第6話 祈りの果てに

  ――春も近いというのに急に降り出してきた雪も手伝って、旅人と相棒はとある山の裾の村に暫く滞在することになった。

 皆同じように季節外れの雪に行く手を阻まれた客で、宿屋は繁盛していた。彼らも例にもれずに、宿屋にお世話になることになり部屋で体を休めていた。

「個室がとれてよかった。見知らぬ他人がいると落ちつかないからな」

 相棒は椅子に腰かけて、先ほど宿の従業員が持ってきてくれた温かいお茶をすする。

 窓の外は雪に覆われて、みんな建物の中にこもっているせいか人通りはない。音が全て雪に覆い隠されたように、異様なほど静かだった。

 銀世界を眺めていた旅人の耳に、どこからか小さな鈴の音が響いてきた。

 どこかに鈴をつけた猫でもいるのだろうかと、旅人は首をかしげる。相棒は眠たそうに大きなあくびをしていて、何かを気にする様子はない。そもそも彼の空耳なのか、相棒にも聞こえているが気にしていないだけなのかはわからない。

 多少気にはなったが、そのことを尋ねると、相棒は彼のことを心配する。せっかくなのだから、しっかりと旅の疲れを癒してほしいと思い、彼は何も言わないことにした。


 夜になってもその鈴の音はやむことがない。規則正しく、休むことなく鳴っている。

 気にするほどの大きな音でもない。だが、時計の秒針が進む音のように、気にしだすと眠れない。

 旅人は、横で相棒が寝息を立てているのを確認してから、気配を消してそっと部屋を後にした。

 宿の木の廊下は薄暗く、肌寒い。玄関ホールにある大きい暖炉でも、隅から隅まで温めることは難しいのだろう。

 彼は暖炉の前に置かれたソファーに腰かけて暖をとり、時間をつぶすことにした。ゆらゆらと不規則に揺れる炎を眺めていると、不意に声をかけられた。

「お客様、どうされたんですか?」

 彼が声のほうを見ると、従業員らしき女性が佇んでいる。

「……すみません。なんだか目が冴えてしまって」

「良ければ、何か暖かい飲み物でも用意しましょうか?」

 向けられる朗らかな笑顔に誘われるように、彼がお願いしますと答えると、従業員の女性が湯気の立つカップを持って来てくれた。

 差し出されたカップを礼を言って受け取ると、ふわりと甘い果実の香りがする。

「お酒は大丈夫ですか?この村の名産品の梅酒をお湯で割った物です」

「ああ。そういえば、梅の木がたくさんありましたね。白い雪と紅梅がとても綺麗でした」

 そう答えながら、彼は梅酒をそっとすすると、甘く芳醇な香りが口に広がり、ゆっくりと体が温まっていくのを感じた。

 ほっとしたついでに、彼は思い切って気になっていたことを尋ねてみることにした。

「……実は、鈴のような音が聞こえる気がして、気になって眠れないのです」

 それを聞いた途端、従業員の女性は神妙な面持ちで小さくうなづいた。

「やはり、そうでしたか……。たまにいらっしゃるのです。鈴の音が聞こえると言われるお客様が」

 鈴の音を聞いていたのは自分だけではないと分かり、彼は安堵する。彼は自身が人よりも強い精神力を持っていると自負しているが、そういったことを気にはする。

「気にはなるでしょうが、これと言って害はないようですから、安心なさってください。よければ、耳栓をご用意しますが?」

 用意がいいところを見ると、客からのクレームでもあったのかもしれないと思いながら、彼は首を横に振る。

 もうしばらくここで休んでいくと彼が言うと、従業員の女性はごゆるりと寛いで下さいとほほ笑み、奥の部屋に消えていった。


 ――女性は病に侵されていた。おそらくは長くないだろうと、女性も周囲の者たちも悟っていた。

 その数年、災害に見舞われ続け、村人全員が疲弊していた。

 自然と心が荒み、争いが絶えず、村は荒れていく。その様子を女性は見ているしかなかった。

 ――だから彼女は祈ることにした。

  どうか、みんなが幸せだと笑えますようにと


 暖炉の薪が崩れた音で旅人が目を覚ますと、隣には相棒がいつの間にか座っていた。

「声をかけてくれ……」

 いたなら起こしてくれればいいのにとぼやく彼のことを、相棒はじっと宝石のような赤い目で見つめている。

 その視線の先、彼は自分が涙を流していることに気が付いた。

「雪がやんだら、さっさとここを発つ」

 それだけを口にした相棒に促されて、彼は部屋に戻った。


――鈴の音が止んで、三年たったら、私を迎えに来てください。

 女性は彼女の最愛の人に、そう告げた。

 けれど、その人は迎えには行けなかった。

――三年たって、梅の花が咲く頃になったら。


 朝に彼が目を覚ますと、相棒が起きていた。必要がなければ旅人よりも、遅れて目を覚ますのが常なので、珍しいと彼は呟いた。

「……お前、どこに行く気だったんだ?」

 唐突なその質問に彼は首をかしげる。

 相棒から話を聞いてみると、彼は何度か無言で立ち上がり、部屋を出ていこうとしたらしい。

 だが、彼には全く覚えがない。戸惑いを隠せない彼の様子に、相棒はため息をついて天を仰ぐと、彼に身支度を整えるように言った。

「行くぞ。……多分、見つけてやらないと雪はやまない」

 身支度を整える旅人よりも先に部屋を出た相棒は、近くにいた従業員を捕まえて、矢継ぎ早に質問攻めにしていた。

「この辺りで、三年に一度しか咲かない梅はあるか?そこに行くための道はどこだ?用途不明の小屋のようなものは?」

 戸惑う従業員をよそに、相棒は答えを迫る。勢いと顔の良さに相手が狼狽して、上手く言葉を紡げないようだったので、彼は相棒を宥めて、従業員と距離をとらせた。

「いつも説明が足りないと言っているだろう。いったん何をする気なんだ?」

「俺だって、こんな面倒ごとは御免だ。それに、説明が足りないのはお前もだろう?」

 安易に隠し事をしているだろうと攻めてくる相棒に、身に覚えがある彼は押し黙る。そんな彼に相棒は呆れた顔をして言い放った。

「迎えに行ってやるんだよ」


 気が付くと、村人十数人を連れて目的地を目指して歩いていた。

 相棒につかまっていた従業員を見た宿屋の主人が、何事かと駆けつけてきたのだ。若い従業員ではらちが明かないと思った相棒が、同じ質問と鈴の音の話をすると、宿屋の主人の顔が変わり、若い従業員に村長に同じ話をするように言って使いに出した。

 あれよあれよという間に、団体さん御一行が出来上がっていた。

 村長に案内された場所は、村の奥にある小高い丘の上にあった。

 梅の並木道は陽に照らされた雪が光を反射して輝き、色の濃い紅梅の鮮やかさとのコントラストが美しい。

 花見と雪見を同時に行いながら進む道のりは、不思議と雪が積もっていなかった。

 道を進むほど、旅人の耳に届く鈴の音は大きくなっていく。 

 丘の頂上にたどり着くと、なかなかお目にかかれないであろう、一際大きく立派な枝ぶりの梅の木が彼ら迎えた。

 花を眺める暇もなく、全員が作業を始める。相棒の指示に従い、梅の根を傷つけないように気を付けながら、順に交代しながら穴を掘り進めていく。

 全員が無言のまま一心不乱に掘り進める姿は、戸惑いと期待と恐怖が入り乱れている。やがて誰かが突き立てたシャベルが何かに当たり、鈍い音がした瞬間、ずっと彼に聞こえていた鈴の音が止んだ。


 ——梅の木の下に埋まっていたのは木で作られた棺桶だった。不思議と腐食がなく、つい昨日にでも埋められたかの様にすら見えた。

 村長が皆の代表として蓋を開けることになり、氷のように冷たい水で手を洗い清めると、固定されていた蓋を外した。

 長い時を経て陽の光に晒された中には、女性が穏やかな表情で眠っていた。その遺体はとてもきれい状態で、まるで死んで間もないかのようにさえ見えた。

「――いわゆる、即身仏ってやつだ」

 掘り出された棺桶が布に包まれて、慎重に運ばれていくのを見送りながら、相棒は淡々と語る。

「あの女はこの村が好きだったんだろうな。だから、村人の幸せを祈ったんだ」

 ——一人の女性が即身仏になったが、その遺体は行方不明のままだという話は村長に代々伝えられていたらしい。宿屋の主人は村長の親類で、たまたま耳にしたことがあったそうだ。

「……しかし、なんで女性に頼まれた男性は病で亡くなる前に、誰かに場所を伝えなかったんだ?伝えていれば、もっと早くに見つけてあげられただろうに……」

 空は昨日までが嘘のように晴天で雲一つない。雪も殆ど溶けてしまって姿を消していた。

「即身仏になるのは彼女の望みだった。けど、男のほうは嫌だったんだろう」

 相棒は風に舞う花びらを掌で受け止めながら、つまらなさそうに言う。

「遺体が見つかれば、即身仏として祀られてしまう。たくさんの人目に触れるわけだ。それが嫌だっだんだろうさ」

 そちら方面の人の感情には疎い旅人は素直に感心していた。

「難儀なもんだな。女はたくさんの人を救いたかった。けど、男は女がいればそれでよかった。残り少ない時間でも、許される限り一緒に居たかっただろうに。結局のところ、女は男よりもたくさんの人間のことを選んだわけだ」

 相棒はそんな女性に願いを乞われるような人間である彼を、横目で見ながらつぶやいた。

「まあ、俺だったら、どんなことをしてでも――本人の願いを踏みにじってでも止めるけどな」

 三年に一回に花が咲き、花が咲く年の三週目に実をつける梅の木を見上げながら、相棒は不意に思い出したように言った。

「あの宿、従業員は全員男だぞ」




 



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