お隣はシェアハウス

街々かえる

お隣はシェアハウス


 隣の新築に人が住み始めたと知ったのは、他でもないお隣が訪ねてきたからだ。


 かつての隣の家は、築五十年はゆうに越えたような古い一軒家で、ずいぶん長い間空き家だった。しかし最近、いつのまにか取り壊されて、いつのまにか新しい家が建っていた。前の一軒家もなかなかに大きな家だったが、新しく出来たお宅も、小さなアパート程に大きな家だった。


「これからよろしくお願いします! 私、鼓(つづみ)シュンコといいます」


 挨拶に来たのは、ロングヘアーで、白のワンピースを着た、いかにも清純そうな女の子だった。年齢は二十歳か、それより少し上、くらいだろうか。つまらないものですが、とこちらに差し出したのは綺麗に包装紙につつまれた菓子折だ。ご丁寧にどうもありがとうございます、と返せば彼女はあどけなく笑ってみせた。


「こんな風にするのも初めてなので、よく分からないんです。よかったら、色々教えて下さいね」


 もしかして、新婚さんとかなんだろうか。そう聞くと、


「いえ、違いますよ! ……私たち、これからシェアハウスを始めるんです」


 彼女はまた嬉しそうに笑った。


 *


 シェアハウスは鼓さんも入れて四人で、この春から始めるのだそうだ。


「春は出会いの季節、変化の季節ですから」


 他の三人に会ったら、よろしくお願いします、と彼女は言う。


「私、とても楽しみにしてるんです」



 ◇



「佐藤さん!」


 庭の菜園に水をやっていると、隣の家から声が聞こえた。それは、あれからも何度か言葉を交わしている、鼓さんの声である。


「先日頂いた菜の花の卵とじ、とても美味しかったです! それで、お礼と言ってはなんですが……」


 家同士を区切る柵の上から、鼓さんは私が貸したタッパーを差し出す。その中にはいっぱいにタケノコの煮物が入っていた。


「とっても嬉しかったので、私もその気持ちをおすそ分けです」


 そう言って鼓さんは嬉しそうに、にこにこと笑う。


「あ、佐藤さん、菜園やってらっしゃるんですね。プチトマトの苗を植えたんですか? 美味しいですよね! 私もこの前、そこの庭に苗を植えて……」


 こんなに優しくて、料理上手な鼓さんはきっとシェアハウスの仲間からも好かれていることだろう。そこでふと、以前から気になっていることを聞いてみた。

 鼓さんのシェアハウスに、他の人が出入りするのを見かけないのは何故なのか、と。

 別に観察しているわけではないのだが、隣の家なので中が目に入ってしまうことは時々ある。しかし、それでも鼓さん以外の人を見たことがなかった。すると、鼓さんは少し困った顔をして、こっそり秘密を打ち明けるようにこう言った。


「……実を言うと、他の三人に会ったことがないんですよね」


 というのも、四人とも仕事が忙しく、国内外あちこちを飛びまわっており、今の時期ここにいるのは鼓さんだけなのだという。実はシェアハウスの四人とも、同じ部署で仕事をする同僚で、そのシェアハウスは上司の指示で始めたもの。同じ部署で働く社員のために,上司が用意したものだった。


「仕事の中ではあまり他の仲間と会わないので、これを機に他の皆さんのこと、いろいろ知ることができたらなと思ってるんです。……ただ、仕事の関係で私は皆さんと会うことができそうにないんですけど」


 どうやら鼓さんは他の仲間がここに到着する前に出発してしまうようだ。


「佐藤さんと別れることになるのは、とても、残念なんですけど……でも、また一年後、帰ってきますので」


 鼓さんは寂しそうに微笑んだ。


 *


 鼓さんと別れたあと、ジョウロで菜園に水をやりつつ、私は少し隣の家のことを考えていた。

 つまり、鼓さんはシェアハウスと言いながら実質一人暮らしをしていたのだ。新生活を楽しみにしていた鼓さんだ、他の三人と会えないのは悲しいだろうし、あの大きなお宅で一人では寂しいだろう。鼓さんは平日毎日、朝仕事に出かけ、夜帰宅するという規則正しい生活をしている。家にいる時間は短いだろうけれど。


 会えない他の三人を知るために出来ること、何かないだろうか?

 その時ふと、思いついた。



 ◇



 そろそろ梅雨入り、というニュースが流れ始めたが、天気は快晴でそんなことは少しも感じない。

 庭に出て伸びをしたところ、また鼓さんと会った。


「連絡帳、ですか?」


 私がアドバイスすると鼓さんはきょとんとした顔で聞き返した。

 学校のクラスなどでやった経験がある人は多いだろう。その日のクラス当番がノートに連絡事項、その日に起こった事などを書き、次の人に回す。次の人は前の人が書いたのを読んでその内容に突っ込んでもいいし、別に関係ないことでもいい。長さもこれといって決まっているわけではなく、長短様々でいい。まあほぼ自由である。

 お隣さんの場合は、鼓さんが帰って来るのが一年後だ、一年に一周という非常に遅いペースになりそうだが、その分書く内容を多くすればいい。顔も合わせることができないほど忙しい仲間との通信手段には、絶好の手段のように思えた。

 そうやって説明すると、彼女はみるみるうちに顔を輝かせていく。


「それ、とってもいいですね! 早速ノートを買ってきて、書き始めます!」


 顔を輝かせていた彼女だが、それはすぐに寂しそうな表情に変わる。どうしたのかと聞くと、


「実は、明日にでもここを発たなければならないんです。それで、お礼にこれを」


 そう言って彼女は植木鉢を一つこちらに差し出した。そこには淡い紫色の、小さな星型の花が溢れんばかりに咲き誇っていた。


「これ、ベルフラワーっていうんです。綺麗だと思って、あなたにあげたくて」


 花にそれほど詳しくない私でも、心から美しいと感じるほどその花は綺麗だった。私が植木鉢を受け取ると鼓さんは花に負けないほどの笑顔を見せた。


「また来年、お会いするのを楽しみにしていますね!」



 ◇



 梅雨も明け、晴れの日が続き、気温も高くなってきたと感じるある日のこと、私はいつものように菜園をいじっていた。


「あなたが佐藤さんだね」


 聞きなれない声に振り向くと、隣の家の庭から、髪をツインテールにした女の子がこちらを見つめていた。


「あたし、隣のシェアハウスに住み始めたんだ。お隣の佐藤さんにはお世話になってるって、シュンコちゃんに聞いたよ」


 ということは、鼓さんの仲間だ。


「あたしは朱頂(すじょう)カナ。これからよろしくね」


 彼女は右手でビシッと敬礼の形を作りながら、ニコッと笑った。


 *


「シュンコちゃんが残してくれたノートに書いてあったんだ。お隣の佐藤さんはいい人なので、よろしくして下さいって」


 鼓さんはあの後、連絡帳を書いたようだ。それがうまく次の朱頂さんにつながったようで、安心した。


「まだ全部読み終えてないんだけどね。だって十ページ以上びっしり書いてあったし」


 十ページ以上。さすがに多いな、と思うが、次に来る仲間に伝えたいことがたくさんあったのだろう。鼓さんらしいな、とも思う。


「あたしはそんなに量は書けないかも。あ、だけど、ちゃんと書くからね? それ、教えてくれたのも佐藤さんなんでしょ? ありがとね」


 はきはきとした口調で彼女は次々と言葉を紡ぐ。


「ねえ、また何かあったら、相談に来てもいい?」



 ◇



「佐藤さーん」


 色づいた菜園の野菜を収穫していると、朱頂さんの声がした。

 今日も暑いね、と言うと彼女は、そうかな? と首をかしげる。


「そんなことよりさ、ちょっと相談に乗って欲しいんだ。シュンコちゃんへのお礼のことでね」


 聞けば、鼓さんは出ていくときに手作りのお菓子を冷蔵庫に残していってくれたのだという。


「イチゴのジャムとか、サクラのクッキーとか……うん、まあ、美味しかったからさ。だから、シュンコちゃんと同じようにはできないかもだけど、何かしたくて」


 鼓さんに手紙を書けばよいのでは? と提案するが、それだけでは気が済まないのだという。


 さて、どうするか。

 少し悩んでいると、朱頂さんは私の菜園に目を向けた。


「……あれ、そのトマトはまだ収穫には早いよ。酸っぱいんじゃない?」


 言われて今収穫したプチトマトを口に入れると、確かに酸っぱい。見た目は赤いのに、まだ中身は熟していなかったのだろうか。


「あたしも今、シュンコちゃんが植えてくれた野菜を見てるところ。収穫は来週かなー」


 そういえば鼓さんが、シェアハウスの庭で野菜の苗を植えた、と言っているのを聞いた。

 その庭はシェアハウスの敷地内に生えている木で隠れてしまって、こちらからは見えないのだが。

 その時ふと思いついた。なら、その野菜を他の仲間のために残してあげることが鼓さんのためになるのではないだろうか。


「野菜を? でも、シュンコちゃんが帰ってくるのは来年だし、それまではもたないよ」


 鼓さんは、植えた野菜が美味しく育ったら、いろんな人に食べてもらいたいと思うだろう。もちろん、朱頂さんにも食べてもらいたいだろうが、本当はシェアハウスの三人全員に食べてもらいたいはずだ。


「そういうものかな……。じゃあ、次に来る奴のために野菜を保管しとけばいいんだね? まあ、それでシュンコちゃんが喜ぶならいいか……」


 どこか釈然としない感じではあったが、朱頂さんは少し嬉しそうに庭に向かっていった。



 数日後、朱頂さんは真っ赤なトマトや、よく育ったキュウリ、ナスなどを私にくれた。どれもとても美味しかった。



 ◇



 まだまだ暑い空気が漂う頃、その日私は庭につながる窓を開け、足を外に出して涼んでいた。手にしたアイスバーを舐めると、小豆の優しい甘さが舌先からじんわりと広がる。


「なにやってるの?」


 声の方を向けば朱頂さんが柵の向こうからこちらを覗き込んでいた。

 私は家の中に戻り、冷凍庫から同じ小豆味のアイスバーを取り出すと、庭にいた朱頂さんに差し出した。


「え……いいの?」


 朱頂さんは戸惑いながらも素直に受け取ると、アイスバーを舐め始める。一度噛もうとしてあまりの硬さに口をはなしていた。

 立ったままでは食べづらいだろうと、こちらの家の軒で一緒に食べないかと誘えば、彼女はまたしても戸惑っていたがやがて庭に入って来た。

 アイスを食べ終わったところで朱頂さんはぽつりと言った。


「やっぱり、佐藤さんって面白いよね。普通、隣人にそこまでする?」


 それは、褒め言葉として受け取っておくことにした。


 *


「あたし、もう少ししたら仕事で離れなきゃいけないんだ。……よかったら、この花の面倒、佐藤さんが見てくれない?」


 アイスを食べ終わってしばらくした後、家に戻った朱頂さんは大きな鉢植え……プランターと言うのだろうか、を持ってまたやって来た。


「育ててたんだけど、もう、あたしは行くし……枯らしちゃっても怒らないから。もう佐藤さんのものにしていいからさ」


 小柄な彼女が両手で抱えた大きなプランターには、いくつかの種類の花が肩を並べて植えられていた。

 花びらがめしべを包むように幾重にも重なった花、菊のように小さな花びらがいくつも連なった花、そして最後は私も知っている、フリルのような花びらが重なり合った花。そのどれもが赤い、満開の花を咲かせていた。


「端から、リシアンサス、アスター、あと、カーネーション。赤い花が綺麗でしょ」


 そう言って、朱頂さんは最初に会った時のようにニコッと、無邪気な笑顔を浮かべた。


「赤は好きなんだ。元気が出る感じがして。元気があった方が、何事もうまく行くと思うんだよね」



 ◇



 暑さが落ち着き、涼しい風が吹いて来るようになったある日のこと。

 買い出しのために玄関を出たところで、スーツをきっちりと着た男性に声をかけられた。


「佐藤さん、で間違いないでしょうか?」


 スーツの男性に話しかけられることなどほとんどないので、意図せず身構えてしまう。保険屋さんとかだろうか、と思ったところで彼は名刺を差し出した。


「申し遅れました、僕は隣のシェアハウスに住んでいる、 木犀(もくせい)シュウジという者です」


 名刺は名前以外真っ白で、会社名などは一切書かれていない。

 何はともあれ、彼もお隣のシェアハウスのお仲間だ。


 *


 お近づきの印に、と木犀くんがこちらに差し出したのは、梨、柿、葡萄、桃などの果物がカゴにいっぱい入った詰め合わせだ。


「仕事で果物狩りに行ったんですよ」


 慰安旅行かなにかだろうか。


「遠慮しないでください。次来る奴に残しておくにしても、一人では消費しきれませんから。それに、前の二人がお世話になったようで、これはそのお礼も兼ねてです」


 どうやら、彼も連絡帳を読んでくれたようだった。彼は私がカゴを受け取ると、にっこりと笑う。


「僕も、あなたと仲良くしたいと思っているんです。よろしくお願いしますね」



 ◇



 風は一段と冷たくなり、日も途端に短くなってきたころ。

 珍しく天気の良い、ある日曜日、私はその日の朝に作ったアップルパイを持って、シェアハウスのチャイムを押していた。アップルパイには、その数日前に木犀くんがくれたリンゴが入っている。だからこれは、先日のお礼も兼ねてだ。


 少しして木犀くんが戸を開け、現れた。

 私がアップルパイを作ってきたと言うと、彼はとても嬉しがって、一緒に食べようと誘ってくれた。シェアハウスの庭にはいつのまにかベンチが設置されており、それに並んで座ると、珍しく暖かい今日はとても居心地がよかった。


 シェアハウスの庭には、私の家の庭と同じような(シェアハウスの方が広いけれど)菜園があり、夏野菜の収穫はもうとっくに済んでいるようだった。しかしシェアハウスの庭に、庭木にしてはそこそこ大きな木が植えられているため、私の家からは菜園はよく見えないのだ。


 その木は木犀くんの身長をひとまわり大きくしたような高さで、四方に枝を伸ばし、葉をたくさんつけて、精一杯に生きていた。今ではその木の葉も紅葉し、幹の下に落ちたものが少し積もっている。


「その、シュンコさんと、カナさんに、佐藤さんは会ったんですよね」


 ふと彼が口にしたのはそんなことだった。どんな人でしたか、と彼は聞いてくる。

 真剣な彼の様子に、私は言葉足らずながら、鼓さんと朱頂さんのことを木犀くんに伝えた。すると彼は、そうですか、と言いながら、少し寂しそうな顔をする。


「僕は彼らに会えないけれど、連絡帳や、佐藤さんにこうやって聞くことで少しは様子がわかりますから」


 その言い様に私は少し違和感を覚える。何故会えないなんて言うのだろう。それこそお互いに連絡をとって、休暇を上手く合わせれば、四人ぐらい、全員で会うことは容易いのではないだろうか。

 そう聞けば彼は、そうもいかないんですよ、と言う。


「仕事の性質上、そういうことは無理なんです」


 そういえば、彼らの仕事について詳しく聞いたことはなかった。どのような仕事なのだろう。すると木犀くんは困った顔をして、


「そうですね……時間と場所を束縛される仕事です」


 彼は曖昧に答えた。結局どんな仕事なのか、具体的なことはわからないままだ。


「でも、僕はこの仕事気に入ってるんです」


 そう言う木犀くんの瞳はキラキラしているように見えた。


「僕は仕事の一環で、いろんなところに行って、ちゃんと仕事ができているか確かめる必要があるんですが、こういう時に、皆さん、僕の仕事を感じてくれているってことがわかるんです。僕が仕事したおかげで皆さんに影響を与えているし、なにか感じてくれる人がいる。それだけで、すごくやりがいを感じるんですよね」


 私はその話を聞いていて、やはり木犀くんの職業を知りたいと思っていたが、その職業がなんなのか、結局彼は教えてくれなかった。



 ◇



「僕もここで一度お別れです。……まあ、また一年後、会えますから」


 シェアハウスの庭木も葉をほとんど落とし、寂しげにしている頃、彼は最初の時と同じように玄関に現れた。


「これ、よかったら受け取ってください」


 そう言ってこちらに差し出したのは一輪の白いダリアだった。綺麗に包装され、リボンが結ばれている。鼓さんと朱頂さん、二人に花を貰ってから、花言葉にも興味がわき少しは調べるようになっていた私は、これの意味するところがすぐにわかった。

 こちらこそ、と返事をすると、彼ははにかんで笑った。


「ちょっと、有名どころすぎましたかね?」



 時折吹く風がどこかから流れてきた落ち葉を巻き上げる。風もだいぶ冷たくなって、私は思わず体を震わせた。

 木犀くんはどこか遠い目をして、風の吹いてきた方向を眺めながら、呟くようにもらした。


「前も言ったように、僕たちは一緒にはいられないんですよ。あなたとも、必ず、別れはくるんです」


 どうやらそのようだ。今まで、隣の家に二人も人がいたことはない。隣の家の住人たちは、お互いに会うことすらできない。



 でも、こう考えることもできる。別れがあるなら、また出会える。また一年後、あなたとの、木犀くんとの新たな出会いが待っているのだ。


 私は今からそれが楽しみだ。

 彼はその言葉に少し目を見開いた後、にっこりと笑った。


「あなたが隣人でよかったですよ」



 ◇



 冷たい北風が吹きすさぶ頃。

 どうやら次の人は来ているようだった。朝と夜に隣の家で人の出入りする気配がするし、実際隣の家に入っていく男性を見たこともある。

 しかし、最近は寒くて私も庭に出ないし、相手が訪ねてくる気配もない。お隣さんなんて普通そんなものか、と思いつつ、少し寂しい気もするのも確かだった。


 ある日、買い出しから帰ってくると、隣の家の玄関口にクリスマスツリーが飾ってあるのに気づいた。高さが私の肩ほどまであるそれはなかなか大きい部類に入るだろう。ツリーにはちかちかと色の変わる電飾が巻かれていて、見ていると楽しい気分になってくる。


 やはり新しい人はもう来ている。私はその人に会いたい気持ちを募らせたが、家の中は真っ暗で、どうやら留守のようだった。



 ◇



 年末、正月と、何かと忙しい日々も過ぎ、やっと少し落ち着いてきたという頃。

 その日、朝起きたら雪がどっさりと積もっていた。どっさりと、といっても二十センチ程度だが。昨日の夜からずっと雪が降り続いていたらしい。幸い今は晴れているようだ、私は分厚いコートを着て、雪かきを手に玄関を出る。


 すると、黒いジャンパーを羽織った男性が隣の家の玄関で雪かきをしているのが目に入った。もしやと思い声をかけると、彼は少し驚いたようにこちらを見つめていたが、すぐに合点がいったような顔をして、


「ああ、あんたが佐藤さん」


 それだけ言って、雪かきに戻ってしまった。私は自分の家の玄関を雪かきし始めることにした。

 玄関の雪かきが終わったら家の前の道路も雪かきをしておかなければ。これは誰に決められたわけでもないが、義務である。私が道路の方も雪かきを始めると、玄関の雪を積み上げていた彼もならって道路の雪かきをし始める。私がほぼ道路の雪かきを終えた頃、彼の方はまだ半分ほど残っていた。隣のシェアハウスは敷地が広いため、そのぶん雪の量も多いのだろう。

 私が手伝いを申し出ると、彼は怪訝な顔をしていたが、じゃあ頼む、と言ってくれたので喜んで雪かきをした。彼はそんな私をおかしなものでも見るように見ていた。


 雪かきが終わった後、部屋に入ってきた私がコートを脱ぎ、ハンガーにかけたところで、チャイムが鳴った。

 訪ねてきたのは、先ほどの彼だった。


「……俺は、篝火(かがりび)トウヤ。隣のシェアハウスの住人だ。あんたならもう知ってると思うが。……ちょっと、あんたにひとこと言いたいことがある」


 そう言う彼を、私は中に案内した。この時期は外で立ち話をするには寒すぎる。


 *


 彼をテーブルにつかせ、昨日作ってまだ残っていたおしるこを出すと、彼ははじめ戸惑っていたが、やがてスプーンを使ってかきこみだした。私も少しお椀にとってきてテーブル向かいに座る。

 篝火くんはおしるこを食べ終わると、ごちそうさまでしたの挨拶と共に、こちらを睨む。


「……あんたが、他のやつらにいろいろ入れ知恵をしたんだろ?」


 入れ知恵。言い方はなんだか良くないが、まあその通りである。迷惑だったか、と聞くと彼は、ああそうだね、と吐き捨てる。


「俺は元々、反対だったんだ。こんな、シェアハウスなんて」


 *


「俺たちはさ、絶対顔を合わせることなんてないんだよ。仕事内容的に」


 木犀くんも言っていたが、よほど忙しい仕事なのだろうか。その場をどうしても離れられないほどの。


「だから、同僚との交流など、無理なんだ。あんなノートなど書いて、意味がないだろう。時間の無駄だ。……めんどくさいんだよ。……だから、あんたも、もう、余計なことはするな」


 一方的にまくしたてた篝火くんは、言いたいことは言った、という風に立ち上がると出て行こうとする。

 私は彼が、彼自身の言うようなことを本心から思っている人だとは思えなかった。本当に、人との交流をめんどくさいと思う人が、時間の無駄だと思う人が、クリスマスにツリーなんて出すだろうか。

 私は篝火くんを引き止めそう言うと、彼は大きく目を見開き、こちらを睨むような視線を送ってきた。そして、少し悩むように俯いていたと思うと、ぼそりと呟いた。


「意味がないだろう」


 そしてさっきより少しだけ大きな声で言う。


「何かと出会っても、いつか結局別れてしまうなら、それは意味がないだろう」


 どこか訴えるように、彼は私に言う。


「別れる時の悲しみを味わうくらいなら、出会わない方がいい。そうだろ」


 そして、彼は雪に閉ざされる冬が一番好きなんだ、とも言った。彼は、変化を恐れているのだ。


 *


 どこか必死な彼を見て、私は思う。自然と言葉が口に出る。確かに、いつか別れが来るのは嫌だけど。


 けど、一人は寂しいから。


 そう言えば、彼はまた目を大きく見開いて、今度は何も言わなかった。

 私はずっと空き家だった隣に人が来て、嬉しかった。だから、仲良くしたいと思うし、仲良くしてほしいと思う。それは、一人でできることじゃない。


 協力して下さい、と言えば、彼は投げやりに、勝手にしろよ、と言った。



 ◇



 周囲に積もっていた雪もだいぶ溶けてきたある日。

 チャイムの音で玄関を伺うと、そこには篝火くんが立っていた。


 彼の足元には、大きなダンボールが置いてある。その中には白菜や大根、ほうれん草、ねぎ、ブロッコリー、さつまいも、じゃがいも……などなど、沢山の野菜が入っていた。


「これ、やるよ。仕事先でもらったんだけど、大量にあって邪魔なんだ」


 野菜は最近高いから、とてもありがたい。


 *


「三月になったら、シュンコとやらが来る。代わりに俺は仕事で移動するから」


 やはり入れ違いになってしまうのだな、と少し寂しく感じる。鼓さんはあんなにみんなと仲良くしたがっていたのに、やはり直接顔を合わせられないのは寂しいだろう。


「あんたがそんな顔をする必要はないんじゃねーの」


 どうやら相当暗い顔をしてしまっていたらしい。


「……仕方がないだろ、俺たちは、同じところにはいられないんだよ」


 そう言って目を伏せて、彼は呟くように言った。


「まあ、だから、なんだ。……またな」


 *


 篝火くんが去ってから、私は大きなダンポールを家の中に入れ、中身を確認する。

 すると、その中、ホウレンソウと赤カブの下に隠れるようにそれはあった。

 赤い一輪のバラ。

 私はそれだけで、嬉しくなってしまった。

 あまりに単純だけれど。



 ◇



 チャイムが鳴った。

 ドアの向こうには、


「佐藤さん、お久しぶりです!」


 あの時と全く同じ、彼女が立っていた。



 鼓さんは相変わらず明るくて暖かい人だった。


「聞いてください、佐藤さん! 皆さん、ちゃんと連絡帳書いてくれたんです!」


 そう言う彼女は本当に嬉しそうに話している。


「あの、私、今度デジタルカメラを買ってみようと思うんです! 皆さんのこと、もっと良く知りたいので!」


 今にも走り出しそうな彼女に、鼓さん、張り切ってるね、と声をかければ、鼓さんは満面の笑みで答えた。


「春は出会いの季節、変化の季節ですから! だから、私は好きなんです。なにか良いことが起こるかも、楽しいことが起こるかもって、わくわくしませんか?」


 変化を恐れるのは当たり前だ。安定性を求めるのも当たり前だ。けれど、まるっきり変化しない日常ではつまらない。

 変わっていくのは、悪いことじゃない。

 さて、今年はどんな年になるだろうか。


 終

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