10. 暗闇の狩人
「何をしている」
麻野は月明かりの下、一人立っている男に声をかけた。この男がここに居ていいはずがない。
「あんたこそ」
振り返ることもなく言い返した男の声は震えていた。刺すように冷たい風のせいか、あるいはここが大切な仲間たちを失った場所だからか。
「イヌガリのことは調べられないんだろ」
「組織として大掛かりに調べられないだけだ。俺一人が動き回るくらいじゃ大して変わらんだろう」
麻野は男の隣まで歩いた。
「あんた、組織に消されるかもしれないぞ」
「どういう意味だ」
男はポケットから煙草を取り出して火をつけた。わずかな明かりが男の顔を照らして見せた。
「細かいことはわかんないけど、殺される少し前から頭領は何かを調べているみたいだったんだ」
「何を?」
一茶は麻野を睨んだ。わからないって言っただろ、とでも言いたい顔。
「一人になることも多かったから篠木とでも会ってるのかと思ってたよ」
朱雀組の人間がイヌガリに殺された理由は探られたくない何かを知られてしまったから。そう言いたいのだろうか。
「これ以上踏み込まない方がいい。あんたがいなくなったら誰がサガシヤを守るんだよ」
突然サガシヤに身を置くことになった一茶だが、彼なりに新しい仲間を大切に思っていた。麻野が佐賀を筆頭としてサガシヤを守ろうとしていることも何となくわかった。
「俺に何かあった時にはお前があいつらを守ってくれ」
予想外の返答に一茶は目を丸くした。
「手、引かない気かよ」
「イヌガリが次誰を狙うかわからないからな。こっちは俺がやっておくから、お前こそここに来るな」
イヌガリが今まで殺したのは協力者のみ。警察官は誰も殺されていない。そのポリシーがあるなら、一茶が殺される可能性は高くても麻野が殺される可能性は低いだろう。
「お前はもうサガシヤの一員だろ」
麻野はそう言って現場から離れていく。
「……俺の家はここだ」
「送ってやる、早く車に乗れ」
一茶の小さな呟きは麻野に聞こえていなかった。
「受験お疲れ様!」
佐賀さんがたまには二人でゆっくりしなよ、と言ってくれたので私たちは家でのんびり過ごしていた。
「もう二度と勉強したくない……」
ようやく受験を終えて残すは合格発表のみとなった仁穂ちゃんは疲れ切っていた。毛布を頭から被ってテーブルに突っ伏している。
「今日はおいしい物でも食べに行く?」
最後の追い込みを頑張っていたのはよく知っている。二人で少し贅沢をしてもいいだろう。
「あすみさんのご飯がいい……」
仁穂ちゃんは少し恥ずかしそうにしながら言った。なんてかわいいんだ。私は一人っ子だけれど、妹ができたみたいな感じがする。
「一緒に買い物行く?」
そう聞くと彼女は頷いた。
私たちは支度をして家を出る。駅前のデパートにでも行って、高めのお肉を買おう。なんて相談をしながら歩いていると正面から歩いて来た二人組の女の子が仁穂ちゃんに声をかけた。
「うわ、こんな日にまで会うなんて最悪」
私は仁穂ちゃんを見る。友達とは思えないが同級生だろうか。
「おばさんいい事教えてあげようか、こいつテストはカンニングするし、教師のこと誘って成績もらうようなクズだよ」
バカにするよう笑う女の子たちは、授業はほとんど聞いていないのに受験直前にテストの点数が上がったことや、冬休みに毎日担任と二人で会っていたことを言った。それが全部成績を上げるためのもので、サガシヤに居続けるための条件だったことは私がよく知っている。
だけど仁穂ちゃんは黙っていた。
「援交してるらしいし、こんなのを養子にしない方がいいと思いますよ」
髪の長い女の子は私たちの関係を義理の親子だと思っているようだった。この子は仁穂ちゃんに親がいないことを知っているんだ。
「ほんとキモい」
もう片方が吐き捨てるように言った。仁穂ちゃんはずっと座った眼をして黙っていたが、いよいよ私は限界を迎えた。
「あなたたちね……!」
言っていい事と悪い事がある。そう言おうとしたとき、彼女たちの肩を後ろから誰かが掴んだ。
「佐賀さん」
佐賀さんの目はまっすぐに髪の長い女の子を見ていた。いつものような穏やかさは全く感じない。むしろ麻野さんに近い雰囲気がする。
「セ、セクハラになりますよ?」
私がそう言うと佐賀さんは彼女たちから手を離していつも通りの笑顔になった。
「仁穂ちゃんと仲良くしてくれてありがとう」
「は?」
女の子たちは意味が分からないようだった。
「あの子、僕らの仕事をたくさん手伝わせちゃっているからあんまり学校の友達と遊ぶ時間もなくてね。ああでも、最近は受験勉強すごく頑張っていたんだよ」
佐賀さんは笑顔のまま彼女たちに話し続ける。
「もうすぐ卒業だけど穏便にね、香川さん、二見さん」
「なんで名前⁉」
女の子たちは一気に青ざめる。
「僕は仁穂ちゃんの家族じゃないけど、妹みたいに大事に思っているから。よく覚えておいて」
「い、行こっ」
二人は怯えて逃げ出した。怖がるのも無理はない。面識のない背の高い男の人が自分たちの名前を知っていて、脅してきたのだから。
「セクハラで名前を見たんですか?」
「まあ、そんなところだね」
佐賀さんは笑う。あの子たちは可哀そうだが自業自得だろう。仁穂ちゃんのことを悪く言った彼女たちの逃げていく姿を見て、私も少しすっきりした。
「でも、どうして黙っていたの?」
私は仁穂ちゃんを振り返る。
「問題事は起こすなって麻野さんに言われているし、あの人の方が桁違いに怖いから」
「ははっ、確かに!」
私たちは笑った。落ち込んでいるかもと思ったことがバカみたいだ。そもそも仁穂ちゃんは相手にしていなかったのだから。
すると突然、佐賀さんがくしゃみをした。
「いい加減寒いな……」
「気になっていたんですけど、やっぱり濡れてますよね?」
佐賀さんの髪はいつもよりぺったんこだ。真冬に濡れたまま外出するなんてどんな精神をしているのだろうか。
「途中で犬が溺れててさ、川に飛び込んだんだよ」
ぶるり、と佐賀さんの体が動く。その肩に何かが貼りついていた。
「葉っぱみたいなのが服の中に入り込んでいますよ」
「えー、取って」
佐賀さんは私の前で中腰になる。遠慮なく和服を引っ張って貼りついたものを露出させた。その葉っぱの横に火傷の痕が一つ残っているのが見えた。
「寒いから、早く」
「あ、すみません」
剥がした葉をその辺に捨てた。濡れた葉は舞うことなくボトリと落ちた。
「うちでお風呂入っていけば」
さすがに同情したのか、仁穂ちゃんはそう言って家に向かって歩き出す。
「ありがとう」
そう言うと佐賀さんはもう一回大きなくしゃみをした。
「どこ行ってたんだよ」
一度家に戻り、着替えて仮眠を取ってから戻ったら同僚がそう言ってきた。
「……何かありましたか?」
何連勤しただろう。残業だってたくさんしている。少しくらい休む時間が欲しいとは思いながら、それを言葉にはしなかった。
「昨夜まただぞ」
「イヌガリですか?」
同僚はこくりと頷いた。麻野はパソコンの画面を覗き込んだ。殺された協力者の名前、担当の警察官を記憶する。今まで殺された他の協力者たちとの接点は聞いたことがない。
「上は相変わらず黙秘だ。こりゃなんかあるな」
「調べますか?」
人手は多い方がいい。
「生憎、上の怒りを買って昇格を遅らせたくはないのでね」
わざとらしく眉を動かした同僚はパソコンを閉じて、部屋を出て行った。
誰だってそうだろう。この短期間でイヌガリの事件は六回も起きている。殺された人間の数は五十を超えている。それでも、この事件自体を上層部は隠そうとしているのだ。イヌガリが組織とは無関係だとは思えない。
「組織に対抗する人間が組織の中にいる……」
組織の中に一族に通じている人間がいるかもしれないということになる。
麻野は右手で頭を掻いた。
自分にできることをするしかない。
麻野はパソコンからメールを送る。父が遺した言葉の中に信用できる人物が書かれていた。その中の一人は変わった人だが、最も信頼していた。
「誰にメール?」
「うわっ」
突然背後から声がして麻野は思わず声を上げた。振り返ってその人物が誰なのかわかると麻野は立ち上がり敬礼した。
「し、失礼しました。三河さん」
そこにいたのは父の同僚だった。麻野を組織に入れる後押しをした人物でもあり、昔からよく知った人物だ。
「……イヌガリのことを調べているようだね」
「相良たちに危害が及ばないか心配で……」
「彼は君の家族だもんな」
三河はそう言って麻野の肩を叩いた。
「だが、余計なことはしなくていい。この件に関してお前は何もするな」
麻野の視線が泳ぐ。
「お前は彼が大切なんだろう?」
「はい……」
返事を聞くと三河は満足したように部屋から出て行った。
何か腹の奥底に黒い物を抱えていそうな話し方。昔はそんな風に話す人じゃなかった。もっと正義感にあふれた……。
「なにかあるだろ、絶対……」
麻野は脱力して椅子に座った。脅されたのだ。相良に手を出さない代わりにこのことは何もするなと。裏で手を引いている人物は三河だ。
その思惑が何かは知らない。けれど、三河が直接話をしに来たということは、麻野が三河の指示に従うと、自分を信じていると思ったからだろう。
麻野はパソコンの画面を見る。メールは既に送信されていて、それを隠すために削除をしたところだった。
「あと少しタイミングがずれていたら……」
パソコンの通知音が鳴る。先ほどのメールの返事が来たようだ。今夜、会う約束を取り付けた。
三河に屈しない。強い決意を持って麻野は受信したメールを削除した。
そのまま何時間も麻野は資料を調べた。殺された協力者たち一人一人のことをできるだけ細かく。閲覧すれば記録が残る。閲覧できない記録を見ようとすると上層部のコンピューターに通知がいってしまう。けれど、麻野はそれでも構わなかった。犯罪者だろうが一般人だろうが、法的に認められていない殺人が許されるはずがない。今後も起こると分かっていて、見過ごせるはずがない。
「こんばんは。熱心だね」
篠木さんが入り口のドアをノックして声をかけてきた。そこでようやく、待ち合わせの時間を過ぎていることに気づいた。
「すみません!」
麻野は慌ててパソコンの電源を落とし、帰る支度を始める。
「二人で食事なんて久しぶりだね。最近忙しかったし。よく考えたら君のお父さんとも二人で食事をしたことはありませんね」
「は?」
麻野は困惑した。相談したいことがある、という内容のメールは送ったが、食事を誘うメールは送っていない。
「急に食事に誘ってしまってすまないね。どうしてもおすすめのカレー屋さんについてきてほしくて。僕の車は今修理中だから」
篠木さんからの返事は「了解」とだけ書かれたシンプルなものだった。麻野はそこまで聞いて何となく察した。
「……どこにあるんですか?」
「そんなに遠くはないさ。支度できた?」
「はい」
二人は部屋を出て地下の駐車場に向かう。その間特に会話はしなかった。
篠木が嘘をついていることに麻野は気づいていた。何のためにそんなことをしているのかはわからなかったが、合わせた方が良かったのだろう。隣を歩く上司の横顔を見ればわかった。
ばたん、と車のドアを閉めると篠木さんは大きく息を吐いた。
「本当に行っちゃおうか、カレー屋さん」
「はは……」
相変わらず変わった人だ。
「昼間、三河さんが来てたでしょ」
「ああ、はい」
三河さんは父の同期。年齢的には篠木さんよりも上になる。
「盗聴されてるとまずくてね」
そう言うと、篠木さんはポケットから小さな機械を五つ出した。色も形も様々だ。
「なんですか?」
「ここ数日間の間に僕の周辺に取り付けられた盗聴器」
「盗聴器⁉」
篠木さんはこくりと頷く。
「ある程度の地位が無いと入れない僕の部屋にも仕掛けられていたよ」
篠木さんの言おうとしていることが分かった。
「この組織の中に僕のやっていることに反対している奴がいる」
篠木さんはどんなに協力者を使ってでも、早期に事件を解決させることを最優先にしている。使えるものは何でも使う。ある意味、容赦のない人だ。だから彼は今までも監視として現場にいることも多かった。
「じゃあイヌガリはあなたを狙うかもしれないってことですか?」
「それは分からないけれど、組織の人間を仕分けている最中だと思うよ」
麻野は昼間に三河が来た時のことを想いだしていた。
「今までイヌガリが殺した奴ら全員と会ったことがあるんだ。記録には残していないけれど」
どれほど探しても見つからなかった共通点。
「遠回しに警告しているのかもしれないね」
「組織は、協力者の使用をやめるのですか?」
「まだなんとも。被害が協力者だけに留まっているうちは何もしないんじゃないかな」
篠木の瞳がこちらを向く。
「だからイヌガリは全てを狩りつくしてしまうかもね」
背筋に寒気が走った。サガシヤの人間も皆、篠木に会ったことがある。
「僕は一人でも戦うけれど、どうする麻野くん?」
麻野の答えは決まっていた。三河には何もするなと釘を刺されたけれど、ここで何もせずに失う訳にはいかない。
「僕にも、手伝わせてください」
そして、麻野は昼間に三河が来た時の話をした。彼の言動が気になったこと。彼とイヌガリが繋がっているのではないかと思ったことを。
「仁穂ちゃんももうすぐ卒業かぁ」
受験の結果発表の前日、佐賀さんは事務所でそんなことを言い始めた。
仁穂ちゃんが卒業式の練習のために登校しているからだろう。
「出会った頃はまだこーんなに小さかったのに」
「そんなに昔のことじゃないですよね」
何はともあれ卒業は喜ばしいことだ。
「仁穂ちゃんのご両親はどうして会いに来てあげないんですかね……」
仁穂ちゃんの気持ちを知っているからこそ、そんな言葉が口から出た。
「それ、仁穂ちゃんの前で言わないようにね」
「はい……」
どうしても会えない理由があるのかもしれない。それに、私が口出しできることではない。
その時、私のスマホにメッセージが送られてきた。
「仁穂ちゃんが、佐賀さんに話があるって言っています」
「おや、珍しい」
本当に珍しい。普段は変態とかロリコンとか変態とか変態とか呼んで悪口のオンパレードで冷たく接しているのに大変珍しい。佐賀さんに頼るようなことでもあったのだろうか。
十分ほど待っていると事務所のドアが開けられた。仁穂ちゃんが帰ってきたのだ。
「おかえり、仁穂ちゃ……」
私は仁穂ちゃんの背後にもう一人の女の子がいることに気が付いた。仁穂ちゃんよりも身長が少し低く、低い位置で髪を二つに結っていた。
「お客様かな?」
佐賀さんが微笑む。仁穂ちゃんは女の子の背中に手を回し、軽く押した。
「わ、私は
佐賀さんに会いたかったと言った小湊さんは緊張のせいか少し早口になっていた。彼女は自分のワイシャツのボタンを上から三つほど外した。
「⁉」
女子中学生の思いもよらない行動に佐賀さんも私も困惑した。
「ちょ、ちょっと……」
私が慌てて止めようとする。彼女の左側の下着の紐が見えていた。
「違うんです」
止めようとした私を小湊さんは止める。その頬は赤く染まっていて、瞳にはうっすらと涙が見えた。
「見て欲しいのはこれです……」
彼女はゆっくりと回って背中を佐賀さんに見せようとしたとき、お茶を淹れた警備員が隣室から戻ってきた。その一瞬、小湊さんと皐月くんの目が合うと、彼は持っていたお盆を落とした。
「うわあああ!」
「うわ、あっつ!」
こぼれたお茶が佐賀さんにかかる。
「何しているんですか! 援交ですか⁉ 警察……っていうか麻野さん呼びますよ⁉」
「色々と誤解!」
私はストールを彼女の肩にかけた。
「湯飲み割れたし僕も火傷したので、器物損壊と傷害罪を追加で」
「いや何もしてな……」
「僕ら罪を犯したら問答無用で処分ですよね?」
それを聞かれるのはまずいのでは、と思ったところで仁穂ちゃんが佐賀さんを殴った。
「話進めていい?」
「「どうぞ」」
どちらかというと佐賀さんは巻き込まれた方なのに殴られるのは……と思ったが、今皐月くんの周辺は濡れているし割れた湯飲みのかけらも落ちていて危険なので仕方ない。
「これなんです」
気を取り直して、ソファーに座り直した私たちは彼女の肩回りを見た。左の肩甲骨の近くに見覚えのある火傷の痕がある。
「気づいた時にはあって、何かなってずっと思っていたのですが先日仁穂ちゃんの家の近くに三人がいるのを見かけて」
仁穂ちゃんのことを馬鹿にしていた同級生と会った、受験が終わってすぐの日のことだろう。
「あなたの肩にも同じ痕があるのが見えたんです」
小湊さんは右手の中指で傷痕に触れた。
「これってなんの痕なんですか?」
私はなぜそれを佐賀さんに聞くのかが分からなかった。
「それはご両親に聞けばわかるんじゃ……」
「両親とは養子縁組で五年ほど前に出会いました。私は五歳くらいの時に施設の前に捨てられたんです。それよりも前のことは何も覚えていません」
小湊さんの視線が私の隣に座る佐賀さんに向く。彼は黙ったまま口元に手を当てていた。
気が付いた時にはこの痕があったという。
「自分が何者なのか知りたいんです。お願いします」
彼女は深く頭を下げた。自分の進路を決めて、これからの将来を考える時期。自分のことが知りたいと思うのは当然だろう。
「……先に言っておくと、たぶん期待には応えられない」
自分の願いがぴしゃりと跳ね返されて、彼女の表情は固まった。
「だけど、出来る限り、挑戦はしてみたいと思う」
「それでもいいです、お願いします!」
佐賀さんは立ち上がり、彼女の横に座った。
「早速だけど、その火傷の痕に触らせてもらってもいいかな?」
「……はい」
年頃の女の子が普段は服で隠れるようなところを触れられるのは恥ずかしかっただろう。だけど、小湊さんは佐賀さんに体を差し出した。佐賀さんはゆっくりと彼女の肌に触れた。おそらくその時間は五秒くらいだったと思う。
彼女から手を離した佐賀さんは一瞬黙って俯くと何かわかったら連絡する、と言った。
「分かりました。よろしくお願いします」
仁穂ちゃんは小湊さんを下まで見送りに行き、事務所はいつも通りの面子に戻った。ただ一つ気になるのは、佐賀さんが何かを考え込んでいるように見えることだ。
私には何だか嫌な予感がしていた。
「人に触れるとさ、嫌でもちょっとした情報が流れ込んでくるんだよ」
真夜中に事務所の近くで落ち合った相良は、呼び出した麻野にそんな話を始めた。
「知ってる。でも白髪の少年とぶつかったときには何も感じなかったって言ってたやつだろ」
相良の能力のことは本人の次に理解している自信がある。
「もう一つ、視ようとした情報が視れないことってないんだよね」
「視ようとしたのか⁉ それは犠牲が……」
意図的に能力を使おうとするとそれと引き換えに何かが犠牲になってしまう。だから基本的に視ようとすることは許可していない。
「よく似た火傷の痕を持つ女の子に会ったんだ。施設の前に捨てられる以前の記憶がないって言っていた」
相良は麻野の目を見た。
「その記憶が僕にも視れなかった」
相良が一族に固執していることはよく知っている。それが自分の過去に繋がっているかもしれないから。それでも、危険な橋を渡ってほしくはない。
「その話をするために呼び出したのか……」
「これ」
相良は親指と人差し指で何かを掴んでいるようだったが、暗闇でよく見えない。
「名前は小湊楓。仁穂ちゃんと同じ学校に通う同級生。これが彼女の髪の毛」
相良の反対の手が自分の頭に伸びて髪を掴んだ。何をさせようとしているのか分かった麻野はチャックが付いた袋を取り出す。
「遺伝子を……調べるのか」
「彼女も一族に関わっているのなら、僕との血縁関係が認められるかもしれない。そしたらまた一歩、奴らに近づく」
袋の口を開いてそれぞれ入れてもらう。
「なんか疲れてる?」
「こっちもこっちで忙しいからな」
「例の連続殺人か」
相良はさりげなく車に触れた。
「今触っただろ」
「げ、ばれた」
「無駄に使うな! 怪我したらどうするんだ!」
相良の前だと麻野はいつも口うるさい母親のようになってしまう。
「犯人、誰か知りたい?」
相良は直接触れなくても、間接的に視ることもできる。車を通じて麻野を視たのだろう。麻野と犯人が出会う瞬間を。
直接触れるとばれてしまうから。
「地下の収容施設の結構奥の所に全身入れ墨だらけのおとなしそうな男の人。彼だよ」
「組織の地下なんて警備が頑丈だぞ?」
相良は笑った。
「サガシヤも殺害の対象に入っているから早めに処分して、鑑定を進めてよ」
そしてそのまま事務所に戻って行ってしまった。自由な奴だ。その自由が永遠に続いて欲しいと麻野はいつも願っている。
「一日で能力使いすぎたから明日はきっと寝たきりだな」
麻野は暗闇にそう呟くと、最も信頼のおける上司に連絡をした。
「遅くにすみません、相良がイヌガリを見つけました。地下に収容されている入れ墨まみれのおとなしそうな男だそうです。確認をお願いできますでしょうか」
地下には凶悪犯の協力者が何人か収容されていることは知っている。奥に行けば行くほど犯した罪が重くなっていると。立場の弱い麻野には収容されている全員の情報を閲覧できる権利はない。
『見つかりましたよ。今から向かいましょうか』
「了解。すぐに向かいます」
麻野は車に乗り込む。急いでエンジンをかけようとしたとき、誰かが助手席の窓をノックした。
「……いきなりはびっくりするだろ」
「俺も行く」
そう言って問答無用で乗り込んできたのは一茶だった。
「お前な……」
「今日墓参りしてきたんだ。頭領たちがちゃんと墓に入れたのは全部あんたらのおかげだって分かってる」
一茶は麻野を見る。
「だからせめて、あんたのことは守らせてほしい。頼む」
麻野はエンジンを入れる。
「俺じゃなくて篠木さんを守ってやれ。お前の頭領が敬愛した人だ」
静寂の車は夜道を走り出す。
『麻野くん』
雑音に混ざって車内の無線から音が流れた。
「はい」
『君の言っていた人が地下にいない。どうやら相良君の言っていたことは正しかったようだね』
「いない⁉ じゃあどこへ……」
麻野は相良の言葉を反芻する。サガシヤも殺害の対象になっているとそう言っていた。
二人の乗った車はものすごい勢いで方向を変えた。
「どこ行くんだよ!」
「奴はサガシヤに向かっている可能性があります!」
『サガシヤに……?』
何で気づかなかった。組織を壊滅させるような行動をとるイヌガリが一族と繋がっているかもしれないと思うのは当然だ。一族と繋がっているなら、相良は絶対にリスクを冒してでも情報を得ようとする。
「くそっ」
あの場に麻野がいると邪魔だったんだ。うまく追い出された。
「なんであいつはそんな危険なことをするんだよ! あそこには警備員だっているのに」
「相良は目的のためなら手段を選ばない」
麻野は相良にそう宣言されたときのことを思い出した。
車はもう間もなく元居た駐車場に戻る。しかし、麻野は事務所の前に車を路駐させると鍵もかけずに降りた。
「おい、鍵!」
一茶の声に反応した麻野はポケットから車のキーを投げた。
裏口に回り、足音を立てないように、素早く一階の服屋を通り抜ける。階段のきしむ音をなるべく立てないように忍びながら、麻野は拳銃を抜いた。
声がする。相良の声ともう一つ。警備員のものではない。聞いたことのない声。
やっぱり。
麻野は微かに開いていたドアの隙間から中の様子を見る。警備員の姿は見えない。手前にイヌガリの脚が見え、その奥に向かい合うように相良が立っている。
「そこまでだ」
麻野は勢いよくドアを開けると銃口をイヌガリの後頭部に当て、その場に押し倒した。イヌガリは持っていたサバイバルナイフを落とした。ナイフに血はついていなかった。
「おい!」
車の鍵を閉めた一茶が戻ってくる。麻野は手錠を取り出して奴の両手を拘束する。
「こちら麻野、イヌガリを拘束しました」
篠木に無線で報告し、麻野は見下ろすように立っている相良を睨んだ。
「あーあ、ばれちゃったなぁ。でも、いっぱい殺せたなぁ」
背後に立っていた一茶が噛みつかんばかりの勢いで迫ってくるのを感じた。
「そうだな、お前のおかげで人がたくさん死んだ。全部一人でやったのか?」
「さぁね」
イヌガリは薄ら笑いを浮かべている。相良が特徴として挙げたように、おとなしそうな男に見える。首元から入れ墨が確認できた。体格がいいわけではない、こんな奴にも人は殺せるというのか。
「手引きしたのは三河さんか?」
「あの人だけじゃないよ、犯罪者がいる組織に疑問を抱いていたのは」
薄々気づいてはいたが父の同僚として、上司として慕っていた人がこんなことをしていたのが明白になった。それでも、この状況で悲しんでいる暇などない。
「今日は相良たちを殺せって言われたのか」
すべてを知っている三河が殺せと指示を出したのか。
「それは違うなぁ」
押し倒されているイヌガリは首の角度を変えて相良を見た。
「キミの眼があったらもっと効率が上がると思って、スカウトをしに来たんだよ。僕たちと組まない?」
「お前は処分に回されるし、相良は人殺しなんてしない!」
怒りに任せてイヌガリの頭を強く押さえつける。
「でも、キミは人殺しなんでしょ。悪意のない」
その瞳はまっすぐに相良を捉えていた。純粋な子どものように澄んだ瞳だった。ほんの一瞬、二人の視線が交わるのを見て、麻野は何だか嫌な予感がした。
「立て!」
麻野は力ずくで頭を動かしてイヌガリを部屋から連れ出そうとする。少しずつ近くなるサイレンの音を聞いた。
昨夜、何かがあったらしい。家にいた私と仁穂ちゃんは何も知らない。事務所にいた皐月くんとイチくんは口止めされているからと教えてくれない。
ただ一つ違うのは、佐賀さんだけがいないことだ。私が仁穂ちゃんと出勤したときにはもういなかった。
「麻野さん絡みですよね?」
そう聞くと皐月くんは小さく頷いた。本当にあの人は仕事人間だな。
「社長はしばらく帰って来ないかもしれません……」
「何か悪いことしたんですか?」
そう聞いて私ははっとする。
「もしかして昨日のセクハラ⁉」
「それではないです」
食い気味に否定する皐月くん。
麻野さんに連れていかれて、しばらく帰って来ないような事情って何だろう。仁穂ちゃんは興味がないのか、買ってきたコンビニのプリンを食べていた。
「大丈夫ですかね……」
私はもう一つ気になっていることがあった。それは部屋の中の変化だ。昨日とは若干物の配置が変わっている。まるで誰かが部屋中を捜索したかのように。
普段この部屋の掃除をしているから荷物が多いことはよく知っている。その大量の荷物の中から何かを探して元通りに片付けるには三人だけじゃ時間が足りないだろう。
他に誰かが入った……。
そう考えるのが自然だ。誰かがここに入り、何かを探して、片付けて去った。皐月くんたちが口止めされていることの中に含まれているかもしれない。だとすれば、彼らに高圧的な態度をとれるのは麻野さんたち組織の人間だろう。
今までこんなことはなかった。
もしかしたら私の知らないところで何か大きなことが起こっているのかもしれない。
「隠すことじゃないでしょ」
プリンを食べ終えた仁穂ちゃんが口を開いた。
「大規模な事件とか起きたりすると、いつもあいつは連行される。力を借りたいとかいう表向きの理由をぶら下げて、殺人の容疑者であるあいつが関わっているんじゃないかって嫌疑をかけられる。昔からね」
口止めされていることをあっさりと話してしまった仁穂ちゃんを前にして警備員が慌てていた。
「言ったら怒られる……」
「ここで働いていたら嫌でもいつかは知る。そのいつかが少し早まっただけ」
だから、部屋が漁られていたのか。その理由に胸が苦しくなる。麻野さんだって苦しんでいることだろう。
「あいつだけはこっち側の人間じゃないのに」
ボソッと聞こえた仁穂ちゃんの言葉。
「佐賀さん、早く帰って来られるといいね……」
相手は警察官。対するこちらは犯罪者。私たちはなす術もなくその時を待つことしかできなかった。
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