最終話。愛と花嫁

 私達は本当に幸せを得られたのだろうか。


 あの日、思い描くことの出来なかった遠い未来の話。私と彼女が迎えたもう一つの結末であり、私達が歩んだ最後の物語。




「おかえりなさい」


「うん、ただいま」


 私と『彼女』の二人だけの同棲生活が始まったのは、高校を卒業してから少し経った頃。


 二人でバイト生活を続けて、地元から離れた場所で家を見つけると。荷物をまとめて実家を出て行くことになった。


 バイトを続けていたのは両親からお金を借りたくないって言うのが建前で。本音は両親の元から離れるのが寂しかったのかもしれない。


「いつも、ありがとう」


「急に。どうしたの?」


「別に、なんでもない」


 二人での生活は既に慣れた頃だった。私が仕事を負担するようにして、家事は姉に任せている。


 一つのテーブルに並べられた夕飯。


 私達がお互いの距離を置かないことを決めているので、借りている部屋は狭い。広々としているわけじゃないけど、二人で生活するなら何も問題ない。


「これ、美味しい」


「今日の。自信作」


 母親の料理と比べても、味の見劣りはない。実家を出る前、彼女は母親から料理を教わり、今では日を重ねる事に上達している。


「ねぇ。アイ」


「なに?」


「ううん。呼んでみただけ」


 無邪気に微笑む彼女。


 私は、その姿を見ているだけでも幸せだった。


「ごちそうさま」


「アイ。お弁当箱は?」


「はい」


 家事に関して、私から手を出すことは許されない。もちろん、料理くらいは作れるけど、家事をやると彼女が嫌がってしまう。


 そして、何よりも私の変化と言えば。


 お皿とお弁当を洗っている彼女に近づいて後ろから抱きしめてみる。少し汗の匂いがするけど、彼女だからか不快には感じない。


 自分の匂いを付けるように何度か彼女に顔を擦り付ける。だけど、もう慣れてしまったのか、彼女は何も言わずに作業を続けていた。


「ねぇ、今日はダメ?」


「アイ。疲れてるくせに」


「疲れてるから、癒してほしい」


「だーめ」


 否定を受けるけれど。多少強引になれば、彼女は何も言わずに受け入れてくれる。


 本当に辛い時なら、後先考えずにやってしまうかもしれないけど。こうして大切な人を抱きしめているだけでも心が落ち着いていた。


「何か。あったの?」


 彼女の冷えきった指先が私の頬に触れる。私はそれを握り返して、酷い作り笑いで笑顔を返す。


「少し。待ってて」


 ちょっとだけ急いで彼女は作業を終わらせている。私は邪魔にならないようにベッドに寝転がり、ケータイを見ることにした。


 父親とは時々連絡をしているけど、家出てから顔を合わせていない。母親は時々遊びに来るからよく顔を合わせていた。


「アイ」


 名前を呼ばれて体を起こすと、彼女がベッドに脚を掛けた。そのまま私の膝の上に自らの体を乗せると肩に手を回してくる。


「はい。好きにしていいよ」


 私は彼女の体を抱き寄せる。でも、相変わらず身長差が同じせいで、私が彼女に抱きしめられているような形になってしまう。


 何度か。辛い現実にぶつかってしまった時。私は彼女を自分の欲求を満たす為に利用してしまったことがある。


 それはあくまでも私の気持ちの問題であって。彼女が嫌がるようなことではなかったはずなのに。今の私は、愚かさを幾重に積み上げ後悔してしまっている。


「ごめん……」


 私は彼女から手を離した。


「やっぱり、ちゃんと話し合いたい」


「アイが。それでいいのなら」


 私の体から離れた彼女。感じていた温もりが消え、酷く冷たさを感じる、


 お互いに服を着替えて外に出掛ける準備を済ませる。駐車場に停めている車で遠出をすることにした。




 星空の下。私達は月に照らされる。


 砂浜で彼女の手を引きながら歩いていく。私達だけが存在する、二人だけの世界。


「ここに座ろうか」


「うん」


 波打ち際で私達は腰を下ろした。波の音が聴こえ、綺麗な月が見える場所。


「あれから、結構経つよね」


 私が彼女の存在を心から欲した。


 だけど、不安もあった。


「私と一緒になって、幸せになれた?」


 彼女は私の手を握る。


「朝起きて。私はお弁当を作り始めるの」


 語るように彼女は言葉を並べた。


「それから。アイを起こして。二人で朝ご飯を食べて。食べ終わったら。アイにお弁当を渡して見送るの。そしたら。部屋の中には誰もいないから一人になるの」


 私は彼女に寂しい思いをさせているんじゃないかと感じていた。二人で暮らす以上、どちらかが働く必要があった。


「そしたら。すっごく寂しいの。アイの熱を感じたい。アイの声を聞きたい。アイを見ていたい。アイがいない時間は。私をボロボロにするの」


 仕事中は私も似たようなことを考えている。だけど、彼女の為ならと必死に我慢することで、弱い自分を押し殺していた。


「洗濯物を干してからは。私のお仕事。アイが帰ってくる前に夕飯を作り始めて。帰ってきたアイにおかえりって言うの」


 そこからは私もよく知っている。


「夕飯を食べてから。アイが私を求めてくる時。それが。すっごく嬉しくて。私はそんなささいなことに『幸せ』を感じているの」


 果たして、それは不幸すらも掻き消す幸せだと言えるのだろうか。彼女にとっての幸せは、昔とは変わっていない。


 だけど、今の私が求めているモノは。


「ずっと、一緒にいたい……」


 ただ、それだけだった。


 なのに。


 そんな願いすらも。


 今の私には叶えられない。


「アイ。疲れた時は休んでもいいんだよ。辛い時は逃げてもいいんだよ。アイの居場所は。ちゃんとあるから」


 彼女は私の頭を抱き寄せる。


「大丈夫。アイは一人じゃないよ」


 私は唇を噛み締めて、感情を押し殺していた。涙を流してしまえば、自分の中の何がポッキリ折れてしまいそうで必死に我慢することしか出来ない。


 このまま家に帰り、同じ布団で彼女と夜を過ごしたとしても。明日、迎える朝は何も変わってなんてくれない。


 お互いの心が磨り減っていく日々。いつか唐突に終わりが来るような気がして、不安で怖かった。


「ふん、私は平気……だし」


「本当に?」


 人間生きていくなら我慢だって必要なことだ。だけど、もしも私の心が折れてしまいそうな時は。彼女を頼ろうと思う。


「平気。だけど、ちょっと辛い」


「うん。知ってるよ」


 何度も、何度も、彼女は私の頭を優しく撫でてくれる。昔の父親がそうであったように、彼女もまた私の心を満たす希望だった。


 私と彼女の間にあった大きなズレは、もうほとんど消えていた。なのに、お互いに相手のことを考えながらも、結局は自分の都合を押し付けているだけだった。


 私は自分を変えたいと思った。そうでなければ私も彼女も本当の意味で幸せになれない。


「もう少しだけ待ってほしい」


「何を。待つの?」


「お金が貯まったら、あの日。屋上で言った通り二人でお店を持つ。そしたら、仕事中でもずっと一緒にいられるし、自分達の本当にやりたいことが出来ると思う」


 それは夢物語に終わってしまうかもしれない。


 自分の店を開くなんて難しい話だとわかっている。でも、何もしない人間が自分の未来を望む方がよっぽど愚かしいと行為だと認識させられた。


「うん。私はずっと待つよ」


「ずっと、なんて待たせない」


 出来るだけ早く、彼女を幸せにしたいと思う。私は彼女の顔を見て、もう一度だけ心の底から吐き出した言葉を告げる。


「私は、一緒に幸せになりたいから」


 それは、すべての答えだった。


 その願いが叶えられないから私はずっと苦しんできた。誰かが解決してくれると考えていたことが甘くて、自分の手で変えなければならない未来だった。


 私の気持ちを受け取った彼女は少しだけ微笑む。そして、頬を僅かに赤く染めながら、くだらないようで、私達にとっては、大切な話を続けてくれる。


「アイ。少し大人っぽく見える」


「え、まだ私って子供っぽい?」


「うん。私に甘えてばっかりだし」


「そんなに甘えてるつもりは……」


 彼女が言うのなら間違いはない。


「この前。私が寝ている時に……」


「それは違う話でしょッ!」


「え。違うの?」


 自分が寝ぼけてやってしまった失敗。また話題に出されるなんて想像もしていなかった。


「子供。みたいで可愛かった」


「もう忘れてほしい……」


 せっかく自分の気持ちを打ち明けたのに、どうして彼女にいじめられているのか。


「ねぇ、子供とか欲しいと思わないの?」


「アイの子供なら。欲しい」


「その言い方だと、私の子供を産みたいように聞こえるんだけど」


「そう。だよ?」


 もう一度、彼女には学校での勉強をやり直してもらいたいところだけど。どうせなら、私も彼女の子供が欲しいと考えてしまうので。あまり文句を言える立場ではない。


「子供が欲しいなんて少し欲張りなのかもね。何かを諦めないと、手に入れられないモノだってあるんだから」


「うん。残念だけど」


 今の生き方を選んだことに後悔なんてしない。両親に、私達の考えを、気持ちを、ハッキリと伝えた時。二人は私達の幸せだけを強く願ってくれていた。


 親不孝者だと周りから後ろ指をさされても構わない。私は彼女のことが大好きだから。他の選択肢なんて選べなかった。


「そろそろ、帰ろうか」


 私は立ち上がり、砂浜を歩く。


「ねぇ。アイ」


 私の隣に駆け寄ってくる彼女。


「あの言葉。覚えてる?」


「どれ?」


「誓いの言葉」


 子供の頃。そんなのも考えた気がする。でも、彼女がその話を持ち出したということは私は覚悟を決めなければならない。


「ここで言うの?」


「うん」


「ちょっと恥ずかしい」


「そんなのは。だめ」


 胸に飛び込んでくる彼女を抱きしめながら、私達はもつれあうように砂浜に転がり込んだ。


 流れ込む波に体を濡らしながら。


 二人だけの世界。二人だけの時間が溶け合う。


「私は。アイの言葉が欲しい」


 私の体と彼女の体が海に少し沈む。


「わかった。もう逃げない、から」


 私は、彼女の名前を思い出す。


 ずっと避けるべき名前だと。


 何処かで思っていたのかもしれない。


 私が。奈々晞ななかわ アイがなれなかった。


 たった一人の。大切な人。


 ずっと、私の姉でいて欲しかったから。


 その名前を口にはしなかった。


「奈々晞『レン』。私は、レンのことが好きになりました」


「……アイ。やっと。呼んでくれたね」


 気づけば何十年。


 彼女の名前を呼ばなかっただろう。


 でも、今なら平気。


 もう、私と彼女は対等だから。


「私はレンのすべてを受け入れる」


「私はアイの全部の受け止める」


 私と彼女の指が重なり合う。


「悲しい時も」


「喜びの時も」


「病める時も」


「健やかなる時も」


「貧しい時も」


「富める時も」


「アナタを愛し」


「アナタを敬い」


「アナタを慰め」


「アナタを助け」


「死が二人を分かつまで」


「ううん。死んでからもずっと一緒」


 きっと、これ以上の関係なんて望むことは出来ない。だけど、私がそうであるように、彼女の求める世界は一つだけ。


 人は悩み、立ち止まり、後悔する。


 だけど、大切な誰かと手を取り合って歩む未来は。不安や後悔すらも忘れてしまうほどの幸せと共にあり、前に踏み出す勇気を与えてくれる。


「レンを幸せにすることを」


「アイを幸せにすることを」


 だから、私は彼女と一緒に歩き続ける。


「誓います」


「うん。誓います」


 言葉を言い終えた彼女は私の顔を静かに見つめていた。誓いの言葉は記憶通りなら間違ってはいないし、何か忘れてることでもあったのだろうか。


「キス」


「あー、キスね。キス」


 私はすぐに彼女の『頬』に唇を当てた。


「どうして。そこにキスするの?」


「んー恥ずかしいから」


 私は濡れた体を動かしながら。


 彼女の冷たい手を握って歩き続ける。


 このまま帰ってしまうのは本当は名残惜しいけれど。長く留まることは許されない。


「ねぇ。もう一つだけ」


 立ち止まった、彼女は私の前に立つ。


 月明かりに照らされた彼女の姿は幻想的に映し出され。夜空に浮かぶ星の輝きさえも、彼女にはかなわない。


「アイ。好きだよ」


「ん……」


 そして。


 私の唇と、彼女の唇が重なる。


 自然と瞼は閉じて、一つ感覚だけに意識を集中させる。例え一瞬であっても、永遠に感じられるほど長く、そして終わりが来なければいいと願うほど熱く、私と彼女は口づけを交わした。


 これからの未来なんて考えるよりも今の私にとって大事なことは一つだけだった。


 それは目の前にいる大切の人に、私が与えられるすべての『愛』を注ぐこと。


 だって、それが。


 そんなことが。


 私と彼女の求めた、小さな幸せだったから。

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