とある旅人と相棒の話

@hinorisa

第1話 梟の迷い子

 ——気が付くと、彼は鬱蒼と木々が生い茂る森の中にいた。


 なぜここにいるのかと、彼は自身に問いかけてみる。


 彼は旅人で、たまたま立ち寄った村で、困り果てている人達を見つけた。相棒からは又かとぼやかれたが、困っている人を見捨てることは出来ないと、村人たちに何事かと尋ねてみた。


 ——彼ら曰く、この近くにある森に入った村人が戻ってこないと。旅人は捜しに行かないのかと聞いてみたが、森は深く、素人が入っても無駄なのだと答えた。


 長く旅をしているので、彼には様々な経験が有る。もちろん深い森をぬけたことも一度や二度ではない。


 困っている村人達を放ってはおけず、彼は自ら志願した。相棒からは了承の代わりにため息を貰い、村から半日ほど歩いた所にある『迷いの森』に足を踏み入れた。


 目的を思い出した彼は我に返り、周囲の様子を見渡す。高く太い木に囲まれているため、空はほとんど見えない為、太陽や星で方角はおろか、今が昼なのか夜なのかも分からない。


 一緒に森に入ったはずの相棒の姿が見えない代わりに、彼の肩には一羽のフクロウがとまっていた。


 真っ白な羽毛に覆われた美しいフクロウは、彼と視線が合うと首を傾げた。その愛らしい表情に彼の心は和んだ。フクロウを脅かさぬように、そっとその羽に触れた。


 嫌がる素振りを見せないので、暫くの間、艶のあるふわふわとした感触を味わっていた。おかげですっかりと冷静を取り戻し、フクロウに礼を言ってから、姿の見えぬ相棒を捜して歩き始めた。


 ——延々と続く深いくらい森は果てが見えない。幾ら歩こうとも人どころか動物すらも見つからない。


 慣れていると言っても体力の限界は確実にある。歩き疲れた旅人が足を止めて途方に暮れていると、彼の肩の上で静かに旅の供をしていてくれたフクロウが大きな羽を広げて飛び立っていった。


 旅人を拒絶する様な冷え冷えと空気の中で、唯一のぬくもりに思わず手を伸ばしかけたが、フクロウの意思を尊重して彼はそれを思いとどまった。


 そんな旅人の心中を察したのかの様に、静寂の中を行く僅かな羽音は直ぐ近くの木の枝で止まる。


 旅人が訝し気にそちらを見ると、フクロウが近くの枝の上で彼を見下ろしていた。視線が合ったのを確認したかのように、再び飛び立ったフクロウはさらに少しの先の枝にとまり、動きを止めて彼を見ている。


 彼は何となくフクロウに呼ばれた気がして近寄ると、フクロウは同じように少し先の木にとまる。


 ……フクロウが彼を何処かへと導こうとしている。そんな考えが旅人の脳裏をよぎる。フクロウには確かな知能と理性があり、何かの目的を持って彼と共に居たのだ。


 ……もしかしたらさらに迷ってしまうのではと、漠然とした不安が旅人の心を躊躇わせたが、ふと相棒の言葉を思い出した。


 ——曰く、彼は人外の者に気に入られやすいのだと。

 旅人は長く連れ添った相棒の言葉を信じ、不安を振り切って歩き始めた。


 整備されていない不安定な地面に足をとられない様に気を付けながら、旅人は無言でただ足を動かし続けた。前で先導するフクロウを見失わない様に夢中で追いかけていたせいか、気が付けば周囲の木々がまばらになり始め、幹同士の隙間から先を見通すことができるようになり、やがて開けた場所に出た。


 ようやく周囲を囲うものがなくなり、ずっと感じていた圧迫感から解放され、多少の余裕ができた旅人が空を見上げると、不思議なことに太陽も月も星も雲すら見えない。ただ、濃さの違う灰色が溶け合っている。


 何となくそうではないかとは思っていたが、さすがに彼もここがただの深い森などではないこと確信を持てたのだが、此処から出る手段が彼にはない。

 

 旅人が再び途方に暮れていると、先行していたフクロウが彼の周囲を旋回し、やがてゆっくりと奥へと姿を消した。


 旅人の視界を阻むものは何も無いのに、フクロウが進んだ先は深い霧のようにぼやけていて、先を見通すことはできない。


 けれどここまでくればフクロウを信じるしかないと、旅人は後を追う。すると突然現れた壁にぶつかりそうになる。先ほどまでそんなものに全く気がつかなかった


 突然眼前に現れた壁に何とか手をついて、旅人は衝突を回避した。突然のことに激しく打つ心臓を落ち着かせつつ、目の前を塞ぐ物を確認すると、それは、真っ直ぐに点を吐くように伸びたとても大きな木だった。


 彼は荘厳にそびえ立つ巨木に圧倒されながら、後退して大木と距離をとってフクロウを捜す。


 視線を感じて顔を向けると、大樹に相応しいこれまた大きな枝の先に、ちょこんと先程のフクロウがとまっていた。


 彼は独りにならなかったことに胸をなでおろしたが、別の方から向けられる不躾な視線に、直ぐに一人と一匹でもないことに気が付いた。

 

旅人は向けられる視線の先を目で追うと、大樹の枝には見たことが無いほどの巨大なフクロウが鎮座していた。

 

普通サイズのフクロウが、容易く一飲みにできるほどの大きさを持った鋭い嘴。成人男性すら一撃で仕留められそうな、しっかりとした足とかぎ爪。


 それらに旅人は息をのみながら、出来るだけ気配を抑える努力をする。


 巨大フクロウがピクリとも動かずに寝ている事にほっとしながら、旅人は戦略的撤退を即座に選び、音を出さないように慎重にじりじりと後ろに下がる。


 けれど上手くいかないのが世の常だ。穏便に済ませたい旅人のの心中を無視して、小さい方のフクロウが徐に行動を開始する。


 小さい方のフクロウは枝をつたって歩き、巨大フクロウに近づいていく。フクロウの思惑は分からないが、巨大フクロウの仲間で無ければ下手をすると命が無い。


 大した時は経ってはいないが、彼はすでにあのフクロウに愛着のようなものを持っていたため、気が気ではない。


 旅人も一応は護身用の刃物は持ってはいるが、リーチが絶望的に足りない。投げるという手もあるが、外せば丸腰。


 まさかここまでの危機に瀕するとは予想していなかった。もう少し準備を整えてから出立すべきだったと、自らの早計を嘆いたが何の意味も無い。


 だが、このままあのフクロウを見捨てることは彼にはできない。


 あの巨大フクロウが自重を支えて飛ぶことができるとすれば、飛び道具の無い彼には不利。


 旅人が逡巡している間に、フクロウは巨大フクロウのすぐ側まで迫っていた。そして相手の射程圏内に入ると、フクロウは徐に羽をはばたかせて、巨大フクロウに蹴りを見舞った。


 突然の行動に旅人が唖然とする前で、フクロウは躊躇せずに相手の羽をむしり取った。


 その瞬間、耳をつんざく悲鳴にも似た鳴き声が響き渡る。旅人の体を揺らしながら通り過ぎた音は、森中に響いて届いている。


 もはや衝撃波といってもいいほどの鳴き声に、思わず顔をしかめた旅人の目に、巨大フクロウが目を差を覚ますのが見えた。


 思わず『逃げろ』と叫んだ旅人の目の前で、巨大フクロウは寝ぼけていたのか、バランスを崩して、羽をまき散らしながら落ちて来た。


 先ほどとは違う轟音が、今度は地面を伝って揺らす。


 目の前で倒れてもだえる巨大フクロウに、旅人はとっさに経過して距離をとる。警戒を緩めずに旅人が様子を窺っていると、巨大フクロウの様子がおかしいことに気が付いた。


 巨大フクロウは人でいう尻餅をついた状況で、上を見上げてその体躯を震わせている。金色の猛禽類の目には明らかに恐怖の色が浮かんでいる。


 つられて頭上を見上げた旅人の眼に、フクロウが巨大フクロウの寝床に陣取り、威嚇しているのが見えた。

 何かを命令するかのようにフクロウが羽を広げると、巨大フクロウの泣き声が周囲を包み込んだ。


 ——気が付くと、彼はだだっ広い草原に立ち尽くしていた。


 状況が呑み込めずに呆然と立ち尽くす旅人の肩を誰かが叩いた。振り返ると彼の相棒が笑顔を浮かべてそこにいた。


 思わずどこにいたのだと問い詰める旅人に対し、相棒が周囲をよく見るように促した。


 相棒が無事であったことに安堵して、冷静になった旅人の目に映ったのは、周囲にまばらに散らばった骸たちだった。


 草に埋まるようにして落ちている骸の傍には、恐らくはそれらの持ち物らしきものも放置されている。


 澄み渡るような青空が広がる先に、ポツリと小さく村らしきものがあり、森との距離が大したことがないのが確認できる。


 状況を確認して整理する旅人の側で、相棒は周囲にある遺品から使えそうなものを物色し始めた。顔をしかめて注意する彼に、相棒は報酬だと答えた。


 ——相棒の説明曰く、あの森は巨大フクロウの夢なのだという。


 故に、夢の中に迷い込んでしまったものは、出ることができずにそこで朽ちていくしかない。旅人が脱出できたのは、巨大フクロウが目を覚ましたので森が消えて無くなったからなのだという。


 骸の中にはかなり風化したものや、死んで間もないものもあった。


 それに対して、『迷いの森』などと呼ばれている明らかに危ない場所に行くなんて、人間は愚かだなと相棒はぼやいていたが、旅人は悲しげに目を伏せた。


 そんな旅人を横目で見ながら相棒は悲しむ必要は無いと言う。


 そもそも村人達は、最初からこの森が入ったら出て来れない危ない場所だとわかっていて、彼らを向かわせたのだと。


 村に滞在している際に、建物から此方を窺う視線をずっと感じていたが、旅人は見知らぬ者への警戒だと思っていた。


 何のためにそんなことをと呟いて戸惑う旅人に、荷物が目的だろうと返答があった。

 大きな荷物は宿にでも置いていくだろうし、と相棒は言いながら被害者たちが肌身離さず身に着けていた貴重品の類を鞄にしまう。


 ちなみに旅人達が置いてきたはずの荷物を相棒はちゃっかりと持ち出していた。


 神域に入らないのは常識だぞと相棒は言う。彼が怪訝は表情を浮かべると、あの巨大フクロウは神や精霊の類だと答えた。


 俺でも怒ると相棒はいつもは見せない冷たい目で村を一瞥したが、直ぐに興味は失せてしまう。


 荷造りを済ませて、足早にその場を去る際に、悪いことしたなと相棒がぼやくので、旅人は被害者を悼み、同意する。


「何百年も安眠してたのに、叩き起こしちまった」

 

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