第13話 ユーカリ

 音が戦場を支配していた。

 森全体から響き渡る砲声。軍蟲を指揮する太鼓の音。そして、断末魔にも似た咆哮。

 その音に耐性を持たないボクは、正常な思考能力と判断能力を徐々に削がれるのをぼんやりと感じていた。

 太鼓の音が、次々と変わっていく。

 軍蟲の横陣が更に広がり、ラウネシアの火力を分散させるようにその体積を伸ばしていく。

 やはり、軍蟲には知能が存在する。

 彼らは彼らなりの戦闘教義を保持している。

 彼らは学習を繰り返し、それを改良していく事になるだろう。

 圧倒的火力によって、軍蟲が次々と吹き飛ばされていく。

 弾の役割を果たしているのは植物の実だろうか。

 次々と炸裂するそれは、まるで迫撃砲のようだった。

 現時点では、ラウネシアと軍蟲の戦力には大きな差がある。

 ラウネシアの持つ圧倒的火力は、軍蟲の持つ些細な戦闘教義を叩き潰す絶対的なものだ。

 大気を震わせる轟音の中、軍蟲の軍勢はなおも広がっていく。

 止まる様子がない。

 軍勢の形は、崩れていく。

 はじめ、ボクはそれを瓦解だと判断した。

 圧倒的火力によって、軍蟲は最早隊列を無視して逃げまわっているのだと思った。

 しかし、軍蟲の広がりは収まりを見せない。

 軍蟲との距離が縮まる中、彼らは固まりを作らず、個人的な突撃を始める。

 そこに、ボクは得体の知れないものを感じ取った。

 思わずラウネシアの点在樹に目を向ける。

「ラウネシア。軍蟲の広がりはいつものことですか?」

『いえ、ここまで広がるところは見た事がありません』

 軍蟲は最早軍勢ではなく、個体としての攻撃を開始していた。

 軍勢としての突撃能力を失い、森全体に張り付くように大きく広がっていく。

 ラウネシアの砲撃の効果が弱まり、撃ち漏らした敵が次々と接近してくる。

『カナメ、下がってください』

 ボクは頷いて、森の中に向かって駆けた。

 軍蟲は、既に統率を失っている。

 それでも攻撃を止めないのは、敵の指揮官が部隊を生き残らせるつもりがないからだ。あれだけ広がってしまった部隊を無事に戻す事は不可能だ。

 敵はもう、勝利を放棄している。

 軍蟲の武器が繁殖力で、軍蟲の戦略目標が生存圏の拡大であるならば、既に敵の目的は戦術勝利ではなくなってしまっている。

 これは、口減らしだ。

 死に向かって、ただ軍蟲たちは行進させられている。

 悲鳴が聞こえた。

 軍蟲のものではない。

 ボクの感応能力が拾った植物のものだった。

 森に侵入した軍蟲たちが、外殻を構成する樹木を斬り倒していく。

 それを迎撃するように、更に内部の植物たちが戦闘態勢に移り、激しい攻撃意思が森全体に広がっていく。

 勝敗は、もう見えている。

 現時点で軍蟲に勝ち目は存在しない。

 それでも、軍蟲は退かない。

 戦争という言葉とはかけ離れた戦闘行為。

 原始的な生存競争そのもの。

 恐らく、この戦争において妥協点というものは存在しないに違いない。

 講和は存在せず、種そのものを殲滅するまで続くのだろう。

 森の中を駆ける中、背後から軍蟲の咆哮が響いた。

 振り返ると、樹々の向こうに軍蟲が立っていた。

 目が合うと同時に、それは地面を蹴った。

 速い。

 筋骨構造が人間と相当違うようだった。

 以前に打ち倒した軍蟲は、墜落によって負傷していた。

 しかし、この軍蟲は無傷の上に斧を装備している。

 ボクが勝てる確率はとても小さい、と判断する。

 咄嗟に周囲を見渡した。

 外殻に辿り着くまでにラウネシアが説明してくれた樹木の中から、迎撃に最適な樹木を見つけ出す。

 軍蟲が斧を構え、ボクに向かって迫る。

 巨体が真っ直ぐと近づいてくる中、ボクはある樹木に回りこんだ。

 軍蟲はそのまま距離を詰めてくる。

 敵意。

 目の前の樹木から明確な攻撃意思が立ち昇る。

 しかし、軍蟲は気づかない。

 感応能力を持つボクだけが、この樹木が攻撃準備を終えた事を理解していた。

 軍蟲が樹木ごとボクをなぎ倒そうと、斧を横薙ぎに振るう。

 その時、樹木が勢い良く燃え上がった。

 一般的に植物は火に弱いイメージがあるが、火を利用する植物、というものが多数存在する。

 代表的な例はユーカリだ。

 山火事が起きやすい乾燥地帯に生息するユーカリは、山火事による刺激によって発芽し、成長してからも山火事に対抗する為、樹皮が燃えやすく、すぐに幹から剥がれ落ちる仕組みになっている。

 この森にも、似たような樹木が存在する。

 ラウネシアが罠の一つとして設置している火炎植物。

 これは外部刺激に対して簡単に発火し、爆発にも似た炎上を引き起こす。

 一瞬にして燃え上がった炎が、軍蟲を巻き込んで轟々と炎上する。

 息をつく間もなく軍蟲の身体が炎に包まれ、悲鳴じみた咆哮をあげる。

 ボクはゆっくりと軍蟲から離れ、その最期を見つめた。

 燃え上がる炎に耐えかねて軍蟲の身体が崩れ落ちる。

 炎は収まらない。

 周囲の雑草が燃焼性の物質であるテルペンを放出し続けているのだ。

 何気なく足元を覆うそれら全てが、軍蟲を殺すための兵器として機能していた。

 燃える軍蟲の動きが徐々に鈍くなっていく。

 強い臭いが鼻をついた。

 ボクは燃え盛る軍蟲から目を離すと、ゆっくりとその場から離れた。

 森中を支配していた音が徐々に弱まっていくのが分かった。

 火炎植物を含めた多数の植物が、侵入を果たした軍蟲を次々と迎撃しているのだろう。

 いつの間にか、軍蟲を指揮していた太鼓の音も止んでいる。

『戦いは終息しつつあります。この外殻を抜けられるほど、私の防衛能力は甘くありません』

 ラウネシアの声。

 森の中を歩くボクの前に、数体の軍蟲の死体が現れる。

 ボクは死体の持つ斧を手に取り、それから他の斧と見比べた。

 作りが粗い。

 しかし、金属を加工する術を軍蟲は知っている。

 その技術を伝えていく文字文化も軍蟲が保持している可能性が高い。

 その程度の知能が存在するならば、支配制度が存在するはずだ。

 王の役割を果たす個体が必ず存在する。

 軍事的権限を持った将軍も存在する可能性が高い。官僚機構に似た組織も存在するかもしれない。

 彼らの戦闘教義は、世代を追うごとに強化されていくだろう。

 そして、ある時点で一つの答えに辿りつくはずだった。

『これが私と軍蟲の力量の差です。カナメ、心配は無用です。私にはあなたを守る力がある』

 確かに、今の火力差では軍蟲たちに勝ち目はない。

 あれだけの投射量を誇るラウネシアの火力に対し、軍蟲には原始的な近接武器しか存在しない。

 一見すると、ラウネシアが遥かに優位性を保っているように見えてしまう。

 けれど、ボクは既に知っている。

 ラウネシアに王手をかける手段を、ボクは既に知っている。

 史上最悪の戦争形態を、ボクは知っている。

 ボクはゆっくりと森を見渡した。

 高度な軍事的統率を持った植物群。

 しかし、それは完璧ではない。

 格下の武器しか持たない軍蟲達でも、現時点で勝つ方法が存在している。

『カナメ。不安に思う事はありません。私はこの戦いに勝ちます』

 違う。

 軍蟲たちが答えに辿り着いた時、ラウネシアは負けてしまう。

 それが何十年先、あるいは何百年先になるかは分からない。

 けれど、数千年単位を生きるラウネシアは、いつか直面してしまうだろう。

 たった一度のパラダイムシフトで、彼女は為す術もなく滅びを迎えなければならない。

 肺腑の中まで森の空気を吸い込んで、それから広大な森を見上げる。

 どこまでも広がる緑。

 幼い頃から、ずっと夢を見ていた。

 人がいない世界。

 植物だけが支配する世界。

 ボクと会話可能な植物がいる世界。

 幼少期に何度も夢見た世界。

 それが、目の前にある。

 守りたい、と思った。

 けれどそれは恐らく、とても難しいことだった。

「ラウネシア。知っていますか。戦争には落とし所が必要なんです。戦術的勝利を重ねるだけではだめなんです」

 恐らく、ラウネシアにこの声は届かない。

 だからこそ、ボクは言わなければならなかった。

 それは、ボク自身に向けた確認の言葉。

「ラウネシアの落とし所は、どこにありますか」

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