第4話 紙とペンと二人

 旅人と、その少女との出会いは偶然だった。

 

 彼と相棒が暫くの間、滞在する町にはレンガ作りの立派な図書館があった。

 それなりの築年数が経っていたが、小まめにしっかりと手入れがされているため、古いとは分かるが気品を纏い、独特雰囲気を醸し出している。

 規則正しく並べられた本棚と、色とりどりの本とタイトルの文字が並び、整った光景は美しいと表現できる。そして皆が口を噤み、声量を下げて囁き合う、独特の静けさが広がっていた。


 此れだけの本に出合うのも、読む時間があるのも、旅をしている身をしては久しぶりの事だった。

 彼は子供頃、どちらかといえば大人しく本を読んでいることが多かった。本に没頭するのは楽しかったし、知識が増えるのはうれしい事だった。

 何を読もうかと思案しながら通路を歩いていると、一番端の古い蔵書の棚の陰にいる少女が目に留まった。


 少女は薄手の袖の無いが質のいいワンピース姿で、開かれた本を悲しそうに指でなぞり、ため息を吐いていた。

 彼は少し気にはなったが、声を掛けることはせずにその場を後にしたのだが、次の日にも同じ場所で少女を見かけた。

 やはり悲しそうにため息を吐いているのが見えた。それが数日続けば、真っ当ならば、興味か心配か恐怖のどれかを覚えてくる。


 彼は少女がいた本棚に行き、そこに並んでいる本を確認すると、彼が知らないような地方のマイナーな童話が並んでいて、それなりに古いものの様だった。

 彼は何気なく目についた本を手に取ってみると、不意に背後から声を掛けられる。振り返ってみると、そこには件の少女が不安そうに見上げていた。


 話をまとめると、少女は本を使って文通していたのだが、最近はその返事が無く、相手の事が心配でため息をついていたと言う事だった。

 この図書館ができて間もない頃のこと、始まりは最近気に入って何度も読み直していた本に、手紙が挟まっていたことだった。

 内容は、これを読んだ人は返事を書いて同じように本に挟んで欲しいというものだった。少女は試しに返事をしたためて、言われた通りにした。

 数日してから本を開くと、また別の手紙が挟まっていた。そこには手紙のお礼と、できればこれからも手紙のやり取りをして欲しい旨が綴られていた。

 こうして少女は見知らぬ誰かと文通を始めた。

 その後、返信は数日置きになり、やがて休館日を除けば毎日のように文通をしていた。だが最近になり、徐々に手紙の間隔が空くようになり、そして返事が全く来なくなったのだと言う。


 少女の話に、彼は思う所がありはしたが個人的な意見として、文通相手を探してはどうかと提案してみる。

 すると少女が暗い顔をして口を閉じた。

 旅人は気が乗らないのかと尋ねてみる。すると少女は人付き合いが苦手で、相手をがっかりさせてしまわないか不安だと答えた。

 彼は自分とこれだけ話せていれば、十分だと太鼓判を押す。それに背を押された少女はおずおずとうなづいた。


 人と話すのが苦手だという少女に代り、彼は取り敢えず司書に尋ねてみることにした。

 とりあえず姪が本で文通をしていて、相手からの返事が来なくなって心配している。最近急に来なくなった人はいないかと。

 人のよさそうな司書は逡巡して、困った表情を浮かべた。

 彼はプライバシーの問題だろうかとも思ったが、そうではなく、その司書の人は最近配属されたばかりで、顔見知りが少ないらしい。代わりに同僚の司書の人に心当たりがないかと尋ねてくれた。

 しかし答えは芳しくない。心当たりがある人物は誰もおらず、彼がどうしたものかと考えていると、司書の一人が、元館長に尋ねてみてはどうかと提案してきた。

 この図書館は館長が半年ほど前に代わったばかりで、前館長は数十年以上此処で働いていたので、何か心当たりがあるかもしれないと言う。

 司書の一人が館長の親族で、ちょうどお見舞いに行くので確認してくれるとの事で、その日は離れて待っていた少女に事情を説明して図書館を後にした。


 宿に戻って相棒に事の次第を説明したのだが、興味が無いのか此方に背を向けてベットに寝そべったままだ。

 相棒は本にはほとんど興味が無く、街の散策に出たり、今のようにだらけてばかりいる。

 彼がそろそろ食事にしようと提案すると、相棒は即座に身を起こして身支度を始めたので、彼はため息交じりに苦笑した。


 次の日、彼は元館長の家を訪問していた。

 開館と同時に図書館を訪れた彼に対し、司書の人が話しかけてきた。内容は元館長が彼と話をしたいというもので、出来れば自宅を訪ねて欲しいとの事だった。

 いきなりの申し出に彼が首をかしげていると、司書の人が、元館長は人と話すのが好きなので、たまには気分を変えて知らない人と話してみたいのではと答えた。


 元館長の自宅はレンガ造りの一軒家で、どことなく図書館の雰囲気に似ている気がした。玄関先には手入れがされた庭が広がっている。時期が合えば色とりどりの花々が迎えてくれただろうが、あいにくと疎らにしか咲いていない。

 旅人が玄関のベルを鳴らすと、お手伝いさんが対応してくれた。

 案内された部屋を訪れると、元館長が窓際の安楽椅子に座って、笑顔で出迎えてくれた。


 少女はその日も図書館を訪れて、いつもと同じように本を開いてため息を吐いていた。

 旅人はそんな少女に近づいて声を掛けて、一枚の封筒を差し出した。

 少女は不思議そうに封筒を受け取り慎重に開封すると、そっと手紙を取り出して目を通した。

 見覚えのある筆跡に顔を明るくしたが、直ぐにその顔を曇っていく。

 手紙は短い文章で綴られ、文字は少し斜めに書かれていた。

 肩を落としてうつむく少女に、彼が掛けられる言葉はほとんどなかった。


 相棒が宿屋に戻ると、彼は神妙な面持ちで椅子に腰かけていた。その表情で大体の事は察しがついていたのだが、相棒は黙ったままベットに座り、彼の言葉を待った。

 ……少女の文通の相手は元館長だった。

 話を聞いていて、彼が疑問に思ったことがいくつかあった。

まず、手紙の受け渡し方法だ。読まれにくい本とはいえ、先に誰かに持って行かれる可能性はある。けれど、そういった不測の事態はなく、順当に文通を行っていた。

 だが、図書館で働いているものであれば、決まった時間にやってくる少女に合わせて手紙を置くことができる。逆に手紙の回収も容易だ。

 彼もそう思って最初に司書に話を聞いたのだが、彼が一番気になっていたは——。


「そいつ、人じゃなかったんだろ」


 相棒は何気なしに言った。彼は相棒が彼の話をちゃんと聞いていたことに虚を突かれた。

 少女は図書館ができたころから文通していると答えた。けれど、あの図書館は出来て数十年以上は経過している。

 少女は花の咲かないほど寒い時期だというのに、ワンピースだけと薄着で、寒がる様子もなかった。

 

 旅人には手紙の内容は分からない。だが、恐らくはもう文通は出来ないという旨が書かれていたはずだ。

 少女に元館長は病で目を患い、もう本もほとんど読めないのだと伝えた。

 視力が落ち始め、道具で補っても文字を読むことに苦労するようになり、以前から予定していた通りに退職をした。

 暫くの間は、何とか返事を書いて図書館に通い、文通をしていた。けれどいよいよ文字が読めなくなり、手紙を読むこともできなくなった。

 手紙の返事はもうできないと、最後の手紙に書いて本に挟んだ。だが、理由は定かではないが、最後の最後に運悪く、少女に届くことはなかった。


 この後どうするかは、二人が決める事だと彼は思っている。

 そもそもの始まりが、何十万冊とある蔵書の中の一冊から始まった話だ。きっと

良い話で終わるはずだ。

 彼はそう思いながら、唐突に相棒に対して手紙を差し出した。きょとんとする相棒を放置して、彼は理由を一気に説明する。


「元館長からもう使わないからと、紙とペンのレターセットを貰ったので、もったいないから使っただけだ。たまには形に残す言葉もいいかと思ってな」


 そっぽを向いて答えると、そのまま部屋を出ようとする彼の背中に向かって、相棒が声を掛ける。



「紙とペンがあっても、渡す相手がいないと意味がないし、俺達には必要ない」

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