第2話 一番目と二番目の好意
——深々と雪が降る町は、人々の生活の明りによって包まれていた。
たくさんの出店が並ぶ大通りでは、家族連れや恋人同士が手をつなぎ、微笑みを浮かべて楽し気にすれ違う。
そんな幸せにあふれた光景を自分の事のように、旅人は嬉しそうに眺めていた。そんな彼の頬に木製のカップが押し付けられる。冷え切った頬にはその温かさが刺すような痛みのように感じてしまう。
旅人が驚いて振り向くと、旅の相棒が楽し気に笑っている。気を取り直して差し出された飲み物を礼を言って受け取り、中身を相棒に尋ねると、ホットワインだと答えた。
酒にはあまり強くない旅人だったが、せっかくの好意と雰囲気なのでちびりちびりと口にする。ワインの甘さと酒気が口の中に広がり、物理的な熱とアルコールが彼の体を芯から温める。
二人はワインを時折に見ながら歩き、一際賑やかな喧騒の祭りの会場である広場に向かう。
そこには様々な形の雪像が立ち並び、円形の広場の中央に設置された舞台では、祭りの由来を演劇にしたものが上演されている。
……始まりはこの土地を開拓していた頃のこと。
土地は広大だったが、夏の時期を除けば、ほとんど雪によって覆われていたため、開拓民達は苦しんでいた。
彼らには帰るべき故郷はすでに無い。そこでその土地の精霊様に祈りを捧げた。
精霊様は祈りを聞き入れ、自らの守護を与える代わりに、供物を差し出すように言った。
供物はその年ごとに変わり量もまちまちだったが、その守護は絶大で、開拓する土地は春と夏の間は決して雪が降らなくなった。
作物を栽培し、家畜を育て、夏の終わり頃には十分な貯えをする事ができるようになり、町は豊かになった。
街道が発達して外部との流通が盛んになった今でも、その精霊様を讃えて祭りを行う。石像や屋台に並ぶ食べ物は、かつて精霊様が欲しがった供物の数々だという。
旅人は興味深そうに劇を眺めていたが、相棒は興味が無かったらしくいつの間にか姿を消していた。
旅人が周囲を見渡すと、そこには若い女性と話す相棒の姿があった。話しかけられた女性は嬉しそうで頬が赤らんでいる。
手の早さにため息をつき、相棒を注意することなく旅人は広場を後にした。
広場から離れるとだんだん人の数が減り、まばらになっていく。人の気配も喧噪も遠のいて、同じ町だとは思えないほど静かだ。
道の脇には小さなかまくらが並び、その中にはろうそくが灯り、ゆらゆらと揺れながら雪を照らしている。
雪の灯篭を眺めながら旅人は当てもなく歩いたのだが、気づけば彼以外誰もいなくなっていた。
流石に離れすぎたと思い旅人は来た道を戻ろうとする。踵を返した旅人の背中に不意に声を掛けられる。突然現れた気配に振り返ると、そこには銀髪の愛らしい少女が立っていた。
先ほどまで姿も気配も無かったことに首をかしげながらも、相棒にお人好しと称される旅人は、祭りの夜とはいえ子供が一人でいる事を心配して話しかける。
不審者と勘違いされないように心掛けながら、旅人は朗らかな微笑みを向けてゆっくりと歩み寄る。
「一人でどうしたんだい。親か友達とはぐれたのかな?」
その質問に、少女は首を横に振る。
「夜に一人で歩いては危ない。もっと人がいる明るい所に行こう」
旅人が身を屈んで視線を合わせて提案すると、少女は頷いて彼に手を差し出した。
旅人は一瞬躊躇したが、薄暗いし手を繋いでいた方が安全だろうと思い、少女の手をそっと握る。少女の手はとても冷たく、彼は寒くないのかと尋ねると、少女は首を横に振ると手をぎゅっと握り返してきた。
「じゃあ行こうか」
旅人は少女の歩みに合わせて歩き出した。
旅人は来た道を戻っているつもりだったが、気が付けば少女に手を引かれて先導されていることに気がついたのだが、それを不思議に思うことなく少女についていく。
周囲は驚くほど静かで、まるで町が冬眠してまどろんでいるかのようだ。
徐々に雪が深くなり、足を取られ歩き辛いのだが旅人は全く不安を感じない。まるで親に手を引かれて家路を歩くかのように、むしろ安らぎにも似た心地よさが彼を包んでいた。
変わっていく風景をぼうっと眺めている旅人は、少女の足が全く雪に沈んでいないことにも気が付かない。
周りの景色は旅人の知らないものに変わっていき、小さなろうそくのような光がいくつも宙を飛び交い、雪がキラキラと輝き、ちらちらと揺れる。
綺麗だと子供のように嬉しそうに景色を眺める旅人に、少女は自分の事のように嬉しそうで、そのことが彼をさらに温かくする。
——ああ、何も怖い事はない。
苦しい事も、悲しい事も彼の中から消えていく。けれど、不意に旅人の脳裏を何かがよぎり、足を止めた。
少女が不思議そうに首を傾げて、不安そうに旅人を見上げてくる。そのことを申し訳なく思ったが、彼にはそれ以上は少女と歩くことは出来なかった。
旅人の姿が見えないことに気が付いた相棒は、話していた女性に謝罪して走り始めた。
周囲の人が何事かと怪訝そうに視線を向けるが、相棒は気に留めることは無く走り続ける。
やがて相棒は町の外れで、雪に沈み赤く染めるワインと木のカップを見つけた。物を大切にする旅人がカップを放置したままでいる筈がない。
旅人の異変を確信した相棒は、声を上げて探そうと呼ぼうと口を開いたと同時に身体を剣が貫いた。
口から血を流す相棒にかまわず、見知らぬ男は剣を勢いよく引き抜くと、相棒は前のめりになって、雪の中に倒れ込んだ。
倒れ込んだまま相棒は男をにらみつける。
「……あいつはどこだ?」
すると男は丁寧な口調で答える。
「精霊様の所です。彼は精霊様の一番になったのです」
男は酷く恨めしそうに口元をゆがめた。
—―男の一族は代々精霊様にお仕えしていて、この時期になると供物を見定めるために姿を現す精霊様の世話をしている。
大体は食べ物やおもちゃ、服飾品などといったものがほとんどなのだが、極稀に人間を選ぶことがある。そういった場合に、後始末をするのも一族の役目なのだという。
「事情を説明するのも礼儀です。何も知らぬまま死ぬのは嫌でしょう」
抑揚のない事務的な声でつらつらと語る男を見て、相棒は好戦的な笑みを浮かべた。
「羨ましいなら、あいつの替わりに供物になればいいだろう」
つまらなさそうに言う相棒を男が憎々しげに見る。
「自分たちは精霊様に気に入られている。だから世話係に選ばれた。光栄なことなんだ。一番に選ばれる必要も無い」
「一番目になりたくてもなれないだけで、二番目どまりの間違いだろう」
相棒に痛いところを指摘された男は激昂して剣を振り上げたが、次の瞬間には男の剣を持つ腕が無くなっていた。
血をまき散らしながら雪を赤く染め、もだえ苦しむ男をしり目に、傷一つない相棒が静かに佇んでいた。
「……すまない。そろそろ帰らなくてはいけない」
申し訳なさそうに言う彼に、少女は不思議そうに首をかしげている。彼はかがんで目線を少女と合わせると、優しく諭すように言う。
「自分には相棒がいて、そろそろ戻らないといけないんだ」
少女は繋いでいた手を両手で包み込むように握る。引き留めようとするその姿は酷く悲しげで儚げで、旅人は胸に鈍く痛んだ。
旅人には少女の正体は分からない。たが、このまま付いて行けば戻れないことはなんとなく理解できた。
少女がとても寂しくて、旅人に傍にいて欲しいのだと無言で訴えてきたが、それでも彼は少女の事を選ぶことは出来ない。
……旅人にとって今一番目に大切なのは、共に苦楽を共にしてきた相棒なのだから。
旅人は握られていない方の手で少女の頭をそっと撫で、「ごめん」と謝罪を口にする。
じっと旅人の顔を見ていた少女が、不意に驚いた様子で彼の背後を見たので、つられて振り返ると、そこにはいつものように楽しげに笑う相棒がいた。
「いつまでたっても帰らないと思ったら、こんな所で少女とデートとは妬ける」
「そういう君は、女性を口説くのは上手くいかなかったのか?」
旅人は相棒の軽口に対して、挑発的に口に笑みを浮かべる。少女は二人を交互に見比べると、何か納得したようにそっと握っていた手を離した。
旅人が我に返ると、そこは少女と出会った場所にいた。足元には飲みかけのホットワインだったものとカップが落ちていて、かまくらから漏れ出る明かりに照らされている。
旅人の横にはいつものように相棒がいて、周囲を見回して確認をしていた。助けられたことへの礼と謝罪を口にしようとした彼を黙らすように、安全を確信した相棒はさっさとその場から立ち去ってしまう。
その後を慌てて追う旅人の背後には、怪我一つない男が呆けたように座り込んでいた。
ばつが悪そうに後を追ってくる旅人を相棒はチラリと一瞥すると、いつもと変わらぬ口調で腹が減ったとぼやいた。
旅人は暫く相棒の背中を眺めながら足を動かしていたが、「そうだな」といつもの調子で返すと、相棒に追いつくと隣に並んで歩き始めた。
「俺は二番目より、一番目の方がいいんでね。悪いけどこいつはやれねえよ」
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