第3節 私の独り唄

※ ✕✕✕ ※


 悔いのない人生でした。

 やり残したことなどない人生でした。

 最後まで笑顔でいられた人生でした。

 多くの人と出逢い、多くの人と別れた人生でした。


※ 十七 ※


 幼馴染。

 つらつらと書き出されたその文字を眺めて真っ先に思い浮かんだのは、

 幼馴染という言葉が指すものではなく、

 顔のない操り人形だった。

 鏡のように表情を変える、

 嘘みたいに無表情な、

 冷たい人形だった。

 多分これは、幼馴染でもなんでもない。

 多分それは、幼馴染でもなんでもない。

 多分彼は、知り合いでもなんでもなかった。


※ 十二 ※


 彼と初めて知り合ったのは、私が中学校に入学するために引っ越した直後だった。

 とても不安定で、

 とても危うくて、

 様々な不安を抱えながら、

 様々な矛盾を抱えながら、

 今にも壊れてしまいそうな、

 今にも崩れてしまいそうな、

 人形のように可愛らしい少年だった。

「づっち、ホットケーキ焼いたけど食べる?」

「……食べる」

「はーい。ちょっと待っててね」

 楽しかった。

 苦しかった。

 愉快だった。

 不快だった。

 ただ、

 壊したかった。

 遺したかった。

「づっち、また会えるよね、ね?」

「また会えるよ。また、いつか、どこかで」

「絶対? 絶対会える?」

「絶対」

「約束だよ?」

「……出来ない約束はしないんだけど、うん。約束する」

 壊れそうだった。

 狂いそうだった。

 たった一年で満足出来るはずがない。

 たった一年で遊び尽くせるはずがない。

 もっと、

 もっと、もっと、

 もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、


 彼の中に私を遺したかった。


※ 十五 ※


 正直者が馬鹿をみるのは間違っているらしい。

 そうは思わない。

 馬鹿をみるのは愚か者であって、正直者がみるのは常に現実だ。

 だから私は、愚か者だったのだろう。

 口が災いの元であることを他人に教えられただけでは理解出来なかったのだから。

 逃げるように、

 言い訳するように、

 私は母に頼み込んで一人暮らしを始めた。

 新聞配達のアルバイトをしながら、

 知らない街で親しい友人を作りながら、

 ああ、

 私は、

 生まれ変わったんだ、と。

 実感した。

 相も変わらず愚か者ではあったけれど、

 それを咎めるほど大人げない人間は少なかった。

 あるいは、

 私の殻が厚くなっただけかもしれない。

 私の顔に仮面が張り付いたからかもしれない。

 私も彼のように人形のようになってしまったのかもしれない。

「おーい、トモちゃんや」

「なに、どしたの?」

「休み時間くらい勉強しないで休みなって。それとも宿題?」

「ううん、次の授業の予習」

「うわ……。あ、それより来週誕生日だよね? なに欲しい?」

「えー? なんだろ……赤ペン?」

「ふはっ」

「今なんで鼻で笑った!?」

「いやいや、赤ペンくらい自分で買ってよ。コンビニのケーキで良い?」

「あ、私ホットケーキ好き」

「じゃあホットケーキミックス買ってあげようか」

「えっ、じゃあケーキが良い」

「じゃあってなんだー、じゃあってー」 

「ひはは、ちょっと、急にくすぐらないでよっ。……んくっ」

 くすぐったかった。

 温かかった。

 心地好かった。

 だから怖かった。

 またなくなってしまうのではないか。

 また壊れてしまうのではないか。

 また虐められるのではないか。

 恐ろしかった。

「あ、やっぱりアップルパイがいいな」

「えー、菓子パンのでいい? コンビニのやつ」

「うん。それがいい」

「安いよ?」

「いいのいいの。私、自分からそういうの買わないから」

「ふーん」

「それに、温めたら美味しそうでしょ?」

「……焼き肉、食べに行こっか」

「ぶるじょわはお断りしまーす」

 だから私は、

 心にまで仮面を被った。


※ 十三 ※


 多感な時期だった、と言い訳する。

 中二にもなって、

 私は虐めに寛容になれるほど大人ではなかった。

 虐めから逃げるために登校拒否する程度には弱かった。

 辛い人生から逃げるために死ねるほど強くはなかった。

 虐めの原因である家庭環境を恨む程度には子供だった

「友姫ちゃん、お母さん仕事に行ってくるわね」

「…………」

「朝御飯は机の上にラップしてあるから、早く食べちゃってね」

「…………」

「お昼ご飯とお夕飯は冷蔵庫に入ってるから、レンジでチンしてね」

「…………」

「それじゃ、行ってくるわね」

「…………」

 母子家庭に育てられたことを恨む程度には子供だったが、

 母を恨むほど子供ではなかった。

 むしろ、女手ひとつで家庭を支える母親は、

 私の誇りだった。

 私の尊敬する人だった。

 私の母親だった。

 いつだったか、幼い頃、何故父親がいないのか尋ねたことがあった。

 その時母は、とても優しげに笑っていた。

 母親が愛する子供に向けるように、

 母親が無知な子供に向けるように、

 優しく、

「……会いたい?」

 微笑んでいた。

 その時私は、しばらくなにか考えてから首を横に振った。

 その時なにを考えていたのか、

 その時なんと声に出していたのか、

 私は母の微笑みしか憶えていなかった。

 ただ、

 あの時私が首を縦に振っていたら、

 あの時私が「会いたい」と口にしていたら、

 私は、

 虐められたりしなかったのだろうか。

 苦しんだりしなかったのだろうか。

 涙を流したりしなかったのだろうか。

 死んでやると考えたりしなかったのだろうか。

 そんなことを考えながら、

 私は目に映るもの全てを呪っていた。

 私は目に映らないもの全てを呪っていた。

 精一杯迷惑に死んでやる、と。


※ 十六 ※


 昔々で始まる物語があるとする。それは大抵、めでたしめでたしで幕を閉じる。

 昔々で始まらない物語があるとする。それは大抵、めでたしめでたしで幕を閉じる。

 ここではないどこかの物語があるとする。それはきっと、めでたしめでたしで幕を閉じる。

 ここに物語があるとする。これは一体、どのような文句で幕を閉じるのだろうか。

 ふとした拍子にそんなことを考えながら、

「えー、じゃあづっちのお母さん再婚したんだ? 名字がそのままだったからわからなかったよ」

「父さんが俺のためにって、婿入りしたんです」

「へー、良いお父さんじゃん」

「まあ、ちょっとうっとうしいですけど。て言うか過保護ですけど……」

「あはっ、変な顔」

 私は再会を喜んでいた。

 私は再開を喜んでいた。

 四年前に中断した遊びが、

 たった一年で中断させられた遊びが、

 また始められる。

 また私を彼の中に遺すことが出来る。

 彼は私を憶えてないと言うけど、

 彼は私を忘れたと言うけど、

 目を見ればそれが嘘だとすぐにわかった。

 彼はこの四年間、

 片時も私を忘れたことがない。

 一日として私を思い出さなかった日はない。

 彼の純粋な目を見ればそのことがすぐにわかった。

「そう言えば、づっちは電車で通ってるんだっけ?」

「……そんなこと言いましたっけ?」

「スマホのケースに定期入れてるの見えたから」

「ああ……」

「んー、じゃあ、昔みたいに遊べないね」

「はあ、そうですね」

「あ、今テキトーに頷いたでしょ」

「そりゃ、昔みたいにとかよくわかりませんし」

「あはっ、そっか。そうだったね」

 ある時、というより、不登校時代に私は自覚した。

 私が狂っていることを自覚した。

 私が壊れていることを自覚した。

 私がどこにもいないことを自覚した。

 私がどこにもないことを自覚した。

 私の中にはなにもないことを自覚した。

 私の目にはなにも映っていないことを自覚した。

 私の耳にはなにも届いていないことを自覚した。

 私の世界には人間がいないことを自覚した。

 私にとっての人間は私を理解出来るモノであることを自覚した。

 自覚した。

 私は普通でないことを自覚した。

 自覚した。

 私は人形であると自覚した。

 自覚した。

 自覚した。

 私は他人に迷惑しかかけられない出来損ないなのだと自覚した。

 ジカクシタ。

 ダカラ、

 セメテ、

 ミニクイワタシヲコノヨカラケサナケレバナラナイトオモツタ。


 だけど、

 だけど、私が生きていたということを憶えていて欲しかった。

 他の誰でもなく、目の前の少年に。


※ 十七 ※


 誰かに守って欲しかった。

 誰かに知って欲しかった。

 誰かに構って欲しかった。

 誰かに頼って欲しかった。

 誰かに怒って欲しかった。

 誰かに慰めて欲しかった。

 誰かに遊んで欲しかった。

 誰かに、

 彼に、

「助けて、欲しかったのかなあ……」

 首を吊るという行為には、その字面以上に技術がいる。

 気道を塞ぐか、

 血管を塞ぐか、

 起きながらか、

 眠りながらか、

 首で支えるか、

 取っ手で支えるか、

 昼間か、

 夜中か、

 考えていたらキリがない。

 だから、

 難しいことは考えずに首を吊る。

 うらみつらみはない。

 ただ少し、

 後に遺される、

 後に遺す人のことを考えて、

 今少し、

 これからのことを考えながら、

 今はただ、

 眠気に身を委ねよう。


※ ✕✕✕ ※


 救いのない人生でした。

 後に残したことなどない人生でした。

 いつからか心から笑えなくなった人生でした。

 多くのものを取り溢し、多くのものを掴み損ね、私の掌にはなにも残らない人生でした。



 めでたし、めでたし。

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君と俺の独り唄 めそ @me-so

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