第18話。愛と温泉
「アイ。大丈夫?」
「何も問題ないけど」
今、私と姉がタクシーで向かっているのは、山の方にある温泉旅館だった。退院後で怪我もしてるから行くか迷っていたけど、結局決められずに行くことになってしまった。
ただ、一番の問題は両親が行かないことだ。
親戚の経営している温泉旅館だから、二人でも問題なく泊まれるそうだけど。なんだが、申し訳ない気持ちになる。
右手は何とか動かせるようになったけど、頭の包帯は巻いたままだった。多少、視界が悪くてもそこまで問題はなかった。
「着いたよ」
目的の温泉旅館に着いた。入口から入り受付を済ませてから、部屋まで移動をする。
「はぁ……」
部屋に着くと、私は適当な場所に座った。
「お姉ちゃん。温泉行ってきなよ」
「行かない」
「私が入れないのわかってたでしょ」
私はケータイを取り出して操作する。
「部屋の方に。入る」
「ふーん」
「一緒に入ろ」
姉が隣に来ると、私の頭に手を伸ばしてきた。
「何するつもり?」
「アイ。本当は治ってるんでしょ?」
確かに頭の方もだいたい治っている。だけど、わざとらしく頭に包帯を巻いているのには理由があって。その理由があるからこそ、温泉に入りたくなった。
「……お姉ちゃんに傷、見られたくない」
「大丈夫だよ。アイ」
「何が大丈夫なの?」
姉が私の頬に触れてきた。
「私は。悲しんだりしない」
私が顔の傷を姉に見せたくないのは、姉が気にすると思っていたから。でも、隠し続けることは難しくて、姉の言葉を聞いて、覚悟が決まった。
私は自分で包帯を外した。包帯はただ顔を覆う為に付けていただけで、本当は眼帯で眼を隠していた。
「アイ。外していい?」
「うん……」
姉の指先が、私の顔に触れた。そのまま眼帯を引き離すように指を動かされると、私の目には久しぶりに光が取り入れられる。
「どんな感じ?」
姉が私のまぶたに触れてきた。
「少し、腫れてるかも」
「それはなんとなくわかる」
「あと。ちょっと傷っぽいかも」
やっぱり、まだ傷が残っているのだろうか。
「見た目じゃ。わからないよ」
「本当に?」
「うん。でも。アイが不安なら隠す」
眼帯を元に戻された。姉は腕の方も確認しようとするけど、そっちは見た目じゃわからない。ただ最初よりも痛みはなくなっている。
「温泉。一緒に入ろ」
姉がここまでやってくれたのは、私を温泉に入れたいからだとわかっている。姉の善意を無下にするわけにもいかず、眼帯を外してから部屋の方に入ることにした。
姉と二人。ずっと温泉に入っていたせいで、のぼせてしまった。温泉から上がったあとは浴衣に着替えて、体の熱を冷ましていた。
「アイ。飲み物だよ」
「何それ、牛乳……?」
「うん。自販機探してたら。売ってた」
私は姉から牛乳のビンを受け取ると蓋を開けて飲むことにした。昔は苦手だった気もするけど、今は普通に飲める。
「あのさ、なんでジロジロ見てるの?」
「なんだか。いつもと違って見える」
「お姉ちゃんも頭冷やしなよ」
少し温泉でじゃれ合い過ぎただろうか。お互いの成長確認とか理由をつけて、好き放題触ったせいで、まだ手に感触が残っている気がした。
家のお風呂と違って、温泉は広いから開放された気分になってしまう。暴れたりはしてないけど、二人で軽くのぼせるほど夢中になっていた。
「お姉ちゃん、何してるの?」
「少し。休憩」
私の膝に姉の頭が乗ってきた。私は空いていた手を姉の頭に乗せて、優しく撫でる。
「もうすぐご飯だから、寝ないでよ」
「ご飯。楽しみだから。寝ない」
何もしていないと、眠たくなってしまう。ケータイは、テーブルの上だった。ケータイを取る為には姉を押しのける必要があって、私には出来なかった。
「ねぇ。アイ」
「なに、お姉ちゃん……」
「ママとパパは。どうして来なかったの?」
両親が一緒に行かないとわかったのは、今日になってからだった。家に残された書き置きには姉と二人で行くように指示があり、ケータイで父親とやり取りもしたけど、断りきれなかった。
「元々、一緒に行くつもりなかったらしいよ」
「どうして?」
「これは私とお姉ちゃんの為に用意されたからだよ。お父さんとお母さんが私達の喧嘩の原因を作ったから、そのせめてもの謝罪の気持ちだって」
私に何も話さなかった父親。姉と旅に行ってしまった母親。すべての責任が二人にあるとは思わないけれど、両親のすれ違いが私と姉が喧嘩する原因になってしまった。
「気にしなくて。いいのに」
「そうだね……もう、私達は仲直りしてるし」
「アイと私は。仲良し」
もう両親が責任を感じる必要はない。だからこそ、ちゃんと両親には伝えよう。私と姉が元通りの家族に戻れたことを。
それが私が父親に出来る、最初の恩返しだ。
「アイ。一緒に寝よ」
食事が終わった後、しばらくはトランプで遊んでいた。温泉に浸かったせいか、いつもよりも早く眠気が来てしまった。
ちょうどいいタイミングで布団が用意され、今日は早く眠ることにした。布団に入り、すぐに目を閉じて眠ろうとする。
「アイ」
姉が私の布団に入り込んできた。家の布団と違ってそれなりに余裕もあるけど、姉は私に体を寄せてきた。
だいたい予想はしていたから、驚かない。最近はずっと一緒に寝てるし、もう慣れてしまった。
「お姉ちゃんに聞きたかったことがあるんだけど」
「なに?」
「お姉ちゃんの部屋にあった、クマのぬいぐるみ」
私が母親の家に泊まると言った日から、クマのぬいぐるみが姿を消した。姉のことだから、捨てたわけじゃなさそうだけど。
「ごめんね」
「なんで、謝るの?」
「あの子は。アイが持っていたから。捨てられなかった」
あのぬいぐるみには、私の血がついていた。私が襲われた日、私が抱きしめていたのだろう。姉から見れば、大切な私のぬいぐるみに見えたのかもしれない。
「はあ……別になんの思い入れもないんだけど」
「でも。捨てるのはもったいない」
「だったら、誰かにあげたら?」
「うーん。考えておく」
姉のことだから断ると思っていた。だけど、あのぬいぐるみはお互いに嫌なことを思い出してしまう。だからこそ、手放した方が正しいと考えた。
「お姉ちゃん。花火見に行く?」
「花火?」
「そう。少し早いけど、花火大会があるから」
去年は
私が全部を投げ捨てたのは、姉との時間を大切にする為だと自分に言い聞かせている。友達と遊ぶ時間すらも姉に注がなければ、今まで失った多くの時間は取り戻せない。
「アイ。少し。怖い」
「なんのこと?」
姉が私の体に顔を擦り寄せてくる。
「なんだが。生き急いでるみたい」
「……別にそんなことは、ないとも言いきれないけど」
私は死に近づいた。でも、その時は死が怖いとは思わなかった。本当に恐ろしいのは姉の傍にいられないことだ。
「お姉ちゃん?」
姉が体を動かし始めた。いつもは私が姉を抱きしめるような形で眠る。なのに姉の位置が変わり、私の顔を姉が抱きしめてきた。
「これから先。何があっても。私はアイの隣にいる。だから。安心していいよ」
「……でも、お姉ちゃんにはお姉ちゃんの人生があるんだよ?」
「ううん。私の旅はもう終わったから」
それは母親と行った旅のことを言っているのだろうか。目的も行先も聞いてはないけど、そこで姉の考え方を変える出来事があったのかもしれない。
「今度は。アイと一緒に明日を歩きたい」
もう私は姉無しでは生きられない。そう実感したのは、姉の言葉を聞いて、私が心底安心してしまったからだ。
ようやく、本当の意味で家族に戻れたのかもしれない。双子で仲良し姉妹。ああ、きっとそれが理想的な結末なんだと自分を納得させる。
「お姉ちゃん……」
これで終わり。
終わり。
いったい何が終わったというのだろうか。この瞬間も私が抱えている不明な感情がどんどん膨らんでいるというのに。
喜びのような感情とは程遠い。気持ち悪くて、ドロドロした感情。姉と仲直りをすれば、全部消えるはずだった不必要な感情。
まだ何も終わっていない。
この感情の正体を知った時こそが。
私。奈々晞アイの物語に区切りがつく。
きっと、遠くない未来で。私は感情を抑えられなくなるだろう。最悪な未来を想像しながらも、今は姉の温もりを感じながら酷い現実から目をそむける。
「お姉ちゃん。おやすみ」
これでいい。
明日は、明日の私に任せよう。
今日の私は、何者にもなれないのだから。
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