第19話。愛と花火

 季節は夏。心の傷と違って、体の怪我は気づけば治ってしまう。顔と腕の怪我が治り、痕も残っていない。


 顔を触ると少し違和感がある程度。腫れも無くなっているし、これなら包帯で隠す必要もなさそうだった。


「お姉ちゃん、私。変じゃないかな?」


 鏡に映った自分の姿。母親に着せてもらった浴衣は水色が綺麗で、買ってから初めて着ることになった。


「ううん。似合ってる」


「……お姉ちゃんも似合ってるよ」


 姉は薄い赤色系の浴衣を着ている。柄もハッキリとしていて、姉の姿が際立って見てえていた。


「そろそろ、行こうか」


 悔いを残さないように、私と姉は思い出作りのつもりで、夏のお祭りに出かけることにした。


 お祭りのある場所は母親の家から歩いて行けるから。私と姉は時間に余裕持って行くことにした。


「ねぇ。アイ」


 家から外に出て、すぐに姉が声をかけてきた。


「どうしたの?」


 特に立ち止まるわけでもなく、歩きながら二人で会話を続ける。


「ううん。呼んでみただけ」


「ふーん……」


「アイは。全然呼んでくれない」


「お姉ちゃんは、お姉ちゃんでしょ」


 私が姉の『名前』を呼ばないのは、戒めのようなものだった。私と姉の関係をハッキリとさせる為でもあり、私が名前を姉の呼ぶ時は、きっと何かが変わってしまう時。


「私は。ずっとお姉ちゃんなの?」


「うん。お姉ちゃんだよ」


「なんか。いや」


 姉が何を言っても、私は態度を変えるつもりはなかった。姉の機嫌が少し悪くなったように思えたけど、目的地が遠くに見えてくれば、姉の表情が明るくなった。


「お姉ちゃん、はぐれないでよ」


 屋台の並んでいる通りまで来ると、流石に人が多かった。歩けないほどじゃないけど迷子になったら見つけるのは一苦労しそうだ。


「ねぇ、お姉ちゃんってば……」


 振り返った時、そこに姉の姿はなかった。


「いや、迷子になるのは早すぎでしょ……」


 仕方ない。万が一の時はケータイで呼び出せば済むだろうし、適当に姉を探すことにした。


 屋台ではなく、人に目を向ける。そうしてるうちに知っている人物を見つけ、目が合ってしまった。


彩葉いろは?」


「アイ先輩。お久しぶりです」


 それはいいけど、隣に知らない男の子が立っていた。彩葉の手握り、どっからどう見てもカップルだった。


「え、まさか、彼氏?」


「はい。私のダーリンです」


 彩葉は男の子の腕に抱きついていた。


「……今度は誰かの彼氏じゃないよね?」


 私は彩葉の耳元で囁いた。


「はい。正真正銘、付き合いたてのカップルです」


「そっか。まあ、よかった」


 今度は上手くやってくれるといいけど。


「アイ先輩。約束、忘れてませんよね?」


 約束。彩葉はちゃんと誰かを好きになった。


 つまり、私も誰かを好きになる。


「わかってる」


「なら、よかったです」


 これ以上、彩葉の邪魔をするのもよくない。姉を探すことを告げて、彩葉とは別れた。


 気のせいかもしれないけど、彩葉は幸せそうな顔をしていた。本当に相手のことが好きなのが伝わって、少しだけ羨ましく感じた。


「あれって……」


 彩葉と別れてすぐのこと。


 少し先に見覚えのある二人がいた。


「ちょっと!楓奏かなでさん!おしり触らないでくださいよ!」


「えーだって、いいケツだったし」


 射的屋の前でイチャイチャしているのは、鈴佳すずかと楓奏だった。二人とも浴衣着ているし、二人で来たのだろうか。


「あれ、アイちゃんじゃん」


「アイさん!」


 声をかけるつもりはなかったのに、見つかってしまった。


「二人とも、いつの間に仲良くなったの?」


「アイちゃんがバイト辞めた後、二人で色々話してさ。そしたら、意外と鈴佳と気があってさ。今は友達みたいなもん」


 残してしまった二人のことが気になっていたけど、仲良くしてくれたよかった。


「アイさん。本当にありがとうございました」


 鈴佳が頭を下げた。


「やめてよ。私、何もしてないし」


「いえ。私のわがままをすべて受け入れてくれたアイさんは、まさに女神です。ありがたやー」


 勝手拝んでいる鈴佳は無視した。


「楓奏、ありがとう」


「アイちゃん、急にどうした?」


「お姉ちゃんとちゃんと仲直り出来たのは、楓奏のおかげだと思う。だから、ありがとう」


「あーそういうの慣れてないからパスで。ほら、鈴佳、次は金魚すくいで対決だ」


 慌てるように楓奏は鈴佳を連れて行ってしまった。ずっと心残りだった二人のこと。あの様子なら余計な心配だったみたいだ。


「お姉ちゃん、どこにいるんだろ」


 後は姉を見つけるだけだけど。


「……っ!」


 人混みの中で、その姿は一際輝いて見えた。


 私と同じ顔を持つ彼女。綺麗で、羨ましい。そんな考えすら浮かんだ時、私の心には別の感情が満たされていた。


「なにをして……」


 姉の腕を掴んでいる男がいた。


 その姿を見た瞬間、私は駆け出していた。


 なんで。


 あの男が、ここにいる。


 転げそうになりながら、人にぶつかり。そして目の前まで男の姿が迫った時、私は男に向かって飛び込んでいた。


「汚い手で触るなッ!」


 喉の奥から発せられた、酷い叫び声。


 私に触ろうとした男の腕を避けて。もう一度男に向かって体当たりをして地面に押し倒した。


 さらなる追い討ち。いや、それは出来なかった。


「アイ!だめ!」


 姉に腕を掴まれて、私は動けなかった。


 だけど、男は今にも立ち上がろうとしている。


 このままだと二人とも危険だ。なんとか姉を引き離さないといけない。色々が考えが頭の中を埋めつくした時、男が立ち上がっていた。


「なんだよ、ちくしょう……」


「え……」


 男の顔をよく見れば、まったく知らない相手だった。ただ、私を襲った男と体格が似ているからというだけで、勘違いをしてしまったのか。


「アイ。こっち」


 姉に手を引かれ、人混みに紛れた。




 その時、私は酷く落ち込んでいたと思う。ただ黙って姉に連れられて、長い階段を登り続けていた。


「ねぇ、お姉ちゃん。止まって」


 階段の途中、花火の音で私の意思が戻って来た。


「この上からだと。花火がよく見える」


「そんな話をしたいわけじゃない!」


 私の感情は乱れてしまった。


「私、変じゃんか。知らない人に飛びかかって……押し倒して……」


「ううん。アイは変じゃない」


 私の立っている段に姉が並んでくる。


「私は。急に声をかけられて怖かった。でも。アイが飛び込んで来た時。凄く安心した」


「でも、それは……」


「勘違い。なんかじゃないよ」


 姉が私の体に抱きついてきた。


「アイ。ありがとう」


 違う。感謝されたくてやったわけじゃない。


 あの時、私は怖かった。


 姉が他の誰かに穢されるのが許せなかった。


「ほら。花火。終わっちゃうよ」


 私から離れた姉は階段を登ろうとする。


 しかし、姉は履き慣れていない靴を履いていたせいか。階段を踏み外し、体勢を大きく崩してしまった。


「お姉ちゃん!」


 咄嗟に私は手を伸ばして、そのまま姉の体に抱きついた。二人で階段を転げ落ち、途中で止まった。


 かなり痛かったけど、耐えられないほどじゃない。もし、階段の一番上から落ちてたら危なかった。


「お姉ちゃん。大丈夫……?」


「うん。平気」


 姉が私の下敷きになっている。お互いに意識はハッキリとしていて、私はゆっくりと体を起こそうとした。


「あれ……」


 私の顔から鼻血が出ていた。


「……っ」


 姉と同じように私も鼻血が出やすい。だけど、鼻血が出たのは随分と久しぶりだった。だからか、少しだけ驚いてしまった。


 不意に姉の顔に私の血が垂れる。


「お姉ちゃん……」


 私の血で姉の白い肌が穢されていく。その血に私は触れて、姉の頬に擦り付ける。だけど、姉は表情を変えることはなかった。


「私。ずっと言えなかったことがあるんだ」


「言えなかった。こと?」


 もう、間違えたりしない。


 私は自分の心に正直になろう。


「お姉ちゃん。好きだよ」


 姉は私の顔に触れ、指先で血を拭っていた。


「嘘は。聞きたくない」


「そうだね、好きって言うのは嘘だよ」


 子供の頃。私と姉が別々の未来を歩み始めた時から抱いていた感情。それは、姉に対する怒りの感情だと思い込んでいた。私と父親を裏切った、最低な姉だと。


 でも、それは私の勘違いだった。


 私が感じていた感情の正体。姉が近くにいるほど見えなくなって、離れていくほど見えてしまう。


 今はハッキリとわかっていた。


「私はお姉ちゃんのこと……」


 だから、言葉にして伝えよう。


 例え嫌われることになっても。


「他の誰にも渡したくない」


 酷く醜い感情の正体。それは愛なんてモノではなく、強烈な独占欲だった。自分と同じ顔を持った存在を自分だけのモノにしたい。自分の顔も愛せない人間が、彼女のすべてを欲する。


 私は生まれた時から、歪んだアイを孕んでいた。


「いいよ。私は。アイのモノになりたい」


「でも、私の感情は……」


 姉が私の体を抱き寄せてきた。


「アイ。ごめんね」


「お姉ちゃん……?」


 その時、姉の雰囲気が変わったように見えた。


「私も。アイを誰にも渡したくない」


 ああ、やっぱり私達は双子なんだと理解した。


 強い独占欲を持って生まれたのは、自分だけではなかった。お互いがお互いに相手のすべてを欲している。


 そこに愛なんて感情はなかった。なのに、ただ求めるように抱き合う二人は周りから見れば、幸せに見えるのだろうか。


 曖昧な未来の話なんて考えられない。


 私は彼女と二人で堕ちていくだけ。


 誰も幸せになれないと理解しながら。


 私と彼女は間違え続ける。


 それが、この最悪な物語の結末だろう。


 でも、今はそれで構わなかった。


「アイ。大好き」


 世界でたった一人。


 彼女が笑っていてくれるのなら。

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