第18話 立場と重み

「やはりベルカか」


 ベルカ公爵の名に、ローランドは拳を震わせる。

 父が死んだのもベルカ公爵邸、差し押さえに来たのもベルカ公爵の家紋を持つ者。全てはベルカ、ベルカ、ベルカ掌の上だった。


「もう我慢ならん!」


 ローランドは、椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がる。


「お待ちを! お待ちください! お坊ちゃま!」

「ええい、離せアシュラッド! 事ここに居たって何を躊躇する必要がある!

 こうなっては余一人でもきゃつの家に乗り込んで、あの薄汚い首を落としれくれるわ!」


 アシュラッドに羽交い絞めにされながらも暴れるローランドへ声をかけたのは夫人だった。


「ちょっとまって、ローランド君。私はベルカ公爵に連なるものとは言ったけど、ベルカ公爵本人の指図だとは言っていないわ」

「そんなこと余の知った事ではないわ! 頭を潰せばそれで済む事よ!」

「落ち着きなさい、ローランド君。かつてはそうだったかもしれないけれど、今はそんな単純な世の中ではなくなっているのよ」


 殺気を隠そうともしないローランドに対し、夫人は少年の目を真っ向から見返してそう言った。

 相手は自分よりも遥かに弱い生物だ、魔剣を使うまでも無く、その命の灯火を消すのは容易い事だろう。

 だが、彼女の瞳に宿る言葉にし難い何かに、少年は冷静さを取り戻した。


「……どういう事だ」


 ローランドはぶすりむくれてそう言った。


「ベルカ公爵は、エシュタット設立にも関わった重鎮中の重鎮よ。人魔共存――人の知恵と魔族の力、それを束ねて発展する。それを体現する事を義務付けられた人物なの」


 夫人は優しい口調でそう言った。


「けど、逆から見れば、ベルカ公爵はその立場に縛られてしまって身動きが取れない状態とも言えるわ」

「身動きがとれない?」

「ええ、言いだしっぺが、率先してルールを破ってしまえば、この街は砂上の楼閣となってしまう。

 そんな危ういバランスの上にこの街は成り立っているの」

「ふむ……それは確かにな」


 夫人の穏やかな口調に、ローランドはむくれた表情はそのままに、どかりと椅子に座りなおした。


「しかし、だからと言って臣下の無法に目をつぶって何が公爵だ」


 ローランドのボヤキに、夫人は困ったような笑みを浮かべてこう言った。


「それが明確なる違法行為ならば、ベルカ公爵も処断の刃を振るうと思うわ。けど残念ながら、そうじゃない。合法と違法の隙間縫うような行為には、やんわりとした注意しか出せないはずよ」

「では奥様、ベルカ公爵の影響力は、エシュタットが出来た事によって落ちてしまったという事ですか?」

「そう言う見方も取れるわね。彼の公爵は、大義の為、両族の平和の為に、率先して人族の流儀を取り入れた、それが足かせとなってしまったのよ。

 ここで彼が魔族の血のままに振る舞ってしまえばどうなるか……」


 そう言って夫人は悲しそうに目を伏せる。

 エシュタットのトップである評議委員会、ベルカ公爵はその顧問として席を置いている。

 絶大なる権力は、彼の身を縛る鎖としても存在しているのだ。


「ベルカ公爵は清廉潔白な方ですわ。ですが、その事が仇になってしまっている」


 夫人は弱々しくそう言った。


「ふん、それを魔族では弱々しいというのだ」


 むくれたローランドはそう言ってそっぽを向いた。


「ですが、お坊ちゃま、それが一族の利益となるならば、ベルカ公爵の身内に反対する者はおりますまい」

「うぐ……」


 確かにアシュラッドの言う通りなのだ。ローランドの立場に立ってみれば、ベルカ公爵は、身内に詐欺師を飼っている不届き者。

 だが、ベルカ公爵側に立ってみれば、まんまと他の貴族から金をせしめた有能な人物を有しているという事になる。


「しかし……なぜ、父上が狙われたのであろう」

「そうですね、わたくしもそこを疑問に思っている所でございます」


 主従はそう言って頭をひねる。

 単純に騙し易そうな人物だった、と言えばそれまでだが。金が欲しければもっと他にもターゲットとなる貴族は他に幾らでもいた筈だ。

 ベルシュタイン家は、武勇には優れていたが、金銭的にはそれ程きわ立った侯爵家と言う訳では無かった。


「この話、まだまだ続きがありそうだな」

「そうでございますね、お坊ちゃま」


 そう言って主従は頷き合った。


「その事なんだけどね、ローランド君」

「む? なんだ?」

「こんな話を聞いたこと無いかしら」


 顔を上げたローランドに、夫人はやや困惑したような表情を浮かべつつ語り始めた。


 ★


「大変です親分! ウチの口座に探りを入れた奴がいるそうです!」

「なんだと?」


 男はその報告にギロリと目を光らせた。


「それで、どこまでやられた?」

「恐らくは、例の脳筋ドレイクをハメた事は見つけられたかと」

「はっ、その程度ならどうでもいい。奴とは口約束で金を巻き上げ続けた、帳簿を幾ら調べ上げられたところで、俺がしらばっくれればそれで済む話よ」


 男はそう言いふんぞり返る様に椅子に背を預けた、


「それで? 報告はその程度か?」

「いえ、その事で、ベルシュタインの子倅が、ウチを探り始めたと」

「はっ、捨て置け捨て置け、あんなはなたれ小僧に何が出来る」


 男はその報告を鼻で笑い飛ばした。


「そんな事よりも、重要なのは例の石碑の方だ、そっちはどうなっている?」

「いえ、それが……」


 報告に来た男は、口をくぐもらせる。

 その様子に男はいら立ちをあらわに机に手を叩きつけた。


「ええい、いったいあれからどれだけの時間が立っているというのだ。もし万が一ラプラスの箱が開かれれば何とする!」

「ひっ、もっ申し訳ございません!」

「例のリッチの件も失敗したのだ。

 記念式典まで時間が無い。それまでに奴らより先に箱を抑えねば……」


 男は牙を怒らせながらそう呟いた。

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