第2話 なんだここは犬小屋か?
実験都市エシュタット。
ベースとなる土地は魔族が提供し、開発に関わる費用は人族が提供したものである。
その広大なる都市の片隅にあるスラム街、そこから薄皮一枚内に入った、なんとか都市内と言えるんじゃないかなー? 薄眼で見れば? と言った所に、今にも壊れ堕ちてしまいそうな長屋があった。
「……なんだここは、犬小屋か?」
「我慢でございますお坊ちゃま」
唖然とするローランドに、アシュラッドはただでさえ陰気な顔を当社比200%増しで暗くしながらそう言った。
「あははー。まぁまぁどんなところでも住めば都と言いますし」
悲痛な表情を浮かべるふたりを他所に、ミラはせっせと引っ越しの準備をする。
まぁ準備と言ってもそれぞれ鞄一つの気軽なものだ。それはあっという間に終わってしまう。
「まぁまぁ使える台所があってよかったですー」と言いながら、ミラはカバンから取り出した丈夫そうなフライパンを壁にかける。
「なんだ、ミラ、そんなものを持ってきたのか」
ローランドがそう尋ねると、ミラはただでさえ豊満な胸をパンと張りながらこう答えた。
「ええ、これは奥様から頂いた大切な贈り物ですからね。借金取りなんかに渡しませんよ」
「まぁ、それがメイドの矜持というのものなのでしょうな」
そう言うアシュラッドが取り出したのは、書物の山だ。
「うぐっ……それは……」
ローランドが言葉に詰まるのを無視して、アシュラッドは書物の表紙をさっと撫でつけた。
「私は、お坊ちゃまの教育係ですからね。私にとって何より大切なものはこの書物です」
彼はそう言って不吉そうな笑みを浮かべた。
「ふっ、ふふん。今更その様な物が何となる。お家復興の為には――」
「今だから重要なのです」
アシュラッドは、ローランドの台詞を遮りながらそう言った。
「ええ、お家がかつてのように順調であったのならば、お坊ちゃまのように武を磨き続ける事も良かったでしょう。
ですが、時代が違うのです。人魔共存の時代となった今、何より必要とされるのは経済力、そしてその支えとなる学歴です。
お坊ちゃまは、知力に劣るという訳ではありません、むしろ優れていると言ってもいいでしょう。今まではただ文より武を好まれていただけ、ですがこれからはそれを改めさせていただきます」
「うっ……ぐっ……いつになく饒舌ではないかアシュラッド」
「ええ、これもお坊ちゃまを思っての事でございます」
アシュラッドはそう言って頭を下げる。だが、そこには断固たる意志が見え隠れしていた。
「ええい! わかった! 好きにするがいい!」
「はい。では早速今日の授業に入らせていただきます」
「今からか!?」
「あははー。それじゃー私はあいさつ回りに行ってきますねー」
「待て! ミラ! そこは余が!」
「お坊ちゃま?」
「ミラーー!」
こうして引っ越し初日は騒がしく過ぎていった。
★
「ふっ……ふふふふ。エシュタット憲章、人魔それぞれの歴史3000年、商法・民法・刑法に数学・魔学・言語学。一通り頭に叩き込んでやったぞ! 文句があるかアシュラッド!」
「いえ、大変お見事でございます。流石はローランドお坊ちゃま、このアシュラッド感服いたしました」
頭に鉢巻を捲き、ふらふらの状態でそう言い放つローランドに、アシュラッドは深々と頭を下げた。
「はいはい坊ちゃまお疲れ様です。特製のタンポポ茶ですよー」
「うう、甘いココアが懐かしい」
ローランドは深い隈を刻み込んだ目に、うっすらと涙を浮かべながら、在りし日を思い出していた。
「ふむ、それで首尾はどうだ、ミラ?」
「はい、アシュラッドさん」
そう言ってミラは、資料の束を机に並べた。
「ふむ、それは何だ?」
ローランドは欠伸交じりにそう問いかけた。
「修練を積んだ後は実戦あるのみです。ミラにはお坊ちゃまが入学できそうな学校のリサーチを頼みました」
「学校……学校かー」
今まで、そんなものとは縁遠い生活を送っていたローランドには、いまひとつ想像が及びつかなかった。
イメージとしては狭苦しい所に押し込まれて、退屈な話を聞いたりする位だ。
「ええ、学校です。ここエシュタットは実験都市という事もあり、学術機関も豊富にございます。
お坊ちゃまには今後の為に、出来るだけグレードの高い所へ入学してもらいます」
アシュラッドは牙を覗かせながらニヤリとそう笑った。
「ふむ、学校と言う所には今一ピンと来ないが、最高の場所を目指すというのは分かり易くて良い」
寝不足で、フラフラとしながらも、胸を張るローランドの前に、ミラが一枚の資料を差し出した。
「えへへへー。坊ちゃんならそう言うと思いました、ここなんてどうでしょうか」
「「ふむ」」
そう言ってふたりが覗き込んだ資料には、エシュタット記念学園と書かれてあった。
「エシュ学……ですか」
「む? なんなんだアシュラッド、エシュ学とは?」
「はい、エシュタット記念学園とはこの都市が出来たと同時に開設された学園で、まさしくこの都市の最高峰と言える場所でございます」
「ほう! なら決まったようなものではないか!」
そう言って目を輝かせるローランドに、アシュラッドは苦虫を噛み潰したような顔をしてこう言った。
「ですが、学費も最高峰、とても我らの経済状況では……」
「む……」
「おまけに、ここのスポンサーと言うのが問題でして……」
「ええい、なんだ、とっとと申せ!」
口を渋るアシュラッドに、ローランドは机を叩きながらそう言った。
「はい……ベルカ公爵。かの御仁が魔族側の最大のスポンサーでございます」
「ベルカ……だと?」
ローランドはそう言って拳を握りしめる。
その名は生涯忘れもしないだろう。あの日彼の父が最後に訪問した先がほかならぬベルカ公爵邸なのだ。
「うーん、やっぱりですかー」
そう言ってミラは腕組みをする。
「そうだなミラ、ここは色々な意味で条件が悪すぎる」
「でもでもですよ、ほらここよく見てくださいよ」
そうして彼女が指さした先には、こんな事が書かれてあった。
「奨学……金?」
その聞きなれない単語に、アシュラッドも頭をひねる。
「ええ、今年から始まった新制度らしくて、経済的な理由で学校に通えない生徒を支援する制度らしいんです」
「ちょっと貸しなさい、ミラ」
そう言ってアシュラッドは資料をひったくる。
「ふむふむ、なるほど、そう言う事ですか」
「おい、ひとりで納得していないで、余にも分かるように説明しろ」
色々な意味でイラつきのピークに達しているローランドは、机をトントンと指で叩きつつアシュラッドをそうせかした。
「はっ、申し訳ございませんお坊ちゃま。これはつまるところ先行投資と言う奴でございます」
「先行投資と言うとあれだな、出世払いみたいなものだな?」
「まぁ、間違ってはおりません」
アシュラッドはコホンと咳き込みをした後話を続ける。
「将来有望なものに対して、奨学金という首輪をつけ、目を開いた時に自軍の駒とする。そう言った事かと」
「うむむむむ。すると、その奨学金とやらを受ければ、ベルカに降伏するような事か……」
考え込むふたりにたいし、ミラは明るい声でこう言った。
「あはははー。そんなに難しく考えなくてもいいじゃないですかー。ベルカ公爵のお金で勉強するって事は、ベルカ公爵のお金を奪うって事ですよー。
それに、最優秀成績者にはタダで貸すって書いてありますしー」
「「むむむむむむ」」
★
喧喧囂囂の協議は夜をとして続けられた。
そして、鶏が朝の訪れを告げる頃……。
「よし! 分かった! ここはあえて敵に塩を送らせてやろう! 余の懐の広さを思い知るが……い……い…………」
完徹4日目、ついにローランドは眠りに落ちたのだった。
「お坊ちゃま、ご立派です」
死力を尽くして目の前の壁に真っ向から立ち向かう事を決心した主に対して、アシュラッドはうっすらと瞳を湿らせながら、彼もまた、主の後を追うように眠りについたのだった。
「ふーう。お疲れ様ですおふたりとも」
ミラはイビキを上げて眠るふたりに毛布を掛けると、ふたりが起きた時の為の軽食を用意して、バイト先へと向かったのであった。
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