第77話 一番きれいな所
——夢の中で、私は彼の事をずっと見つめていた。
「——ここ数日、何故か、君を遠くから見つめている夢ばかり見るんだが、心当たりはないだろうか?」
滞在していたとある町の宿屋の部屋で、唐突に旅人はそんな事を尋ねてきた。第三者からすれば、片思いでもしているのかと勘違いしそうな台詞だが、そうい事ではないと相棒はよく理解している。
起床して、近所の適当な店で朝食をとり、今日は何処を探索するかという話題となる。ここ数日と大差ない取り留めのない会話をしていると、不意に旅人が何事かを逡巡し始め、少し話があるからと、旅人に促されるままに宿の部屋へと戻ってきた。
わざわざ誰も居ない場所へと移動させられた相棒は、何事かと首を捻った。だが、これといって思い当たる節がない。
お互いが適当な所に座った所で、旅人が話を切り出したのだが、内容が偉く抽象的なうえに、それを聞いても相棒には心当たりが浮かばないまま。
「……そんなに、俺がお前の夢に出る事が変なのか?俺だって、夢にお前が出演する事ぐらいあるぞ?流石に数日連続似たような夢は、そう見ないとは思うが」
その相棒の台詞に、「ふむ」と旅人は小さく返事をすると、目を伏せて何かを思案し始めた。おそらくはどう説明すればいいか、話の流れを考えているのだろうと、相棒はしばし沈黙を保つことにした。
「……何というか、その夢は遠くから君の事を見ているんだ。……多分、この町の中での出来事だとは思う。私自身が君と会話しているのを、遠目に見ている時もある」
どうやら第三者の視点で俯瞰している夢を、この町に来てから連続して見ている様だと旅人は話した。
一日目は、目を覚ますと夢の内容は朧げになり、夢で相棒と自分が会話していたな、ぐらいしか覚えていなかった。
二日目は、昨日よりも鮮明になり、この町と思われる景色の中で相棒と話している事が何となく分かった。
そして今朝、この町の中を単独で探索する相棒の姿を遠目に眺めていて、場面が何度も切り替わり、最後には相棒が旅人と合流して立ち話していて、共に宿屋へと戻っていく所で目が覚めた。
明らかに鮮明になっていく第三者視点の夢に、流石に旅人はおかしいと気が付き、どのタイミングで相棒に話そうかどうか考えていた。先ほど立ち話をしている時に、そういえばこの場所も夢に見たなと気が付き、念のために相談する事にしたと、これまでの経緯を語った。
「……俺からすれば、まさに寝耳に水なんだが」
元より相棒の身体能力は常人よりはるかに優れている。感覚器官もその精度はかなりの物で、ある程度は自分で調整は出来るものの、第三者にそれだけ見つめられていれば気が付くはずだ。
当の旅人も、夢で見た光景と記憶を照らし合わせてみたが、不審な気配を感じた事は無かったはずだったので、首を傾げていた。
「……というか、夢の内容が鮮明になるだけではなくて、少しずつ君に近づいている気がしてな。場面が唐突に切り替わってはいたが、基本的には同じ日の出来事だとは思う」
「何処のホラーだよ」
唐突に始まった恐怖体験に、相棒は眉を顰めた。相棒自身は相手が人間だろうがそれ以外だろうが、それ自体は怖くはないし、いざとなればどうとでも対処できる自信がある。けれど、四六時中見られているのは気分が悪い。
「……今、夢の内容を振り返っていて思い出したんだが、夢の中で声にならない声、というか多分傍観者の思いなのだろうが、——『見て欲しい』と聞こえた気がした」
僅かでも手掛かりを思いついた事に、旅人の表情が明るくなったが、それに比例して相棒の表情は苦々しものへとなっていく。
「……いや、それ、ただ単にホラーに情念が加わっただけだろう。むしろ質が悪い」
いよいよホラーの体を有してきたことで、相棒は露骨に嫌そうに顔を顰めている。
「まあ、確かに、一方的な好意ほど恐ろしい物は無いからな」
訳知り顔で頷く旅人に、相棒は肩をがっくりと落して盛大なため息を吐く。
実際問題、こちらが首を突っ込まなくても、向こうからやってくる当たり屋みたいな厄介ごとは、無差別なものを除けば、割合的には旅人に向けられる割合が多い。その自覚が薄い旅人の他人事の様な態度に、相棒は呆れてしまう。
別段旅人が悪いわけではないし、元からそういったモノに好かれやすい傾向があるのは、旅人自身も分かってはいるのだが、自分へ向けられる感情には疎い。そういった手合いの感情が重く、身勝手で、面倒で、酷く厄介な事は頭では理解しているが、心が付いていけていない。
旅人の家族からすれば、お前も他人の事は言えないだろうと誹りは逃れられないだろうが、生憎と過保護な姉は遠い地で職務を全う中だ。
「……とりあえずは、降りかかる火の粉は避けるにこした事はないし、早めに町を出るか」
町での用事は一日目に済ませているし、滞在はあくまで休息と観光目的だったので、今日中に準備すれば明日の朝には町を離れる事が出来る。
その意見に旅人も賛同を示したのだが、何やら浮かない顔をしているので、相棒は首を傾げる。
「何か、引っかかる事でもあるのか?」
「……何というか、確かに好意ではあったのだが、そう押しつけがましいものではなくて……こう、何というか、細やかな願い、といった風に感じたんだ」
相手がどうであれ、自分を介して相棒に訴えてきているのであれば、その相手の思いを組んでやりたいと、どうしても旅人は思ってしまう。
けれど、もちろん、最優先にすべきは相棒の身の安全と意志だ。
「……まあ、俺が気が付かないってことは、相手の力がよほど弱いか、悪意がないかだからな。下手をすれば只人よりも弱い事になる」
相棒としては旅人に被害が及ばなければ、これといって慌てる事態ではない。旅人は鈍感ではあるが、自身に向けられた敵意ぐらいは感じ取れる。そうでなくては旅など到底できない。
……ただ、それがどういった種類のものかの判別が苦手なだけで。
「とりあえずはいつでも町を発てる様に、必要な物を変え揃えておくか」
いざという時のために準備するのは悪い事ではない。
「そうだな。とりあえずはそうしておくか」
「……そういえば、町のあちこちで催しの準備がされているな。開催時期には間に合わなそうだから、適当に流していたが」
買い出しを終えた二人は、残った時間を町の探索に当てて、改めて普段は気にしないであろう所を見て回る事にした。
ここ数日相棒が回った道を二人で歩き直すだけなのだが、やはり旅人が夢で見た光景と同じ景色がちらほら見受けられる。
「ん?ああ、そういえば、なんか、もうすぐ竹の花が咲くらしい。それに合わせて祭りを開催するらしい。この町の竹は区画ごとに別の種類を植えていて、花が開花する際は祭りを開くのが伝統らしいな」
この町を訪れた際、あちらこちらに竹が人工的に植えられて、綺麗に管理されている事には気が付いていた。
家などを建てる際は硬い土台を使い、うっかり竹が生えてこないように気を使っている。春先には子供達とタケノコ堀をするのが行事の区画もあるし、この町の土産物は竹細工などが有名で、簡単なものは学校の授業で作ったりもする。
竹を綺麗に見せるために、店屋なども外観気を使って地味な色になっており、竹の青々とした色がとても映えていて、生命力を感じられる。
のびのびと空に向かって背を伸ばし、風に体をしならせて、葉音は涼しげで心地よい。降り注ぐ木漏れ日と、瑞々しい幹が並ぶさまは静謐で美しい。
近づいて見上げてみれば、竹の葉の合間から房が垂れているのが見える。竹には所謂花弁は無いらしく、今はまだ蕾の状態だ。
「この区域の竹は、百二十年に一度咲くそうだ」
「そりゃあ、祭りを開きたくもなるな」
人の一生で見れない可能性が高いほど、長い時間をかけて次代に命を繋ぐ。
随分と気の長い事だなと、相棒が近くに生えている竹からまとまってぶら下がる房を見上げていると、同じように蕾を見ていた旅人が、口元に手を当てて何やら考え込んでいる事に気が付いた。
「どうした?なんか気になるのか?」
旅人は空返事をしながら周囲を見渡して、何かを考えこみ、何かを探すように歩き始める。相棒は旅人の邪魔をしない様に、無言で彼の後をついていく事にした。
建物の合間にあるいくつかの竹の密集地を回り、それの周囲を見渡して何かを確認しては、次の場所へ移動するのを繰り返していたが、十か所ほど回った所で、旅人が相棒の方を振り返った。
「疑問に思っていたんだ。——どうして夢の中の光景は、大した時間経過は無いように思えるのに、場面が飛び飛びなんだろうと」
相棒が町を散策する短い光景だったのだが、それが唐突に切れて別の場面に変わるのだが、よくよく思い返してみると、先ほどまで近くで見ていた場所が遠くに見えている事に気が付いた。
「相手は自由に動く事が出来ない。けれど、場所によっては瞬時に移動して、君を追いかける事が出来る。——何故なら、それらは地面の下で繋がっており、全てが同じ個体だからだ」
旅人はすぐ傍に生えている竹を見上げる。細かに手入れをされて、余分な枝を切り落としているおかげで風通しが良く、太く立派な幹が真っすぐに空へと伸びている。
「竹は地下茎で繋がっていて、密集して生えている物は、実際は同一の個体なんだ。だから、一斉に花を咲かせ、種を残して全て枯れていく」
そこまで説明されれば、相棒にも夢の中の光景が誰の物であったか察しはつく。
「……百二十年かけて、ようやく花を咲かせるんだ。気に入った相手に見て欲しいと思うのは仕方がない事だろう」
旅人が目を細めて、高い位置で揺れる房の蕾を見つめている。その横顔を相棒は無言で眺めながら、夢の中の誰か——竹の君はこんな気持ちだったのだろうかと、漠然と思いを馳せていた。
直接当人に訴える事が出来ない君のために、旅人と相棒は少し滞在期間を伸ばす事にした。
流石に花が咲いている数か月の間、ずっと滞在するわけにもいかないので、せめて開花してから数日間ぐらいはと、相談して決めた。
相棒もそれぐらいなら可愛いものだと、竹の一世一代の見せ場を見届ける事に異論はなかった。
楚々とした可憐な白い花が、ゆらゆらと緑色の葉と共に風に揺れる。他の木々のように決して派手ではないが、長い時を経て命を繋ぐ光景は、命の営みの強さを見る者に感じさせた。
「——誰だって、一番綺麗な頃を覚えていて欲しい筈だ」
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