第19話 樹界の王

 身体を擦り寄せてくるラウネシアは、ボクよりも背丈が大きい。

 自然と包まれる形になり、木のように硬い肌が少しだけ痛かった。

 彼女の肌は、人間のような熱を持たない。

 その体内で熱エネルギーが作り出されることはなく、ただ冷たい感触だけがあった。

 けれど、感応能力によって温かみを感じることができた。

 親愛の情は、どんな熱源よりも温かい。

 それが妙に心地よくて、ボクは彼女に抱かれたまま暫くじっとしていた。

 二つの太陽が、じりじりと大気を熱していく。

「ラウネシア」

 声をかけると、背中に回された腕が緩んだ。

 一歩下がって、ラウネシアを見上げる。

「残ってる寄生植物を取り除きます」

 彼女の樹体には、依然として寄生植物が巻き付いている。

 根を切ってもすぐに死ぬことはなく、地面を目指して成長を続ける。

 完全に死滅するまで何度も駆除を続ける必要があった。

『実はこれ、少し鬱陶しかったのです』

 ラウネシアがクスクスと控えめに笑う。

 そして彼女は身を任せるように目を瞑った。

 バックパックからナイフを取り出して、手の届く範囲でシメコロシノキを切断していく。

 衝撃で発火する火炎植物は例外として、ラウネシアとその眷属は通常の植物と違い、火に対して強い耐性を保持している。

 反対に、以前試したように、軍蟲が外から持ち込んだ寄生植物は通常の植物以上に燃えやすい。

 ならば寄生植物の駆除は、ライターを使えば寄生植物だけが燃え上がってすぐに終わるかもしれない。

 それでもこうやって地道に手作業で寄生植物を取り除いているのは、この寄生植物の蔦に道具としての有用性があるからだった。

 燃やして灰にする訳にはいかない。

 寄生植物は相変わらず、生命力に富んでいる。

 どれだけ取り除いてもすぐに成長し、ラウネシアを覆い尽くそうと広がっていく。

 この図太い生命力は、今のボクにとって都合が良かった。

 敵の迷い人は、恐らくある戦略に達するだろう。この燃えやすい蔦は対抗手段として有効なはずだった。

『カナメ』

 寄生植物を取り除いていると、暇を持て余したのかラウネシアが声をかけてきた。

『私はカナメの事をもっと知りたいです。カナメの世界は、どのような世界でしたか?』

 思わず手が止まった。

 そして考える。

 人間の世界を、植物に説明するのは難しいことだった。

 あらゆる思惑が絡み合った複雑な世界だった。

「一言で言えば、比較的コントロールされた世界です。単純な力関係に加えて、弱者の保護という考え方があり、共同体の中では相互扶助が推奨されています」

『強者が絶対ではない、と?』

「一個体に対する権力の集中を警戒する傾向があり、絶対的な強者を許容しない社会構造をしています」




「しかし、民主政はいずれ衆愚政へと堕ちる。人々は聡明な賢人による統治を望み、君主政が復活する。その君主政もまた、いずれは暴君政となる。これに有力者たちが対抗して貴族政が成立しても、それはまた寡頭政へと転落し、やがて民主政へ移ろうだろうね。政体は循環するんだ。だから、カナメ。この在り方は永遠ではない。遠くない将来、強大な個体による統治が再び始まるよ。それは歴史が証明している。上っ面だけの平等主義なんて、長くは続かない」




 脳裡に由香の言葉が蘇る。

 そういえば、政治体制についても由香は多くを語っていた。

 あらゆる事に、由香は関心を示していた。

 植物以外の世界へ視野を広げようとしなかったボクとは反対だった。

『それでは意思決定に難があるのではないですか?』

「そうですね。現実には様々な弊害が生まれます。しかし、そうした弊害は独裁的な体制と比較して無視できるものと考えられています」

『独裁、ですか。私のように?』

 ラウネシアが微笑む。

「いえ、人は堕落する種族です。眷属を創造、支配して防衛を要するラウネシアと違い、人はどこまでも愚かになれる。そして、人は本来、そこまで大きな力関係がありません。現行の支配は社会的な在り方であって、根本的な根拠となるものはない。だから、いとも容易く腐敗し、壊れてしまう」

 そもそも、と言葉を続ける。

「独裁自体は、優れた政治形態だとボク自身は考えています。特に意思決定、一貫性、功利性に於いては非常に優秀です。ラウネシアの場合は、それを営みとする原型種です。その環境と構造から、腐敗は起こりづらい。しかし、人の寿命は長くはありません。世代交代が起これば、いずれは必ず愚者が王位を継ぐ事になります。破滅の末路が確定しているが故に、ボクたちの世界では避けられているだけです」

『……人は堕落する。ならば、カナメも堕落しますか? 例えば、私がこの森の王座を貴方に譲渡したとして、貴方は私欲に溺れますか?』

 予想外の問いかけ。

 ボクはラウネシアの意図を掴みかねて、思わず彼女の瞳を見つめた。

 彼女は真面目な顔で言葉を続けた。

『カナメは、自分が人間であることに疑問を覚えていたはずです。カナメはきっと、植物に近しい存在です。ならばカナメはこの樹界の王に相応しい』

 樹界の王。

 植物を統べる存在。

 それはきっと、本当の意味で植物と同化するということなのだろう。

 人間であることを辞め、別の種族として生きていくという選択。

 それは幼い頃からずっと、夢見たものだった。

 ボクは随分前から、人間として生きる事に疲れていた。

「……人は堕落します。そして、ラウネシア程に長寿でもない。そうした考えは捨てるべきです」

 それでも、ボクは人間として生を受けてしまった。

 樹界の王には、きっとなれない。

『そう言うと思いました。カナメの価値観、思考が段々とわかってきました』

 ラウネシアが満足そうに言う。

「試しているんですか?」

『いえ、そういうわけではありません。ただ、カナメがどう答えるのか興味がありました』

「……そうですか」

 周囲の殆どの寄生植物を取り除き終わり、その場に腰を下ろす。

 明日になれば再び寄生植物が伸びているだろう。

 適当に切り上げなければ、きりがない。

 大地に手をついて、空を見上げる。

 ラウネシアの林冠が影になって、空はよく見えなかった。

 木漏れ日の間に、瑞々しく実った果実が見えた。

『食事にしますか?』

「はい。頂ければ嬉しいです」

 すぐに果実が落ちてくる。

 拾い上げ、周囲についた草と土を払ってから齧ると、ほのかに甘い味が口内に広がった。

 少し、疲れた。

 目を閉じると、葉擦れの音が聞こえてくる。

 そして感応能力が拾い上げる植物の声。

 穏やかな時間が、そこにあった。

 今日はこれからどうしようか。

 そんなことを考えて、残った果実を齧る。

 学校も、仕事もない。

 ラウネシアの庇護の下にあれば、何もする必要がない。

「ラウネシアは、ボクが来るまでずっと一人だったんですよね」

『はい。他の人間が迷い込んだ事はありません』

「同じ原型種とも出会った事がないんですか?」

『遠い昔、母なる存在と時を同じくした事があります。私の寿命からすれば、とても短い期間でしたが』

 ラウネシアが懐かしそうに言う。

「……他の植物とも、会話のようなものはしないのですか?」

『ええ。会話に類するようなものはしません。必要があれば相応の知力と発話機構も作れるのでしょうが、注ぎ込めるエネルギーは有限です。軍蟲に対抗する勢力の構築が最優先です』

 この森でラウネシアは気が遠くなるような長い時を、一人だけでずっと生きてきたのだろうか。

 軍蟲との戦闘に備え、ただひたすら軍備を拡大し、ずっとこの大地を守ってきたのだろうか。

 ラウネシアは、人間ではない。

 人間とは時間の感覚も違うだろう。

 それでも、その在り方はとても寂しいもののように感じた。

『カナメ。貴方がここに迷い込むまで、本当に長い時間を要しました。原型種は、待つ種族です。それでも、長い時間を待ち続けていました』

 ボクの思考を読んだように、ラウネシアが言う。

『私は、カナメが考えている以上に、カナメを欲していたのですよ』

 圧迫感すら覚える好意。

 ボクの感応能力が、彼女の思考が嘘ではない事を告げている。

「……望んできた時間に比例して、ラウネシアの人間に対する期待は肥大化しています。期待と現実との格差が、そのうち大きな失望を生み出す危険があります」

『その逆ですよ。人間に対して、勝手な希望を抱いていた事は確かです。ですが、カナメは私の希望を超えていた。植物に対する感応能力を有している存在は、私が持つ知識の中にありませんでした。本来、原型種が人と深いコミュニケーションを取る事は不可能なのです』

 そして、ラウネシアは微笑む。

『だから、私はカナメと永久を生きたい。いつか樹界の王として私と長い時を寄り添って欲しいと、そう思うんです』

 ラウネシアの腕が、ボクに絡みついた。

 彼女の視線が、粘りつくように注がれていた。

 頭がくらくらするような、甘い香りがした。

 樹界の王。

 彼女の囁く声が、自然と頭の中に溶けていった。

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