第12話狼少年
——その町は新しい。
ここ数年で急速に発展させたことで、住居や商店の建物、歩きやすいように舗装された石畳の道、それらを温かく照らす街灯。それらを守るために作られた煉瓦の高い塀と鉄で作られた門が、外と中を明確に隔てている。
周りは深い森と、それを切り開いた広い道が、真っすぐに貫くように町と外界を繋いでいる。
相棒は目を細めて警戒するように周囲を一望する。
彼がいるのは町から少し離れた所にある丘の上。周囲はまだ手の付けられていない木々が太く高い幹と枝をのばして、青々とした新鮮な葉や花を湛えている。
相棒は人が作り出した文化も好きではあったが、同様にはるか昔から延々と繋ぎ、生き抜いてきた自然や姿を変えながらもあり続ける川や山も好きだった。
人工物にも自然物にも、あちらとこちらにも、良い所も悪い所もある。それを肯定も否定もしないのが、相棒の在り方だった。
「……何か俺に用か?」
相棒が肩越しにちらりと視線を向けると、後ろに広がる森の中から動物の面で顔を隠した少年が姿を現した。
銀色の髪と白い肌、犬科の動物の面から覗く目は金色をしている。黒に近い灰色の外套で体をすっぽりと覆い隠している。
「……心配しなくても、俺はこの町とは関係ない部外者だ。連れと一緒に一時的に滞在しているだけだ」
その言葉に嘘がないと判断したのだろう。少年が纏っていた肌を刺してくるような警戒心が少し和らいだ。心なしか、髪も逆立っていたのが落ち着いたようにすら感じられる。
「前にここに来たときは町なんてなかったからな。この丘からの景色も、波打つ海原みたいに、森が向こうの山のあ辺りまでずっと続いていたんだが。でかい道がある辺りは、森っていうよりは林になっているな」
その言葉に、少年はわずかに体を震わせる。
「……ああ、お前はその景色を見たことがないのか。割と若いんだな」
少年がわずかに顔を俯けて、体が強張る。
「言っておくが、馬鹿にしているわけじゃない。大事なことだし、考慮すべきことではあるが、それだけが重要なわけじゃない。——お前の思いはそれらに邪魔されていいものではない」
俯けていた顔を上げ、少年はまっすぐに相棒を見る。
「そもそも俺がここに来たのはずいぶんと昔だったからな。まさに樹海という名がふさわしかった。入ったが最後、森と言う波にのまれて溺れて迷う」
昔は人を拒んでいた深く暗い木々も、徐々に人の侵入を許して照らされ、気づけば人の荒波によってその境界を押し流されて後退していた。
「まあ、誰が悪いというわけではない。それぞれに生きる営みがあり、領域があり、それを守り残して、続けていく理由がある。それらを犯すのであれば、それなりの覚悟と報復は必要だからな」
——故に、俺は町の人間を責めないし、お前が何をしようとも止めないし責めもしない。
相棒は、自身はあくまで傍観者。こちらに手を出してこない限りは、こちらからも何かすることはない。
それが少年にも理解できたのか、頷くような仕草をすると、踵を返して森の闇に姿を沈めた。
「……俺らが滞在中に何事もなければ、それでいい」
横目で少年を見送った相棒は、再び町に視線を向け、宣言するように呟いた。
——この町は、出来て新しい。
旅人の最初の印象はそんなものだった。
シンプルだが上質な家具でそれなりに知れているらしいが、生憎旅をしているため、一か所に留まることが少ない。それにお土産にするにしても嵩張るため、旅人にはあまり関係はない。
独特の風土や文化と言えるものは、住民たちが前に住んでいた場所の生活習慣や技術を持ち込んだものらしい。
この町の背後は開拓されていない深い森が広がっている。宿場町として機能するほど交通の要所ということもない。
言ってしまえば、これから育ち、この町の文化や特色を生み出していく前の状態だ。故に、これと言っておすすめの観光場所があるわけではない。
元々、旅の道中にたまたま立ち寄っただけだったため、今晩の宿を見つけて、念のための必要な消耗品の類の補給が終われば、やることはこれと言ってない。
適当に暇つぶしで町をうろついて散策も大方終わったころ、旅人は町の隅で小さな公民館を見つけた。
見ると看板が立ててあり、町の中心にある建物に移転予定だと書かれている。開拓が進み、町が広がり、住民も増えたことで、位置的にも広さ的にも手狭で不便な様で、話し合いの結果に移転が決まった旨が書かれている。
旅人は不意に建物の中が気になり、足を踏み入れた。
公民館なので、基本的には解放されていて、住民以外の立ち入りも自由だと書かれていたが、旅人は念のために誰かいないか声をかける。
人の気配が全くしないので、旅人は無駄かもしれないと思っていたが、何回か声をかけると奥の方から声が返ってきた。
「すみません。見学の方ですか?」
奥から出てきたのは、旅人と同い年ぐらいの全体的に灰色の印象を受ける青年だった。
灰色の髪と黒に近い灰色の服。薄暗い部屋の中では、周りの雰囲気に紛れてしまい、何となく印象が薄い。けれど、その濁った水のような中で、青年の金色の目と生気を感じない青白い肌が、異様に際立って見える。
「お待たせして申し訳ございません。見かけない方ですね。見学ですか?」
その声はよく響くのに、ひどく特徴に残らない。例えるならば、存在感が薄く、透明。
「——と言っても、移転間際なので物が少ないのですが。それでも良ければ……」
儚げな微笑みを浮かべる青年に促されて、旅人は部屋の奥へと足を踏み入れた。
「一応はこの町の歴史——と言えるほどないですが、開拓時から今現在まで流れの展示があります。戦争で町を焼かれた難民達が、この土地にたどり着きます。幸い、自然の恵みが豊かだったので、飢えを凌ぐことができました。……けれど、この森には数多くの狼が生きていました」
ショーケースの中に飾られているのは、戦火から逃れてきた人たちの品々。森での狩りに使われた武器の数々。……そして。
「難民たちは森を切り開き、切り出した気を加工して家や家具を作ります。長い時をかけて立派に育った巨木を切り倒し、それを使って家具などを作り、ほかの町や商人や旅人に売ります。元の木の質も良かったおかげもありますが、難民達の元の町では家具で有名だったそうです。もともとノウハウがあったこともあり、上質な家具を売ることで財を手に入れ、開拓地を広げていきました。農耕も行い、時には狩りをする」
透き通ったガラスの箱は、まるで棺桶のようだった。中に収められているのは、灰色の狼の剝製。加工され、死んでいるのに生きているかのように、無理やり振舞うことを強制されている。
その開かれた眼は文字通りガラス玉。おそらくは、昔はもっと美しかったはずの、くすんで光沢を失い、銀色から灰色へと変わった毛並みが人工物のように見える。
旅人は理由もわからず、ただ悲しくなった。
開拓や狩猟や農耕といった人の営みを否定する気は旅人にはない。
自然破壊——と言ってしまえばそうであるし、それで終わりだ。
生きていくためには何かを殺し、壊し、奪わなければならない。それはすべての生き物が共通している。
旅人はそれを痛いほど理解している。
——生きるということは、奪うことだ。
それは有機物も無機物相手でも同じ。何が大切か、何を優先するか。価値観が違う。違いはそれだけだ。
「狼もほかの生き物を狩り、生きています。けれど、仲間を家族を守り、幸せになってほしいのは、人間も、狼も、ほかの生き物も同じ。命はほかの命の犠牲の上に成り立っている。……生きるというのは、幸せになるのは難しいものですね」
青年は苦笑して、目の前にある剥製と目を合わせて、囁くように語る。
それは独り言で、文句で、注意で、訴えで、祈りで、——嘆き。
「誰かの命を奪ったのだから、奪われる覚悟はしていました。……けど、こんな風に、故郷の土に還ることすら許されないなんて、誰が納得できると思いますか?」
そう言って、灰色の青年はガラス玉のような金色の目を細めて、——笑った。
旅人は宿屋で別行動していた相棒と合流した。
併設された食堂で夕食をとることになり、新鮮なシカ肉のビーフシチューに舌鼓を打つ。
「——そういえば、この町はたまに変な声が響いてくるそうだ」
酒を飲みながら、相棒が唐突にそんなことを言い出した。夕食時なので、食堂はたくさんの人でごった返していて騒がしい。
けれど、その雑音の中でも相棒の声はよく聞こえる。
「なんでも、『狼が来た』という子供の声が聞こえてくるんだそうだ。昼夜関係なく、規則性もなく、まるで思い出したかのように、忘れるなというかのように聞こえてくるそうだ」
「……開拓当初から、狼に襲われることはあったらしいな。そのこともあって、危険だからと周囲の森の狼たちは粗方狩りつくしてしまったらしい」
どこなく疲れた風の旅人は抑揚のない声で言う。
「そのこともあったから、聞こえ始めた頃は皆慌てたらしい。けど、狼が襲ってくるどころか、狼の姿が目撃されることもなかった。まあ、質の悪いいたずらだと結論付けた。その後も、何年も同じ声が聞こえてくるらしく、今となっては慌てるものも逃げる住人もいなくなった。……たまに、町の外の人間が聞いて慌てることはあるらしいが」
ふと旅人は狼少年というおとぎ話を思い出した。子供に言い聞かせる躾のための嘘はいけないと教えるため、嘘ばかりついていると誰も信じてくれなくなるという話。
「今日はなかったようだが……」
「……俺がいるからな。まあ、いいか。つまりはその『狼が来る』という声を聴き続けた住民たちは、その『狼が来る』という言葉を信じていない。さらに言えば、もう、この辺りには狼はいない。安全だ。と思い込んでいる」
「……?まあ、そうみたいだな。立派な壁にまもられているしな」
「けどな、もし、本当に狼が襲ってきたらどうするんだろうな?昔と違って、住民たちは根拠もないのに安全だと思い込んでいる。所謂、平和ボケ」
相棒はコップの中に残っていた酒を飲み干すと、嘲りを含んだ笑みを浮かべる。
「——もし、本当に狼が襲ってきて、誰かが『狼が来た』と叫んだとして、それを信じて行動する人間が、この町に、どれだけいるんだろうな」
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