第17話。愛と父親
長い夢を見ていた気がする。
目が覚めた時には忘れてしまう、印象にも残らない夢。だけど、その夢を見ている間は、私は辛いことから逃れられた。
「お父さん……」
「アイ。もう大丈夫だ」
夢から目覚めた時、私がいたのは病院のベッドだった。体の痛みと吐き気が、疲労と重なり私の心をボロボロにしていた。
「お父さん。心配かけて、ごめん……」
あの日、私が襲われたのは自業自得だった。姉に依存する自分が憎くて、否定しようとした。なのに一人で生きるには私はあまりにも弱く、他人に傷つけられた。
「お前が無事でよかった」
父親の腕の中で私は今までにないくらい泣いてしまった。父親に心配をかけた馬鹿な自分。もし、死んでいたら、家族に二度と会うことが出来なかった。
泣き疲れて、もう一度眠ろうとした時、扉の方に姉の姿を見た気がする。だけど、私は眠気に逆らうことが出来ず、今一度深い眠りに落ちた。
私が精神的にも落ち着いたのは、目を覚ましてから数日が経った頃。父親は毎日私の病室に足を運んでくれる。
「ねぇ、お父さん。これいつ取れるの?」
私は顔の包帯に触れた。片目を覆うように巻かれたソレは痛々しいけど、見た目ほど酷い傷じゃないそうだ。
「傷が塞がれば大丈夫だ。ただ……」
「傷跡が残る?」
右腕の怪我とは違って、血も出てたし、切れているみたいだった。何度か包帯を外すタイミングはあったけど、気を使ってくれたのか巻き直してくれた。
「見た目じゃわからない程度にはなると言っていたが……」
「ふーん」
こんな会話を父親と繰り返して数日。何気ない会話なのに落ち着く。ただ、病院に長居をするつもりはなかった。
退院の日。結局、姉とは会えなかった。父親に聞いても、姉の行方を知らないらしく。何度か送ったメールにも返信がなかった。
「アイ。温泉の話を覚えてるか?」
車の助手席で窓の外を眺めていると、父親が声をかけてきた。父親が迎えに来てくれたので一緒に家に帰っている。
「覚えてるけど」
「断ることも出来たが、怪我のことを伝えたら対応してくれるとは言っていた。ただ、無理をして行く必要もない」
「……いつまでに決めればいい?」
「来週までには」
私がすぐに断らなかったのは、それが家族四人が集まる機会だったから。温泉じゃなくても顔は合わせられるけど、両親にはキッカケが必要だったんだと思う。
しばらく黙っていると、車が途中で止まった。父親の運転で家に向かうかと思えば、車が止まったのは飲食店の駐車場だった。
「なんで、お店なんかに……」
「退院祝いだ」
父親はさっさと車を降りてしまった。
「私、そんなに食べれないよ」
「食べれなかったら残せばいい」
お店の中に入り、席に案内された。家族でも滅多に来ないような店。父親と私は向かい合って席に座り、メニューを確認した。
「オムライス二つ」
だけど、店員さんが来るなり、父親が勝手に注文をしてしまった。私は不意をつかれ驚いたけど、父親は知らん顔していた。
結局、私が目を覚ましてから、父親は一度も私のことを怒ったりしなかった。もしかしたら、父親は自分が感情的になれば、私に影響すると考えているのかもしれない。
色々と考えているうちにオムライスが運ばれてきた。見るからに美味しそうだけど、わざわざ退院祝いに食べるほどではないと思うけど。
「……」
私は使えない右手の代わりに、左手で食器を手に取った。オムライスと言えばスプーンだし、今の私にはそれ以外を使うのは難しい。
スプーンを使ってオムライスを口に運ぶ。久しぶりの味の濃い食べ物。美味しくて、全然お腹がすいてなかったのに食べれてしまう。
「この店。ずっと昔からあるんだ」
「ふーん」
「よく、お前たち二人も子供の時に食べていた」
「え?」
子供の頃に食べたことなんて覚えていない。そもそも私は昔の記憶のほとんどを忘れていた。勘違いもしていたし、まともに思い出せる記憶なんてなかった。
「あの頃に比べて、二人は随分と大きくなった」
「そりゃ普通に育ってるし」
「だからか、考えてしまうんだ」
父親は手が止まっていた。
「もうすぐ、巣立ってしまうんじゃないかと」
巣立ち。それは私や姉が親元を離れて一人で生きていくということ。永遠の別れというわけじゃなくても、父親の人生において大きな区切りをつけてしまうことになる。
「お父さんが寂しいなら、ずっと一緒に暮らしてもいいよ。お姉ちゃんも引き止めるし」
「いいや、そんなことは望んでいない」
父親がハッキリと言葉を口にした。
「お父さんが不安を感じてることはわかるよ。私は大怪我をしてくるような馬鹿な娘だし、お姉ちゃんはふわふわしていて心配だろうし。でも……」
「違う。そうじゃないんだ」
今までで一番、父親の声から苦しみのようなものを感じた。絞り出されたような父親の言葉に私が胸が締め付けられるみたいだ。
「お父さんは何がそんなに苦しいの?」
「この感情を娘達に向けるべきではない。父親としての醜い感情。まだ巣立ってほしくないと願うのは、長い時間をかけて大切に育てた娘だからだ」
そんなの親なら当たり前に抱く感情だと思っていた。父親は私を手離したくないと言いながら、そんなわがままで娘を縛り付けたくないという考えも持っている。
曖昧だけど、父親の優しさを感じる。だから、私は父親に甘えてはいけない気がした。お互いの未来をよくするためにも、正しい選択を選ばなくてはならない。
「お父さん。今までで育ててくれて、ありがとう」
「アイ……」
「それと、ごめんなさい。私はこれから、お父さんの期待を裏切ると思う。だけど、私は私の幸せの為に選ぶから、安心してほしい」
父親は顔に手を当てていた。泣いてしまうんじゃないかと思ったけど、すぐにいつもの父親に戻っていた。
私と父親の間で一つの区切りがついた。これから先の未来で、私と父親は別々の道を歩くことになるかもしれない。
でも、きっと親子なんてそんなものだ。いずれ一人で歩く道なら、私は誰かと一緒に歩こう。同じ未来を進むことの出来る大切な人と。
食事を終えた後、父親の家まで帰ってきた。父親は家には戻らず残った仕事があるからとすぐに行ってしまった。
久しぶりの自宅。入院生活は楽しいものじゃなかったし、何よりも落ち着かなかった。とりあえず服を着替えようと、自分の部屋を開けた時、そこには予想外の物が置かれていた。
「なんで、ここに……」
ベッドの上には、縫い目が目立つクマのぬいぐるみが置かれていた。そのクマは私がゲームセンターで取って、捨てようとしていた物だ。
「縫ってある……」
すぐに気づいた。これを縫ったのは姉だと。
私はクマのぬいぐるみを抱き上げた。
「私とそっくり」
そんな時、玄関の開く音が聞こえた。
父親が忘れ物でもしたのだろうか。そんな考えも浮かんだけど、もう一人、この家に帰ってくる人物がいる。
私は様子を確かめる為に廊下に出ようとした。しかし、扉の前まで移動したところで、向こうが側から扉が開き、姉が姿を見せた。
「アイ!」
姉が飛び込むように私の体に抱きついてきた。
「お姉ちゃん……」
私はずっと気になっていた。
どうして、姉は私に会いに来なかったのか。
「私。ちゃんと。やったよ」
「え……?」
姉の言葉を聞いて、嫌な予感がした。
今まで姉が病室に来なかった理由。思い出せば簡単な話だ。襲われた日、私が誰に助けを求めてしまったのか、忘れてはいない。
「お姉ちゃん、まさか……」
「アイを襲った男を見つけた」
その男は。
お店で盗撮を行い、カラオケで私を襲い、そして複数人で私に暴力を加えた。私が憎しみを抱くべき相手だった。
それを姉が見つけ出した。
「……殺したの?」
もし、私と姉の立場が逆であれば、私は間違いなく見つけた男をこの世から消している。だけど、わざわざ姉に質問をしたのは確信があったからだった。
「ううん。殺せなかった」
やっぱり、優しい姉に人を殺せない。
「そっか……」
「でも。今頃捕まってると思うよ」
姉の言葉を聞いても、私の中にある不安が消えなかった。本当に男が捕まり、私達に関わることすら出来なくなったとしても。
この感情は、簡単には消せない。
「ねぇ、お姉ちゃん」
私はゆっくりと姉を引き離した。
「アイ。どうしたの?」
「お姉ちゃん。バカ!」
心に芽生えた明確な怒りの感情。それを発散するように私は姉の顔を力いっぱい叩いた。
「そんなことして私が喜ぶと思ったの?もう、あの男のことなんてどうでもよかった!なのに、なのに……なんで、そんな危ないことするの!」
怒鳴り終わった時、自分の手が酷く痛むことに気づいた。姉の顔を見れば、鼻から血を流し、私が加減をしてないことに気づいた。
「お姉──」
「アイ……ごめんなさい……」
私が謝るより先に姉は子供のように泣き出してしまった。
だけど、あの男は本当に危険だった。もしかしたら、姉が殺されていたかもしれない。想像するだけでも、私は恐ろしいと感じていた。
「お姉ちゃんが死んだら……私はひとりぼっちじゃんか……」
姉の泣く姿に感化され、私も涙が溢れてきた。
「アイ。ごめんね」
「お姉ちゃんのバカ……」
私達は二人、抱き合って泣き続ける。自分達の中に溜っていた不安や悲しみ。吐き出すように涙と一緒に流していた。
双子の姉妹なのに、少しづつズレが大きくなっていた。歪みは大きくなり、このままだと壊れてしまうような気がした。
お互いが相手の為に自分を犠牲にする。
そんなの、本当の幸せだと言えるのだろうか。
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