第4章 陰に潜むは?

第17話 袖振り合うも他生の縁

 淡いピンク色を基調とした如何にも少女趣味な部屋に、その場の空気に全力で抗うような真っ黒な不吉な男が本を片手に立っていた。


「では、そろそろお時間でございます」

「あら? もうお終いですの?」

「ええ」


 不吉な男――アシュラッドは、そう言って壁掛け時計にちらりと視線をよこす。


「あらあら、ホントだわ。アシュラッド様ってお話が上手なのですもの、ついつい時間を忘れてしまいますわ」


 そう言うのは病的なまでに透き通るような肌をした、まだあどけない少女だった。

 彼女は肌も白ければ、髪も白い、いわゆるアルビノと呼ばれる体質を抱えているヒューマンの少女だった。


「それでは、少しお茶をしていきませんこと?」

「いえ、わたくしは」


 そう言ってアシュラッドはやんわりと首を横に振る。


「ああ、そうですわね、アシュラッド様でしたらワインの方が良かったですわね」


 少女はポンと小さな手を叩き、椅子から立ち上がろうとして――


「あっ」

「大丈夫ですかお嬢様」


 クラリとふら付いたところをアシュラッドに支えられた。

 少女は雪のような肌を真っ赤に染めながら、俯き加減で「申し訳ございませんわ」と礼を言う。


「いえ、わたくしのほうこそ不用意に触れてしまい」


 少女は生まれつき体が弱かった、最近では少し持ち直した所もあり、こうして家庭教師を迎えられるようになったばかりだった。


「どうしますか、お嬢様。横になりますか?」

「……ええ、そうさせていただきますわ」

「では、失礼して」


 そう言うとアシュラッドはガラス細工を扱うように、繊細に少女を抱きかかえ、天蓋付きのベッドまで運んだ。

 雪のような少女は顔を耳まで真っ赤にしながら、きゅっと体をこわばらせた。


「それでは、授業が終わった事をお伝えしてきます」


「あっ……」とベッドに寝かされた少女は、一瞬アシュラッドへと手を伸ばしそうになりつつも、それを我慢する様にゆっくりと引下げ、コクリと頷いた。


 アシュラッドは、少女に優しく毛布を掛けると、一礼して少女に背を向けたのだった。


 ★


 メイドに、授業が終わった事を伝えると、彼は応接間へと通された。

 そこに待っていたのはこの館の夫人だった。


「お疲れ様でしたわ、アシュラッドさん」

「いえ」


 と、アシュラッドは小さく首を横に振る。


「セラはアシュラッドさんと会えるのをとても楽しみにしているみたいなの。最近は体調も幾らか良くなって」


 と、夫人は喜びをかみしめるように頬に手を当てた。


「奥様、例の薬草については?」

「ええ、時期外れで難儀しましたが、どうにか手に入れることが出来ましたわ。それにしてもアシュラッドさんは医学も嗜んでいらっしゃるのですね」

「なにぶん、この体なので、時間だけは持て余していまして」


 アシュラッドはそう言って苦笑いを浮かべる。彼が夫人に頼んだのはセラの為の薬だった。それは魔族に伝わる滋養強壮薬で、何某かの助けになればと思い教えたものだ。


 そうして、アシュラッドと夫人がセラの事について話していると、外から騒がしい声が聞こえて来た。

 その声に、「もうあの子ったら」と夫人は、困ったような笑みを浮かべて傍に控えていたメイドに、その声の主を呼ぶように伝えた。


「はいはーい、ボクに何か用……って」いつも通りのテンションで入室して来たマコは、先客が居る事に気付くと、しばしフリーズし、急いで猫を被りだした。


「こほん、ようこそ我が家へ、私は……ってアシュラッドさんじゃないですかー」

「なぬ? アシュラッドだと?」


 被った猫が秒速で立ち去ったのと同時に聞こえて来た耳なじみのある声に、アシュラッドは苦笑いを浮かべる。


「どうも、学業お疲れ様でございますお坊ちゃま」


 そう、アシュラッドの家庭教師先とは、マコの妹であったのだ。


 ★


「はっはっは、そう言う事だったのか、驚いたぞアシュラッドよ」

「申し訳ございません、ご報告するタイミングを逃しまして」


 大口を上げて笑うローランドに、アシュラッドはそう言って頭を下げる。

 そこへ、夫人が口を挟んだ。


「学年主席のローランド君の家庭教師を務めた実績のある人だという事で知人に紹介されてね、セラの体調も見て下さるしホントに助かっているわ」

「いえ、恐縮です奥様」


 そう言って頭を下げるアシュラッドを、ローランドは誇らしげな瞳で眺めていた。

 そして、しばらく4人で他愛のない雑談を広げていたが。途中でメイドが一枚の便箋を夫人に差し出した。

 話の腰を折られた事に、夫人はいぶかしげな顔をしてそれを受け取ったが、その際に耳打ちされた一言で、彼女はキリリと眉を引き締め、アシュラッドへと視線を向けた。

 その様子に、内容を察したアシュラッドは、こくりと頷き返し、一度ローランドへと視線をよこす。


「む? なんだアシュラッドよ、その手紙がなにか?」


 ローランドは、キョトンとした表情を浮かべつつも、同時に不穏な予感を感じ取っていた。


「マコ、貴方は席を外しなさい」と言って娘を追いだした夫人は、改まって便箋の封を開け、中身を読み込んだ。

 夫人がそうしている間に、アシュラッドはローランドに対してこう言った。


「奥様のご実家は金融業をなされているという事で、ガリウス様の事について調査をお願いしたのです」

「なに! それはまことか!」

「ええ、ぬか喜びさせてもと思い、報告が遅れましたことをお詫び申し上げます」

「その様な事はどうでもよい! それで! その手紙には何と書いてあるのだ!」


 ローランドは机から身を乗り出すようにそう言った。


「ちょっと待ってね、ローランド君」夫人はそう言うと、書類の中身を整理する様にいったん目を閉じ、こう言った。


「ローランド君、貴方のお父様は詐欺にあわれてしまったようなの」

「なんだと!」

「落ち着いて下さいおぼっちゃま」


 今にも飛びかかりそうなローランドにアシュラッドは素早く手を伸ばす。

 その手の冷たさに、幾ばくかの冷静さを取り戻したローランドは、どかりと椅子に腰かけ直す。


「……その情報は確かなのか?」


 ローランドは布陣を睨みつけるように、ぼそりとそう呟いた。


「ええ、これはアシュラッドさんからきちんと報酬を頂いたうえでの依頼ですもの。けして手を抜いて無い事を約束するわ」


 夫人はそう言ってアシュラッドにニコリとほほ笑んだ。


「いや、そう言われると申し訳ない。家庭教師という身分を笠に着ての不躾なお願いでした」


 アシュラッドはそう言ってポリポリと頭をかく。報酬と言っても、身内割引の入った格安のもので、それを給料からの天引きという事でして貰ったのだ。そう、胸を張れるようなものでは無い。


「そこら辺の、細かい事はどうでもよい。余はアシュラッドを信頼しておる故な」


 ローランドは腕組みをしながらそう言った。


「して夫人よ、父上の御名誉を回復することは可能であろうか」

「……それは、難しいとしかいいようが無いわね」

「むぅ……さようであるか」


 ローランドは、口をへの字にしてそう言った。


「ローランド君、株式や先物取引って分かるかしら?」

「知識としては、な。だが、実感としてはさっぱりだ」

「そうよね、これは人族の間でも生まれたばかりの概念だもの。私も全てが分かってるなんてことはとてもじゃないけど言えないわ。

『絶対に損はしない。必ず儲かる。今がチャンス』、詐欺業者は言葉巧みに被害者を誘惑するわ、それは正に抗いきれない魅了魔法の如く。

 一度話を聞き入れてしまったら、単独でそれに抗う事は中々に困難よ」

「むぅう。父上は確かに猪突猛進、人の話は聞かないタイプであったが……」

「そうね、自分に絶対の自信がある人の方が陥ってしまいやすい魔法であるわね」


 夫人は悲しげな笑みを浮かべてそう言った。


「それで、救済の手は無いのですか?」

「残念ながら、まだ生まれたばかりの概念ですもの、それを取り締まる法整備が追い付いていないのですわ」


 夫人はそう言って首を横に振る。


「しかしだ、父上をおとしめようとした犯人は存在する。それは間違いないのだな」


 ローランドはそう言って布陣をギロリと睨みつける。


「そうですね、幾つもの中間業者を挟んで、素人にはその根っこにたどり着けないように工夫してあったけど、商取引については、人族の方が一枚上手という事よ」

「奥様! そのいい様では!」


 アシュラッドは目をむきそう言った。


「ええ、ローランド君のお父様を罠に嵌めたのは魔族。それもベルカ公爵の系譜に連なるものだわ」

 

 夫人はふたりを真正面から見つめてそう言いきったのだった。

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