第8話 あなたの救い主はだれですか?
旅人と相棒はとある町に到着し、当面の滞在する宿泊場所を探そうとしていた。
案内板の地図を見ていると、視界の隅に、ガラの悪い男たちに絡まれている女性が入る。
周りにちらほらと通行人はいるが、どうしていいものかと遠巻きに眺めているだけで、助けに行こうという者はいない。けれど、明らかな危険を避けることを責めることは誰にもできない。
その状況を確認すると、旅人は躊躇することなく、男たちと女性の間に割って入る。
「なんだよ、てめぇは!関係ない奴は引っ込んでろ!」
激しい剣幕で怒鳴り声をあげる男たちに、旅人は表情一つ変えずに見据えている。
「女性一人がガラの悪い男たちに絡まれている。個人的に見過ごせない」
被害者の女性を心の中では助けたいと誰もが思っている。けれど行動に移せる人間がこの場にはいなかった。誰だって怖いものは怖い。蛮勇は褒められたものではない。
そのことを後ろめたく思っている者たちがばつが悪そうにするのを、相棒はつまらなさそうに一瞥すると、旅人の行動を静かに見守る。
怒鳴り散らせば、大抵の相手は個人差はあるが怯むものなのだが、彼にはそれらの感情が一切ない。
いつもとは違う、異常な相手に男たちは戸惑いを見せたが、リーダーらしき男の合図で短絡的な排除行動にでた。
——つまりは、暴力。しかし、それは更なる力によってかき消される。
旅人は繰り出される腕を流れるような動作でいなしていく。それを目で追うことができたならば、素人目に見ても綺麗で、力の差を感じとれただろう。
その展開をあらすじのように、決定事項として理解していた相棒は、彼の無駄のない舞を観劇していた。
すべてのことが片付き、――つまりは男たちが退散し、見物人が散り、女性が彼に礼を述べるまで、ようやく相棒が彼のもとに近寄る。
「……で、終わったなら飯でも行こうぜ」
「いや、待て。念のため、彼女を家まで送っていく。あいつらが戻ってくるかもしれないしな」
相棒は予想通りの返事に、肩をすくめる仕草で了承する。
「……よろしいのですか?」
彼の申し出に驚きつつも、女性も不安らしく、再び礼を口にして、申し出をありがたく受け入れた。
道すがらの会話で、女性は町のはずれにある孤児院で先生をしていて、子供たちの面倒をみているのだという。先ほどの男たちは最近この町に流れてきたごろつき共で、孤児院の立っている土地に興味があるらしく、絡んでくるのだという。
「どこにでも悪い奴はいるもんだな」
相棒は先ほどのごろつき達を思い出そうとしてみたが、そもそも霞ほども記憶に残っていなかったので、さっさと諦めてしまう。
「あの、さきほど食事の話をされていたようですが、よろしければうちで食べていかれませんか?御馳走とまではいきませんが、腕によりをかけて作ります」
「申し出は嬉しいのですが、町に来てすぐの見知らぬ相手を家に招くというのは、いかがなものかと……」
心の底から心配している旅人の言葉に、女性は思わずクスリと笑ってしまう。
「あなた方が悪い人でないのは、先ほどのことと、今の台詞で十分ですよ」
彼は少し思案すると、自分の隣を歩く相棒に視線を投げる。相棒は小さく頷いた。
「ご迷惑でなければ、ぜひ」
町のはずれにある孤児院は、建物自体はは古い煉瓦造りだが、手入れが行き届いていて十分に住居としての役割を全うしている。敷地面積も充分に広く、子供が遊べる場所に、小さいが畑や鳥小屋もあり、なかなか立派なものといえる。
子供たちは女性を見かけると、先生と言いながら駆け寄ってくる。
「みんな。お客さんがいらしたから。粗相のないように」
「「は~い」」
元気な子供たちのばらばらな返事に、旅人も心が和む。
女性に案内されて、建物の中にある広間に通された。使い古された長方形の机と丸椅子が沢山並んでいる。
二人は進められて机の端の席に座り、出されたお茶をすする。自家製のハーブティーとのことで、甘く柔らかい香りがする。
しばらくすると、隣の部屋にある台所から女性が料理を運んできた。湯気の立つ野菜と卵のスープと新鮮な野菜のとハムのサンドイッチは、素朴だがとてもおいしいものだった。
「とてもおいしかったです」
「それは良かった。助けてもらったのに、大したお礼もできませんが」
女性は申し訳無そうに苦笑して謝罪を口にしたが、彼は首を横に振る。
「いえ。そもそも、礼など必要ありませんよ。大したことでは無いですし、私が勝手にしたことですから」
人が聞けばそれは謙遜や遠慮に捉えるだろうが、それが彼の本心であることは相棒は知っている。
「いいえ。本当に嬉しかったのです。心から感謝しています」
嘘偽りのない女性の笑顔は、とても魅力的で綺麗だった。
その後、久しぶりの来訪者に興味深々の子供たちに絡まれ、遊び相手や畑仕事を手伝っているうちに、日が暮れ始めてしまった。
旅人は今夜の宿を探さなければいけないことを思い出し、子供の相手を相棒に任せ、立ち去る前に女性に挨拶をしようと姿を探すが、周囲には見当たらない。
そこでちょうど近くを通りかかった子供に、女性の居場所を尋ねてみる。
「――ああ。先生でしたら、おそらくは教会だと思います」
見た目の割に老成した話し方をする子だなと思いながら、旅人は少年に礼を言ってから、教えられた教会へと足を向ける。
道すがら相棒に声をかけたのだが、そっけない態度で断られた。相棒が美人に全く話しかけようとしないのは珍しく、旅人は首をかしげる。
子供たちの声をやけに遠くに感じながら、旅人は古びた扉を開く。きぃっと言う音を立てて開いた扉から、薄暗い室内へと光が差していき、導線を作り、女性へと導く。
正面入り口からまっすぐに伸びる空白の道と、それを挟むように左右対称に並べられた木の長いす。
そして、ここが教会なのだと観覧者に報せる祭壇と、その頭上を鮮やかに彩るステンドグラス。その風景の中で祈りをささげる女性は、まるで意匠の宗教画のように荘厳な空気を纏っている。
旅人はその美しい一枚の絵画を汚すことができず、触れることを躊躇ってしまう。不意に女性は顔をあげて、組んでいた手をほどいて振り返った。
「……すみません。祈りの邪魔をしてしまって」
旅人の口からとっさに出たその謝罪が、完成された一枚絵の時間を動かしてしまったことに対するものだとは女性も気づかない。
「いえ。ただの日課のようなものですから。それに、ここの神様はとても優しい方ですから、この程度では怒りませんよ」
それは親しいお隣さんを語るかの様に聞こえた。
お暇しようとした二人だったが、良ければ泊っていって下さいとの申し出を受けることとなった。
実際問題、今から宿を探すのも難しいのは確かだった。だが、正直な所、昼のごろつき共が何かしてこないかと、旅人が心配だったことが大きい。
相棒は旅人の好きにすればいいと、いつも通りのスタンスだった。
けれど旅人は相棒の態度に、余所余所しさのような違和感を感じていた。
子供の相手や畑仕事は手伝っていたが、いつになく言葉数の少ない相棒に、旅人は首を傾げつつも、同意は得られたので彼らは一泊する運びとなった。
子供たちは久しぶりの来客に、時間の余裕ができたことが嬉しいらしい。旅人達にとりとめのない話を代わる代わるしてくれる。
——この土地は昔は修道院だったらしい。生活をしている母屋と少し離れた所に建っているのは、やはり教会だった。昔はこちらのほうが主だったのだったと聞いているが、今となっては尋ねる者はほとんどいないのだと。
けれど女性は毎日欠かさず掃除をして、お祈りをしているのだという。子供たちも見たことも聞いたこともない、よく分からない神様に感謝して、交代で掃除の手伝いとお祈りをしているのだと話してくれた。
……子供達が信じているのは、信じている女性が、信じている神様。
旅人はそんな感想を持ちながら、子供達の話を聞きながら相槌をうつ。
「先生がね。ここにはみんなを守ってくれる神様がいるんだって。だから、みんなが幸せでいられるようにって、毎日お祈りしているの。だからね。私もお祈りするの」
「そうか。偉いな。誰かの幸せを祈れる人は優しい人だよ」
彼はそう言って、ベットで布団に埋まっている子供の頭をそっと撫でる。
彼と相棒は、半分倉庫になっていた空き部屋を借りることになった。丁度、予備のベットが置かれていたので、布団を持ち込めば宿泊するに十分だったし、小まめに掃除されているので快適だった。
だが、今、旅人は子供たちが彼と話をしたいというので、女性の許可を取って子供部屋にいた。
女性もこまごまとした雑用があるそうで、子供を寝かせる大仕事を代わってもらうことに申し訳なさそうにしていた。
おそらくこの建物の中で一番広い部屋の中に、規則正しく並べられた子供の数と同じベット。必要になればベットを逐一持ってくる。
――と聞いていたのだが、不意に彼は空きのベットが一つあることに気が付く。違和感を覚えたが、それを確かめる前に思考は遮られた。
「お兄ちゃんには神様はいるの?」
不意に投げかけられた気まぐれな質問は、彼には逃れられないし、曖昧に答えを口にするのは憚れるものだった。
旅人は少し返答に困ったが、目を細めて、静かに頷いた。
「こんな夜更けに子供が一人でお祈りとは、――悪い子なのか、良い子なのか分かりづらい」
子供と話してくると部屋を出た旅人を送り出した後に、相棒もすぐに部屋を後にしていた。
—―まっすぐに足を向けたのは教会。
昼に見たときは厳かな空気を醸し出していたが、月明かりの中で佇む姿は客の来訪を拒絶するかのように不気味だ。
実際に夜は誰も近寄らないのだと子供たちが教えてくれた。
「正しくは『近づけない』が正しいか……」
普通の人間は近づこうとする意識その物を逸らされる。行く気がしない。明日の朝に行けばいい。といった感じに夜には近づけないように結界が張られているが、彼には関係ない。
躊躇することなく夜の教会に足を踏み入れると、苦笑が石造りの部屋に響いた。
左右対称に並べられた木の長いすと、入り口の正面から続く空白の道。その先にある質素な祭壇が、月明かりを通したステンドグラスで色とりどりに染められている。
その光を浴びながら、少年が彼を迎える。
「こんな夜更けにお祈りですか?どちらかといえば、祈られるほうでしょうに」
少年の男とも女ともつかない声は、良く響く。
「悪いけどよ。俺はそんなガラじゃないんでね。見知らぬ他人の願い事なんざ、耳障りなだけだろ」
「それは同感です。見知らぬ赤の他人に乞われて、自分の時間と労力と精神力を消費するほど博愛主義にはなれません」
あどけない声で話す内容と笑い声が歪で異様だ。だが、彼にとってはそれは気にはならない。そんなものには慣れている。
「とはいっても、ここに祈りに来るのはここに住んでいる奴らだけだろ?お前を含めて」
「それが何か問題でも?」
「いいや。祈るのは正しい行為だろう。教会は神に人間が祈る場所だ」
少年は眼を細めて、目の前に立つ男を見つめる。
「むしろ、間違っているのはあの女の方だろう。自身の役割を放棄した挙句、お前に押し付けた」
淡々とした抑揚のない声には、静かな怒りが込められている。その怒りを肌で感じ取った少年は恐怖と畏敬を覚えたが、それは決して受け入れられないものだ。
「間違いだったとして、あなたには何の損害も与えていない。彼女は孤児を引き取って育てているだけです」
少年の声が震えていることに気が付いたのか、相棒は少年をなだめるように肩をすくめる。先ほどまで少年が感じていた威圧が嘘のように消え失せ、思わず安堵の息をついた。
「……悪い。大人気ないことをした。つい、私情が絡んじまった」
「私情、ですか……」
少年は年相応のあどけない笑みを浮かべた。
「――ずっと昔のことです。この町は、一度は放棄され、住民がいなくなったことがありました」
理由は今となっては定かではない。記録も記憶も残っていない。
けれど、人がいなくなっても、そこには神だけが残っていた。この土地で生まれ、崇められた存在。この土地以外のどこにも行けない。
何より、その神はこの土地と人を愛おしんでいた。
だから待ちつづけた。人が戻ってくるまで。けれど、いつしかこの町が地図から消えた頃、一人の子供が迷い込んできた。
「理由は、わからない。というよりは忘れてしまった、というべきですか」
少年は廃墟しかない街を当てもなく歩き、やがて古ぼけた教会にたどり着いた。
ほかの建物は風化して崩れたものがほとんどだったが、教会は手入れがされたように綺麗なままだった。
その教会に足を踏み入れた少年に、神は笑いかけた。
「行く当てもなく、飢えて滅びるしかなかった者同士が出会ったんです」
土地神であるがために、神は力の大半を失っていたけれど、それでもいつ人が戻ってきてもいいように、教会の土地は手入れをして、水源や畑といったものを守り続けていた。
「少年はこの町の二人目の住人になりました」
そうして、二人はここで日々を穏やかに暮らしていたが、時折、子供が迷い込んでくる。
「というよりは、捨てられていたんだと思います」
少しずつ人が増え、子供たちが育っていく。けれど人でない神様と、人であった少年だけは何年経っても、姿かたちが変わることはなかった。
けれど変わらぬ二人を周りの者たちが不思議に思うこともない。
やがて、人口が増えていき、再び町が出来上がった。
「けれど、いつしか、神は自身のことを忘れ、人間として生きるようになりました。そうして、彼女は少年と出会った日からずっと、祈り続けているんです。『ずっと一緒にいられますように』と」
少年は月明かりの中、微笑みを称える。
「――お前はいいのか?ずっと、神様とやらのわがままに付き合わされて」
「ええ。だって、私も祈り続けているんです。『ずっと一緒にいられますように』」
「酔狂なことだな」
その台詞に、少年は呆れたように苦笑する。
「失礼ですが、あなたには言われたくはないですね」
「俺は至極真っ当だよ。俺はあいつの祈りを聞き届けているだけだ」
相棒は神の祈りを受けて、神の役を演じ続ける少年を見据える。
「神は人の祈りを聴く。――あいつが望む限りは」
相棒の言葉に、少年は呆れと、同情が入り混じった感想を述べた。
「よく言いますね。手放す気なんてさらさらないくせに」
結局、旅人と相棒は町に滞在中、ずっと孤児院の世話になることになった。
孤児院全員で、元気な笑顔と声で見送りをしてくれた。
去り際に食料やら消耗品を分けてくれた。彼らはできるだけ労働などはしたが、旅人はとても申し訳なく思っていた。
「居心地がいいからといて、人の厚意に甘えすぎた」
そう言って反省する彼をしり目に、相棒は嘆息する。
「そういえば、教会に寄ったんだけどな。綺麗なステンドグラスだった」
適当な返事を打つ相棒を気にすることもなく、思い出を振り返っていたらしい旅人は不意に首を傾げる。
「そういえば、私たちはなんで彼らの世話になることになったんだ?」
町で最初に女性に話したことは覚えているが、その切欠が曖昧なのか、彼は首を傾げている。
「まあ、大したことじゃなかったよ。守り神が付いているんだから、最初から余計なお節介だったんだよ」
「そういえば、一人変わった少年がいたな。妙に大人びていて『大変ですね。妙なのに好かれて。彼女も気に入っているようなので、疲れたら何時でもいらして下さい』ていわれたよ」
「だから関わり合いになりたくなかったんだよ」
相棒は顔をしかめてぼやくと、ちらりと彼に視線を投げる。
「……まあ、無謀な願いに付き合っている事には、同意も同情するけど」
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