第3話 マカダミアナッツ

 棘の植物が封鎖していた先へ進むと、先程とは打ってかわり巨大な樹木が点在していた。

 頭上に大きく広がる葉を見上げると、黒い大きな実のようなものが見えた。

 一つだけ根本に落ちていた実を拾い、軽く叩いてみる。外皮は硬く、とても食べられそうになかった。

 世界一硬い木の実と言われるマカダミアナッツは特殊な器具を用いなければ割る事ができないほど硬い。強度としてはそれに似ているように思えた。

 こんなものが偶然にも頭に落ちてくれば無事では済まない。この巨大な樹木たちを避けるように進む事になった。

 そして、ボクはそれと対峙する事になる。

 ボクは初め、木立の間に見えるそれを人だと思った。

 人型の体躯。

 しかし、それは体長が二メートルを超えていた。

 豚のような顔に、知性の感じられない双眸。

 そして、太い腕の先に握られた斧。

 異形の存在。

 足を止めたボクに、向こうも気づいたようだった。

 木々の向こうで、ゆっくりとそいつがボクの方へ首を回した。

 とくん、と心臓が跳ねた。

 咄嗟に逃げ出しそうになりながらも、寸でのところで踏みとどまる。

 逃亡は、向こうの加虐心を刺激する。下手に刺激を与えるべきではない。 

「……こちらに、敵意はありません」

 自然と、そんな言葉が口から飛び出した。

 幸い、声は震えなかった。

 そいつの様子を注意深く観察しながら、ゆっくりと後退する。

 豚の頭をした何かは、ボクを見つめたまま動かない。

 ボクも向こうの目を見たまま視線を離さなかった。

 しかし、膠着状態は長くは続かなかった。

 遅々とした後退を続けていた時、土に足を取られてボクはその場で尻もちをついた。

 それを合図に、豚顔の巨大な何かは巨大な斧を構えて地面を蹴った。

 声にならない悲鳴が喉から飛び出した。

 咄嗟に身を起こして、反転する。

 振り返ると、その見た目からは想像できないほどの速度で追いかけてくるところだった。

 心臓が早鐘のように打つ。

 嫌な汗がどっと噴き出した。

 なんなんだ、あれは。

 荒々しい呼吸音が背後から届き、背筋が凍る。

 速い。追いつかれる。

 武器が必要だった。

 バックパックにライターがある。火。だめだ。燃えるものがない。

 ナイフ、そう、サバイバルナイフがある。

 しかし、ナイフを取り出す余裕なんてない。豚男はどんどん距離を詰めてくる。

 だめだ。捕まる。

 結論に達した時、背後から嫌な音が響いた。

 鈍くて、生々しい音。

 振り返ると、豚男が倒れていた。

 頭部が割れ、赤いものが溢れている。近くには黒い実が転がっていた。

 偶然落ちてきた来のみが直撃したらしい。

 力が抜けて、自然とその場にへたりこむ。

 助かった。

 呼吸を整えていると、周囲の植物から怒りの感情を感じ取った。

 ふと、この実を落としたであろう巨大な樹木を見上げる。

「……助けてくれたの?」

 返答は、ない。

 植物に発話機構は存在しない。

 しかし、肯定するように穏やかな感情が伝わってきた。

「……ありがとう」

 理屈は分からないが、ここの植物たちには意思のようなものがあるらしい。

 立ち上がり、倒れたままの豚男へゆっくりと近づく。

 豚男が動く様子はない。

 割れた頭部から溢れ続ける血。

 放っておけば死んでしまうだろう。

 近づくと、悪臭がした。

 腐臭のような、独特の臭い。

 顔を覗き込むと、光を失った瞳があった。

 次に豚男が握ったままの斧へ目を向ける。随分と使い古されていた。

 ボクは黒い実を落として助けてくれた樹木と、目の前の豚男を交互に見つめた。

 それから、青空に輝く二つの太陽を見上げる。

 得体のしれない恐怖感が、胸の奥で渦巻いた。

 携帯を取り出し、画面を確認する。

 変わらない圏外の文字。

 バッテリーを節約するため、電源を落とす。

 嫌な汗が額に滲む。

 ボクは最後に豚男を一瞥すると、その手から斧を奪い取った。それから、歩き出す。

 水が、必要だ。

 食料も。

 目印は、もう置かない。

 そんな余裕は、もうどこにもない。

 日没が迫っている。夜に備えなければならない。

 夜までそれほどの時間は残されていない。

 漠然とした恐怖感に突き動かされるように、ボクは動き出した。

 歩き回ればいつかはキャンプ場に戻れるだろう、という甘い認識はこの時、跡形もなく砕け散った。

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