前があるから、カッシーワ様とでも呼んでくれや。」
「そんな神様聞いたことないんだけど。」
しかし、その男は私の言葉など耳に入ってないかのように、どんどん話を続ける。
「めんどくさいからもう本題でええわ。お前転生してみん?正確には転生ってより今のお前をそのまま別の世界に放り込む感じやけど。」
「……?」
理解が追いつかない。なに、私このまま別世界とかに連れてかれるの?拒否権はあるわよね?
「嫌よ、なんで私がそんな真似しないといけないの。死んだなら死んだでさっさと死なせて頂戴。」
しかし、残してしまった母が気がかりだ。大した親孝行もできないまま死んでしまった。せめて私が残した貯金分くらいは遊んで欲しい。ごめんなさい、お母さん。
「そうか?ほなら仕方ないな。お前死ぬ前まで行いよかったのに、死ぬ時に赤信号でトラックに突っ込んでもたから地獄行きやで。トラックの運転手も可哀想に。自分悪くないのに、アホな女のせいで罪悪感に苛まされなあかんもんな。」
もし、自分が本当に赤信号で突っ込んだなら、それは本当にトラックの運転手には謝っても謝りきれない。私のせいでどうなってしまうかなんて考えたくない。
「分かった。お前が別にいらんわって言うならそれでええんや。ほなら地獄で数千年の間の労働励んできてな。じゃ、さいなら。」
「いやいやいやいやいやいやいやいやいや待って。地獄で数千年労働?」
「そや。地獄に落とされたやつは死ぬほど苦しい労働を数千年強いられたあとに、次の生を受ける。まあ死ぬほど言うても死んどるがな。」
ガハハ、そんな笑い声で緊張感のない自称神は他人事のように笑い飛ばす。実際、他人事ではあるのだが。しかし、地獄に落とされてまで労働だなんて絶対ごめんだ。私そんなに悪いことなんてしてないのに、たった一回死ぬ間際に罪を犯しただけでその仕打ちなの?あの世過酷過ぎない?
「死んでまで働きたくない……。」
「おっ!ほなら転生な!おっけー!その返事待ってたわ!いやあ声かけてよかったわー。」
「待ってたってどういうことなのよ。それに具体的に私はどうなるの?」
「どうもならへん。別の世界にその意識と体のまんま連れてくんや。まあ安心せーや、そこまで悪い世界でもないで。ただまあ、」
急激に体が何かに吸い込まれていく感覚を覚える。そして意識が遠のいていき、声が遠く聞こえる。
「あんまり平和な世界じゃないから頑張ってやー。たまに応援しに行くわー。」
そんなふざけた言葉を皮切りに意識は落ちていった。
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