第10話 ハンマーオーキッド

「カナメ、君は可愛い容姿をしている割に中々喧嘩っ早いね」

 中学一年生の時だった。

 由香はボクの頬に出来た擦り傷を消毒しながら、どこか楽しそうに言った。

「全く、腫れたらその可憐な顔が台無しだよ。むさ苦しい筋肉質の男ならともかく、顔を資産として利用できる君はもっと身体を大事にすべきだ」

 園芸部の中で唯一男であったボクに、絡んできた人達がいた。

 数は三人。いずれも場慣れしていないにも関わらず、態度だけがでかい連中だった。

 ボクはその中で、リーダー格と思われる男を叩きのめした。

 全員を相手にする必要はない。容赦無い打撃と威圧的態度。

 それだけで向こうの戦意はすぐに折れた。

 後は息をするように簡単だった。

「一発目の右ストレート。容赦なく相手の顎を打っていた。一切の躊躇がない攻撃だった。人体の急所に対して中々できるものじゃないよ、あれは」

 そこで、由香は消毒を止めた。

「ねえ、カナメ。君は人間に対して一種のディスコミュニケーションを引き起こしている。植物の心を直接読み取れるという特性が、君と植物を近づけた。でも、人の心は読めない。その差異が、人に対しての共感能力を著しく低下させている」

 ボクは何も言わなかった。

「恐らくは、元々共感能力がなかったわけではない。むしろ君は植物に対しての強い共感能力を持っている。植物が嫌がるような、例えば撫でたりとか、そういう行為は一切しない。君はそれを禁忌としている。でも、ある特定のものに対して特別な感応能力があるが故に、他のものに対する共感意識が薄くなってしまっている」

 薄々気がついていた。

 人というものに、軽い嫌悪感を抱いていた。

「カナメ、別にそれは悪い事じゃない。逆に一般的な人の場合は、人に対する共感能力を他の生物にも押し付けてしまう。どちらがいい、という訳ではない。私は君の在り方を好ましいとすら思う」

 でも、と由香は言った。

「人との喧嘩は止めておくべきだ。私達が属する社会は、自然淘汰を許容しない。下らないものだが、それを維持する装置は強大だ。私はこれに息苦しさすら感じているし、その内ぶっ壊してやろうと思っている。けれど、それは今じゃあない。カナメも、今はこれに恭順を示すべきだ」


 豚男の死骸を眺めていると、三年前の由香との会話が脳裏に再生された。

 確かに、ボクの他者に対する共感能力は低下している。

 目の前に転がる死骸を見ても、何も思わない。

 自分の手で自我が存在するであろう生命を殺したにも関わらず、心は動かない。

 そもそもこれは正当防衛だ。初めに襲ってきたのは向こうだった。

 そして、世界は弱肉強食だ。この豚男は襲う相手を間違えた。それだけだった。

 ボクは当たり前の事をやっただけだ。

 罪悪感を感じる必要はない。

 だから、心は動かない。

 荒れていた息が整うと、ボクはラウネシアの方に向かって歩き出した。

 軍蟲について聞かなければならない。知るべき事が山ほどあった。

 不安そうな感情を立ち昇らせるラウネシアの前に辿り着くと、彼女は安心したように微笑んだ。

『無事だったのですね』

「墜落した軍蟲の生き残りだったようです。手負いだった為、一方的に打撃を与える事ができました」

 ラウネシアの双眸が、血だらけのボクの服に向けられる。

「ラウネシア。死骸はどうしますか? 放っておけば養分になりそうだけど」

『ええ、軍蟲の死骸はそのままで構いません。そのうち分解されていきます』

 ボクは迷いながら、少しだけこの森に踏み込む事にした。

「この辺りに川や湖はありませんか? 全身の血を落としたいんですが」

『水、ですか。この周囲に水源はありません。森全体が水をよく吸収するためです。しかし、私自ら水を提供する事ができます』

 ラウネシアの右手が、そっと唇を指差す。

 妙に艶かしい仕草だった。

『土から吸い上げた水をろ過し、それを私の口から移す事ができます。よろしければ、どうぞ』

 予想外の言葉に、身体が止まる。

「……あの、ラウネシアはもしかして、そうやって人の生気を吸う訳じゃないですよね?」

『まさか。冗談です。私の右側の樹幹にコブがあるのが見えますか? そこに穴を開けてみてください。貯蓄している水が出ます。そこに貯まっている水は全て差し上げます』

 からかうように笑うラウネシア。

 どうやらユーモアの感覚があるらしい。

 中に水があるというのは、竹水のようなものなのだろうか。

 一般的にコブというのものは樹木の病気などの症状として挙がる為、あまりそこの水を飲む気にはならないのだけど。

「穴って、本当に良いんですか?」

『ええ。カナメ。私は貴方に好感を抱いているのですよ。貴方はその手でシメコロシ植物を駆除し、軍蟲の個体を打ち倒した。原型主たる私が創造したこの森において、私に味方する別の種、というのはいません。貴方は私にとって初めての協力者になった。食料と水は私が責任を持って提供しましょう』

 その代わり、とラウネシアの思考が続く。

『私の手入れを出来れば続けて欲しいのです。理性的な共生、というわけです。いかがですか?』

 ボクはその提案を、迷いなく受け入れた。

 食料、そして拠点の確保に成功する上に情報源にもなるラウネシア。

 断る要素が見つからなかった。



「軍蟲って、一体なんなんですか」

 ラウネシアの樹体をゆっくりと眺めながら、軍蟲について尋ねる。

 樹体ごしにラウネシアの思考が響いた。

『敵、としか答えられません。彼らの目的は生存圏の拡大です。彼らの繁殖力は恐るべきもので、常に生存圏の拡大を図って軍事的行動に走っているのだと解釈しています』

「どれくらいの頻度で侵略を繰り返すんですか? またすぐに来る可能性もありますか?」

 しゃがみこみ、ラウネシアの根本に穴を掘りながら会話を続ける。

 穴を掘った先に見える太い根は、僅かに明るい赤褐色をしている。

 傷つけないように優しく撫でて、その状態を確認する。

 良い土だ。

 中に十分な酸素が取り込まれている。

 水はけも良く、柔らかい。

 ラウネシアの根は健康な状態を保っている。

『大体、十日と少しほどの間隔があります。三十日前に寄生植物の投下が行われ、十三日前に中規模の地上侵攻がありました。その時はまだ私に体力があった為に迎撃に成功したのですが、今回は寄生植物の成長具合を偵察しにきたようですね』

 三十日前。

 随分と、シメコロシ植物の成長速度が早い。攻撃用の兵器として改良されたものなのだろうか。

 ボクは根を観察を止めて、もう一度樹体を眺めた。

 縦割れや横割れが少ない。

 風の影響が少なく、長期に渡って栄養を失うような状態ではなかった、ということ。

 シメコロシ植物、寄生植物が投下されたのが一ヶ月前というのは間違いない。

 そして、それ以前にラウネシアが危機に陥った形跡は認められない。

 ラウネシアと軍蟲の紛争は、ラウネシアに致命的なダメージを与えるに至っていない。

 ラウネシアの保有する防衛能力は、軍蟲の攻勢能力を上回っていると推測できる。

「樹皮が綺麗です。コケが見られない。これだけ巨大な樹体を持っているのに、活力を失っていないようです」

『時間さえあれば、まだまだ成長できます。原型種としての私は、まだ若い部類に入りますから』

 ラウネシアが満更でもなさそうに言う。

 ボクはラウネシアの巨大な樹冠を見上げ、目を凝らした。

「原型種、というのは何ですか」

『私のような種族の事です。原型種が中心となり、森を治めます。この森のコントロール権は私が有しており、全てが私の支配下にあります』

「……この樹界の女王、というわけですね。環境をある程度自分でコントロールできるから長生きできる、ということですか」

『ええ。それに私たち原型種は待つ種族です。悠久の時を防衛に費やし、そして待ち続けます』

 ラウネシアの樹冠に実る果実が、増えている気がした。

 膨大な数の果実が、空を覆い尽くしている。

「待つ? 何をですか?」

『人を、待っているんです。貴方のように、時折迷い込む人を待っているんです。私はこの地に根を巡らせて以来、軍蟲と闘いながらずっと貴方を待っていた』

 不意に、ラウネシアから発せられる感情が変わった。

 反射的に身構える。

 しかし、ラウネシアから発せられるそれは、敵対的なものではない。

 むしろ、友好的な感情。

 しかし、今まで植物から感じた事がない感情だった。

 果実のように甘く、炎のように熱く、酸素不足の根のようにとりとめもなく彷徨う、得体のしれない感情。

「ラウネシア?」

『カナメ。何故私が人の姿をしているか、わかりますか』

 ラウネシアの感情が、刻々と肥大化していくのがわかった。

『生殖の為に、人と交わる必要があるからです。私達はそうやって、種を撒いてきた』

 脳裡に届くラウネシアの言葉に、ある植物の名前が自然に浮かび上がった。

 ハンマーオーキッド。

 ランの一種だが、花の形が蜂のメス姿をしているのだ。

 姿だけでなく匂いも蜂のメスと酷似している為、オスはこの花に向かって抱きつき、交尾しようとする。

 結果的に哀れなオスは交尾に失敗し、花粉媒介に利用される形となる。

「……ラウネシアがいくら人間の女性の形をとったところで、動物的にメスであるわけではないです。ボクを媒介に花粉を受粉しようとしているならば――」

『私は、メスです。原型種には雌雄の区別が、あるのです。擬態の為に女の形をとっている、というわけではありません。そして、花粉受粉の為の擬態でもありません。文字通り、人の種を使って生殖を行うのです』

 雌雄異株、というわけか。

 多くの植物は雄しべと雌しべを同一の株に持ち、自己受粉して繁殖する。

 しかし、オスとメスで分かれている木も少数として存在する。

 典型的な例としてイチョウはメスしか銀杏を実らさない。

 ゆっくりとラウネシアの樹体を周り、彼女の前に立つ。

 ラウネシアの瞳には好意が浮かび、ボクに向かって真っ直ぐと注がれていた。

『カナメ、私はずっと待っていたのです。人が、あなたがこの森に迷い込んでくる事を』

「……よく、わかりません。人が迷い込む事を前提とした、その生殖戦略には穴があるのではないですか」

『いくつかの地点が結びつく場所が存在するのです。私達原型種は、そこに根を張り巡らせ、人が迷い込むのを待ち続けます。私はここに迷い人が来るのを予期し、根を巡らせました』

 時空の歪みのようなものがある、ということなのだろうか。

 原型種にはそれを知覚する術がある、と。

「でも、人が来るとは限らないんじゃないですか? 例えば、外敵が――」

 そこまで言って、気づく。

 ああ、そういうことなのか。

『ええ。だから、私達は外敵に備えてこのような森を築き上げるのです。軍蟲のように迷い込んだ外敵と戦う為に』

 いくつかの世界が交じり合う地点。

 ここはそういう所なのだろう。

 そして、ラウネシアは来訪者を選択できない。

 ボクが想像しているよりも危険な場所だ、と認識を改める。

 軍蟲を凌駕する脅威的な外敵が来訪すれば、この森は呆気無く滅びてしまうだろう。

 ラウネシアによって、当面の食料と水は確保できた。

 森の中での生存率は飛躍に上がった。

 ならば、次は森の外の脅威について早急に情報を集め、必要があれば排除しなければならない。

 この拠点を、守る必要がある。

『カナメ、私はずっと待っていたのです』

 ボクはラウネシアをじっと見つめると、これの利用価値について考えた。

 拠点としては、申し分ない。

 理性的な共生、とラウネシアは言った。

 このラウネシアの思い通りに動くのも、当面の間は問題ないだろう。

「ラウネシア」

 柔らかい声質を意識して、笑いかける。

「植物同士のことはわかりませんが、人は生殖までに時間をかけるものなんです。ボクたち、互いの事をよく知りません。だから、互いのことをもっと理解してからにしましょう」

 ボクは、植物の心を読み取る事ができる。

 ラウネシアは十分にコントロール可能だと、この時のボクは考えていた。

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