第78話 心の結晶
——その『心』が手放されるとして、それが糧になるのであれば。
その場所を訪れる事を相棒はずっと反対していた。
それでもなんとかそれを説得して、旅人はその場所を一度訪れ、この日は二回目の訪問となる。
「いらっしゃい」
出迎えてくれた明るく朗らかな声に、旅人は「お邪魔します」と頭を軽く下げたが、彼の背後にいる相棒は不機嫌を隠しもせずに、口を固く引き結んだままだ。
「そんなに嫌わなくても……」
外観は変哲もない家屋。玄関から伸びる廊下の先から現れた男性は、中肉中背、印象に残らない整った顔立ち。声は聴いて心地よいが、バランスの良い綺麗な声。大衆が好む声故に、特徴がなく個人の判別が難しい。
相棒を見たほとんどの人間が、彼を綺麗だと、美しいと評し、鮮烈な印象を残して、誰も彼もの記憶に残る。
一方で、目の前にいる男性は親しみやすい雰囲気を纏い、その整った姿形に会う人間に好印象を与える。けれど、どういう人間だったかと問われると、それを表現するのが難しい。彼に事は覚えていても、彼を言葉として表し、他者に伝える事が出来ない。
どちらも称賛を受ける容姿をしているというのに、全く正反対と言っていい印象を受ける。そんな二人は初対面の時から——正しくは、会う前から相棒は嫌厭していた。
正直な所、旅人自身も、男性に対して良い印象があるかと言われれば微妙な所ではある。話に聞いた時は眉を顰めはしたが、そこは他人が口を出す事ではないので口を噤んだのだが、会うことを躊躇う程かと言われれば首を横に振る。
実際に、今こうして男性に会いに来たのは、その必要があるからで、一度目で彼に依頼をして、二回目の今日はそれを受け取りに来た。
「……申し訳ない。依頼した品は出来ているだろうか?」
旅人はむくれている相棒に苦笑しながらも、男性と正面から向き合って会話をする。こちらから頼みごとをしたのだから、報酬は払っているとはいえ、その労力に対して礼節を持って接するべきだと、旅人は考えているからだ。
「ああ、依頼の品は出来ているよ。こちらは対価を貰っているし、初回はそれなりにサービスをする事にしているからね」
朗らかな笑顔を浮かべた男性に、旅人は再び頭を下げてから、促されて廊下の先にある部屋へと向かう。その後ろにはむくれたままの相棒が無言で付いて来ている。
相棒の態度は頑ななもので、初対面の時はもっと露骨に嫌がっていた。それでも旅人の決めた事だからと、不満そうにしながらも付いて来てくれている。
そんなに気に喰わないのであれば、旅人が一人で会いに行くと提案してみたのだが、速攻で却下された。男性に会うのであれば、必ず相棒が同じ部屋にいる事を条件に、こうして直接依頼をする事が出来た。
案内されたのは一回目の時に通された応接間。玄関のすぐ前にある廊下は真っ直ぐに奥へと伸び、左右にいくつかの扉が並んでいる。廊下は大の男が二人で歩けるほどの幅。壁は乳白色の壁紙で、床は木張りで、小まめに手入れをされており艶が見える。一番奥の部屋は男性の作業場で、一番手前にある扉が応接間。その二つの間にある複数の扉は、男性の生活スペースとなっている様だったが、旅人達が直接見た事はなく、あくまで交わした世間話からの想像に過ぎない。
——旅人はその廊下に足を踏み入れた時、応接間よりも奥のに行くことに抵抗感を覚えていた。
元より行くつもりなど無かったのだが、旅人の生存本能が進む事を拒絶している。こういった感覚は大切にしているので、旅人は決してそれ以上奥へと足を踏み入れる事はしないと心に決めている。
案内された応接間は広く、大きめのソファーと木製のローテーブルに、簡単な資料が並ぶチェストが置かれているが、それでも余分なスペースが十分ある。季節的に使われていない暖炉。昼間は必要とされていない間接照明の笠は金属細工とステンドグラスで、形から推察するに、点灯させると色のついた花と蝶の模様が浮かび上がるのだろう。
部屋の中は大きなテラスから差し込む自然光で十分に明るいが、光が直接差し込む事が無いように設計されている。
おそらくは、こういった雰囲気の家が好きな人の理想を形にした、と言われれば納得してしまうほどに、とても良い雰囲気の部屋だった。
シンプルで機能美を良しとする旅人でも、良い雰囲気だと感心してしまうのだが、隣に座る相棒の纏う空気がそれを許してはくれない。
「……気持ちは分かるのだが、一応はこちらが依頼者で、あちらはそれを請け負ってくれている。……もう少し、露骨な態度だけは何とかならないか?」
応接間の中にいるのは旅人と相棒の二人だけで、男性は受け渡す品を工房へと取りに向かい、二人はこうしてそれを待っている。
二人の目の前に置かれた白磁の器の中の湯気立つ紅茶は、ただ冷めていくのを待っている状態だ。白磁の皿に盛られたお茶請けのクッキーも、見本のように綺麗に並べられたまま、手が付けられることはない。
最初に来た時、一応は礼儀として少しは口を付けようとした旅人を、相棒が全力で止めにかかった。男性は驚いていたが、苦笑して何事も無かったように話を勧めてくれた。
あまりに露骨な対応に内心驚いていた旅人は、後で相棒に何か盛られていたのかと尋ねてみた。
「……いや。あれ自体には何も」
飲食物本体には何も無いが、それ以外には何かある事を匂わせられたので、旅人はあの家では何も口にしない事を心に決めた。
応接間に通された時には、既にお茶と菓子が用意されており、男性はごゆっくりと言って部屋を立ち去って行った。一応は受け取りに行く日時と時間を伝えてはいたので、前以って準備しておくことは可能なのだが、湯気が立つ紅茶から茶葉の香りが漂うのを感じていると、ミステリーの舞台装置の中にいるような錯覚を覚えてくる。
そんな事を旅人がぼんやりと考えてくると、足音も気配もなく、唐突にノックが部屋の中に響いた。ぴくっと肩を震わせて我に返った旅人は姿勢を正したが、相棒は背もたれに体を預けたまま、視線を扉へと向けた。
「お待たせして申し訳ありません。こちらが以来の品になります」
柔らかい表情で笑みを浮かべた男性が入室し、旅人達の向かい側の席に腰を下ろすと、手に持っていた木の箱をテーブルの上に置いた。
旅人と相棒の視線が木の箱へと集まり、男性は「どうぞ」と手で箱を開けるように促してくる。旅人は「拝見します」と口にしてから、置かれていた木の箱にそっと触れる。
見た目通りの木の質感が指の先に伝わるのを感じながら、旅人は箱の蓋の表面をさらりとひと撫でしてから、そっと蓋を持ち上げた。
抵抗なく開いた蓋を箱の傍に静かに置き、旅人は箱の中に収められていた依頼の品を確認する。
木の箱の中には、一つの石が納められていた。衝撃を和らげて石を守るための布の中に沈んでいる石は、清水のように透き通っている。下に置かれている布の様子を歪ませながら、その身に映している。
角度を変えてみると、自然光を取り込んで体内で乱反射させ、複数の色が混じりあった輝きを見せてくれる。
その美しさは紛れもない宝石と呼べるもの。旅人はその美しさに目を見張ったが、すぐに憂いを顔に滲ませた。
「……この石のカットは通常通りのなのですか?」
既に宝石として磨かれ、宝飾品として十分な魅力を宿した石を見て、旅人は疑問に思った事をぽつりと漏らした。
「ええ。元より大きさも形も輝きも、ある程度はわたし裁量でどうとでもなります。もちろんそれらの知識と技術が、私が持っている事が前提とはなりますが。……こう見えても、若い頃に宝石の加工技術を師について学んでいます」
長く細いがしっかりとした骨を持つ男性の指をちらりと見てから、旅人は傍に置いてあった蓋を手に取り、元通りに閉めた。
「——おや?直接手に取って確かめてみないのですか?」
目で確認しただけで、石に触れようとせずに蓋をした旅人を、男性が不思議そうに見ているが、旅人は小さく首を横に振った。
「……私は依頼の仲介を頼まれただけです。これを手にする資格を持つのは、——『彼』の奥方だけでしょう」
俯けていた顔を上げて、真っ直ぐに男性を見る旅人の瞳に、見惚れる様な崩れた表情をした男性の顔が映る。だが、旅人の横にいた相棒のひと睨みで、それは笑顔の奥へと引っ込ませた。
「そうですか。それは少し残念です。貴方がそれを見た時に、どういった反応をされるのか、少し楽しみにしていたので」
部屋の中の張りつめた空気を払拭するために、男性が気を取り直して、何事も無かったかのように旅人に話を振ってくる。
「——とても綺麗だと思いますが……生憎と、私はこういった手合いの物には詳しくないので」
実際の所、旅人の目利きの能力自体はそれなりに高い。旅をする中で父親から学び、時には姉がお気に入りの品を見せて、様々な知識を語ってくれた。生憎と、母親は彼と一緒で、そういったモノ自体に、——綺麗な物、という意味合い以外に興味を持たなかったため、父親と姉から教えられ、旅人と同じように知識としてしか知らない。
「——分類、としてはダイヤモンド……この場合は天然ではないのだから、人工?と言っていいのか分かりませんが、おそらくは含んでいる物質からすると、ダイヤモンドと評するのが正しいのでしょう」
専門的な道具があるわけではないのだが、ぱっと見の特徴からすればダイヤモンドだと、旅人は判断した。
「とても綺麗な輝きをしていると思いますし、されている加工も、最も美しく輝くようにと、取り込む光を計算している、素晴らしい職人の技術だと思います」
元より美辞麗句は得意ではないので、旅人は思った事を率直に述べる。しかし、男性が想像していた物とは違ったのか、きょとんとした表情を浮かべていた。
「……大概の人間は、これを宝石としてしか見ません。求めるのも、宝石としての価値だけだ。言ってしまえば、市場的な価値を持った、誰もが褒め称えるであろう宝石としての価値です。貴方からは、景色を見て綺麗だというのと、全く同じ感情しか感じられなかった物ですから」
少し驚いてしまったと、眉を下げて苦笑する男性を相棒は横目でちらりと見やる。当の旅人は瞬きをする間に、男性の言葉の意味を飲み込む。
「——とても綺麗だと思いますし、宝石がとても貴重である事も、それを加工し研磨し、宝飾品へと変える技術も素晴らしいと思っています。……けれど、これは私の物ではありません」
どれほど綺麗であろうとも、それは仲介人の旅人ではなく、依頼主の物。ひいては依頼主がそれを届けたいと思った人間の物。綺麗だとは思うが、結局の所は、夜空で瞬く星を眺めているのと大差ない。
「……欲しい、とは思わないのですか?」
「まあ……、いるか、いらないかと言えば、いると答えるとは思いますし、嬉しいとは思います。贈り物であれば大切にしますし、換金すればお金になるわけですし」
自分の心と向き合い、今思っている事を正直に言葉にしていく。邪な考えを持っていると勘違いされたくはないし、仲介した手前、これを送り届けてようやく仕事が終了する。頼まれた事は最後まで成し遂げたいと、旅人は思っているだけだ。
「……まあ、人によるのは確かかもしれませんが、宝石を目にした途端に、その魅力に取りつかれて、狂ってしまう人間が多い。——けれど、貴方からはそれほどの情熱を感じ取れない。良くも悪くも冷めている所がある」
男性の言葉に思い当たる節がある旅人は、ちらりと相棒へと視線を向ける。
「……お前、妙な所で冷静だからな」
この日、家に入ってから、相棒が初めてまともに声を出した瞬間だった。
その男と出会ったのは偶然で、ひょんなことで頼み事をされた。
——とある男性にあって、とあるモノから宝石を作り、それを男の家族に届けて欲しい。
旅人は、そんな事をしなくとも、男を家族の元へと送り届けると言ったのだが、男はそれを良しとはしなかった。
——それらには価値がない。それらでは家族を守る事が出来ない。
男はが求めたのは、自分が彼らの元へ物として帰る事ではなく、残された家族の未来。
——それを自分の形見にしてくれても構わない。家族の糧となるために、金銭に変えてくれても構わない。
残り少ない命を燃やしながら、祈るように訴えてくる男性の願いに、旅人はその願いを聞き入れるしかなかった。
「わたしとしては、それなりに良い取引を出来たと思っています。彼の瞳は珍しいものでしたから、失われるのは惜しい。あれほど美しくとも、脆すぎるのが難点ですね。腐らないし、ちゃんと扱えばいつまでも残る宝石の方が扱いやすい」
男性はそう言って朗らかに微笑む。「見ますか?」という問いかけに、旅人は硬い表情で首を横に振る。
「有機物だろうと無機物だろうと、結局は似たようなモノで出来ている。だからこそ、私はそれらを加工して、キラキラと輝く宝石へと変える。……人によっては嫌悪の対象になるようですが」
男性は肩を竦めて、そっぽを向いたままの相棒へと視線をやる。
男性の推測は半分は当たっており、半分は外れている。相棒が彼を拒否するのはその在り様だけではなく、単純に旅人の瞳を見る目に、邪なものが含まれている事に気が付いているから。
旅人自身も、男性から宜しくない感情を向けられている事には気が付いていて、それゆえに相棒が敵意を向けている事も察している。
——それでも、男の頼みを叶えるためにも、最低限の接触は必要だった。
「……では、そろそろお暇させていただきます」
なすべきことは終わり、旅人はすっと立ち上がり、男性に一礼する。相棒も立ち上がり、それを無言で眺めている。
結局お茶も菓子にも手を付けなかった旅人達に苦笑しながらも、男性は嫌な顔一つせずに、二人を見送るためにそれに続く。
応接間から出た途端に空気が変わり、来訪者を家に留めておく事を望んでいるとばかりに、何かが重く絡みつくような錯覚を旅人は覚えた。
けれど、旅人は気が付かないふりをして、真っ直ぐに玄関へと足を動かす。前を行く男性の背中からは悪意の様なものは感じられない。
……これは男性が望んでいるのか。それともこの家がそれを望んでいるのか。
最後尾にいた相棒がするりと旅人と男性の横をすり抜け、来訪時にそうしたように、相棒がノブを掴み、手ずから玄関の扉を開いて、旅人がやってくるのを待っている。
「……本当に、随分と嫌われてしまった」
苦笑する男性に、最後だからと旅人は心の隅に引っかかっていた事を尋ねてみた。
「私の目よりも、彼の目の方がずっと綺麗だと思いますが」
唐突な問いかけに対し、男性は足を止めて、ちらりと扉を開いて待つ相棒の方を見て、視線を旅人に戻して返答する。
「——いくら綺麗でも、溶岩に素手を突っ込む人間はいないでしょう?」
その言葉は旅人の疑問を晴らすのに、十分なものだった。
依頼の品を受け取り、それを依頼主の家族の元へと届ける道中、ようやく機嫌を直したらしい相棒の横を歩きながら、箱を抱えた旅人は、道の先にある筈の男の家に思いを馳せていた。
男は価値が無いと、それでは家族のためにならないと言っていたが、旅人はそうは思わない。
旅人は男の家族の人柄を知らないが、そこまで強く幸せを望むほどに、大切な相手なのだろう。ならば、同じように、家族が男の事を思っている可能性に気が付かなかったのだろうか。
……もしくは、理解してはいたが、それらに思いを馳せるほど余裕がなかっただけか。
「——余計なお節介にならなければいいが」
思わず口から零れ落ちた独り言に、それを拾った相棒が何気なしに言う。
「いつもの事だろう」
ハッとした旅人は顔を上げて、視線を抱えていた箱から相棒へと向ける。相棒はいつもと変わらない笑みを浮かべて、当たり前のようにそこに居る。
……それが、どれほど尊い事か。
男から作られた宝石と、材料にされない様に分けて置いた残りを収めた箱を、旅人は宝物のように、しっかりと抱きしめた。
「——物の価値は、それを求める誰かが居るからこそ、意味がある」
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