第9話 スギ
『軍蟲は航空部隊を展開しています。カナメ、広い場所には出ないようにしてください』
航空部隊。
想定外の単語だった。
軍蟲と呼ばれるそれは、それほど高度な文明を築いているのだろうか。
『私に取り付いていた寄生植物たちも、元より敵の航空部隊がまき散らしたものです。その成果を確認する事が敵の戦術目標なのでしょう』
遠くから響く太鼓の音は止む事がない。
音によって指揮を執っているのだろうか。規則的な重低音が森を揺らす。
不意に、太鼓の音とは違う破裂音のようなものが聞こえた。
遠くから聞こえるそれは、徐々にこちらに近づいてくるように大きくなり、複数の音が重なり始める。
頭上からだ。
それに気づいた時、上方の林冠、枝葉が茂る周辺が次々と弾けるのが見えた。
火薬が炸裂するような乾いた音が響く。
「ラウネシア! 上です! 攻撃されています!」
『いいえ、逆です。攻撃しているのです』
ラウネシアは落ち着き払った様子で答える。
よく見ると、上空に無数の何かが飛んで行くのが見えた。
実だ。
弾けた実が散弾となって上空に放たれていく。
それはまるで、対空砲のようだった。
迎撃を開始した植物たちに対抗するように、上空から羽音が響いた。
枝葉の間から、蜻蛉(とんぼ)のような生物が確認できた。
最低でも十を超える機影。
そして、その蜻蛉の上には人型の何かが跨っている。以前に遭遇した豚男とそれは酷似していた。
「あれが、軍蟲……」
次々と炸裂する散弾によって、直撃を受けた蜻蛉型の飛行生物が墜落していく。
蜻蛉たちは数を減らしながらも、ラウネシアの上空を旋回し、接近を試みようと降下を繰り返す。
不意に太鼓の音が止まった。
散弾の雨を避けるように蜻蛉たちは次々と高度を上げて離脱していく。
『撤退命令が出たようですね』
呆気ない。
そう思ったが、あの軍蟲たちは初めからラウネシアの状態を偵察するのが目的だったのだから、既に目的は果たしたと考えるべきか。
それに、ラウネシア上空での戦闘は短時間だったが、ここに来るまでに相当な数の対空砲の影響を受けていた可能性が高い。
向こうの損耗はボクが考えるよりも遥かに大きいものなのかもしれない。
不意に、がさ、と音がした。
木立の向こう。
草むらの陰から豚男の姿が見えた。
ボクが向こうを発見すると同時に、豚男もこちらに気づいたように足を止める。
背筋が凍った。
豚男の咆哮。
『カナメ!』
危機感を伴ったラウネシアの感情波。
豚男がボクめがけて突撃してくる。
右足を負傷しているのか、足を引きずるような不格好な走り方だった。
武器も持たず、愚直にぼくに向かって地を駆ける。
無手とはいえ、向こうは二メートルの体格を持つ生物。
ボクはすぐに身を翻すと、森の中を駆けた。
この森が保持する攻撃手段。
ボクが知るそれは、木の実を落として積極的に敵を排除する高木と、足をからめとってギロチンを振り下ろすトラップタイプの雑草だけだ。
それに加えて先ほど見た対空砲。
しかし、あれは恐らく地上に向かって放つ事はできないのだろう。対空能力を有する周囲の樹木たちは沈黙を貫いている。
ボクは群生するギロチン植物を見つけるとそれを迂回して、豚男が追ってくるのを待った。
豚男は足元に注意を払う事もなく、そのままボクめがけて突進を続ける。
かかった。
豚男が粘着性のある雑草に足をとらえ、転倒する。
即座に揮発成分が発せられ、それを命令として受信したギロチンのような葉が明確な攻撃意思を発する。
鋭利な葉が振り落とされ、その首を刈り取ろうとする。その寸前、豚男は叫び声をあげた。
身の毛がよだつような咆哮。
同時に豚男は粘着性のある葉を根からひきちぎって立ち上がる。
そこにギロチンが振り下ろされ、豚男の肩口に大きく食い込んだ。
傷口から血が噴出する。
しかし、豚男は止まらない。
ぶちぶち、と嫌な音が響いた。
豚男が表皮を引き千切ながら、粘着性の雑草を超えてボク目掛けて動く。
赤い鮮血をまき散らす豚男が肉薄する。
考えるよりも先に身体が動いた。
咄嗟にナイフを取り出し、その刃を豚男の頭部に向かって突き刺す。
嫌な手応え。
豚男の悲鳴じみた咆哮。
頭の中は、恐ろしいほど冷めていた。
痛みは、感じられない。
植物の葉をちぎった時と同じように、目の前の生物からは痛みが感じられない。
ボクの感応能力は、この生物の苦痛を拾わない。
ナイフを引き抜き、防御態勢に移った豚男の腕をナイフで切り裂く。
赤い血が目の前を舞った。
血が赤い。
人と同じように赤血球があるのだろうか、なんてどうでも良い事を考えられる程に、ボクは冷静さを保っていた。
豚男が頭部を抑え、苦痛に喘ぎながら後退する。
ボクは前方に体重を乗せ、更なる追撃に向かった。
豚男は最早、戦闘継続能力を喪失している。
頭部を突き刺された事により、強く動揺して戦闘意思を完全に失った。
理性では、豚男の心の動きが手に取るようにわかる。
しかし、植物が発するような警戒の感情のようなものなものはダイレクトに感じない。
それはまるで映画の向こうの登場人物を見るかのようで、ボクの心は動かない。
上半身は豚男の腕によるガードがあるため、深く傷つけられない。
懐に飛び込み、相手の股間に向けて右足を振り上げる。
よろめく豚男。
打撃は有効と判断する。
隙が大きくなったところに回し蹴りを叩き込む。
そのまま振り抜いた右足に体重を乗せ、豚男との距離を一気に詰める。
喉が、見えた。
上半身のガードが一時的になくなっている。
ボクは躊躇なくナイフで豚男の喉を切り裂いた。
噴水のように血が飛び出した。スギ花粉のようだと思った。
豚男の身体が崩れ落ち、その命の終わりを告げる。
ボクは荒い息を吐きながら、目の前の豚男の亡骸を見下ろした。
それから、自分の手を見る。
血だらけだった。
洗い落とさないといけない。水は貴重なのに。
息を整えようと深呼吸する。
安堵感があった。
人型の生物をこの手で殺してしまったのに、罪悪感は沸かない。
ボクの心は動かない。
心の水面は波立つ事もなく、鏡面のような静けさを維持している。
周囲には葉擦れの音が、静かに木霊していた。
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