第3話 魔女の決め事
——旅人である彼がその森に足を踏み入れたのは、偶然と、お人好しである性格からとしか言いようがない。
滞在していた町で旅人は些細なことで相棒と喧嘩をして別れた。
旅人が目的もなく街を歩いていると、探し人の張り紙が視界の隅に映った。内容は少女が一か月ほど前から行方不明で、最後に目撃されたのが町のすぐ側の森だとかいてある。
宿屋の人に森はたまに遭難者の遺体が見つかるから近づくなと、注意されたのを旅人は思い出したが、見たところ大した広さではない。崖などもなく地形は穏やかなもので、迷ったとしても半日も歩けば横断できる広さだ。運が良ければ少女はまだ生きているかもしれないと思い、彼はその足で森に向かった。
――気づけば、自身が森の中で迷っていたのだから笑えない。
「いや、あいつならきっと笑う……」
宿屋でふてくされているであろう相棒の無駄に綺麗な顔を思い浮かべて、旅人さらに気分が沈む。
喧嘩の理由など些細なことだ。いつもの事で慣れているはずだった。けれど、その時はなぜか許せなかった。
嫌なことを思い出してしまった旅人はため息をついて肩を落としたが、暗くなる前に森をぬけだそう思い直した。
同じと事に来ても分かるように、木に印をつけながら歩いていると、僅かに奇妙な音が聞こえる。
旅人が耳をそばだてると、それは確かに人の声だった。
意を決した旅人はその音を頼りに、腰ほどの高さの草をかき分けながら進むと、突然前が開ける。薄暗い森をぬけた途端に広がった村の光景に、彼は唖然とした。
木で作られた家が何件も並び、畑や井戸、鶏小屋迄あるのが見える。彼が見た地図にはこんな所に村は載っていなかったし、そもそも縮尺された地図と比べても、森の広さが合わないと首を傾げていたところだったのだ。
唖然としてその場に立ち尽くす彼の前に、一人の若い女性が姿を現した。
「こんにちは。道に迷われたのですか?」
朗らかな笑顔を浮かべる女性に、彼の止まっていた思考が再起動したので、思わず尋ねてみた。
「……ここは、どこでしょうか?」
その問いかけに、女性は丁寧な口調で答える。
「ここは『村』ですよ」
女性に招かれた自宅は、質素な最低限の家具に暖炉や煙突があった。
勧められるままに椅子に座り、出されてたお茶を飲んで一息ついて、旅人はようやく口を開いた。
「こんな所に村があるなんて知りませんでした。失礼ですけれど、この『村』は一体……?」
戸惑いを隠せない旅人の様子に、女性は優しく諭すような口調で言う。
「ここはここにあるけれど、普通の人は入ることのできない所、です」
その答えに旅人が首をかしげていると、不意に視線を感じて窓の方を見ると、外からのぞき込んでいた村人たちが顔を引っ込めるのが見えた。
「すみません。大人の人がここに入ってくるのはとても珍しいので、少し警戒しているんです」
「……大人が珍しいと言う事は、子供は珍しくない、と言う事ですか?」
その問いに女性は静かに頷いた。
「――というよりは、ほぼ子供です。最近は一年に数回あるぐらいです。ない年もありますが」
そう言いながら女性は立ち上がると、戸棚を開いて小袋が入った籠を取り出すと、一旦彼に断りを入れて家の外に出て行った。
旅人が耳を澄ませていると、子供達がはしゃぐ声と、女性がそれをたしなめる声が聞こえてきた。
再び女性が家に入ってくると、子供たちの声が遠ざかるのが聞こえた。
「あなたもいかがですか?クルミのクッキーです」
勧められたクッキーを旅人は礼を言って受け取り、口に入れて噛むとほろりと崩れて、疲れた体には嬉しい甘さが広がる。そのほっとする味に、彼の緊張が緩んだ。
「話の続きですが、ここにたどり着くのはほぼ子供で、あなたのように大人の場合は、本当に稀です。その場合は……、言い方が悪いかもしれませんが、何かが足りない人の場合がほとんどです」
「……足りない」
その言葉が彼の頭の中で反響する。旅人の顔が曇ったのを見て、女性は焦った様子で頭を下げる。
「すみません。不躾なことを言ってしまって……。気を悪くされましたか?」
「……いえ、そうではないのです。この森に入る前に、旅の相棒と喧嘩した時に、同じことを言われました」
相棒は、旅人が頻繁に面倒ごとに巻き込まれることを心配していた。いつもは放任主義なのだが、たまに過保護になる時がある。その時もそうだった。
「お前は、人として色々と足りない。欠落しているんだと」
旅人はそう言いながら、自分はどうして初対面の人に、こんなことを口にしているのだろうと疑問に思った。
「子供というものは、たくさんの可能性を持っている分、とても脆くて、人として不完全です。だからこそ、そういったものに付け込まれやすい。大人になれば安定して、そんな事も無くなるのですけど」
そんな旅人を優しく諭す女性の顔は、慈しみに満ちていて母性を感じさせた。
「けれど、本来は人が大人になった時には持っている物を得ることができなかったのだと思います。……とても純粋で綺麗。それ故に、脆い」
その言葉に旅人は何も返せずに押し黙った。
「……話が長くなってしまいましたね。きっと、あなたには考える時間が必要なのでしょう。もうすぐ日が暮れます。良ければ一晩泊まっていかれては?」
その申し出にうなずく旅人は姿は、途方に暮れた迷子が泣き出す前に様だった。
せっかくだからと女性は旅人に村の中を案内してくれた。
村は大した広さではないけれど、生きていくのに必要な物はしっかりとそろっているようで、生きていくうえでの不自由は無いようだった。
何より村にいる人たちは穏やかな表情で、女性を見ると笑顔で話しかけてきた。
旅人はその様子を眺めながら、見かけた人数と建物の数からしても、いたとしてもそう多くはないだろうと推察する。
迷い込むのは殆どが子供といってはいたが、老若男女が存在しているようだった。
「お話終わったの?」
先程中を覗いていた子供たちが、女性の姿を見つけて駆け寄ってくる。話しかけたり、手をつないだりと楽しそうだ。
「お兄さんも、ここに住むの?」
「いや。森に迷っただけだし、外に相棒を待たせているんだ」
旅人はは身をかがめて視線を低くして、目線を合わせて微笑みかける。
人見知りとは無縁らしい子供たちは、畑仕事をしていた別の女性に呼ばれて走っていく。
それを彼が何気なく目で追っていると、木陰で一人で本を読んでいた子供に駆け寄るのが見えた。遠目にだったが、その子供の手に包帯が巻かれているのが見えた。
「先程、子供が多いと言いましたが、ただ迷い込んだだけの子供は数日以内には家に帰します」
怪我をした子を見る女性の横顔は悲しみに染まっている。
「ここにいる人たちは、みんな何かから逃げて来た者たちなんです。ある時は飢えから。ある時は戦火から。ある時は暴力から」
旅人は行方不明の子供の特徴が、怪我をした子供と一致することに気が付いたが、口には出さずに話に耳を傾けていた。
「あの子は、最近ここに来た子です。大半は服に隠れて見えない所ばかりでしたけどあざだらけで。……あの子は親から逃げて来たんです」
怪我をした少女が小さく笑って、呼びにきた子と手をつないで歩いていく。
「そうして出来たのがこの村なんです。逃げてきた子供がそのまま住んで、夫婦になって、子供ができる。……出ていく人もいますけれど」
夕日が森の奥に沈むのを眺めながら、旅人は町に残してきた相棒の事を思い出していた。
「――私は、おいていかれるばかり」
その呟きは、薄明とともに消えて行った。
旅人が物音で目が覚めると、女性が小走で明りの灯った別の家に駆け込むのが見えた。同じ様な人が何人かいたので、通りがかりの人に尋ねてみると、あの家の老人が無くなったのことだった。けれど、子や孫に囲まれて大往生で穏やかなものだったと言われた。
「……けど、魔女様は悲しいだろうな。一番長い付き合いだったし」
そういうと村人は色々と準備があるからと、その場を後にした。
朝になると女性が朝食を用意していてくれたので、旅人は昨晩の事を尋ねてみた。
「あの人は、とても陽気で、収穫祭の時は焚火の周りで踊るのが好きな人でした。最近はお孫さんたちが踊るのを眺めるばかりでしたけど」
いつかの日を思いながら語る女性の口調は楽しそうだったが、何となく寂しそうな笑顔を見ながら、旅人は躊躇いがちに口を開いた。
「……とても失礼なことを尋ねますが、魔女さんはおいくつなのですか?」
そのぶしつけな質問に魔女は怒るでもなく、乾いた微笑みを浮かべる。
「さあ。わかりません。……もうずっと前に、年を数えるのはやめました。何故――?」
「見たところ、あなたは私と年はそう離れていないように見えます。けれど、村の人々の対応を見ていて、何となく。それに話していると、時折、見た目と中身の雰囲気が違うなと思いました」
「――とてもいい感をしていらっしゃいますね」
女性の瞳はひどく透き通っていて、見つめていると吸い込まれそうな錯覚に陥る。
「……私が、この村に来たのは物心がつく前でした。親の顔は覚えていません。ただ、戦争があったことは覚えています。いえ、忘れられないというのが正しいですね」
女性の目は旅人の方を向いていたが、その意識はどこか遠くを見つめている。
「……崩れた建物に足を取られて、何度も転びながら、……何度も立ち上がって逃げ続けた。気づいた時には独りぼっちで、森の中を泣きながら歩いていました。気づい
たときにはこの場所に来ていました」
女性がここにたどり着いた時、この場所には家が一つだけあった。人恋しさと、飢えと、寒さに追われて扉を叩いた。
「――中から出てきた方が、初代の魔女様でした」
その魔女は女性のことを温かく迎えてくれた。行く当てのない女性を保護し、養い、生きていくすべを教えてくれた。
「とても穏やかな時が流れていました。とても幸せでした」
けれど、女性はすぐに違和感に気が付いた。女性が子供から大人になっても、魔女の姿は出会った時のまま、まったく変わることがなかった。
「私は尋ねました。すると、魔女様は『あなたに答えをあげます。今までありがとう』そう言うと、私を抱きしめてくれました。すごく暖かくて、心地よかった。……そのぬくもりが消えた時には、魔女様は光の粒になって消えてしまいました」
女性は初代の魔女から、その力と知識のすべてを引き継いでいることに気が付いた。
「……今なら、魔女様の気持ちが分かる。魔女様はもう、置いていかれるのが嫌だったんだと思います。だから結界の中で一人でずっと生きていた。けど、やはり寂しかったんでしょう。だから、私を受け入れてくれた」
女性は魔女として、ここに住み続けた。
けれど、ある時から子供が迷い込んでくる数が増えた。不思議に思って、女性が森から出ると、すぐ側には町ができていた。
「気づいた時には、数十年が過ぎていました。……けど、いつまでたっても、傷ついてここに逃げてくる子供はいなくならなかった。私は、あの時魔女様がしてくれたように、その子たちを受け入れ続けた。――こうしてこの『村』が出来上がったんです」
何か質問は?という言葉に、旅人は問いかける。
「昨日、この『村』から出ていく人もいると言いましたが、その人たちはどうなったんですか?」
子供しか入れない村と、迷うはずの無い森で遭難者。
「この『村』には一つの決まり事があるんです。出ていくのは自由だけれど、ここを出た大人は二度と『村』に入ることは出来ない」
若者の中には、村を窮屈に思うものもいる。そうして出て言った若者たちの中には、この村に戻ろうとしたものもいるだろう。
「この村は、とても優しくて暖かい。なぜならば、傷つけられた者たちが集まってできた村だから。みんなが痛みを知っている。だから、他者にも優しくできる。けれど、この村で生まれ育った人たちは、そういった痛みを知らずに外に出て行ってしまう」
痛みを知らない者が、痛みばかりの世界に出ていけば、どうなるだろう?子供のように純粋さだけで、外の世界を生きて行けるだろうか?
「外の世界で苦しんだ人たちが、優しさに満ちたこの村に戻ろうとしても、決して戻れない。優しい夢から覚めれば、そこにあるのは現実」
迷うほどの森でもないのに時折出る遭難者。戻ろうとしても戻れず、嘆きのまま歩き続けて、そのまま朽ちた人たち。
「残酷だと思いますか?」
感情を押し殺した魔女の質問に、旅人は首を横に振った。
「村を守るためには必要なことなのでしょう。大人という外のルールを入れない。だからこそ、この村は優しいままで終われる。――とても、優しくて、残酷なルール」
女性は一瞬泣き出しそうな顔をしたが、すぐに母性に満ちた微笑みを浮かべる。
それを見た彼は思わず呟いた。
「……あなたは、とても優しい。だからこそ悲しい」
旅人は痛みをこらえるように、けれど最大の敬意をもって言葉を紡いだ
「あなたが、此処に入れた理由がわかりました。あなたは欠落者であり、彼とともにあるから」
その台詞を聞いた旅人は言葉の意味を逡巡すると、何かに気が付く。彼は女性にお礼を言って、慌てて家を後にする。
——駆け出した旅人とはすぐにその姿を見つけた。
村と森の境界で待っていた相棒は、旅人が彼の前で立ち止まると気まずそうに謝罪を口にした。
「言い過ぎて、悪かったよ。もしかして、帰る気が無いんじゃないかと……」
「いや……、なんだか意地になっていた。迷惑をかけてすまない」
昨晩、旅人は女性に言われたとおりに、いろいろ考えてみた。出会った時のこと、旅の日々。思い出せば、相棒の姿ばかりが思い起こされた。
「――本当にいいのか?お前が望むならば、二人でここに移住してもいいんだぞ?」
どういう選択をするにしろ自分と別れるつもりはないと、意思表示を口にする相棒に、旅人は安堵と感謝がこみあげる。
「きっと、ここならば、お前は傷つくことはない。それならば、俺は納得する」
旅人を思う言葉を嬉しく思いながら、彼は首を横に振った。
「――ここでは俺の望みは叶わない。ここに、俺が救うべき者はいない」
——いくら考えてみても、旅人は自身の考えを変えることはできなかった。今までも、これからも。
不意に相棒に促されて旅人が振り返ると、そこには魔女と子供達がいた。全員が笑顔で彼を見送ってくれていた。
旅人は同じように微笑み返して手を振り、相棒と共に村を後にした。
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