第7話 アルラウネ
粘着性の葉を持つ草たち、そしてギロチンのような葉を持つ植物。
これらが群生する地域を避けて大きく迂回する。
今まで以上に慎重に周囲の植物を観察し、初めて見る植物があれば、その特性を捉える為に観察を行った。
その間もやはり、虫や鳥類は発見できない。
菌系も見られず、植物を捕食する存在が一向に見られない。
空を見上げると、昨日と同様に二つの太陽があった。この二つの太陽がもたらす熱と紫外線が、それらの生存を困難にしているのだろうか。恐らくは気温の下がる夜に活動するものが多いのだろう。
お腹が減っていた。
蒸散によって得た水を飲んで、空腹を紛らわす。
もう丸一日何も食べていない。
生存そのものにはまだ問題はないが、集中力、体力の低下は免れない。
ある程度のリスクを負ってでも、食べられそうなものを探すべきだろうか。
と言っても、果実らしきものはまだ一度も見ていない。食べるとしたら、柔らかい新芽などに限られてしまう。虫がいればある程度の指標になるが、それも見込めない。
自然と焦りが生まれる。
体力のあるうちに、とりあえず試してみるべきか。
しかし、取り返しがつかない事になる可能性だってある。
明確な答えが見つからない。
考えながらも、周囲、特に足元を注意深く観察する。
今のところは無害と思われる植物だけが続いていた。
ふと足を止める。
先に何かが見えた。
木だ。
とても大きい。
そして、人影が見えた。
とくん、と心臓が跳ねた。
足元への警戒を怠らないままに、ゆっくりと足を進める。
進めば進むほど、その木の大きさが判明していく。
異常な大きさ。
世界一大きいとされるシャーマン将軍の木。
高さは八十四メートルにもなり、その直径は十一メートルに達する。
その大きさに匹敵、あるいは超えるほどの巨大な木だった。
見上げても、周囲の林冠を突き抜けていて、枝葉が邪魔になり頂上が確認できない。
そして、その巨大な根本に女性の姿があった。
ぐったりとした様子で、吊るされたような格好。
木があまりにも大きいため、女性の姿が酷く小さく見えた。
女性の姿がはっきりと見える距離になり、何の衣類も纏っていない事に気づく。
肌は植物に同化するように緑がかっていて、その髪も深い緑色になっている。
ボクはそこで、足を止めた。
吊り下げられるような女性の姿と、その色合いが危機感を抱かせたからだ。
まるで、大樹が女性を捉えて捕食しているように見えた。
周囲の草地は大樹によって一帯の養分が吸い取られているせいか、他所よりも雑草が少なく空き地のように開けている。
ボクは警戒しながらも、その大樹に近づいた。
女性はぐったりとしたまま動かない。
「……生きていますか?」
意を決して声をかける。
しかし、女性は動かない。
更に足を踏み出し、女性の生存を確認しようと顔がはっきりと確認できる距離まで接近する。
綺麗な女の人だった。
すらりとした体躯。
鼻筋の整った人形じみた顔。
そして、気がつく。
肌が人のそれではない。
女性の姿をしているが、まるで木質化したような肌だった。
そして、膝下から先が大樹と同化し、まるでそこから生えるように存在している。
アルラウネ、と呼ばれる怪物が真っ先に頭に浮かんだ。
RPGで見たことがある、植物性の怪物。
まさか、という思いと、どこか納得するような感覚が綯い交ぜになった。
この森林における今までの植物たちを思い返せば、こんなものが奥地にいたとしても不思議ではないように思えた。
「……聞こえますか?」
もう一度問いかけると、女性の顔が僅かに動いた。
声の主であるボクを特定しようとするかのように、その瞳がゆっくりと持ち上がる。
吸い込まれるような瞳だった。
若竹色の、透明な双眸。
それがボクに向けられる。
驚きの感情が伝わってくる。
そこに敵対心は見られない。
それから、苦痛の感情。
この女性の形をした何か、仮にアルラウネと名付けるそれは、何かに苦しんでいるようだった。
ふと、大樹を見上げる。
その巨大な大樹全体を締め付けるように蔦が絡まっていた。
――シメコロシノキ。
全ての植物が、土の中で発芽するわけではない。
鳥類によってばら撒かれる種は、土に届かず樹木の枝や幹の割れ目に入る事も多い。
このシメコロシノキは別の植物の幹の割れ目などに入るとそのまま発芽し、地面目指して素早く根を伸ばすと、それから宿主(しゅくしゅ)の幹に絡みついて幹全体を包み込んでいく。
そのまま宿主の成長を抑えつけ、周囲一帯の養分を奪い、そして宿主に絡みついて上へ伸びる事によって宿主の樹冠、つまり葉がなる部分を覆うようにして自身の葉を茂らせ、光を独占する植物だ。
目の前のアルラウネに絡みつくそれは、シメコロシノキに酷似していた。
それに加えて、アルラウネの樹幹に花が点在しているのが見えた。ネナシカズラか。
ネナシカズラ。
名前の通り、根が存在しない。
葉も退化して葉緑素がない為に自分自身で光合成をすることができない。
根によって水分を取り込む事も、光合成によってエネルギーを作り出す事もできない植物。
ならば、どうやってそれは成長するのか。
答えは簡単で、他の植物から奪うのだ。
寄生根と呼ばれる突起を他植物の維管束の中に突き刺し、そこから養分を直接奪う寄生植物の一つだ。
このネナシカズラは奪った養分で花を咲かせ、同時に宿所を死に至らせる事も多々ある。
樹幹に見られる花は、そのネナシカズラと同系統の寄生植物に見える。
通常は高木に寄生することはないが、この森特有の進化を遂げているのだろう。
シメコロシ植物と寄生植物。
その二つの存在がこのアルラウネの巨大な樹木から養分を奪い、弱らせているようだった。
そして、寄生植物が存在するその上方。
樹冠に果実が見えた。
膨大な数の果実。
「他の植物に養分を奪われているようだけど、排除してもいいいですか?」
大樹としてアルラウネの中で本体のように見える女性に向かって問いかけると、女は弱々しい肯定の感情を放った。
バックパックからサバイバルナイフを取り出し、周囲を覆うシメコロシノキの根を切っていく。
樹があまりにも大きい為に、その周囲に絡みつくシメコロシノキの長さも相当なものとなり、その全てを断ち切っていくのはかなりの時間が必要に思えた。
流れる汗を拭いながら、一つ一つの根を確実に切り取っていく。
その間、アルラウネはぐったりとしたまま動かなかった。
外周上のシメコロシノキの根を全て断った時には既に日が傾き始めていた。
寄生植物に至っては寄生場所が高い為、処理が難しい。
それにこうした寄生植物は往々にして生命力が高い。
例えちぎったとしても、その一部が残ってしまえばそこから再生してしまう。
故に完全な処理は諦めるしかなかった。
シメコロシノキに至っても恐らくは早い内に地面を目指して根を伸ばし始めるだろう。
それまでに切断を続け、完全に死滅するのを待つしかない。
「一応の処理は終わりました。一帯の養分を全て奪われる事はこれでないはずです」
ぐったりとしたままのアルラウネに報告すると、彼女はゆっくりとボクを見つめてから、微かに笑った気がした。
そして、彼女の腕がゆっくりと上へ向けられる。
釣られるようにして頭上を見上げると、黄色い果実が降ってくるところだった。
すぐ隣に落下し、実の一部が潰れる。
拾うと、甘い香りがした。
「えっと、食べていいんですか?」
一応尋ねると、肯定するように彼女は頷いた。
手の中の果実を見つめた後、割れた部分を少しだけ舐めてみる。
甘い。
途端に空腹感が刺激され、ボクは皮を剥くとそのまま勢いよく頬張った。
丸一日何も食べていなかったせいか、果汁が口の中であふれた瞬間、まさに頬が落ちるような感覚に陥った。
あっという間に食べつくし、一息つく。
桃のような甘さだった。
通常、ボクたちが普段から食べている果物は長い年月をかけて品種改良を受けている。野生の果実でこれだけ人間が食べやすいのは珍しい。
「美味しかったです。ありがとうございました」
お礼の言葉を述べると、アルラウネはそのまま目を閉じてぐったりとした様子を見せる。
日没が近い為、休眠状態に入ったのだろうか。
植物の多くは、昼と夜を正しく理解している場合が多い。
アイリスなどは赤色光によって昼であることを理解し、夕陽の遠赤色光によって夜の訪れを知り、花を閉じる。
このアルラウネもそれと同様にエネルギーを節約するために恐らくは夜間活動に切り替えるのだろう。
空が暗くなっていく。
ボクはアルラウネの大きな樹木の下に寄り添うと、身体を丸めて横になった。
そして、ぐったりとした様子のアルラウネを見上げる。
何故、この樹木、アルラウネは人型の擬態をしているのだろう。
あるいは、人が樹木のように進化して、こうなったのだろうか。
人と同様に聴覚や視覚を持ち、その身体も動く事ができるようだった。
まるで、人そのもののように。
動く植物、というものは意外と多い。
例えばオジギソウ。
触ればお辞儀するように素早く葉を閉じてしまう。
これは虫などの食害から身を守る為だ。
この特性については遥か昔から研究がなされ、筋肉がないにも関わらずどうやって機敏な動きを可能とするのかが長い間謎だった。その答えはシンプルで、電気刺激によって触れた事を知らせると、葉の中の水圧をコントロールして動かすのだ。このように内部の水圧を利用して一時的な瞬発力を見せる植物、というものはかなりの数が存在する。
しかし、このアルラウネの動きは、水圧を利用したものではなさそうだった。
筋肉に似た独自の組織を保持し、それを維持する方法があるのだろう。
人に近い能力を保持しているとなれば、おのずとコミュニケーションもとりやすくなる。
知能に近いものもあるかもしれない。
この森についての情報を得られる可能性だってある。
友好的な関係を築けば、あの果実を継続的に貰う事もできるだろう。
当面は唯一の食料があるここを拠点にして、周囲の探索を続けながら水源を探していくべきだろう。
暗くなるに従って、うとうとと眠気が襲ってくる。
随分と疲労が溜まっているようだった。
森の香りが心を落ち着かせ、眠りに誘う。
「カナメ。君はまるで自然の寵愛を受けているようだ。その感応能力と、植物学者の父。そして、その真っ直ぐな感性。正しい理解を深めるに相応しい状況が整っている。そんな君が、人間に対して嫌悪感を抱くのは分かるよ。全てが不自然に見えるんだろう。まるで、人間が異物のように感じられる。私自身も幼少期からずっとそう思っていた。人の思考というものは複雑で、奇怪で、読みづらい。そして見えない力を必要以上に恐れる。本当に、異物のようで、同じ種族とは思えない」
いつか、由香が言った言葉。
その通りかもしれない。
人の世界に、ボクは嫌悪感に似た何かを抱いていた。
心を読めない人間という種族が、ずっと遠くのもののように感じていた。
人のいないこの森は、とても落ち着く。
それでも、待っている人がいる。
由香が、いる。
徐々に探索範囲を広げ、帰り道を見つけなければならない。
眠気で、思考が鈍っていく。
考えるのが億劫になり、ボクは呆気無く意識を手放した。
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